30.花咲く季節の三人衆。
「魯坊丸、何をしているのじゃ。早う行こうぞ」
「(近衞) 晴嗣様はお元気そうですね?」
「この程度で体を壊すほど柔ではない」
「我々は囮なのです。まだ、がんばる必要はございません」
「それよりも仁和寺の見回りを早々に終えて、昼から上京の遣迎院に連れてくるように頼まれた」
「今度は誰ですか、そんな勝手なことを言われる方は?」
「元大納言の飛鳥井-雅綱卿だ。昔、尾張に行かれて、其方の父君(織田-信秀)に蹴鞠を伝授したというお方だ。門弟の子が来たなら、是非とも伝授せねばならぬとおっしゃっておられる。断るのは無理だぞ。麿も苦手な人でな」
「苦手な人が多いのですね?」
「近衛家と言っても、歴代の方々にとってはタダの若造だからな」
あぁ、またか。
昨日は歌会、一昨日は茶会と、こちらの都合も考えずに次から次へと。
公家って、そんなに暇なのか?
いい加減にゴロゴロして一日中を過ごしたい。
暇な人が羨ましい。
「暇ということはないぞ」
「毎日、来ている 晴嗣様に言われても全然説得力がございません。昼間は俺らだけで十分だと言っているでしょう」
「こんな面白そうな話、麿をのけ者にするな」
「仕事はどうしているのです?」
「引退した父君が代わりに職務をやって下さっている」
引退した上司が現場復帰とか、絶対に嫌だな。
公家の社会ではありなのか?
京に到着した日に久我邸に招かれ、翌日から2日間は情報取集の為に角倉邸の別邸に籠った。
もちろんだが、ゴロゴロさせて貰えなかった。
その翌日から襲われた川勝寺、高山寺、勝龍寺城など、盗賊団の話を聞いて回った。
盗賊団は寺や城を直接に襲うこともあるが、大抵は関連の村や町を襲っている。
寺や城を守るのは難しくないが、村や町までとなると手が足りない。
三好の兵も警戒に回っているが捕まる様子もなかった。
東林院 〔妙心寺〕、龍安寺など晴元派の寺院が匿っている可能性が高い。
おそらく拠点が1つではないのだろう。
昼は分散し、ゴロツキを煽って治安を乱し、夜になると集まって警備の薄い所を襲っていた。
火付け・強盗はするが、足の付く人攫いはやらない。
完全な愉快犯だ。
最初、上右京に出没したが、その後は下右京の方に下ってゆき、勝龍寺城の周辺を多く襲った。
そこで三好が下右京を重点的に守るようになると、今度は上右京に戻って来ている。
三好の裏をかくということは、かなり良い目も持っているということだ。
さて、上右京で最初に襲われたのは仁和寺領の村だった。
今日はその仁和寺に行き、住職の話を聞く。
その後に上京の遣迎院ということは、金閣寺を抜けて北東か。
今日は京の西の端から北の端まで歩くことになるな。
◇◇◇
俺が拠点にしているのは嵯峨地域、臨川寺領、亀山殿付近にある角倉-与左衛門の別邸だ。
嵐山の北東、桂川が見下ろせる山城のように守るに易い場所だ。
そんな場所で 晴嗣様が宮様の姿では余りに目立つので商家の若旦那という服を着て貰って偽装している。
しかし、華のある方は何をお召しになっても艶やかだった。
別邸の山道を抜け、寺通りに出ると黄色い悲鳴が聞こえてくる。
「あっ、いらっしゃった」
「 晴嗣様よ」
「きゃぁ、目が合ったわ」
「お顔を拝見できるだけで眼福だわ」
「わたし、この為に朝から待っているのよ」
「奇遇ね、私もよ」
「 晴嗣様」
おい、手を振るな。
この 晴嗣は今年の1月まで内大臣と左近衛大将を兼任しており、総大将として検非違使を伴って、京の警備を自らやっていたと言う。
何を考えている?
左近衛大将も征夷大将軍より偉い役職だぞ。
現場指揮は将監か、衛門少尉がやるべきことだ。
例えるなら、会社の社長が警備部長の代わりに現場に出てきたようなものだ。
そりゃ、三好の武将だけではなく、京中が慌てただろう。
この顔の良い 晴嗣は京の女性の心を射止めた。
とびっきり綺麗な顔の 晴嗣が商家の格好をしてもバレない方がおかしい。
俺は断りましたよ。
すると、公方様(足利-義藤、後の剣豪将軍義輝)にあることないことを吹き込んで、すぐに呼び出しが来るようにしてやろうかと脅してくれました。
ははは、乾いた笑いしかでない。
晴嗣の姉が公方様の御正室、義理の兄です。
この界隈は世間が狭すぎるぞ。
調査を早々に諦め、囮役に徹することにした。
「隣の男もいい男ね」
「あのたくましい腕に抱かれたいわ」
「お声を掛けたい」
「 晴嗣様とお二人で歩かれると、京中に花が咲いたみたい」
「慶次様」
慶次は手を振らない。
だが、その冷たさもいいそうだ?
こうして並ぶと慶次にも花がある。
特に 晴嗣が見立てた派手な着流しを着ているので、男前度が上がっていた。
目鼻がすっと通っており、顔もそこそこに整っている。
背丈は同じくらいだ。
だが、首元から胸、腕に掛けて盛り上がった筋肉の塊が体を一回り大きく見せている。
見た目通り、頼りがいがある。
慶次と 晴嗣、この二人は気が合った。
久我邸で刀の稽古に乱入した 晴嗣は慶次と刀を交わした。
中々の腕前に慶次が喜び、 晴嗣も慶次を認めた。
幼い頃から公方様(後の剣豪将軍)の練習に付き合わされ、かなりの腕前だ。
塚原-卜伝に師事したこともあると言う。
もちろん、免許皆伝の『一之太刀』は伝授されていない。
しかしだ。
教養人として超一流、それに刀と弓も一流とまったく欠ける所がない。
これが本物のエリートという奴か。
その華麗な貴公子に負けずに、その男前が肩を切って二人揃って歩くのだ。
一面に花畑が広がった。
行き交う女達を振り向かせ、黄色い悲鳴を響かせて歩いてゆく。
「若様、まるで自分が関係ないようなおっしゃりようでございますね」
「俺は単なる添え物さ」
「なるほど、そうでございましたか」
「千代に判って貰えて嬉しいよ」
「はい、よく判りました。差し詰め私は大根で、彦右衛門(滝川-一益)は里芋といったところでしょうか?」
「そんなことはない。千代は十分に綺麗だ。俺にとって蓮の花のようなものさ」
蓮の花とは、お釈迦様が乗る極楽浄土のシンボルだ。
泥より出でて泥に染まらず、千代女にぴったりの言葉だと思わないか。
「おいおい、後ろでいちゃつくのは止めてくれ。聞いていて恥ずかしくなるぞ」
「俺はいちゃついていないぞ」
「自覚がないのが最悪だな」
「ほほほ、魯坊丸は商家や公家邸で生娘の心を鷲掴みにしております」
「俺はそんなつもりはない」
「綺麗な金細工の髪飾りや椿の花を添えるなど、織田の若様は京の女子を何人妾にして連れ帰るつもりだと噂されていますよ」
「嘘だろ?」
「嘘かどうか知りませんが、親御共々、浮かれています」
「千代、贈り物は止めた方がいいのか?」
「今、止めますと先に貰った方が本命と、さらにのぼせ上がると思われます」
「判った。とりあえず、続けることにしよう」
「ははは、もてる男は辛いね」
「慶次の方があちらこちらで口説いているだろう」
「俺は愛嬌さ。向こうも判っている」
慶次は必ず、茶店や宿屋の茶女を口説いていた。
こちらが終わった後に遊楽に行き、仕事のついでに遊んでいることも承知している。
遊楽では慶次を慕う女が10人を越えている。
「ほほほ、二人は面白いな。見ていて飽きない」
「別に面白いことはないでしょう」
「そうだよ。 晴嗣様なんて、道を歩くだけで何人の女性を落としている?」
「麿のことはどうでもよいでないか。そもそも、そのキッカケを作ったのは、魯坊丸、そなたであろう」
「何の話ですか?」
「囲碁の話だ」
「囲碁は割と好きですね」
「好きとか言う程度ではないぞ。お主が倒したのは阿弥衆の中で碁聖仙也殿、名人と知られる日蓮宗僧侶の日海殿だ」
棋聖と名人、凄そうな名前が出てきた。
うん、気にしたら負けだ。
俺は囲碁が好きで定石は一通り、本因坊の棋譜ならすべて覚えている。
二人とも上級者用の嵌め手に引っ掛かってペースを乱しただけで、あと2、3局も打てば、勝てなくなるさ。
「織田の麒麟児などと煽てられても、皆は本物と思っていなかった。お灸を据えるつもりが立て続けにその二人を倒したのだ。本物の麒麟児を見たいと思うのは仕方ないであろう」
「俺は囲碁好きのおっさんらと 晴嗣様に頼まれて打っただけですよ」
囲碁は好きだが忙しいときに打つものじゃない。
もう一局とか言い出さないように、嵌め手を使って大差で勝ってやった。
偉人が残してくれた財産は偉大だね。
見事に嵌まってくれましたよ。
「魯坊丸が強いのは知っていたが、あの二人はそんなに強かったのか?」
「向かう所、敵なしだった二人です」
「その魯坊丸を見たいと、それで毎日のように歌会やお茶会が続いていたのか?」
「その偉大な歌人や茶人に弟子にならないかと誘われているのが慶次ですよ。俺じゃないぞ」
意外なことに慶次は歌詠みやお茶を嗜んでいた。
しかも一度教示を受けただけで完璧にこなす。
誰もが我が門下に入らないかと慶次を誘うくらいだった。
これがまた噂になっている。
こっち方面は俺の領分ではない。
赤点にならない程度さ。
色々と駄目な所を指摘されている。
しかし、慶次の教養人ぶりは意外だった。
「その意外というのは何だ?」
「意外でしょう。慶次は酒と刀しか興味がないと思っていました」
「俺も荒子城を継ぐかもしれないから、それなりの教えを受けているさ」
「まぁ、考えてみれば、そうですね」
「ほほほ、ほんに見ていて飽きない」
ともかく、まがいなき宮のプリンス、派手さも凛々しい伊達男、玉の輿間違いなしの玉の男、京の噂を独占している三人がうろつけば、目立たない訳もない。
晴嗣に何かあっては大事と、三好も警戒を厳にする。
春の風が南西から北東へ駆け抜けた。
今日も疲れた。
蹴鞠って、意外と筋力がいる競技だった。
疲れた体を風呂(蒸し風呂)に入った後に千代女の按摩(マッサージ)でほぐして貰う。
「じゃぁ、行ってくるわ」
「いってらっしゃい」
「行って参ります」
「お勤めご苦労さま。彦右衛門、無理はするなよ」
「これくらいは大丈夫です」
一度帰宅し、食事の後に仮眠をすると、慶次と彦右衛門が紫の頭巾を被って出ていった。
背丈の似た俺と千代女の身代わりも同行する。
派手な紫頭巾を被った集団がウロウロすれば、目立って仕方ない。
辺りも暗い。
顔を隠しているのでバレることもないだろう。
そして、一度別れた 晴嗣と合流して上右京を巡回する。
今日訪ねた仁和寺の村や商家を重点的に回る予定だ。
俺らが巡回をはじめて、ゴロツキや野盗の被害がかなり小さくなっている。
結果として、晴元が用意した盗賊団の動きも制限された。
と、俺がそう考えていると思っているハズだ。




