45.猶子の思惑。
「魯兄じゃ、宴会にわらわも連れていってたもれ」
「お市、いいかよく聞け。今日行く宴会は、宴会は宴会でも酒会という宴会だ。お市は末森で皆が騒ぎ、罵倒し、殴り合っていたのを見たことはないか?」
「う~~~ん、あるのじゃ」
「そうか、あるか?」
「何やら騒いでいたので見に行ったら、皆が変になっていたのじゃ」
「俺が行くのはそんな所だ。できれば行きたくないが、公方様のお誘いで行かぬという訳には行かない。危険だからお市を連れてゆく訳にはいかない」
「魯兄じゃは強いから大丈夫なのじゃ」
お市が全幅の信頼を持ってにぱぁと微笑んでくれた。
余りの眩しさに目を逸らしたくなる。
すまん、お市。
俺はそんなに強くない。
身の危険はないと思うが、何が起こるのかまったく判らない。
織田の宴会なら早い段階で下げさせることができる。
だが、相手は公方様だ。
何を言い出すか判らない。
『余興だ、何か舞え』
いいそうだ。
そんなことを言われたどうなる?
お市が舞えるのは、『さくら、さくら』などのお遊戯だ。
それは、それで愛らしい。
俺の妹達は最高だ。
お市、お栄、里の三妹の舞いは中根南城で大絶賛だった。
皆が可愛いらしいと、感涙にむせんだ。
兄上(信長)にも見せたらしく、兄上(信長)は曲ごとの衣装を仕立てさせたくらいだ。
来年は着れないんだぞ。
しかし、それが公方様やその家臣の目にどう映るか判らない。
「魯坊丸様」
「判っておる。何が起こるか判らんところにお市は連れてゆけん」
「判っておるのならよろしいのです」
普段は意見が合わない(内藤)勝介だが、今日だけは意見が一致した。
しかも護衛が酔い潰れるかもしれないのだ。
「魯坊丸、俺の顔に何か付いているか?」
「後でたらふく呑ませてやるから、今日は呑むなと言ったら呑まないでいられるか?」
「おいおい、そりゃないだろう」
やはり、慶次はアテにならない。
犬千代は酒を呑むと暴れ出すので論外だ。
護衛は彦右衛門と弥三郎のみになる。
勝介の付き添いは野口 政利と織田 重政であり、護衛というよりカンニングペーパーだ。
しかも宴席に上がれるかどうかも判らない。
織田は兄上を中心に両側に並び、護衛二人が後ろでお相伴に預かる。
お相伴は主が何かしたとき取り押さえるのが仕事だが、そのお相伴の二人が問題を起こすことも度々あったらしい。
俺は参加したことがないから詳しいことは知らないし興味もない。
実際、公方様の宴席に何人上がれるのかも判らない。
判らないだらけの中にお市を連れてゆくのは、地雷を抱えて特攻するのと同じだ。
と俺は思っているのだが?
俺はまさか勝介が「魯坊丸様とお市様が連れだって行くのは死にに行くようなものだ。せめて魯坊丸様お一人にしていかないとお止めすることもできない」などと無礼なことを考えているとは思ってもいなかった。
「市は一杯我慢したのじゃ」
「偉かったと思うぞ」
「そうじゃろ」
「尾大納言様、まだ人前に出るのはお止め下さい」
「市はお市なのじゃ。その変な呼び方を止めるのじゃ」
「熱田局様、まずは父君のご許可を貰って下さい」
「市はお市なのじゃ」
昨日の今日、飛鳥井 雅綱が二人の教育係の女官を連れて来られた。
山科 言継も同行され、仮の衣装を持って来た。
当面の衣装だ。
さらに、拝謁用のお市の衣装を作る為に採寸もし、権大納言の娘に相応しい衣装を用意してくれると言う。
その教育には俺も同席させられる。
面倒臭い。
その後、二人はきっちり風呂と飯を頂いて帰った。
『お代は期待しております』
などと、言継は言って帰った。
風呂と飯を漁られた上に、授業料も支払うのか?
高く付く、上洛だ。
お市の悩みはそこではない。
権大納言の娘、尾州(尾張)の姫と言うことで、『尾大納言』様、あるいは、熱田神官の妹で『熱田局』様と呼ばれることになる。
(どうでもいい話だが、『局』とは身分の高い女官という意味であり、おそらく一度も使わないであろう部屋をお市は宮中で頂くことになる)
宮中で呼ばれて気が付かないのは不作法らしく、普段から呼び慣れた方がいいと言って、教育係の女官はお市をそう呼ぶ。
それが気にいらないのだ。
お市は敢えて無視しているが、女官らはまったく気にとめる様子がない。
慣れたものだ。
明日から午の刻(午前11時)から未の刻(午後3時)までがお勉強の時間になる。
おそらく、晴嗣が飛鳥井家を選んだのは公方様の忠臣である朽木家に恩を売るつもりだからだが、稙家(晴嗣の父)は近衛家の猶子にするつもりだったらしい。
言継の話では親子でも意見が割れていたらしい。
近衛家は摂関家であり、太政大臣に成れる超名家だ。
一方、飛鳥井家は羽林家であり、摂家、清華家、大臣家の下、名家と同列、半家の上の序列になる。
言継の山科家も飛鳥井家より格は下だが羽林家だ。
敵対する三条家は清華家で上から2番目であり、今川義元の母方の実家である中御門家も羽林家に属している。
稙家は三条を意識して、近衛家の猶子と考えたらしい。
いやいや、そうじゃないと首を左右に振った。
おそらく、近衛家で織田家を独占したいだけだ。
公家のことはよく判らない。
けれども近衛家の猶子になったら、お市の相手は誰が残る。
凄く、ヤバい気がしないか?
晴嗣は朽木家の当主のことを心配している。
公方様の忠臣の朽木 晴綱は2年前に亡くなっている。
朽木家は公方様にとって大切な家臣だ。
現当主の竹若丸(朽木 元綱)はまだ4歳であり、竹若丸の母は(飛鳥井)雅綱の娘だった。
お市が猶子になると義理の叔母さんになる。
織田家と縁が生まれる。
お市は6歳、竹若丸は4歳。
竹若丸の元に嫁がせて、織田家を後ろ盾にしようとか考えているとかじゃないだろうな?
兄上(信長)が兵を引き連れて『朽木を滅ぼしてくれる』とか言い出すぞ。
それはともかく、お市の身に何かあれば、俺の首が飛ぶ。
「お市、おまえにもしものことがあれば、俺は兄上(信長)から首を斬られる。そんなことになって欲しいか?」
「信兄じゃが?」
「手紙に書いてあった。兄上(信長)との約束を守らねばならない」
「わらわが怪我をすると、魯兄じゃの首が飛ぶのか?」
「兄上(信長)は約束を守る方だからな」
「う~~ん、判ったのじゃ」
「代わりに、ここで行う能舞台の宴会には参加させてやる」
「約束なのじゃ」
「あぁ、約束だ」
よし、納得してくれた。
俺はお市に見送られて、室町殿(花の御所)に向かった。
鬼が出るか、蛇が出るか、仏は絶対に出て来ない。




