33.織田の上洛? あれは荷駄隊です。
もう知恵比べなんてこりごりだ。
角倉邸の別邸に戻った俺は床に寝転がり大声で叫んだ。
管領の晴元って、化け物か?
尾張の知恵者が悪餓鬼(いたずら坊主)に見える。
しかも皆が皆、意地悪い。
意図を隠して話すから何を考えているか読めない。
尾張の大根武将が懐かしいよ。
それと先駆け問題だ。
「慶次、紫頭巾に勝てそうか?」
「あと5年、いや3年待ってくれ。互角に戦えるようになってみせる」
「彦右衛門(滝川 一益)さん、尾張で勝てそうな方はいますか?」
「親父を含めて強い方は多くいるが、剣豪になると見当たらんな」
林一族、前田一族に強い武将が多いが、一騎当千の武者はいない。
加藤や千代女の強さは別の強さだ。
上泉-信綱と塚原-卜伝、柳生-宗厳に手紙を書いて尾張に来て貰うか?
「前のお二人は来てくれるかもしれませんが、柳生-宗厳は筒井家の家臣です」
「別に何もくれと言っている訳ではない。ちょっと剣の指導に来て欲しい。本人が駄目なら他の者でもよい」
「承知しました。手配しておきます」
「頼む」
それに京なら他にも何かありそうだが?
「京には中条流という流派が残っていたと存じます」
「中条流? 知らんな」
「所在は知れません。また、鞍馬流もあったと思います」
「鞍馬…………義経?」
「はい、鞍馬流は下鴨神社の秘剣になっております。残念ながら門外不出で知ることはありません」
「本当に強いかどうかも判らないな?」
秘伝とか言って内弁慶になると、どんなものも弱くなる。
こっちは駄目だな。
ならば、どうやって剣豪を誘うか?
そう言えば、堺で武闘大会をやったとか言っていたな。
織田でもやるか。
種目の中に相撲を入れよう。
相撲好きの兄上(信長)がやりたくなるハズだ。
それでも駄目なら熱田でもよい。
金と名誉。
大金を餌にしてやる。
天下一の称号を掛けて、四年に一度とか言って集めよう。
四半期ごとに予選をして織田の武将の底上げだ。
勝者が織田の武将である必要はない。
むしろ、織田の武将を倒して貰って、大海を知って貰わねば。
後で堺に運営の詳細を手紙で送って貰うか?
名もしれない剣豪や槍の名士が集まってくれるかもしれない。
いずれは鉄砲の数が揃えば、戦は変わる。
しかし、ああいう怪物がいると奇襲などには鉄砲で対応できない。
勝てないまでも負けない兵を育てないと戦局がひっくり返されてしまう。
余計な仕事を増やしてくれる。
平行して小型の散弾銃(ショットガン)の開発を急がせるか?
あれがあれば、熊相手でも一人で対応できる。
一日でも早くできるように職人さんにがんばって貰おう。
だが、人が揃うまで、完成するまで、それまでどうしよう?
「なぁ、魯坊丸は先程から何をやっているのだ?」
「若様は考えごとをすると、体を捻ったり、俯いたり、腕をねじ込むなど、床の上をゴロゴロと奇妙な動きを取られるのです。可愛いと思いませんか?」
「思わん」
「そうですか、それは残念です」
「頭の中がごじゃごじゃになっているのを体で表現しているのか?」
「そうかもしれません」
「ホント、奇妙な奴だな?」
「とにかく、若様が考え中です。邪魔をするのは止めて下さい」
考えごとをしながら知らぬ間に寝息を立てて眠っていた。
◇◇◇
目が覚めると遅い朝食を取った。
千代女や慶次たちは引っ越しの準備を行っている。
上洛の第一陣である家老の内藤-勝介は今日にも知恩院に到着する。
影武者と入れ替わらねばならない。
「内藤も慌てずに、大津で一泊すればいいのに」
「真面目な方でございますから」
「確かに兄上(信長)の名代としてはりきりそうだな」
「若様を警戒されております」
「あいつは面倒臭いから嫌いだ」
兄上(信長)の為に頑張り過ぎる奴だ。
上洛組は5日も掛けて京に上がってくるので日程的にもかなり余裕がある。
大津で一泊し、早朝に京に入った方が迎える方も楽だと何故考えない。
付き添いは城主の息子、若侍が多いから意見もできないか。
兄上(信長)の上洛ではないのだ。
随行者に家老は控えようという流れを無視して、『お目付け役は必要です』と内藤は自ら名乗り出た。
「林-通忠様は予定通り、5日に入るそうです」
「こちらは安心できる。余計なことはしないからな」
「息子の通政殿が同行されております」
「確か『槍林』の異名を持つ槍の使い手だったか?」
「はい、しかし残念ながら腕前を存じ上げません」
第二陣は林-通忠が率いてやってくる。
筆頭家老林-秀貞の叔父だ。
林家も面子がある。
上洛組に林家を参加させない訳に行かない。
林家の与力である前田家の次男利玄、三男安勝もここに参加している。
第三陣は熱田大宮司の千秋-季忠が率いてくる。
最初はその予定でなかったのだが内藤がついて来るとなると、押さえ役として同じ家老の季忠がいないと俺の負担が大き過ぎる。
とにかく、俺が不在のときに内藤が勝手に返事して貰っては困るのだ。
さて、第三陣には俺の黒鍬衆も同行する。
盗賊団を捕まえるにしても黒鍬衆がいれば、もっと楽な策が色々とできた。
手足が揃っていないとやはり不便だ。
ところで第三陣は関ヶ原を越えて近江街道(中山道)を通ってきた。
浅井家が接触してくるかと思ったが、京で俺が暴れているのが耳に入ったのか、行列にちょっかいを出すこともなく通してくれた。
拍子抜けというか、とにかくよかった。
最初は浅井の内情を探るつもりだったが、急きょ京に行くことになって影武者では荷が重いと思っていたからだ。
「急いで知恩院に行かねばならんのだな」
「はい、それともう1つお知らせせねばなりません」
「いい話だといいのだが?」
「良い話だと思いますが、心労が100倍になると思います」
「聞きたくない。飯が終わってからにしてくれ」
気になって飯の味がしなくなった。
まず、太雲(岩室 宗順)の提案で、こちらの問題が片付くまで話はしないように口止めされていたと言う。
次にこれには兄上(信長)の命が下っている。
一体、何を隠していたのだ?
「お市様が堺から三好の軍勢二万に守られて上洛しております」
俺の思考が停止した。
お市と三好二万の大軍、話について行けない。
千代女は順序立てて、お市の密航から三好の警護までの話をしてくれた。
溜息しかでない。
「こちらが堺衆から渡された武具の台帳でございます」
「それのどこが台帳だ。箱の山だろう」
台帳が詰まった四つの箱が積まれている。
「ざっと8,000貫文相当だそうです」
「堺衆は誰と戦をするつもりだ」
ぱらぱらと見て何となく判った。
堺衆はこの上洛に託つけて、土倉の眠っていた武具の在庫を一掃整理したらしい。
どうやら俺と戦をしたいらしい。
下らん上洛なら一文も出さん。
◇◇◇
知恩院に入ってこっそりと住職にあいさつをする。
多額の献金もあって、喜んで寺社を貸し出してくれる。
寺の外周も寺領らしく好きに使っていいらしい。
院領内に僧兵が使う小屋があり、2,000人ほどが暮らすことができる。
陣屋としての機能が添えられていた。
寺と言うより砦に近い。
僧兵も500人もいるので喧嘩をしないで欲しいと頼まれた。
客間に入ると俺はすぐに寝転がった。
内藤が来るまで、短いゴロゴロ人生を楽しむぞ。
と思っていたのに?
どうしてすぐに着くのだ。
随行の若侍がぐったりとしている。
元気なのは内藤だけだ。
どれだけ急いで来たのか、何となく判った。
「魯坊丸様、内藤-勝介、只今到着致しました」
「大儀である」
「この勝介、これより魯坊丸様の手足となって、すべて段取りを執り行います。ご安心してごゆるりとしてくだされ」
「よろしく頼む」
本当にそれができるならありがたい。
平手-政秀が居たなら俺は何もやっていないぞ。
もし、内藤が思っているほどできるなら任せていた。
おそらく、内藤をレクチャーしたのは俺が育てている随行員だ。
そんな楽に育つのか?
その筆頭は野口-政利辺りか?
平手-経英の三男だ。
つまり、平手の爺の弟だ。
年の功もあって、他の者より知識だけはあった。
平手爺曰く、知識はあるが感性がないらしい。
とどのつまり、実践が足りない。
次に、織田-重政(後の中川-重政)だ。
織田刑部大輔の子で覚えが早い。
俺としては期待している。
一番期待していたのは、丹羽-長秀だ。
何でも卒なくこなす所がいい。
しかし、兄上(信長)が貸してくれない。
18歳で初陣を飾っていない若手の中で有望格だ。
兄上(信長)のお気に入りの一人だ。
だが、政秀の後釜にはしないと断られた。
残念だ。
とにかく、平手の爺から聞いたことはすべて伝えた。
未来の政秀、随行員だけで巧くやってくれるならそれで構わない。
その方が助かる。
まぁ、お手並み拝見としよう。
「内藤、すべて任せた。よろしく頼むぞ」
「お任せ下さい」
内藤の顔がにやりと微笑んだ。
普段から兄上(信長)は俺に対して甘すぎるといつも言っている内藤だ。
兄上(信長)の足元から台頭する俺を許さないという感じか?
警戒するだけ無駄だよ。
俺は最初から別に取るつもりもない。
それを判ってくれないのだ。
翌日、知恩院の見晴らしのよい場所でお市の行列を待った。
京中の人々が騒いでいた。
織田の上洛で京中が揺れている。
すでに本当の上洛組の第二陣は大津から出て到着している。
こちらの見物客はちらほらであった。
堺から来る方は荷駄隊のハズなのだが誰もそう思わない。
三条大橋を渡ってくる頃になるとよく見えてきた。
これは確かに上洛に見える。
三好の本気度が伝わってくるし、織田の傭兵も立派な武具を揃えている。
確かに8,000貫文もするだけがある。
〔現代の価格にして、8,000貫文は4億8000万円に相当する〕
この額は小さな国の総収入に匹敵する。
確か、公方様が逃げた朽木の石高が8,000石だったハズだ。
〔8,000貫文 = 8,000石〕
織田の力が十分に伝わり、三好との仲も悪くないと周知された。
これは俺の負けだな。
でも、現金では絶対に払わんぞ。
新たに売り出す最高の酒を分割で納品してやる。
広告代とでも思わないと割が合わん。
正門から入って来たお市が見えた。
本当に天女のようだ。
「魯兄じゃ、市は一人で来た」
俺を見つけて、両手を振って俺の名を叫ぶと神々しさが大無しだ。
まったく、このじゃじゃ馬め!
本当に無事でよかった。
馬から降りると、制止も聞かずに服に躓きそうになりながら階段を駆け上がってくる。
「魯兄じゃ、魯兄じゃ、聞いてたもれ」
あわっ、近づいてきたお市を階段から落ちないように抱きしめた。
叱る言葉を色々と考えていたが、お市の顔を見ると真っ白になった。
ばかやろう。
死んだら、どうするつもりだ。
「魯兄じゃ、痛いのじゃ」
「すまん。ちょっと嬉しくて力加減を忘れた」
「そうか、嬉しいのか」
「あぁ、嬉しい。だから、たっぷりお説教を聞かせてやるぞ」
「お説教は嫌なのじゃ。わらわの話を聞いてたもれ」
「あぁ、判った」
俺はお市の手を取って寺の中に入っていった。




