4.岩室長門守と岩室宗順。
岩室家は甲賀二十一家の柏木三家の山中十郎を祖先とし、近江の岩室村を頂いたことで岩室氏を名乗った。しかし、父上(信秀)が尾張で飛躍的に勢力を伸ばした頃に、甲賀の出である岩室 宗順と滝川 資清(一勝)を尾張に迎えられたことは余り知られていない。
岩室 宗順は遠い目をして俺にそう言います。
「殿は先進的な方であり、将軍足利義晴様が忍者を抱えたと聞くと滝川家に手紙を書いて迎えいれられた」
「随分と簡単に手に入ったのですね?」
「あははは、あちらこちらにばら撒きましたからな」
「手当り次第ですか」
父上(信秀)の豪胆さにジト目になってしまう。
人目を憚らないというか、無茶苦茶な所があった。
信秀の活躍が目に付いた頃、当時は三河の松平 清康が全盛期であり、将軍義晴を見限って、伊賀の千賀地 保長(初代、服部半蔵)が伊賀守護の本家仁木氏を頼って三河に下向した。
将軍の下で働いていた滝川氏も銭払いの悪い将軍を見限って尾張に下向したらしい。
「滝川家は将軍に仕えていたのですか?」
「あはは、そういう意味でなら儂も仕えていたぞ」
「えっ?」
「家臣として召し抱えらえたのは和田のみよ。儂らはその和田から仕事を貰っていただけだ。さっき言った千賀地も仁木様に仕事を頂いただけであり、召し抱えられていた訳ではない」
「なるほど、将軍に仕えていたと言えば、箔が付きますからね」
「そういうことだ。だが、尾張に行った滝川が召し抱えられたと聞いて、遅ればせながらも儂も参上した」
甲賀の滝川氏は領主と言っても山奥であり、伊勢亀山に続く鈴鹿峠に近かった。
そんな貧しい土地なので城主自ら出稼ぎをしなければならなかった。
信秀に拾われたことで滝川家は浮き上がった。
同じように、岩室 宗順も甲賀岩室家を出た。
信長の小姓である長門守(岩室 重休)は宗順の子。同じく小姓の加藤弥三郎は岩室家の娘が(熱田)加藤順盛に嫁いで産んだ子だ。
信長の乳兄弟である池田 恒興は池田 恒利の子であり、恒利は滝川資清の弟で池田家に婿養子として入った。
岩室家は加藤家と結び付きを深め、滝川家は池田家と結び付きを深くした。
その加藤家は藤原氏を祖とし伊勢山田で神官の家で代々図書助を名乗り、加藤順光は熱田に所領(羽城)を貰い、また、その一族の中に商家がいた。
お爺絡みで加藤順盛共々、加藤家と武家・商家のお付き合いすることになった。
「で、どうして俺だ」
「大殿亡き今、儂を一番巧く使えるのは若様しかおらん」
「俺は助かる。熱田の忍者を千代に任せるのは酷と思っておった。熱田の忍者の総指揮を頼めるか」
「承知。若様ならそう言ってくれると思っておった」
「隠居したのだ。俸禄は出せんぞ」
「若様が気にすることではない」
「そうか、これを預ける」
何故か、父上(信秀)が亡くなると岩室宗順は隠居し、俺に仕えると言う。
中根南城の次期城主でしかない俺に?
解せん。
俺は倉の鍵を預けておいた。
忍者働きは影働きだ。
正しく評価してあげたいが、公表する訳にいかないことが多すぎる。
その分、銭で評価するしかない。
俺には判らない忍者働きを宗順に丸投げすることにした。
そんなに喜んでくれるな!
宗順曰く、父上(信秀)の側室である岩室殿の子に雪という姉君がおり、俺に仕えているのが安全だそうだ。
益々、意味不明だ。
岩室家の所領は加藤家の周辺にあるので一連托生ということか?
考えるだけ無駄な気がする。
池田家・滝川家とはご縁がない。
ないハズなのだが、滝川一益と慶次郎(前田 利益)は出入りしている。
信長の鉄砲の師である橋本 一巴の橋本家は加藤家に仕えており、その縁もあって鉄砲の製造に協力して貰っていた。
堺から取り寄せた種子島を分解し、製造過程の概略図を渡して鍛冶師に試行錯誤して貰った。
半年で原型ができ、その試射を一巴に頼んだ。
1年も掛ければ、国友とほぼ互角の鉄砲が作れるようになった。
問題はそこからだ。
ライフリングは無理でも斜線なら可能だと思い、斜め溝掘りの鉄板を銃身にするのに苦労した。
いつの間にか、滝川一益が一巴を説き伏せて鍛冶師の所に通い出し、気が付くと従兄弟の慶次郎(前田 利益)まで遊びにくるようになっていました。
皆、酒を目当てで通っているのではないかと疑う。
「くぉ、この蒸留酒は美味い」
「貴重な蒸留酒を飲み干さないで下さいよ」
「判っている。俺はこの鍛冶師の仕事を確認している」
「そうだ、蒸留器に不備があっては後々困るからな」
「何度もいいますが、呑み干したら出入り禁止にしますからね」
「判っている」
「念の為に言っておきますが、樽に納めている奴を飲んでも出入り禁止ですよ」
「開けるときは呼んでくれ!」
「約束を守ってくれたなら、必ず呼んであげます」
「麦焼酎の3年モノ、早く呑みたい」
警備の指導や武芸の訓練に役に立つが、酒代が馬鹿にならない。
次は酒の摘みに何を作るとうるさい。
俺は酒を呑まない。
不思議と呑みたいとも思わない。
でも、ここには禁酒条例もなく、憚る者もいない。
みなさん、6歳の稚児に何を期待している。
◇◇◇
信長と魯坊丸が話している間、横では、岩室 宗順と岩室 重休が情報交換をしていた。
宗順は頭を剃って隠居し、僧名を自ら太雲と名乗り、家督を継いだ重休が長門守を襲名した。家督を継いだ長門守は岩室家の当主として知るべき情報を宗順から聞かされて呆れてしまった。
信長と馬を並べている長門は一言も発しようとしなかった。
「長門、随分と大人しいな」
「少々混乱しており、何から話すべきか。困惑している所でございます」
待機させていた兵を引き連れ那古野城に戻る信長は不機嫌そうであった。
皆、ピリピリしている信長に近づきたくない。
何か言えば、お叱りを貰いそうだった。
いつもなら長門守が気づかって声を掛けるのだが、ぶつぶつと呟くばかりで信長を気遣う様子もない。
「この戦は負けだそうだ」
「はい、父がそのような噂を流すと言っておりました」
「儂が戦下手だと流すのか?」
「そのように伺いました」
「糞ぉ、悪童の手の平で転がされている気分だ」
「実際、そうでございます」
信長が長門守をぎろりと睨み付け、後ろにいた側近らが何事かと慌てた。
長門守は側近中の側近で信長の理解者であった。
その長門守を本気で睨み付ける信長など見たことがなったのだ。
「信長様、心してお聞き下さい」
「儂は無性に腹が立っておる。詰まらないことを言えば、本気で切るぞ」
「弾正忠家の家督などお忘れ下さい」
馬上で信長が刀に手を掛けた。
乳兄弟の(池田)恒興より信頼している長門守から、その言葉が出るとは思ってもいなかった。
お前も弟に頭を下げよと申すのか!
信長の悲しみを理解してくれる者がいなくなったようで悲しかった。
「尾張で家督を争っておりますが、織田の棟梁は信長様しかおらぬのです」
「当たり前のことを言うな」
「そういう意味ではございません。尾張守護の斯波 義統様、美濃の斎藤 利政、相模の北条 氏康、近江の六角 義賢、畿内の三好 長慶、幕府の伊勢 貞孝、朝廷は近衛 稙家様や山科 言継様等々、極め付きは公方様、恐れ多いことに帝に至るまで、織田の棟梁は信長様と認めになっておられるのです。今更、信勝殿が何を言っても覆るものではありません」
「どういうことだ?」
「信長様の名で各所にあいさつ状が配られていたのです。大殿(信秀)がお亡くなりになりましたが、これまで通りにお付き合いをよろしくお願い致しますという内容でございます。尾張染めの反物、石鹸、椎茸、清酒などを添えて送られたそうです」
「俺は知らんぞ。花押印はどうした」
「我が父が信秀様より預かり、魯坊丸様に渡されておりました。林殿も納得されており、弾正忠家の内政は信勝殿、外交は殿が行うと決められました」
「親父殿が」
「はい、外と内に分けられました。家督などなくとも、いずれそれ以上のモノを得ます。殿は数千貫の銭をばら撒くことができる財力を見せ付けました。尾張で起きた小競り合いなど、誰も気に掛けることはないでしょう」
「あの悪童、そういう意味か」
信長の財力は守護代信友を凌駕していることを見せつけた。
信勝など目に入っていない。
魯坊丸は信長の代理として、この3年間、守護の斯波 義統に毎月のように珍しい品々を送って忠義を示してきた。
義統の信長への信任は厚い。
信長が次の守護代になる準備は終わっていた。
もしも信友が義統を疎んじて誅殺すれば、公方や帝を使って尾張の支配権を得ることも不可能でなかった。
どちらに転んでも尾張の支配権は信長に入ってくる。
銭の力。
長門守は深謀遠慮というモノを見せ付けられたと信長に告げた。
「東は北条から、西は三好まで、その中には石山本願寺の顕如、長島の証恵なども含まれており、大殿(信秀)が持たれた人脈を魯坊丸様が引き継がれているのです」
「益々、忌々しい話だな」
「必要な方なのです。お味方とするなら心強い方なのです」
魯坊丸は熱田や伊勢の宮司や神人を使って各地を巡り、先に放った行商人から情報をかき集めた。さらに商人を派遣して拠点を作り、河原者を雇って遊郭を作った。そこに歩き巫女が加わって相手の内情を探っている。
『自作自演』(マッチポンプ)
自分で騒ぎになることを起こし、その情報を領主などに売って信用を得る。
信用を買えば、さらに深淵に近づく。
現地で問題を起こし、敵を弱体化させて、敵から銭を稼いで賄いの足しにする。
莫大な銭を掛けて情報網を構築することで、その情報が織田の富に変わる。
そんな馬鹿げたことを誰も考えも付かない。
魑魅魍魎が徘徊し、悪鬼羅刹が跋扈する世界だった。
忍者嫌いの信長にとてもできるものでない。
長門守はそう思っているが、魯坊丸からすれば当然であった。
イギリスの植民地政策はそれだ。
すべてを現地調達で整え、本国からの純粋な支援は一切受けない。
植民地支配は独立採算が原則だ。
その方針を太雲(宗順)から聞いた長門守は気が遠くなった。
情報戦をおもちゃのように扱う魯坊丸に怖さを感じずにいられなかった。
魯坊丸曰く、
『こんなもの、情報戦の初歩中の初歩、子供でもできる』
そう言ったそうだ。
あれは得体のしれない化け物だと思った。




