36.京見物(2) 赤小金色に輝く屋敷は拙くない?
三条通りから大宮大路を曲がって御所(内裏)に向かってゆく。
人通りも多く、あちらこちらで喧嘩が起こっている。
こちらは大所帯、しかも護衛付きなので誰もいちゃもんを付けてくる者はいない。
まぁ、声は色々と掛かってくる。
「お公家様、一杯いかがですか?」
「今度頂こう」
「お兄さん、寄ってかない」
「仕事中だ。また、来てやる」
「きゃあ~! お待ちしております」
寄ってきた遊女の髪にそっと触れてにこりと笑みを零す。
遊女が声を漏らし、軽く声を掛けるだけで一瞬に虜にしてしまう。
遊女がいつまでも慶次を見ながら手を振っている。
おぉ~とお市が声を上げて感心した。
「お市様、あまりお目にしない方がよろしいかと」
「そうなのか?」
「あのような下女を見るものではございません」
「弥三郎はあのような女子は嫌いなのか?」
「嫌いとか言うのではございません」
加藤-弥三郎が生真面目に答えていた。
しかも近寄る女を払っていた。
弥三郎は真面目だ。
もう一方、犬千代も困っていた。
身長六尺(約182cm)と背の高い犬千代が侍の格好をして大槍を持っているので一番目立っている。
当然のように遊女が近寄ってくる。
「せ、せ、せ、拙者には、心に決めた」
擦り寄る遊女が体を寄せると犬千代は真っ赤に顔を染めて抵抗する。
その反応が愛い愛いしく遊女たちにからかわれていた。
「又左衞門(犬千代)はウブだな」
「おまえに言われたくない」
「筆降ろしもまだ(童貞)の癖に」
「うるさい、勝負だ」
「おぉ、勝負か。いいぞ、勝負ならいつでも受けてやる」
「ぐぐぐ、その内に吠えづらをかかせてやる」
犬千代は『槍の又左』の異名を持っているが、どうやら慶次には敵わないようだ。
犬猿の仲か?
まぁ、半分は仕方ない。
前田家の長男である利久は生まれながらの病弱であり、子もできない。
そこで妻の弟、つまり、慶次を養子に迎えることを父上(亡き織田-信秀)から許可を貰っていた。
父上(故信秀)は慶次のことを気に入っていたので大喜びだった。
しかし、荒子城主の前田-利昌は乗り気ではなかった。
そして、父上(故信秀)が亡くなり、この話が宙に浮いてしまったのだ。
長男利久は養子に貰うつもりだが、城主利昌はまだ反対していた。
慶次は別に城主になりたい訳でもない。
その辺りは俺と気が合う。
中根南城を魔改造してよく言うと言われるが、俺は好きに生きたいだけで城主になりたい訳ではない。
義理兄の忠貞が城主でも構わないのだ。
因みに、慶次が欲するのは強敵と旨い酒だ。
こちらはまったく気が合わない。
ライバルなんて欲しくないし、知恵者なんてロクでもない奴らばかりだ。
(自分のことは棚に上げています)
「その槍はおまえにはまだ早いだろう。俺が貰ってやろうか?」
「これはお市様より頂いた俺のものだ。絶対に渡さん」
(その銭は俺が出すことになるんだがな)
「槍を賭けて勝負しようか?」
「絶対に受けん」
「ならば、又左衞門(犬千代)、その槍に負けん働きを期待しているぞ」
「おまえに言われなくともやってやる」
あははは、犬千代をからかって肩を切って歩く慶次はまるでこの町の主のようだ。
「確かに治安が悪い。俺はこの雰囲気が嫌いじゃないぜ」
「確かに活気はありますね」
「喧嘩っぱやいのも俺好みだ」
「言っておくが、慶次は俺と一緒に帰って貰うからな」
「俺も居残り組でいいのにな」
「おまえを残していくと、俺の心臓が破裂する」
「ははは、俺はこの町は好きだ」
「ほほほ、麿も嫌いではありませんよ。こんな話を知っていますか?」
晴嗣が言うには、祇園祭りは応仁の乱から途絶えていたが、町衆が祇園祭りの復興を強く願った。
それを比叡山の延暦寺が反対した。
しかし、町衆は『神事これ無くとも山鉾渡したし』(神社の行事がなくても、山鉾巡行だけは行いたい)と言い切って比叡山の延暦寺の反対を押し切って再開した。
邪魔する比叡山の僧兵を力で押し返してしまったらしい。
「町衆の力が比叡山より強いってことではありませんか?」
「ほほほ、そういうことになるな」
「なるほど、その町衆が自主的に御所を守ってくれている訳か」
二条通りから三条通りの間には、南北275間(500メートル)、東西132間(240メートル)の池を中心にした大庭園があり、帝や廷臣の宴遊や花宴が催された場所があり、そこは日照り・疫病などが起こったときに鎮魂を司る場所でもあった。
帝が京の人々の為に祈る場所だ。
そこが見えてくると、前回と同じくピリピリとした空気が漂ってくる。
これが御所を守ろうとする町衆の自警団という訳か?
今回は 晴嗣が一緒に歩いているので通してくれた。
そして、御所が見えてきた。
「魯兄じゃ、御所とは意外と小さいのじゃな」
「お市、ここは正確には里内裏のひとつ土御門烏丸邸と言うのだ」
「では、本物の御所はどこにあるのじゃ」
「ここのずっと西だ」
「悲しいことに焼け野原です。1,000年の栄華も儚いものです。なぁ~誰か、良い方はいませんかな?」
「出しませんよ。一体、いくら掛かると思っているのです」
「おぉ、牛じゃ」
お市が御所の前に止まる牛車を見て叫んだ。
俺らは少し離れた二条通りにおり、牛車に乗ろうとしていた御仁が俺らを見つけて歩いてきた。
「内大臣様、ご機嫌麗しゅう。そして、魯坊丸殿、お久しぶりでございます」
「山科卿もお元気そうで何よりです」
「随分と背も伸びて、若武者らしくなられましたな!」
「いいえ、まだまだ稚児の魯坊丸です」
「ほほほ、そんなことはございません。もう立派な若武者でございますよ。今年こそ、尾張に行こうと思っておったのですが、どうも西が騒がしく、色々と仕事を仰せつかっておるのです。ご葬儀に参列もできず、申し訳ございませんでした」
「そのお言葉だけで十分でございます」
山科-言継は父上(故信秀)や平手政秀らに和歌や蹴鞠などを伝授し、何度も尾張に足を運んで来てくれる公家様の一人だ。
俺が会ったのは2年前になる。
朝廷の募金集めにがんばっている言継は、朝廷への献金額が多い父上(故信秀)に礼を言いにきた。
そのまま帰ってくれればよかったのだが、那古野の町が気に入って長逗留した。
この言継は多芸な方であった。
和歌や蹴鞠などはもちろん、医者を内職として、依頼を受けると診察して内服薬の調合も自分でやってしまう。
ただ、医師というほど専門に長けていた訳ではない。
そんなとき、町医者が読んでいた医学書が目に入ったらしい。
熱田と那古野では言継の知らない医療が普及しており、その医学書を書いたのが俺だと突き止めたのだ。
あまりしつこく追及してくるので医学書『家庭の科挙』と風邪薬『葛根湯』を渡してお帰り頂いたのだ。
中身は熱中症と貧血の違いとか、怪我をして破傷風にならない対処法とか、脚気の治し方とか、風邪の時は湿気の多い部屋で流動食のような消化のよい物を与えるという初歩的な知恵を書いただけだ。
葛根湯のレシピを添えてあったかな?
いずれしろ、大したものは書いていない。
が、なぜかそれが帝の手に渡って大変な成果を出した。
中でも加持祈祷で治らず、苦しむ皇子様を薬1つでけろっと治してしまったことに感動されたらしい。
多分、偶然だ。
ともかく、今回の上洛の原因を作ったお方である。
「その姿、何をされておるのですか?」
「ちょっと京を見物しているのです」
「なるほど、御所の中も案内しましょうか?」
「それは遠慮致します」
「そうですか」
「中に入ると色々と面倒なことが起こるでしょう」
「それは残念です。帝もお喜びになられるのに。で、これからどこへ?」
「建築中の武衛屋敷を見てから、室町殿(花の御所)でも外から眺めようと思っております」
「武衛屋敷ですか。ご一緒させて頂いてよろしいか?」
「まだ、何もありませんよ」
「何をおっしゃいます。御所の横にあれほど煌びやかな屋敷を建てておいて、皆、早う中を見たいと心待ちにしております」
「そうなのですか?」
「魯兄じゃ、このおっさんは誰じゃ」
お市は言継を指差してそう言った。
おい、おっさんは拙くないか?
はっと言継の方を見る。
一瞬、目を丸くしたが、すぐに目をトロンと崩していた。
「実に愛らしい女児でございますな。もしかして、お市様でございますか?」
「そうじゃ、わらわは市じゃ」
「母上様にそっくりでございますな」
「そうか? 母上に似ているなどと初めて言われたのじゃ」
「そうでございますか? 目元など生き写しでございますぞ」
(土田御前は生きているからな)
「母上も美人じゃからな」
確かに兄上(信長)とお市は目元が似ている。
しかし、土田御前の顔など真正面から見る機会がないので似ているかは知らない。
実質の御正室様だ。
親しい者でないと顔をじっくり見ることなどできない。
遠くから見ているだけでは目元が似ているとか知る訳もない。
これも公家の特権という奴か。
武衛屋敷の本館の外装が完成し、今は内装を仕上げていた。
近づくとすぐに判った。
火事を懸念して、木瓦の代わりに銅板を使っていた。
銅ってこんなに赤小金色に輝いて美しいのか。
こりゃ、目立つ訳だ。
守護様の心を一瞬で射抜くような造りで建ててくれと言ったが、ヤリ過ぎじゃないか?
横に立つ御所が霞んで見える。
これ御所より目立つのは拙くないのか?
俺は横目で 晴嗣、言継の様子を見た。
無邪気に喜んでいるからセーフなのかな?
少し不安を覚えながら進めて貰うことにした。
この後は別館と離れも造るらしく、すべて完成するのにまだ5年ほど掛かる。
但し、年内には本館のみ使えるようにしてくれる。
いつ移って来ても問題ないと言ってくれた。
金に糸目を付けないと言った為か、熱田と伊勢の宮大工らが張り切っている。
「お任せ下さい。京一の屋敷にしてみせます」
「京どころか、日の本一にしてみせます」
「京一は日の本一だ」
「負けんぞ」
「太殿館を見てから言って貰おう」
「鳳凰の間が完成すれば、その口も閉じることになる」
「がんばって下さい」
「お任せ下さい」、「お任せ下さい」
斯波-義統が尾張在住守護から在京守護に代わりたくなるような屋敷を造ってもらっているが、どうやら宮大工の琴線に触れたらしく、もう止まらないという感じだ。
熱田と伊勢を競わせたのは失敗だったかもしれない。
「おぉ、ヒノキ風呂じゃ」
お市の琴線は風呂だった。
旅の間から体を拭くだけであり、風呂に入りたくて仕方ないのだ。
「あと3日だけ待ちなさい。黒鍬衆が知恩院で建築中です」
「風呂に入れるのじゃな」
「お市に一番を譲ってやるからしばらく待て」
「待ち遠しいのじゃ」
お市は待てないと言う様子だ。
まだ井戸から配水が終わっていない。
どうも図面だけでは意図が判らないらしい。
いずれ水回りの者を派遣するつもりだったが黒鍬衆にやらせるか。
材料を千代女に確認に行かせる。
うん、道具と材料はすでに送らせてあるので問題ないようだ。
お市がヒノキの風呂に頬をすりすりして動こうしない。
「なぁ、山科卿、この風呂はそんなに素晴らしいのか?」
「 晴嗣様、有馬の湯はお嫌いですか?」
「あれは素晴らしいものだ」
「あれが毎日入れるのが湯船でございます」
「それは凄い。それでお市がうっとりしているのだな」
『魯坊丸』
俺の名を呼ぶ 晴嗣の声に固い意志を感じた。
晴嗣が嬉しそうな顔をしている。
俺の気分がぐったりするのは気のせいだろうか?
「魯坊丸、知恩院の風呂は3日後に完成するのか?」
「はい、その予定でございます」
「その風呂を所望するぞ。山科卿も入るであろう」
「もちろんでございます」
ほら、厄介なことを言い出した。
ちょっと、説明が多すぎたかもと後悔。




