41.三者三様。
公方様は自室に戻って書を読んでいた。
しばらくすると三淵-藤英が廊下から声を掛けた。
入る事を許され、茶菓子とお茶を部屋に入れた。
「目録にはございませんでしたが、茶菓子がありましたので茶と一緒に持って参りました」
「そうか」
公方様は書から目を放して穏やかな表情で「頂く」と答えた。
小さな小窓から中庭が見え、ちょろちょろと流れる水の音だけが支配し、公方様の辺りだけ空気も清々しく輝いていた。
藤英もその表情を見てほっとした。
「毒見はすでに済ませてあります」
「判った」
砂糖をふんだんに使ったあずきの餡が入った素朴なまんじゅうであった。
華美はないが旨い。
あの小鬼は菓子まで中身で勝負するか。
公方様が微笑む。
「 藤英は織田の小鬼をどう見た?」
「某は弟(藤孝)のように難しいことは判りません。ただ、公方様のことを思っての言葉と察しました」
「余もそう思った。そして、数万の兵を率いて東海を進む余の姿が見えたぞ」
「それでは?」
「いつか下向致す。だが、それは三好に勝ってからだ」
藤英は大きく頷いた。
歴代の将軍は守護や守護代があまり大きくならないように力の均衡を気にされてきた。
近年、数か国を治める守護や守護代が現れた。
誰かを派遣して何とかなる状況ではないのかもしれない。
「今川をどう思う?」
「駿河、遠江、三河と三国を持ち、これ以上に大きくなるのは不都合かと存じ上げます」
「義元は尾張、伊勢も手中にするつもりなのだろう」
「和議が整った一昨年の上洛も断りました。義元殿が何を考えているのか、某には判りかねます」
「三好になり代わりたいのであろう。尼子も一緒よ」
「誠に口惜しいことでございます」
「小鬼はいい事を1つ言った。余が赴けば良いのだ。余は日の本を平定する。だからこそ、三好に勝ち、堂々と下向致すぞ」
公方様はまだ三好に勝つことを諦めていなかった。
三好を滅ぼすつもりはない。
将軍が上であると、それをはっきりとさせることが大切であった。
どんなに落ちぶれていても公方様は誇り高き将軍のままであった。
◇◇◇
俺は室町殿(花の御所)を出て知恩院へ戻ってきた。
短い道中だが、お市は始終ご機嫌であった。
「お市、楽しかったか?」
「楽しかったのじゃ。いつも中根-忠良(魯坊丸の養父)が魯兄じゃは『格好よかった。格好よかった。格好よかった』と自慢するのじゃぞ。 狡いであろう」
何が狡いのか、よく判らん。
「だから、市も評定に呼んでたもれと頼んだのじゃ。でも忠良は無理じゃと断った。わらわは 信兄じゃに頼んでみた。皆、ケチなのじゃ。わらわがどんなに頼んでも駄目じゃと言うのじゃ。皆、狡いのじゃ」
評定は遊び場じゃないからな。
お市を評定に呼ぶなどあり得ない。
普通に無理だ。
お市に甘い兄上(信長)もそこは譲らなかったのか?
「市ははじめて魯兄じゃが格好よいところを見ることができたのじゃ。帰ったら忠良に自慢してやる。きっと悔しがるのじゃ」
「悔しがるのか?」
「絶対に悔しがるのじゃ。しかも、面白い顔も見られたと言えば、泣き出すかもしれん」
それは止めて欲しい。
とにかく、なんて楽しそうな笑顔をふりまいているのだろうか。
後ろの連中と対照的だ。
目付けの内藤-勝介らは寺に入ると疲れ切ったような顔で、その場で蹲っている。
余程、生きた心地がしなかったのだろう。
まぁ、それは俺も一緒だ。
部屋に戻ると普段着に着替える。
床に腰を落として、茶を一杯淹れて貰った。
大変だったが、今日の情報は得難いものだった。
将軍足利-義藤の性格が何となく判ったのが大きい。
褒める気にならんが、お市には感謝だ。
場の勢いで言ってしまったが、よくよく考えると俺が公方様を心配する必要はない。
長居は無用だ。
用事を終わらせて尾張に帰ろう。
俺はごろりと床に大の字で寝転がり、状況を整理する。
「千代、三好の動きはどうなっている?」
「波多野-晴通は幕府の上洛命令を無視し、三好の呼び出しに応じず、幕府・三好の双方の詰問に応じないつもりです。また、織田と一緒に上洛した三好2万の兵は丹波国守護代、内藤-国貞の居城、八木城周辺で野営をしたままで留まっております」
「千代の見立てはどうだ?」
「若様が推測された通りだと致します。晴元に命じられ、三好-長慶の暗殺を謀ったのが晴通であれば、今度は自分が暗殺される番と思い、八上城から出られないのではないかと思います」
「この状況で長慶が暗殺など企むものか?」
「長慶がしなくとも、混乱を生む為に晴元が暗殺者を送るのではございませんか?」
「それは思い付かなかった。十分にあり得るな」
長慶と晴元を恐れて、城から一歩も出られないとは最悪だ。
痺れを切らした三好が八上城を攻める。
八木城から八上城か。
名だけ守護代国貞の八木城。
実効支配者晴通の八上城。
城の名前が似ていて混乱するな。
もう少し判りやすい城名を付けろよ。
三好軍が待機している八木城から西の山道を通って、10里(39km)の所に八上城がある。〔亀岡から丹波篠山です〕
つまり、1日で八上城を攻めることができる。
堅固な山城であり、2万の兵でも落とすのは難しい。
晴通も籠城の覚悟で拒否していると見るべきか?
嫌だ、嫌だ、晴元の思惑通りか。
「魯兄じゃ、すき焼きを食べにゆくのじゃ」
「おぉ、それはいいな」
「鹿の肉が沢山手に入ったそうじゃ」
着替えを終えたお市が部屋に乱入して来た。
知恩院の山裏に当たる山科では鹿による農作被害が多く、鹿や猪を狩ると非常に喜ばれた。
山狩りが少ないのか?
罠に掛かった沢山の鹿や猪が捕れたらしい。
先日、盗賊団を足止めに使用したあの罠だ。
それをまず血抜きし、川で低温処理をしてから皮を剥ぎ、肉を解体する。
その肉の一部は村に納め、大量な肉を持ち帰ってきた。
今夜はすき焼きらしい。
大量の水飴と醤油と酒で味付けする。
お市はこの甘い肉が大好きなのだ。
京では生卵が使えないので、出し汁と大根おろしで代用する。
「お待ち下さい。殿より寺から出すなと言いつかっております」
「兵舎は寺領の中だ。それとも俺が義理兄に会いに行くのが、それほど不都合か? おぬしも一緒に飯を食おう」
「しかし、某は!?」
「市と一緒は嫌か?」
「そんなことはございません。むしろ、光栄に存じ上げます」
「市からお願いじゃ。一緒に行こう。皆で食べると美味しいのじゃ」
「お市様、某は!?」
「それとも織田の兵がいる場所は悪い場所か?」
「そんなことはございません」
「寺領の外には出ない。あとで勝介には俺から説明をする。おぬしに迷惑は掛けん。よいな」
見張りの小者の肩に手を置くと見事に陥落してくれた。
俺も京料理に飽きていた。
「お市、行こうか」
「行くのじゃ」
見張りの小者さん、すき焼きを見て涙を流した。
なんと。
朝はお粥とたくわん、梅干しのみ。
夕はご飯とたくわん、味噌汁、大豆で作った一品のみだ。
それが修行僧のメニューか!?
「それは可哀想なのじゃ」
「それでは力がでないであろう」
「いいえ、修行僧も同じ料理を食べております。我々だけが文句を言っては仏罰が当たります」
「とにかく、今日は食うのじゃ」
「はい」
「魯兄じゃ、何とかならんのか?」
「考えておく」
「よかったな。魯兄じゃが考えておくと言った。もう安心なのじゃ」
寺に入った下級武士や小者達が一番割を食っていたのか?
熱田衆は寺に入れて貰えなくて幸いだったな。
米は食い放題。
肉と野菜は自前で調達している。
山に入れば、いくらでも手に入る。
とにかく腹一杯食えることはいい事だ。
交代制にするか?
下級武士と小者の半分を兵舎で寝泊まりさせれば、少しはマシになるだろう。
後で勝介に話しておくか。
◇◇◇
勝介らははじめてお市の怖さを知った。
物怖じしない性格の恐ろしさに肝を冷やした。
同行していた林-通政も頬が痩せているように見えた。
「もう二度とお市様と御一緒したくない」
「それは無理でございます。三日後の宴会、さらに、知恩院での能にも参加させねばなりません」
「儂の胃がもたん」
「それは某も一緒です」
「季忠殿は平気でございましたか?」
「魯坊丸様に付き合っておれば、その内に慣れますぞ」
「あれに慣れられるものなのか?」
「あははは、いつものことでございます」
「あれがいつも? とてもまともと思えん」
「魯坊丸様がいらっしゃるのです。何があっても大丈夫です。いやぁ、公方様も驚いておられ、痛快でございました」
「儂はそんなことを考える余裕もなかったわ」
勝介は今日の会見だけで寿命が10年も縮んだと思った。
それは通政も同じ思いだった。
とても季忠のように達観できそうもない。
「お話の所、申し訳ございません」
「政利か、なんだ?」
「公方様のことも重要ですが、明日の公家様のこともお忘れなきように」
あぁ、三人が完全に忘れていた。
公家衆が風呂に入りにくるのだ。
取次役になるであろう野口-政利(平手政秀の弟)の指摘に勝介は気を重くする。
「で、何人来るのだ?」
「明日は6人でございます」
「そうか、6人で済んだか?」
「はい、明後日以降も来訪の先触れが来ております」
「明後日、以降だと?」
「明日は都合の悪い方がいらっしゃるようでございます。さらに内大臣(近衞 晴嗣)様より、都合の悪い日は先に申し出るようにとお達しがございました。尾張に帰郷する日まで、多くの公家様のどなたかが来訪されると存じ上げます」
「まぁ、まぁ、毎日だと申すのか?」
「手紙にはお市様も同席させるようにと希望されております」
公家様は天女と噂されるお市を見たいらしい。
勝介は終わったと思った。
何を言い出すか判らないお市様。
今日のようなことが毎日起こると考えただけで気が遠くなった。
そこに政利の後ろで控えていた織田-重政が口を開いた。
「もしか致しますと、内大臣様はお市様を一緒に拝謁させるおつもりなのかもしれません」
「まさか、そんなことはあるまい」
「あのぉ、内大臣様でございますよ。あり得ないと思えますか?」
「帝に? 恐れ多いことだ」
「内大臣様は帝に天女の話を注進できる立場でございます」
くわぁ、勝介の脳裏に先日のことが思い出された。
座を面白くする為に魯坊丸を上座に座らせた。
帝の使者を下座に座らせるという暴挙を行った。
拝謁を面白くする為に?
あり得ん、あってならんぞ。
それは臣下としてやってはならんぞ。
「内大臣様に臣下とは、何かを説きまするか?」
そんなことできるか!?
その場でちゃぶ台をひっくり返したくなるほど、重政の言葉は不愉快であった。
勝介は首を横に振って、あってならないと何度も叫んだ。
悪い予想は大抵当たるものだ。




