閑話.内藤勝介は誓いを新たにする。
内藤-勝介らは朝廷の使者を見送った。
その後、皆を別屋に集めた。
目付衆の林-通忠、千秋-季忠。
側近衆の寺西-秀則、林-通政、加藤-資景。
若侍衆の佐久間-信辰、中川 弥兵衛、大秋-十郎左衛門、前田-利玄、前田-安勝、浅野-長勝。
随行員の野口-政利(平手政秀の弟)、織田-重政ら、他18人であった。
「政利、朝廷の使者に対してあのような無礼を働いたが、織田家は大丈夫か?」
「あれは内大臣様がされたことでございます。織田家に累が及ぶことはないと存じ上げます。但し、この非礼は詫びておくべきかと」
「判った。書状を認める。後で届けてくれ」
「畏まりました」
「で、今後の予定だが」
勝介は頷いた後に話を続けた。
内大臣・近衞-晴嗣様のせいでお迎えが滅茶苦茶にされたが、まだ何とかなると安心した。
この後は政利が山科-言継殿に手紙を出しており、お会いした後に公家様の紹介をして貰うことになっていた。
どうにか朝廷の方は何とかなりそうであった。
「明後日の公方様への拝謁はどうだ?」
「抜かりございません。御招きの能台もすでに完成しており、飾り付けのみでございます」
「拝謁の後にすぐに御招きできるのだな」
「手配も終わっております」
うんうんと勝介は二度頷いた。
やればできるではないか。
随行員は仕事を分担しており、護衛の配置や土産、料理、馬、衣装などのそれぞれが報告を上げてゆく。
勝介にとって満足のいく報告であった。
それもそのハズ、政秀が大筋を取り決め、魯坊丸がそれに沿って随行員に準備させたのだ。
途中から政秀が死んだことになり、政利が先頭に立つことになったが支障はなかった。
当たり前である。
政利以外の随行員は判らないことを魯坊丸に尋ねた。
魯坊丸は手紙でこっそり政秀に相談し、対処を聞いては回答を送っていた。
面倒なことこの上ないが、政秀が準備をしているのだ。
問題が起きる訳がない。
但し、京に上がってからは随行員のアドリブになる。
ここから力量と度胸が試される。
「殿、大変でございます」
「どうかしたか?」
「魯坊丸様、お市様のお姿が見えません」
「何だと」
さきほどまで広間に居たのに?
目を離すと居なくなるとは子供か。
魯坊丸が聞けば、『子供です』と答えそうだ。
寺の隅々まで探させたがどこにもいない。
勝介は連れてきた家臣に兵を貸して町を探索させた。
間もなく、魯坊丸らしい方が公家様と歩いていることが判り、連れ戻すのに成功したのだ。
使節の代表がふらふらと町に出るなどあり得なかった。
「どういうおつもりか?」
「声を掛けなかったのは済まなかった。以後、気を付ける」
「そもそも護衛を連れずに、ふらふらと歩くなど気が触れたとしか思えません。判っておるのですか、魯坊丸様は織田の代表として京に上がって来ておるのです」
勝介は淡々と説教をしたが、魯坊丸は柳に風という感じで飄々としていた。
「もうよいな」
そう言うと、床に転がった。
「魯坊丸様、まだ終わっておりません」
「先ほどから同じことを三度言っておるぞ」
「何度でも申しましょう」
「もう聞き届けた。 晴嗣様のお誘いがあった場合は勝介に許可を貰ってくるように伝えよう」
「何故、内大臣様が出てくるのです」
「 晴嗣様のお誘いだったから断り辛かったのだ。今度から勝介を通す」
魯坊丸はトンでもないことを言い出した。
内大臣様が勝介に連れ出してよいか聞いてくることになる。
どうやって断れというのだ?
帝の使者に軽く無礼を働く奴を相手に?
どう対処しようかと考えるだけで勝介の頭はパンクしそうであった。
「そういえば、言い忘れた」
魯坊丸はさらにトンでもないことを言う。
道端で公方様にあった?
本当に気が触れたのではないか?
すぐに幕府に問い合わせる為に使者を立てた。
待っている間に食事の時間となり、一堂に会して食事を取る。
こちらは大所帯だ。
各部屋で頂きたいが、寺の都合もあってそうならなかった。
(兵達1500人は寺の外で、僧兵らと一緒に自炊している)
「全然、美味しくないのじゃ」
「お市様は贅沢を言ってはなりません。できる限りの馳走を用意してくれているのです」
「美味しくないモノを美味しくないと言って何が悪いのじゃ」
「我儘を言ってはなりません」
「わらわは猪丼が食べたいのじゃ。丼の上に生卵を掛けると極上なのじゃ」
「(お市様、声が大き過ぎます)」
「千雨、どちらの味方をしているのじゃ」
「(お市様です)」
「とにかく、そんなものが寺で出せる訳がありません」
「この味噌汁も味がせんのじゃ」
「京の味が薄味なのでございます。諦めて下さい」
「内藤の爺は駄目じゃ、諦めろばかりじゃのぉ」
「お市様、ここは尾張ではございません」
「ないのなら工夫するのじゃ」
「それは某の領分でございません」
「都合のいい奴じゃ」
昨日から食事になるとお市と勝介が言い争いを続けている。
お市は肉が食べられない上に、薄味の京料理はお市の口に合わない。
魯坊丸が話そうとすると勝介が「魯坊丸様はお市様に甘過ぎます。お黙り下さい」というので静かにしている。
お市と勝介の言い合いはどこまでも平行線を続けた。
そこに幕府に遣わした使者が戻ってきた。
「それでどうであった」
「間違いございません。お市様を同行せよとのことでございます」
「嘘を申すな」
「嘘ではございません。お市様に於かれては、上洛時の天女の姿で拝謁するようにとのお達しでございます」
勝介は顎が外れるくらいに大きく口をあんぐりと開けた。
どうすればよい?
「政利」
「某も女性が拝謁した事例を知りません。況して、天女の姿など?」
「重政」
「申し訳ございません。どうすればよいのか、まったく判りません。魯坊丸様にお聞きするのがよろしいかと」
「魯坊丸様は優秀ではあるがまだ幼い。お主らの方が経験も有しておろう」
「申し訳ございません」
随行員一同が頭を下げる。
政利は本当に判らないという感じだが、重政らには余裕があった。
対策を勝介に答えると、もれなく責任が付いてくる。
それも拝謁に関する意見だ。
腹を切るくらいの覚悟がいる。
勝介に対して、随行員一同は迂闊に口を開けなかった。
随行員はアテにならん。
勝介は諦めて、目付け、側衆、若侍の方に顔を向ける。
皆、顔を逸らしてしまう。
致し方ない。
勝介は観念して口を開いた。
「魯坊丸様、拝謁の段取りはどうすればよいのでしょうか?」
「知らん」
「知らないでは済まされません」
「勝介、何を慌てている。知らないことは恥ではない。知らなければ、教えて頂けばいいのだ。そうだな、幕府政所執事、伊勢-貞孝様にお聞きすれば、間違っても処罰されることはないだろう」
「いきなり政所様に?」
「安心しろ。彦右衛門(滝川-一益)に大枚を持って行かせてある。困った時に何でも相談に来て良いと返事も貰っておる。断りはせん」
「なるほど。政利、重政、直ちに」
「慌てるな」
「しかし」
「今日はもう遅い。前触れの使者のみを送り、明日の朝にでも聞きに行けばよいであろう。向こうにも都合があるが拝謁を明後日に控えておれば無下にもできまい。会って下さるだろう。判ったな」
「畏まりました」
勝介はほっと胸を撫で下ろした。
幕府政所執事の意見に従えば間違いない。
「あっ、最後に1つ」
「まだ、ございますか?」
「内大臣と山科卿が3日後に完成する湯船を所望したいと申しておった。何を準備すればよいのか、向こうに尋ねて粗相がないように頼むぞ。勝介、期待しておるぞ」
「どういうことですか?」
「ただ、風呂に入りに来るだけだ。断れとか言うなよ。俺には無理だぞ。断るなら自分で断りに行けよ」
「魯坊丸様!」
鼓膜が破れるかと思えるほどの声を勝介が上げた。
魯坊丸がまたトンでもないことを言う。
食事が終わると、魯坊丸は部屋に戻ってゴロゴロとする。
勝介はまだ言い足りない。
それほど重要なことを「忘れていた」と、さらりと言うのだ。
他の随行員もまだ出てくるのではないかとゾロゾロと付いて来ていた。
魯坊丸は凄く嫌そうな顔をしていた。
日が沈み、暮れ六つの逢魔時がやってくる。
襖が開くと、一緒にやって来た右筆と助手が椅子を持って入ってきた。
侍女の千代女が山積みの手紙が入った箱を持っている。
「やはりやるのか?」
「若様に決めて頂かなければ、いつまでも仕事が滞ってしまいます」
「休暇中は仕事はせぬものだぞ」
「休暇は終わりました」
ドンと侍女の千代女が魯坊丸の横に箱を置いた。
何が始まるのかと勝介は興味深く見ていたが、すぐに顔が引き攣ってゆく。
魯坊丸の顔に笑みが浮かんだのだ。
「西国の米を買いしめておけ。すぐに尼子が動く、狙いは備中だ。上野-信孝の工作が功を奏したな」
「どういたしましょう?」
「毛利に伝えてやれ。すぐに尼子がやってくるぞと」
「間に合いますか?」
「判らん。だが、無駄にはなるまい。魚屋にも流しておけ。 鉄砲を持って売りに行けと」
次から次へと書状を書かせていた。
主に西国の領主に祝いやお悔やみの手紙であるが、そこに必要ならば協力すると言葉が添えられている。
一言にするならば、『力(金と武器)を貸してやる』であった。
特に勝山(高田)城周辺に手厚かった。
「勝山(高田)城に2万人以上の大軍が押し寄せる」
「勝山(高田)城ですか?」
「そうだ、何度か攻めているからな。迎え撃つのは浦上宗景、後藤勝基辺りだ。当然、同盟の毛利も出てくる訳だ」
備中で起こる小さな戦が周辺を撒き込んで大きな戦になるように画策しているように聞き取れた。
まるですべてを魯坊丸が描いているような錯覚を覚えた。
「越後の米は尼子に、畿内の米は毛利に回せ」
「それでは畿内の米が不足するのではありませんか?」
「不足させておく」
「なるほど、畏まりました。では、丹波の方の米も高値で買い付けに行かせておきますか?」
「それで頼む」
勝介は何が起こっているのか、まったく判らない。
判らないが恐ろしいことが進行しているのを肌で感じた。
紙と筆だけで西国の尼子と戦をしている。
それだけは判った。
手を突くと床が冷たい?
それの水たまりが自分の汗だとすぐに気が付かないほど動揺していた。
「魯坊丸様は何をされているのだ?」
「判らんが、先ほどから尼子と毛利の武将の名が頻繁に出ておる」
「山名、赤松もあったぞ」
「尼子包囲網を作ろうとされておるのではないか?」
「それならば、何故、尼子に米を売るのだ?」
魯坊丸の意図は全く見えない。
1つ間違えば、八国守護の尼子を敵にする行為だ。
それを楽しそうに指示している。
判らないが、そこにいるのは子供などではなく、得体のしれない怪物であり、魔王であった。
「勝介、大変だ」
「何かありましたか?」
「晴嗣様が朝廷で風呂のことを喧伝されている。今出川-公彦様もおそらく来られることになる」
「何故、そんなことが判るのです」
「手の者を今出川家に放り込んでおいた。今は気に入られて小者になっておる。その者からの連絡だ。おそらく、四、五人の公家様らが風呂に入りに来るであろう」
「四、五人とはどなたでございますか?」
「知らん。明日にでも先触れが来るであろう。粗相がない様にお出迎えしろ。それと料理もこちらで用意した方がよいぞ」
「何故でございます?」
「来訪が一日で済むと思うか? おそらく公家様が代わる代わるやって来ると思われるぞ。それを全部、知恩院の僧に任せるのか? 負担が大き過ぎるだろう」
「しかし、急に言われてもできるモノではありません」
「料理人は商人のツテで回して貰え、旗屋の金蔵を頼れば何とかしてくれる。若狭と堺に使いを出して、食材を毎日のように送れと伝えよ。銭を惜しまなければ、送ってくれるハズだ」
随行員の皆が魯坊丸の指示に感動を覚えた。
一瞬で的確な指示を出してくれるのだ。
これほど頼りがいのある方はいない。
勝介は拙いと思い、改めて自分の命令に書き換えた。
「魯坊丸様のご意見は伺った。儂の命だ。直ちに取り掛かれ」
「待て、まだだ」
「他に何か?」
「天女を見たいと申された公方様がいる。能を見た後に風呂を所望したいと申されるに違いない。明日、どう対応すれば良いか、伊勢-貞孝様にお聞きした方がよくないか?」
「その通りですな。政利、一緒に確認してくるように」
「畏まりました」
そう言うと魯坊丸は手紙の処理に戻っていった。
勝介は魯坊丸の背中を見ながら、その恐ろしさをはじめて知った気がした。
各地、公家の屋敷に密偵を放ち、その商人や武家・公家を操って意のままに動かす。
巧くゆくならば、尼子は毛利・大内を相手に大戦をすることになるのであろう?
生意気だけの悪餓鬼ではなかった。
織田にとっての吉兆であり、同時に悪夢の子供であった。
信長様、あなたの弟御様は『怪物』であります。
もし、信長様に刃を向けることがあれば、この内藤-勝介、刺し違えてその命貰い受ける覚悟であります。
この日、勝介は心に新たな誓いを強く固めた。
畿内が騒がしくなってきましたが、尼子も動きはじめます。




