閑話.がんばれ、お市ちゃんの大冒険(5)
納屋-宗次の別宅は重々しい空気に包まれていた。
(三好)長慶の弟で和泉国岸和田城主の十河-一存に浅井-高政が平伏している。
「なぁ、そんな難しい話ではないであろう? 摂津・河内の代官を務める兄上(長慶)の御膝元で朝廷・公方様への献上品が襲われるなどあってはならんことは判るであろう。それ故に三好が警護してやろうと言うのだ。ありがたく受け取れ」
「ありがたきことでございますが、我らと同行するというのは如何ともしがたく、主に許可を頂きませんとお答え致しかねます」
「そんな固いことを考えるな。お主らの行列の前と後ろに三好がいるだけだ。黙認するだけでよい」
「某にはお答えできません」
「俺がここまで言っても聞けないというのか?」
高政は元黒田城主を務めていたが、和泉国を治める代官である十河-一存とでは格が違った。
額から大きな汗粒をぽたぽたと落としながら平伏するしか術がない。
まさか、京に荷を運ぶだけでこれ程の大事になるとは思ってもいなかった。
はじめは弁の立つ松山-重治がやって来て、次に奉行衆の岩成-友通、最後に護衛の総指揮の命を受けた松永-長頼(松永久秀の弟)があいさつにやって来た。
ところが、この時になって話が通っていないことが発覚した。
(松山)重治も(岩成)友通も、まさか『天下の三好』の頼みを本気で断っているとは思ってもいなかったのだ。
慌てて一存が頼みに来た訳だ。
高政は始終平伏する。
とても武士と思えない体たらくであったが、一存の頼みすら断る姿は肝の据わった武将と思い改めねばならない。
一存はかなり困っていた。
糞ぉ、参った!
兄上(長慶)から織田に対して手荒な真似をするなと釘を差されている。
恫喝以上はできんではないか!?
どう見ても雑魚にしか見えんのに…………人は見かけによらぬものとはこのことだな。
これはお主らの仕事であろう長頼、重治、友通、三人で何とかしろと一存は首を振った。
三人が代わる代わる説得するも、高政は平伏するだけで埒があかない。
そこに第二陣の忠貞が到着したと使いの者が来て、そこに活路を見出したのか、すぐに呼びに行かせた。
襖が開くと、幼い子供が堂々と入って来ると真ん中をまっすぐに歩き、一存の前に止まった。
「そこはわらわの席じゃ。席を空けよ」
一存が固まった。
話では、納屋-宗次の別宅を織田が借り切っていると言う。
織田の主家が上座に座るのが当然だとお市は主張した。
だが、それを知らない三好の三人は唖然としていた。
お市はまっすぐに一存を見続けた。
流石に子供を殴る訳にいかず、席を半分だけ譲った。
お市もそれほどの男かと納得したのか、素直に横に座った。
「おい、こちらのお姫様はどなたか説明してくれるか?」
固まっていたのは三好だけではなかった。
高政も固まって貝のようになっていた。
いるハズのないお方がいるのだ。
代わりに一緒に入ってきて、お市の横に座った忠貞が言う。
「こちらにおわすのは、織田尾張守三郎様の妹御のお市の方でございます」
そう聞くと三好の者が一斉にあいさつを行う。
あいさつが終わると護衛の話を奉行衆の友通がする。
「ほぉ、それはありがたい。兄じゃに代わって、市が礼を申すのじゃ」
「織田の姫様は話が早い。これで胸のつかえが取れもうした」
「1日しかないが大丈夫か?」
「お任せ下さい」
「京までの警護、よろしく頼むのじゃ」
船の行程が良く、わずか1日であったが早く到着した。
その1日が奇跡を生んだ。
1日だが荷を降ろすことができる。
堺の機能をすべて止めてでも堺衆と三好衆が手を貸して、準備をすべて終わらせて2日に出発できるように手を貸してくれると言う。
一存が約束したのだ。
三好の命令が堺中に走った。
恐怖と歓喜が入り混じって堺が沸いた。
◇◇◇
京西三条河原では多くの人が雨後のタケノコのように湧いて出ていた。
皆、押し合い圧し合い、河に落ちる馬鹿も多くいた。
織田の上洛を見に来たのだ。
西国街道を通って右京の勝龍寺に入っていた行列を見た者の話が噂に噂を呼び、織田の天女様を見ようと集まってきていた。
『おぉ、来たぞ!』
その声で京の民衆の波が起こったかのように熱気が一気に高まった。
まずは川沿いの道を南から三好の旗が見えてきた。
織田が大軍を連れて京に上がってくると噂されていたが、三好の大軍を引き連れて上がってくるとは誰も思わなかった。
三好の大軍二万が織田の姫を守って上がってきていると言う。
三好の厚遇ぶりに驚くが、織田と三好が争うつもりがないことが伝わってくる。
「三好だ、三好だ」
がさ、がさ、がさ、近代軍隊の美しい規律に満ちた行進とはかけ離れていたが、それでも四人が一列に並び、ピカピカの真新しい鎧・兜・槍を持って行進すれば迫力が伝わる。
「なんていう迫力だ」
「京の野盗らと違うな」
「これが本物の三好か」
京の人々が口々に何か言っていた。
傭兵は自分の鎧・兜を持っており、それが使い古されたボロボロの物を着る者も少なくない。
高い銭を払って買い集めるのだ。
三好が高価な武具をタダでくれるなどする訳もない。
武器を持たない加世者には、どこかの戦場からかき集められたような中古の武具が渡され、それを身に纏って戦場に赴く。
領民に貸し与えるのと訳が違う。
傭兵に高価な物を貸し与えると、それを持って逃げ出すかもしれない。
京を巡回する三好の兵は旗こそ三好を背負っているが、どこかの野盗と代わりなかった。
しかし、目の前にいる三好の兵は皆が凛々しかった。
それもそのハズだ。
堺衆がこの上洛を成功させる為にくれた前金だ。
この上洛を成功させるだけで自分の物になる。
古い粗末な鎧を脱ぎ捨てて、真新しい立派な足軽の鎧・兜に着替えた。
上洛が失敗すれば、返さなければならない。
傭兵達も身が引きしまる。
その為か、三好の兵には綺麗に統一された美しさが生まれていた。
大軍ゆえに足が遅く、2日、3日、4日、そして、今日5日になれば、隊列にも慣れてきた所だった。
しかも行列の部隊ごとに武具の趣が代わってゆく。
それがまた楽しい。
流石に堺衆も2万人分の同じ鎧を揃えることができない。
各店の土倉の中には、1,000人から2,000人くらいの鎧が眠っていた。
良い物から隊列の前に並べていった。
ゆえに進むごとに服・鎧・兜・槍・弓が変わってゆく。
京の人も見ていて飽きない。
先導をする松永-長頼も誇らしかった。
その後ろに本命の織田の行列が続く、織田の後ろにも三好が再び付いて来ているのだが、織田の印象が強すぎるか、余り注目されていない。
それほど織田に雇われた1,000人の傭兵が足軽と思えないほどの鎧・兜を身に付けた。
堺衆の底力、魯坊丸も呆れてしまうほどの品だった。
さらに100人ごとの足軽頭は侍大将のような立派な鎧兜に太刀をぶら下げて馬に乗って登場する。
ジロジロと見られて様にならない者もいれば、元々侍大将だった凛々しい者もいた。
いずれにしても織田ぶりに京の人の心が揺れた。
「これが織田か」
「織田の殿様は派手な格好が好きらしいな」
「流石だな」
「よう、日の本一」
否が応でも熱気がドンドンと上がっていった。
そこに頭から冷や水を浴びせられたような一団がやってきた。
織田からきた120人の者だ。
衣装・鎧・兜・槍に至るまで派手さを追求した兵と違って、京の人なら一番に見慣れた検非違使の姿だ。
馬に乗る武者たちは頭中将のような出で立ちであり、男前が一段と上がっていた。
きゃあ~~~~~!
若い女達が黄色い悲鳴を上げる。
織田の武者は皆若く、その初々しい姿に好感が持てた。
20人がずらりと並べば、お気に入りが一人や二人は見つかるものだ。
見慣れた姿だからこそ、その着ている衣服の良さが判る。
京の人々が感嘆の声を上げていた。
これが『織田ぶり』という奴か!
単に派手という訳ではない。
人々の心を掴むのが真骨頂と気づかされた。
そして、真打が登場する。
お市と護衛二人の派手さが目立つというものだ。
前田-利家と加藤-弥三郎は堺に到着すると、堺の主人たちから総出で出迎えを受けた。
信長様から直々にお市様の護衛を任されたと聞けば、目をギラギラさせて相談する。
喧嘩なら百戦錬磨の犬千代も否と言わせない雰囲気だった。
「ワテとこが、赤糸縅鎧を準備しましょう」
「源義経か、強く出たな」
「では、私は黒韋縅矢筈札胴丸をお出ししましょう」
「楠木正成か、魚屋さんは豪胆ですな」
(魚屋:田中-与四郎、後の千利休)
犬千代と弥三郎はひな人形のように飾られてゆく。
そして、天王寺屋(津田-宗及)が持って来た『国士無双』と名付けられた長槍を見て言葉を失った。
槍身は穂(刃長)4尺6寸(138cm)、茎まであわせて全長7尺1寸(215cm)と桁外れの大きさで、重さも6貫目(22.5kg)もあり、切先から石突までの拵えを含めた長さは12尺半(3.8m)になる。
信長の三間半(6m)の長槍に比べると遥かに短いが、普通の三好が持つ槍が5尺(1.5m)であり、武士が持つ長い槍で6尺6寸(2m)くらいである。
12尺半(3.8m)となると桁はずれの大きな長槍であった。
それを持った犬千代はにやけた顔が止まらない。
終始笑い顔でお市の横で槍を肩に掛けて並走していた。
お市の反対で並走する弥三郎はそれも見事な大弓を背負っていた。
弥三郎は弓が苦手という訳でもないが、流石にこの大弓は引けなかった。
背負っている分には支障はない。
商人から鬼退治に赴かれた源某が使われた大弓と同じ物ですとか説明を受けたが、弥三郎の頭には入らなかった。
そして、最後にお市はあの楊貴妃が幼き頃に着ていたかと思うほどの美しい漢服を身に纏い、透き通る南蛮品のレースを頭から被っていた。
それはもう天女の羽衣のように風にひらひらと舞って美しく見えた。
「天女様だ!」
お市は可愛さが何倍にも上乗せされ、草木を喜び、どこからか舞ってきた花びらがお市の上洛を歓迎しているようであった。
いつの間にか歓喜の声が静まって、極楽浄土の御迦陵頻伽が鳴き出すのではないかと思うほど神々しい光が天空の雲の合間から降り注いでいた。
立ち行く民衆は知らぬ間に頬に涙が伝わって、今日、これを見に来ただけで100歳まで寿命が延びたと口々に言う。
ありがたや、ありがたや、ありがたや!
手を合わせて拝む人まで現れた。
三条通りを抜け、三条橋を渡ると三好の軍はそこで道を開けて、織田の兵は知恩院へと入っていった。
「魯兄じゃ、市は一人で来た」
魯坊丸を見つけたお市は両手を広げて叫んだ。
元気な声がこだまする。
まったく、神々しさもあったものではない。
馬から降りると、制止も聞かずに服に躓きそうになりながら階段を駆け上がってくる。
このじゃじゃ馬め!
本当に無事でよかった。
「魯兄じゃ、魯兄じゃ、聞いてたもれ」
こうしてお市の冒険は終わりを告げた。




