蛇足5.夢まぼろしの如くなり。(蛇足のエピローグ)
織田-信長は恐ろしい武将ではない。
村の祭りに参加して餅を配り、障害者を気遣うほどの優しい一面を持っていた。
裏切った者をそのまま使うなど、裁断も甘い武将だ。
信長は祖父の信定から津島の商人が生む銭の大事さを学び、平手-政秀から教養とかぶき者を学び、林-秀貞に戦いと女遊びを学んだ。
政秀は山科言継から『種々造作驚目候了』(様々な創意工夫に驚いた)と評価されているほどの教養人であり、秀貞は信長の父である信秀を一晩でどちらが多く女子を落とせるかと競い合ったほどのヤンチャな一面を持っていた。
嫡男として、それだけ大事に育てられた。
その甲斐も合って信長は合理性を富み、南蛮などの新しいモノなどを好む、理想的な為政者に育った。
敵である朝倉-宗滴や斎藤-利政(道三)などの名将から高い評価を受ける一方で、味方の凡将から『大うつけ』(愚か者)と蔑まれた。
おそらく、今川-義元が一番強く信長の斬新さを恐れ、同時に新し過ぎる考え方に家臣が付いて来られないと確信していたのだろう。
◇◇◇
信秀の死によって信長は窮地に陥った。
そこに熱田明神が降臨して信長を諭して、織田家は分裂の危機を避けて立ち直らせた。
奇想天外な事が起こるモノだ。
誰もが平手-政秀の手腕と思っただろう。
政秀は織田家随一の知恵者だ。
しかし、政秀が死ぬと織田-信照が彗星のように現れたのだ。
タダの神輿でなかったと誰もが知った時には、三好と今川を軽く蹴散らしていた。
信長が守護代となり、信照が守護の相談役という役職を貰った。
信長はそれに異を唱えない。
一方、信勝は家臣の子であるハズの信照が重宝されるのが気に食わなかった。
家臣の手柄は主人の手柄である。
信勝が守護代に選ばれ、改めて信照に褒美を与える。
それが武門のしきたりであった。
だがしかし、実際は二人が信勝の上にのし上がった。
信長は信勝の苛立ちを見て哀れに思った。
信長も苦々しく思いながらも、実績を考えれば信照が織田家の棟梁であるべきだと考えた。
棟梁を断る信照を無理矢理に上座に引き摺り出すと崇め奉った。
信長は正しく評価しないという事ができない真面目な性格だったのだ。
信長は戦の計略は好むが、謀略や暗殺の類いの後ろめたい事を嫌う。
情報を大切と思うが、毒殺や闇討ちを得意とする忍びを好まない。
それに反して、信照は忍びを重宝し、側近と侍女のすべてを忍びで固めていた。
銭にモノを言わせて、甲賀と伊賀の忍びを買い漁った。
信勝が信照を末盛城で襲うと、信勝の護衛である忍びが信照を守るという異常な事態を聞いて、信長は冷や汗を掻いた。
不当な扱いをすれば、信長もいつ寝首を狩られる判ったモノではない。
だが、信長の家臣の岩室-重休と帰蝶は承知しており、安心できる忍びと別枠の忍びで信長の周辺を固めている事を知った時は、信長も忍びの扱いを改めねばならないと思った。
信長ほど失敗をした武将はいない。
失敗を糧として成長し、お零れであっても天下人となった。
そして、明智-光秀と千-利休という知恵者の力を借りて、天下人らしくなって来たと思い始めた矢先に裏切られた。
信長のショックは相当なモノであった。
帰蝶からも散々に叱られて、そのままどこかに消えてしまいたいほど恥ずかしかった。
只、余りの忙しさに何かを考える暇が無くなっていた事が幸いであった。
永禄13年 (1570年)4月23日。
信照と氷高皇女の実子が神学校に入学する前に、鷹司家を正式に継ぎ、延期になっていた『改暦』の儀を新当主が執り行い、それを祝って改元が行われた。
その儀式を手伝った信長は36歳となり、働き盛りを迎えていたが、その様子はかなり疲れ切っていた。
この時、信長は勘九郎〔信忠〕が神学校を卒業すると同時に家督を譲ろうと考えたと言う。
信長は庶長子信正を筆頭に多くの子をなしていたが、実子と認めていたのは、勘九郎〔信忠(13歳)〕、三介〔信雄(12歳)〕、三七郎〔信孝〕の三人のみであり、その他の側室が産んだ子はすぐに実家の養子に出された。
父に負けず、かなりお盛んだっだ。
しかし、光秀の裏切りから8年間は禁欲生活を続けるほど激務な毎日を過ごしていた。
家督を譲ると決めた信長の決意は固かった。
こうして、信忠が第2代執権に選ばれ、それを祝って元亀4年 (1573年)7月28日に改元が行われ、『天正』と改められた。
改元は信長の希望だった。
隠居した信長は安土を保養所と決めて、湖畔に浮かぶ安土城に入った。
(六角の家臣らは、光秀事件の後に取り潰しになった領地に転封されて大名となり、六角家も備前・備中の大名に復活し、南近江は平井家と望月家が代官となって管理する織田直轄領になった)
〔※.加増ですが、六角の家臣らは丹後とか、下野とか、伯耆とかに移動します。一方、名家の細川家、畠山家、一色家、赤松家とかが、「家臣が勝手に」と叫んでもアユタヤ国に島流しです。一方、尼子三人衆の働きで出雲小領主から出雲小大名に尼子家が復帰です〕
信長は帰蝶に膝枕をされながら、しばらくは気迫のない日々を過ごした。
完全な燃え尽き症候群であった。
この信長のゴロゴロ生活を見れば、信照がどんなに激怒したか判らない。
「帰蝶、儂はどんな天下を望んでおったのかな?」
「皆が笑顔の天下ではございませんか」
「そうであった。村人の餅を配ると美味そうに食って笑顔になっておった。皆、そのような顔になる天下を作りたかった」
「叶いましたか?」
「いいや、叶えたのは信照だ。儂ではない」
信長はごろりと寝返りを打って、帰蝶から目を背けた。
悔しさで一杯になっていた。
再び、挑もうと思えない自分が悔しかった。
帰蝶は拗ねる信長を可愛く思えて頭を撫でた。
「信照様の天下は熱田と知多だけでございます」
「そんなハズはなかろう」
「いいえ。熱田と知多の天下を守る為に手を伸ばすと、日の本がすっぽりと入っただけでございます」
「長い手であるな」
「そうでございますね。ですが、殿のように日の本の民に笑顔を広げるつもりはありません」
信長はもそっと体を捻って帰蝶の方へむき直した。
不思議な顔をしていた。
呆気に取られた顔が面白く、帰蝶が笑顔を漏らした。
「信照様はやっている事が同じなので判り易いのです」
「何が判るのだ」
「熱田と知多の天下を守る為に周りを平穏にしました。自分の天下に関わらないならば、争っていようが、平和であろうが構わないのです。信照様は自分の手が短いと思っておられます」
「日の本がすっぽり入っても小さいのか!?」
「信照様の思う手の長さは顔が見える距離です。町1つが精々と思っておられます」
「判らん奴だ」
「そして、手の届かない事に興味を持たれません。現に、大陸では大騒動になっておりますが、口を出しておりません。武器が売れて喜んでいるくらいです」
「だが、それを治める為に信照は世界を巡っておるのであろう」
「いいえ。その争いが日の本に向かないようにしているだけです。どす黒い事を言いますれば、そこで銭を儲けて、熱田と知多、それと自分が豊かになれば、それでいいと考えております」
「腹黒いな」
「信照様は昔から腹黒い方でした。味方であれば、マムシと恐れられた父でも利用します。敵となれば、排除します」
「ふははは、そうであったな」
「他国の事など考えて下さいませんから、美濃に富が行き届かせる為に苦心しました。兄が台無しにしていましたが・・・・・・・・・・・・」
帰蝶は今更のように告白した。
美濃の国を尾張の属国にすれば、防壁が壊れるのを嫌がって、信照は何が何でも美濃を守ってくれる。
何としても美濃を織田家の属国にしようと試みていた。
それを義龍が台無しにて、案の定、絶対に必要な西美濃と東美濃のみを確保すると信照は美濃を放置した。
「信照様はそう言うお方なのです」
「民の顔を見ないのか?」
「自らの天下以外は興味がございません。お栄や里が京を拠点に移しましたので、今は熱田から京までが信照様の天下です」
「それ以外の民が苦しんでいても気にならないのか?」
「なりません。あるいは、それに介入する事で自らの利益となるならば介入します。殿は利益にならない民を放置しますか?」
「そんな恥ずかしい治世をやれるか」
「殿が執権でこの国の民は宜しゅうございましたな」
信長が頬を掻いた。
甘い武将だと言われ続けた。
褒められたような気がしないが、少し嬉しい。
「殿は遠乗りが好きでございました。自ら自分の民を見ておりました。新たな領地の民の顔を見に行ってはどうですか?」
「そうだな。遠乗りか悪くない」
「私も暇になりましたのでお付き合い致します」
「流石、蝮の娘だ」
「痛み入ります」
信長は五畿(山城、大和、摂津、河内、和泉)、近江、越前、伊勢、遠江など巡った。
そこで知ったのが『ご当地グルメ』であった。
特に伊勢から遠江には様々な創意工夫を加えた新作料理が揃っており、遠江の『ウナギパイ』などは甘党の信長が思わず目を丸くした。
これはもう全国を巡って甘みを発掘するしかない。
信長はそう決意すると諸国漫遊が始まった。
もちろん、助さんと格さんを伴って行く、ご隠居の忍び旅ではない。
供を100人ほど連れた地方視察という準公務を公方様から命じて頂いた公式な訪問であったが、そこに名物があると聞けば、予定を変更して足を運び、途中の村で一泊する事が度々であった。
貧しい村を見つけて飢えている民を見ると信長はそこに一泊し、一宿一飯の恩義と言っては予備の食料を下ろした。
連れて来ている料理人にホットケーキなどを作らせて村人に振る舞わせる。
「これが京で流行っている菓子だ。好きなだけ食べよ」
信長は京や尾張から饅頭などの菓子を取り寄せて配るようになった。
美味しそう食べる子供らを見て、「どうだ。美味いだろう」と声を掛けて、子供らの笑顔を見て楽しんだ。
さらにいつでも食べられるようにレシピを公開する。
砂糖の代わりに水飴を使い、小麦の代わりに芋や稗、粟、そば粉などを使った初期の工夫も料理人から聞き出した。
子供らが喜ぶ顔に信長も調子に乗って、「これが京で作られておる食べ物だ」と材料を取り寄せ、料理人を呼び出して、お好み焼き、焼きそば、たこ焼き、肉串し、ビザ、スパゲティー、饅頭、和菓子、焼き栗、綿菓子などなどを振る舞わせた。
同行していた帰蝶も流石に呆れたが止めなかった。
信長には余るほどの収入があり、多少、地方に零しても困る事もなかったからだ。
信長が通る所は、美味い物が食べられると周りから人が集まって来て縁日と正月が一緒に来たような騒ぎとなった。
「信長様。このような過分な施しを頂いても、この村には返せる物がございません」
「気にするではない。儂は遣りたいように遣っておるだけだ。もし、感謝しておるならば、次に訪ねた時に、ここにしかない美味い物を用意しておけ。信長はそれで満足だ」
「必ずや。この村にしかない物を生み出しておきます」
迷惑なのは大名であった。
予定の日に到着しないばかりか、勝手に村々を回って視察された。
しかし、陰で罵るのが関の山であった。
信長の視察は信州からはじまり越後を経由して関東、奥州、中国と四国、九州と年を分けながら毎年のように巡って行った。
日の本を周り尽くすと、信長は約束を果たすように初めから周り出した。
2度目の視察では、『ご当地グルメ』が多く生まれ、信長を喜ばせようと甘い菓子が多く作られていた。
甘党の信長も大満足であった。
天正10年、2度目の視察を終えた信長は本能寺でお茶会を催した。
以前のように豪商のみを呼ぶのではなく、小さな店主から名主まで呼んで、地方の茶菓子を披露した。
「華美に走らない所が見事でございます」
「自ら茶菓子を選ぶなど、今までの発想にございません」
「新たな境地を作られましたな」
「ははは、信長は遣りたいように遣っているだけだ。茶人の足下にも及ばん」
信長の見栄も外聞も取り外した茶会は茶人達に高い評価を得た。
地方の名産が京で売られれば、それだけ地方が助かる。
信長は他の『ご当地グルメ』も紹介して、商人らの心をくすぶるのが目的で催したモノだったのだ。
お茶会は大成功に終わり、信長も満足した。
夕刻、信長は饅頭を山ほど並べて頬張った。
運悪く、交代時間の為に誰も居なくなった所で、信長はモチモチとした饅頭を喉に詰めた。
発見された時には息を引き取っていた。
急ぎ予定を変えて帰って来た信照が信長の死を悲しんだ。
警備は常に万全であり、信長を害する者は一人としていない状況に死であった。
葬儀の席で信照は言った。
『これも天寿だ。兄上 (信長)の命運はここで切れておるのだ』
織田-信長。
饅頭を喉に詰めて逝く。
享年47歳。
少し早いお迎えであった。
信照が作った織田政権は日の本から餓死者を一掃したが、東海地区を除くと、概ね信照を荒神と祭って恐怖した。
一方、信長は国の守護神・福の神として大衆から崇められ、多くに神社で信長像が奉納されて長く祭られる事になった。
息子の信忠も10年後に執権職を辞すると、信長の視察を真似て全国を視察した。
これ以降、視察は執権後のご隠居の義務のようになり、末永く続けられる事になった。
織田政権300年。
甘党甘々の信長の偉業は末永く語り継がれた。おしまい。
魯鈍の人 ~信長の弟、信秀の十男と言われて~〔完〕
もう1つのエピローグ信長編でした。
信照の光が強すぎて、信長が霞んでしまったのが大失敗です。
後半は笑いパートでしか活躍できなかったです。
最後に偉業を紹介しました。
この他にエピローグの候補として、第一次世界大戦と第二次世界大戦の終結を描くモノもありました。
長く続けられたのも読者様のお陰でございます。
本当にありがとうございます。
これからも楽しい作品が書けるように努力致します。
ご拝読ありがとうございました。




