5.大垣城は欲しかった。
天文16年 (1547年)、織田信辰は牛屋川(揖斐川)の東河岸にあった牛屋砦を大殿(信秀)に命じられて守っていたが、加納口の戦いの敗戦の余波で失った。
これを一番残念がったのが俺だった。
銭が入ってくるようになったときには、もう牛屋(大垣)は斎藤領になっていた。
大垣(牛屋)の西側の山は石灰岩の埋蔵地だからだ。
石灰は非常に役にたつ。
まず、砂利を混ぜてローマン・コンクリートに使える。
城造りや河川工事で大変役に立つ。
次に肥料を簡単に作ることができる。
化学肥料のチッ素には手がでないが、火を入れた石灰を腐葉土と一緒に寝かすと堆肥に変化する。
そして、特殊な寝かし方をするだけで火薬の原料になる硝石を採取できる。
火薬の原料は重要だ。
さらに、高炉に入れると不純物を取り鋼鉄を精製できる。
他にも、海苔などの乾燥剤、防疫・消毒にも使える。
あの鳥インフルエンザの時に大量の鳥と一緒に石灰を被せているのは、あれで消毒できるからだ。
とにかく、利用価値が大きい。
兄上(信長)の元に帰蝶(濃姫)が嫁いでいた。
俺は跳んで喜んだ。
さっそく美濃の蝮(斎藤 利政)には、沢山の土産を送って牛屋(大垣)の石灰の採掘権を譲って頂いた。
石灰は漆喰に使われ、白い壁を造るのに重宝される材料だ。
城の壁に塗ると耐火性に優れて火計の対策になる。
俺は漆喰好きと触れ回った。
見栄えもよいので好む者も多かったが、大量に買えば流石に怪しまれた。
そこで父上(信秀)と相談の上で農作物に使う肥料としての利用価値を帰蝶(濃姫)経由で蝮に伝える許しを貰った。
他言無用の軍事機密だ。
こちらから技術者を送り、その堆肥を蝮が独占する。
堆肥を家臣に配ることで地盤を固める。
美濃名物『蝮土』の完成だ。
収穫が増えると噂の堆肥を欲しがるので、俺も織田の家臣に売ることにした。
こちらは儲けるというより慈善事業に近かった。
この堆肥場にダミーの小屋を作り、硝石の生産をひっそりと拡大してゆく。
さて、堆肥は毎年使用する消耗品だ。
木曽の木々しか売るものがないと思っていた蝮は大いに喜んで石灰を売ってくれたのだ。
大量に石灰が熱田に運ばれてくる。
半分、バレていると思うが製造法までは知られていないと思う。
漆喰造りの家が熱田に多いのはカモフラージュだ。
米が大量にできるようになると、米を美濃から買って澄み酒(清酒)にする。
にごり酒は1升で10文から20文で取引される。
寺で作る僧坊酒は質が良く、倍で売れる。
それが澄み酒(清酒)になると100文から200文に跳ね上がり、京や堺に行くと500文は固い。
帝に献上して、格式を上げたのでぼろ儲けだ。
斎藤家にとって、織田家は米・木・白石(石灰)を買ってくれるお得意様だ。
お世話になっている斎藤家には特別安く清酒を卸している。
蝮(斎藤 利政)とは仲良くしたいものだ。
こうして、織田と斎藤はウインウインの関係を築いていった。
もちろん、澄み酒(清酒)の製造法を探ろうと間者を送ってくるのはお約束だ。
蝮(斎藤 利政)が歴史より安定した政権を築けているのは、大量に織田家が銭を落としてくれるからだ。
ただ、力を付ければ付けるほど、織田を蹂躙したいという願望が高まるのだろう。
美濃の豪族を抑えるのに苦労している。
蝮のおっさん、頼みますよ。
加納口の戦い〔天文16年(1547年)〕で負け、小豆坂の戦い〔天文17年(1548年)〕で負け、安祥城を落とされて人質交換(信広と竹千代)〔天文18年(1549年)〕をするという負け続きの屈辱を浴びた織田家は、坂の上から転がる石のように没落するかと思われた?
実際、負け続けたことで『尾張の虎(織田信秀)』も猫のように大人しくなった。
病魔が進行して床に臥せることが多くなっていたこともある。
しかし、周辺国の織田弾正忠家への警戒感は逆に高まっている。
富の蓄積が桁違いに多くなっていたからだ。
織田の秘密を探ろうと斎藤、水野、松平、今川、北条、六角などが間者を送ってくる。
警護の為に傭兵を雇い、傭兵を監視する為に忍者を雇い、その忍者を統括する為に上忍とでも呼ぶべき武将を雇わないといけない。
しかも規模が大きくなり、雇う数も100人、200人、500人、遂に1,000人になってしまった。
集まってくる加世者達を遊ばせておくのも勿体ないので仕事を振っていった。
するとまた、加世者達が他の国から集まってくる。
いずれ5,000人に達する日も遠くない。
拙い、人材育成が追い付いていないぞ。
もう神学とか言っていられない。
沢彦に頼んで、各所で寺子屋をはじめよう。
因みに、赤塚の戦いで兄上(信長)が兵を募集しても集まらないのはその額に魅力がないからであり、通常の5倍も出せば、1,000人や2,000人の傭兵を集めることができたハズだ。
長門守に教えたらしいから兄上(信長)は激怒しているだろう。
◇◇◇
「なんじゃと、兵が集まらなかったのは銭が安かったからじゃと」
「はい、そうなります」
「この那古野周辺の河川工事や開拓に2,000人の人夫を雇い、酒蔵などの警護に1,000人の傭兵を雇っているそうです」
3年で熱田領の開拓はかなり進んだ。
銭の余裕もできたので、大殿(信秀)の許可を貰って湿地を水田にする開発が始まっていた。
水田を作る為には河川の改修が絶対であり、加世者を雇って人夫にしていた。
銭を貰った人夫は熱田・津島・那古野で食い物などを買って銭を落とす。
景気が良いと人がさらに集まって活気が湧く。
那古野周辺は成長時代を迎え、景気が良いと物価が上がりインフレが生じる。
那古野外輪ほど、物の値上がりで貧しく感じて不満を募らせる。
熱田と鳴海の格差が広がり、これが山口親子の離反を加速させた。
真実を聞かされて信長はさらに激怒した。
「あやつは山口親子が離反することを見越して、見過ごしていたと申すのか?」
「見過ごしたのではなく、信長様にとって不都合な武将を篩に掛けたのです」
「何故、そのようなことを!」
「リストラという再構築の為だそうです。一度切って後に、再び戻すことで信長様が行うことに否と言えないようにする為とか。これも大殿(信秀)が決められたそうです。信勝殿に家督を譲ると言われたのも、信長様に叛くものを炙り出す為かもしれません」
「面倒なことを!」
「那古野の財政は今川や六角に匹敵します。今川や六角に喧嘩を売る城主がいると思いますか?」
「父上か、守護代でもなければ、誰が喧嘩を売るか?」
「そういうことです。信長様は尾張を手中にしておるのと同等なのです。それに気づかない間抜けを振い落とす。無能な武将はいらないということでしょう」
「親父殿は死んでからも儂を振り回すのか?」
「期待されておりますな」
ふん、信長は那古野城に帰ってくると長門守から話の続きを聞いて益々不機嫌になっていた。
自分がやっていることが道化師のようで腹立たしいからだ。




