39.今川義元は上洛する気はあったの?
俺とお市のあいさつが終わると献上品の目録が読み上げられる。
上洛の本命はむしろこちらだ。
どれだけ献上品を持ってきたのか?
そこが重要なのだ。
これから織田の取次役となる野口-政利と織田-重政が交互に発表してゆく。
『銭1,000貫文』
おぉ、会場が少しどよめいた。
少し多めの額に皆が声を上げたのだが、桁違いに多い訳でもない感じだ。
えっ、存外大したことないと言う声も聞こえる?
ぼそっと「あの三好との上洛を見たが」、「思ったより少ない」と呟いている。
他の者もこれくらいは持ってきていたのか?
しまった。
調べておくべきだった。
政秀が「それでよろしい」と言う言葉を鵜呑みしてしまった。
尾張の片田舎の奉行にしては多く、大国より少ない。
そんな感じに思えた。
『米500俵』
『大豆100袋』
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兵糧や飼葉など、現実的な献上品から漆塗りや熱田染めの反物などが次々に読み上げられてゆく。
実務を預かる文官の奉行衆らは喜びの声を上げているのに対して、武官で構成される奉公衆は織田1,500兵に不満を持っていた。
さらに付け加えるならば、三好二万人の大軍と一緒に上がってきたのも不満であった。
『刀一振』
慶次が尾張産の太刀を頭より高く上げて前に運んだ。
従者がそれを受け取ると、公方様(足利-義藤)まで届けてくれる。
剣豪将軍と呼ばれるだけあって太刀には反応した。
そして、太刀が届けられると、すぐに抜いて検分を始めた。
熱田の太刀は『野太刀』と呼ばれるもので刃長3尺(90cm)、厚みががっちりとあり、華美さより実用を重視した太刀であった。
刀鍛冶に言わせると美しい波紋が出ず、人切り包丁のような単調な湾曲になっているらしく、まだまだらしい。
俺は実用面で問題ないなら美しさは二の次でいいと思う。
「悪くない。良い刀だ」
「ありがとうございます」
「だが、名刀と呼ばれるにはちと惜しい。これに美しさが加われば、名刀と呼ばれたであろう」
「織田は実剣、華美は要りません」
「ふっ、なるほど。これに名はあるのか?」
「ございません」
「ならば、『魯人丸』と名付けよう」
「ありがたき幸せ!」
自らの名の一字が刻まれることは名誉なことらしい。
どうでもよかった。
名がコロコロと変わる方が面倒だよ。
しかも恥ずかしい名前だ。
刀も名も変わってゆくらしいから太刀『魯人丸』よ。
さっさと変わってくれ。
「以上でございます」
政利がそう言う。
織田方の一同が一緒に頭を下げた。
さぁ、終わった。
長居は無用、余計なことを言われない内に家に帰ろう。
「織田殿にお聞きしたい」
やはり来るのか。
一番に声を上げたのは、奉行衆の細川-藤孝であった。
確か、今川派だったな。
こちらの空気を読んで欲しい。
「織田殿はこれほどの財力がありながら、新御当主、あるいは、尾張守を賜る信長殿が上洛されないのか?」
「織田は只今、内紛中でございます。上洛するには時期が悪うございます」
「笑わせるな。それだけの財力を持っておれば、すぐに鎮圧できるであろう」
できるな。
尾張統一なんて簡単だが、世の中は巧くできている。
要するに『無理が通れば道理が引っ込む』と言う。
何の理由もなく守護代を討てば、兄上(信長)は周りから悪と認定されて、誰も兄上(信長)と手を結ぼうとしない。
つまり、不条理なことをすれば、周りが敵だらけになってしまう。
織田包囲網?
そんな未来は願い下げだ。
「それは守護代、織田-信友様を公方様の命令で上意討ちせよということでございますか? さらに言えば、囚われている守護斯波-義統様の命は問わないとおっしゃるのですか?」
「そうとは言っておらん」
「ならば無理です。公方様の上意なければ、織田弾正忠家は動くことはできませぬ。我が織田弾正忠家と対立はしておりますが、命まで奪おうとは思っておりません」
「戯言を申すな」
「では、やはり守護代様を討てという上意でよろしいか?」
「そんなことは言っておらん。織田の財力があれば、守護代を放置しても上洛できるであろう」
話を逸らした。
ふん、嫌らしい奴だ。
論点を勝手に変えるなよ。
「それを駿河の今川義元が見逃して下さいますか? 熱田のすぐ横である笠寺まで進出し、虎視眈々と熱田を狙っている『海道一の弓取り』が控えていますので動けません」
「そもそも横領した那古野と熱田を返せばよい」
「それは織田に死ねというも同じ。さらに言えば、遠江半国を斯波家に返して頂けるのですか?」
「元々、遠江は今川家のモノだ」
「那古野・熱田を含めて、尾張は斯波家のモノです」
下らん問答だ。
父上(故信秀)が今川-氏豊から那古野城を奪ったのは事実だ。
だが、駿河守護の今川義元に返すという論理は成り立たない。
なぜなら、那古野は今川義元の父、氏親が戦に勝って横領した土地だからだ。
斯波家の面目を立ててくれた今川-氏豊は割といい奴だったらしく、父上(故信秀)がかなり悪党になる。
しかし、今川は今川だ。
建前は斯波家に返して頂いたのであって奪ったのではない。
いずれにしろ、今川が奪うのは正当だが、奪われるのは不当?
そんな馬鹿な話があるか。
今川に都合のよい、ご都合主義が通る訳がない。
「藤孝、もう言いたいことはないか?」
「ございます」
公方様が終わらせようとしたが、藤孝はまだ粘る。
頭は悪くないようだが、切れるから優秀とは限らない。
利口な馬鹿も多いのだ。
「この献金を見れば、織田の財力で5000以上の上洛は可能なハズだ」
「先ほども申しましたが、駿河は東の都と歌われ、交易の要所として栄えております。織田家にはない金山も所有しております。その今川家こそ、1万以上の上洛は可能でございましょう。なぜ、藤孝様が親しい義元公にお願いしないのでございますか?」
「尾張を通れと申すか? あり得ん」
「必ずしも尾張を通る必要はございません。三河から伊勢に船で渡ればよろしい。兵糧が足りないならば、織田家が貸しましょう。よろしゅうございましたな。海道一の弓取りの義元公が京に上洛すれば、状況は一変するでしょう」
「…………」
「どうかご連絡下さい。兵糧は織田がご提供致します」
言葉を失い藤孝が俺を睨むが怖くない。
義元が公方様を助ける為に上洛などする訳がない。
2月に出された『今川仮名目録』の追加を読んでないのか?
義元は公方様の助けを借りないと宣言しているぞ。
利用することはあっても、兄上(信長)のように忠義を尽くそうなど思っていない。
それを頼ってどうする?
頭は切れるが、馬鹿は度し難い。
「ははは、今川は当てにならぬか?」
「私の見立てではございません」
「あれは足利家一門ぞ」
藤孝、まだ言うか?
「父の氏親様は知りませんが、義元殿にその気はありません。もし上洛するならば、公方様になり代わる為でございましょう」
「無礼者、言いがかりも甚だしい」
「ならば、何故、織田と和議を取り付けて上洛を急がないのですか? 織田はあづき坂で今川に負け、美濃と同盟せねばならないほど追い詰められたのです。上洛する今川を邪魔立てする意味がございません。はじめから上洛などする気がないからでしょう。今川家の献金はいくらですか?」
藤孝が再び押し黙る。
足利一門だから味方という思い込みは捨てた方が良い。
もういい加減にしてくれ。
「魯兄じゃ、この話はいつまで続くのじゃ?」
「俺に聞くな」
「判らぬなら自分の目で見に行くと良いぞ。わらわもそうしたのじゃ」
お市がいい事を言った。
藤孝は一度畿内を出た方がいい。
「藤孝、その来ぬ者を当てにするのは無駄だ。だが、あの500の兵の行軍は美しかった。見事な隊列、調練とはあの域まで高めることができるのだな。余は感じいったぞ」
「恐れ多いことでございます」
心の中で首をぶんぶんぶんと横に振った。
行進しかできない兵です。
「のぉ、藤孝。余が率いて、三好二万の大軍に突撃を行えば、瞬く間に引き裂くことができると思わぬか?」
「誠にその通りでございます」
「ははは、そちもそう思ったか。余は確信したぞ」
ぶんぶんぶん、心の中でさらに首を横に振った。
止めて!
一心同体で突撃なんて無茶だ。
途中で隊列が崩れて、バラバラになる未来しか浮かばないよ。
絶対に阻止だ。
「所詮は500人の兵でございます。2万の兵に敵うことはございません」
「魯坊丸よ。お主は戦をまだ知らんな! 戦とは勢いだ。敵の呼吸を読み、一瞬の隙を逃さず、敵中突破して大将を討てば、10倍の敵にも勝つことができる」
「それは博打でございます」
「戦とは常に博打だ」
『それは違うのじゃ』
お市が急に立ち上がって会話に入った。
えっ、お市?
・
・
・
止めてくれ!
言葉の駆け引きは刃物を交わすより危険なのだ。
そんな俺の心の声も空しく、お市の声はどこまでも透き通っていた。
兄上(信長)と同じ、指揮官向きの声だ。
お市はびしっと彼方の方へ指を差した。
「魯兄じゃは言ったのじゃ!
『彼を知り、己を知れば、百戦殆からず』
戦は勝ちを決めてから始めるものだ。
勝敗の判らぬ戦を始めた信兄じゃは大馬鹿者だ。
それで二度も負けているのだからとんだ恥知らずだ。
戦のことが判っていない。
そう、いつも言っていたのじゃ」
はい、言いました。
丹羽氏勝との『横山麓合戦』、山口親子との『山赤塚合戦』と連敗した兄上(信長)の体たらくにボヤいていました。
これでは俺が安心してニートできない。
俺の未来は真っ暗だ。
そんな感じでぼやいていました。
それを食卓でお市達も聞いていました。
聞いていましたとも。
それをここで言うか?
公方様を『大馬鹿者だ』と言っているのと同じだぞ。
しかも公方様も2度負けている。
「申し訳ございません。後で叱っておきます。どうかお許し下さい」
「魯兄じゃ、何故、謝っているのじゃ?」
「お市も謝れ」
「謝らん。魯兄じゃは間違ってない。魯兄じゃなら勝っていた。魯兄じゃがそう言ったのじゃ。市は謝らんぞ」
「お市、今だけでいい」
「嫌じゃ」
「お願いだ」
ヤバい、ヤバい、ヤバい、絶対にヤバい!
お市は間接的だが、公方様を『大馬鹿者だ』と言ってしまったのだ。
誰が助けてくれ。
「そうか、余は大馬鹿者か」
「申し訳ございません」
「なんじゃ、おぬしも戦に負けたのか? 情けないやつじゃのぉ」
「お市、止めなさい」
「魯兄じゃに頼めば、100戦100勝なのじゃ」
ははは、公方様が大笑いをした。
それはもう大きな口を開けて、美形が台無しになるくらいの大口を開けて笑った。
御相伴衆、御供衆、奉行衆、奉公衆などの顔は強張っており、勝介らの顔は引き攣っていた。
慶次や千代女らは身構えながら後ろで見守っていた。
『斬れ!』
次の瞬間。
もし、その一言が発せられれば、すべて終わる。
足利-義藤という人間性が現れる。
こういう確かめ方が最悪だ。
この笑いが天国の門を開くのか、地獄の蓋を開けるのか、心臓が高鳴りで今にも弾けそうになっていた。
おい、俺はどんな顔をしている。
止めてくれよ。
“判らいでか。おまえは顔に出過ぎる。武将としては失格だ”
養父(中根-忠良)の声が脳裏に浮かんだ。
絶対に動揺している顔を晒している。
ポーカーフェイスだ。
そう言って急にできる訳もない。
「よく判った。余とおまえでは戦の仕方が違うのだな」
「同じでございます。ただ、戦の基本は敵より多くの兵を集めること。その兵を調練すること。よき武将を付けること。この三つを揃えれば、どんな敵も恐ろしくありません。俺は兵の常道を説いたに過ぎません」
「兵の常道か」
俺は公方様の前で『俺』と言っていることさえ気が付いていない。
怒っていない、怒ってないよね!?
助かったの?
もう二度とこういうのは勘弁だ。
「ははは、顔がころころと変わっておかしな奴だ」
「そうなのじゃ。魯兄じゃは、強くて、賢くて、格好よくて、おかしな顔をする面白い兄じゃなのじゃ、えっへん」
お市は嬉しそうに胸を張った。
おい、おかしな顔は褒め言葉じゃないぞ!




