43.お市の行く末は?
翌朝、信長が末森に到着すると広間に案内された。
わざわざ家老を呼んでおくとか?
嫌味な奴だ。
信勝の性格はどこで歪んだ?
誰にでも耳を傾ける素直な性格だったのに?
信勝の横に津々木- 蔵人が座っている。
まるで筆頭家老のようだ。
「上総介-信長、お呼びにより参上致しました」
弾正家の当主に頭を下げた。
信長が平伏したことで信勝は満足そうな顔をしている。
下らん。
信長はそう思った。
弾正家当主と言うならば、当主らしい行いをすればいい。
そんな風に考えた信長であったが、信勝は武士らしく朝から武芸の修練を勤めており、弓や乗馬を欠かしたことがなかった。
加えて領内の揉め事を仲裁し、当主としての役目は果たしていた。
魯坊丸と比べるのが間違っていた。
南の家老であった山口-教継が離反し、鳴海城、大高城、沓掛城を失い、加えて守山城の筆頭家老であった織田-信光ら6城主が出頭しておらず、末森の力は半減していた。
はじめは末森の家老らが 教継の甘言に乗り、織田を見限って今川にくら替えするかと怯えていたが、今はすっかり落ち着いて離反する様子もなくなっている。
やっと末森が落ち着いたところであった。
電光石火で美濃を手懐けてしまったどこかの誰かと見比べるのが間違っていた。
信勝にすれば、自分は巧くやっていると思っていた。
「呼んだのは他でもない。お市のことだ」
信長は眉を寄せて鬼のように顔をぐしゃりと潰した。
そして、顔を俯けたままで握りこぶしをぎゅうと握り、歯を食いしばりながら平伏する。
ここは我慢だ。
お市の為だ。
「この度のこと。平にご容赦頂きたい。すべてはこの信長の不徳の致す所でございます。お市のことはお許し下さい」
「何のことだ?」
「お市の上洛、相談もなく決めてしまいました」
「気にするな。むしろ、褒めて遣わす」
はぁ?
信長は意味が判らないとばかりに顔を上げた。
どうやら信勝がお市のことを糾弾する為に呼んだのではないようだ。
「交渉に手こずっていた丹羽がお市を妻にするならば、従属しても良いと言ってきた。対等の同盟以外は嫌だと言っていた男が手の平を返した。これほど愉快なことはない」
「岩崎城の丹羽-氏勝ですか?」
「そうだ、その氏勝だ。京の都の天女を貰えるならば、末代まで従わせて貰うと言ってきた。お市にしてはあっぱれであった」
馬鹿か!
あの氏勝が臣従だと?
そんなもの詭弁でしかない。
氏勝は東尾張の国人であるが領地経営も三流であり、反発する城主も多い。
しかも日和見な性格であり、今川が大軍で攻めてくれば、いつ寝返るか判らない奴の嫁にお市をくれてやるだと。
信勝、そこまで馬鹿とは思わなんだ。
信長は静かに怒った。
「それはおめでとうございます。これで東尾張が片付きましたな」
「その通りだ。次は沓掛城を調略し、山口家をこちらに引き戻せば、三河の安祥城を取戻し、三河攻略の足掛かりにできる」
「大層な戦略でございます」
「あははは、兄上もそう思ってくれるか」
ふん、口ばかりの氏勝を味方にした所で兵など出て来ない。
氏勝には求心力がない。
信長も太雲から東尾張の情勢を聞かされていた。
岩崎城の事は具に聞いていた。
信勝より詳しかった。
魯坊丸は赤池城や浅田城の丹羽氏が寝返りたくなるように、周辺の田畑を開墾し、それでいて堀と柵と砦で完璧に守っている。
しかも境界に土手を作り、天白川の一部を切ると、外掘のようなため池が生まれ、織田方への侵入を防いでくれる。
雨が降る度に河川が氾濫し、流される場所だから自然と境界区になった。
魯坊丸曰く、『砂防ダム』と『調整池』らしい。
万里の長城と言うには低すぎるが、高さ9尺 (3m)の壁を三ヶ月ほどで造り出せば、丹羽方の城主の方がびっくりする。
魯坊丸の財力を見せ付けられて末森の城主たちも落ち着いた。
ため池には木橋を立ててあるので通行に問題ない。
魯坊丸の嫌らしいところはそこで終わらないことだ。
織田家に臣従すれば、腹一杯の飯が食えると噂を流して敵の領民から懐柔している。
領主と地主らは血縁者が多い。
この赤池城と浅田城の二城は時間を掛けて粘り強く説得すれば、割と簡単に寝返る下地ができている。
魯坊丸は行商人らを使って懐柔していた。
「織田に付けば、田畑が実り、収穫だけで腹一杯の飯が食えるぞ」
「そんなのまやかしだ」
「隣村の田を見てみろ。緑が青々としているであろう」
「うんだ、あれは不思議だ」
「あれは美濃の帰蝶様が持ってきた『蝮土』だ。あれを撒くと、稲が大いに育って大豊作になるのだ」
「信じられん」
「那古野に一度行ってみろ。皆、豊かに暮らしているぞ」
正面から堂々とした調略だ。
それでいて低い長城と村は攻められても守りだけはやたらと固い。
赤池城と浅田城の二城は嫌がらせで何度か攻めてきているが、村の自警団のみに撃退されている。
『ここより先通ることなかれ』
低い長城には堂々と看板が掲げられ、落とし穴や虎バサミ、飛び矢、跳ね上げの足輪、毒針などが設置された場所が各所に作られている。
街道以外を通ると大きな被害がでる。
あれは罠の名手だ。
敵方は村に着く頃にはぼろぼろになっており、領主が駆けつけた頃には撤退している。
敵に回せば、これほど嫌な奴はいない。
象徴の壁を壊そうにも白石垣で固めてあるので簡単に壊れない。
赤池城と浅田城の二城の城主の心はもう折れている。
東加藤家なら気がついても良さそうなものだがどういうことだ?
末森の家老衆は何をしているのだ?
まぁよい。
今はそれを議論する時ではない。
信長はそう思って話を戻した。
「ところで、お市は承知しておりますか?」
「何故、お市の承諾がいるのだ?」
「恥を晒すが、お市は勝手に船に乗って堺に行ってしまった。あれは普通の女子ではないぞ」
「兄上、何を言っている?」
「勝手に京に上がったのだ。仕方ないので魯坊丸に命じると、今回の上洛騒ぎになってしまった。お市を通さずに話を進めれば、お市は尾張を捨ててどこかに行ってしまうかもしれんぞ」
「まさか?」
「恥を捨てて言うが、この信長、今日は監督不行き届きで末森城に謝りに来たのだ」
「上洛は兄上が許したのであろう?」
「だから言っておる。許すも何も勝手に行ってしまったのだ。 どうすることもできんかった」
「帰ってきたら折檻だ」
「ははは、そんなことをすれば、末森城から出てゆくぞ。 婚儀どころではなくなるな」
「兄上がお市を甘やかすからだ」
「それは謝罪しよう」
「謝って済むか」
「で、どうする? 婚儀を決めて花嫁がいなくなれば、臣従どころか、戦になるぞ」
「清州攻めを協力して欲しいならば、兄上も力を貸せ」
「力は貸すが、お市のことは儂では無理だな。まずはお市を説得した方がいいぞ」
困っている信勝を心で笑いながら信長は部屋から退出して行った。
◇◇◇
信勝は怒りに燃えていた。
お市を説得せよだと?
何故、当主の俺が妹の話など聞かねばならんのだ。
武家の娘とはそういうモノであろう。
あまりの理不尽さに信勝は床をバンバンと叩いた。
「 蔵人、どういうことだ。上洛は兄上が仕掛けたことではなかったのか?」
「申し訳ございません。おそらく、詭弁かと」
「兄上が嘘を吐いていると申すか?」
「某にはそうとしか思えません」
「そうだな。お市一人で尾張から出られる訳がない。ならば、どうすればいい?」
「お市様には直ちに帰還命令を出し、尾張に戻すのがよろしいと思います」
「説得せよと申すのか?」
「その必要はございません。身柄を確保すれば、信長様も文句を言えなくなるでしょう」
「うむ、準備致せ」
信長の詭弁と断じた信勝は信長が魯坊丸に命令を出す前に指示書が届くように急ぎ手紙を書いて早馬で送った。
読み間違うことのない。
単純明快な指示書であった。
◇◇◇
那古野城に戻った信長はぐったりとしていた。
脅したものの、お市の婚姻を阻止する手立てが思いつかない。
上洛をしたことでお市の価値が上がった。
臣従と言っても、お市を嫁に貰えば織田一門として優遇して貰える。
上洛軍、三好2万の大軍を従えたと言う肩書きは重い。
氏勝の名に箔が付く。
簡単に引くと思えない。
反対するならば、信勝と袂を分ける覚悟がいるな。
「殿(信長)、大変でございます」
「帰蝶、今は疲れておる。後にしてくれ」
「後にできません。お市が大変です」
「何があった。 魯坊丸がしくじったのか?」
「しくじったと言えば、しくじったと言えましょう」
信長は帰蝶が持つ、手紙を奪いとって読み始めた。
日付が一昨日になっている。
だが、まだ昼前であり、わずか1日半であった。
余程、急いで届けたのが窺えた。
読んだ瞬間に信長は笑った。
「ははは、お市が飛鳥井 雅綱様の猶子だと? しかも従五位相当の掌侍を頂いて帝に拝謁するなど、どうすればそんなことができるのか?」
「殿、笑いごとではありません。すぐに返事を書かねばなりません」
「いやぁ、これはまず弾正家のご当主の信勝にお伺いを立てねばならん。長門」
「如何致しますか?」
「長門、この手紙を持って末森に戻れ。仲介を取ってくれたのは近衛-晴嗣様だ。公方様は近衛家の血筋を継いでおられる。近衛家の顔を潰したとなれば、朝廷から疎まれ、公方様からお叱りを受ける。まさか、断るとは思わぬが確認をとって来い」
「朝廷と幕府を敵にするのかと脅してくればよいのですね」
「そうだ。養父になられる飛鳥井-雅綱様の御意見を聞かずに、勝手にお市の婚姻を決めれば、同じく、朝廷から疎まれ、公方様からお叱りを受ける。どうご返事しましょうかと聞いて来い」
「殿(信長)、そこまで言うと流石に意地が悪うございます」
「はっきりと言わないとあいつには事の重大さが判らん。すぐに行け」
長門守が急いで末森城へ引き返していった。
◇◇◇
ドタドタドタ、長門守が末森城に到着すると、まず東加藤の家老に手紙を見せた。
顔から血の気が引いてゆく。
再び、家老衆が参集させられ、信勝の部屋に陳情に向かった。
事は一大事だ。
朝廷と幕府を敵にできない。
手紙を見た信勝が吠えた。
「今更、氏勝殿に断りの話などを持ってゆけぬわ」
「しかし」
「しかしではない。このようなことがあり得るのか?」
「俄かには信じがたいですが、嘘を吐く意味がありません」
「天女と噂された姫を帝が一目見たいと思われたのかもしれません」
「そんな気まぐれに付き合っていられるか?」
「しかし、相手は帝でございます。その仲介人は近衛-晴嗣様でございます。近衛家は公方様の母方のご実家でございます」
「信勝様、せめて前向きに」
「では、お市の婚姻を飛鳥井-雅綱様に誰が言うのだ」
「お市様は従五位だぞ。無冠の氏勝殿とは格式が合わん」
「飛鳥井-雅綱様がうんと言う訳がない」
「では、お市様の話を断るのか?」
「氏勝殿と戦になりますな」
「ならん、あれは取り込む」
「では、近衛家を敵に回すのでしょうか? 公方様も敵になってしまいますぞ。我らは逆賊です」
「皆が敵になってしまう」
「では、氏勝殿に断るべきでは?」
「ならん」
「何とか氏勝殿が従五位になれば?」
「東尾張の国人が貰えるのか?」
「婚姻を断れば、戦になるぞ」
「逆賊になっても良いのか?」
「まず、真偽を明らかにしてから?」
「飛鳥井-雅綱様を待たせる訳にはいかん」
「では、この話はなかったことにして頂くしか?」
「ならん」
「何とか従五位に」
「氏勝殿もご上洛されれば」
「それで従五位になれるのか? 門前払いになれば、話にならんぞ」
「そもそも誰がその話を伝えにゆくのだ?」
「このまま進める」
「朝敵になってしまいますぞ」
同じ話が永遠にループした。
結論が出ない内に日が暮れていった。
まさか長門守が那古野に戻ってくるのが翌日になるとは、信長も思ってもいなかった。




