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【書籍化】魯鈍の人(ロドンノヒト) ~信長の弟、信秀の十男と言われて~  作者: 牛一(ドン)
第一章『引き籠りニート希望の戦国武将、参上!?』
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閑話.千種街道と六角義賢。

那古野から京に向かうルートは数多ある。

ほとんどが道と呼べない獣道だ。

大量に物資を運ぶなら熱田湊から大湊を経由して堺湊、そこから淀川を遡って京に至る。

大湊で旅の安全を祈願して伊勢参りをしてもよい。

何と言っても織田で造られた酒は大湊から全国に運ばれている。

伊勢神宮と織田家に関係は良好だ。

ほとんど歩かないで済む日程が素晴らしい。


あるいは、那古野から津島、牛屋(大垣)と(新)美濃路を通って関ヶ原を抜け、近淡海(ちかつあふみ)を舟で渡って大津に至る。

大津から京まで目と鼻の先だ。

こちらは日程が短い上に行程の半分で舟を使える。

荷物だけ先に送って身軽に京に上洛するならこちらもありだ。

ただ、六角と浅井の関係が微妙になっているので、浅井から妙な招きが入るのが必定だった。

ところが美濃路を使わず、急ぎの旅になった。

鈴鹿(鈴鹿山脈)越えだ。

どうしてこうなってしまうのか?


鈴鹿(鈴鹿山脈)越えの主な街道は3つあった。

八風街道(はっぷうかいどう)千種街道(ちくさかいどう)鎌倉街道(かまくらかいどう)である。

念の為に言うが道は無数にあり、峠も鞍掛峠・治田峠・石榑峠・八風峠・根ノ平峠・安楽峠・鈴鹿峠と8つあった。

急ぎの旅なので街道が整備されていることを条件にすると3つに絞られる。


八風街道(はっぷうかいどう)は桑名と観音寺城(かんのんじじょう)を結ぶ。

田光から上がって永源寺に抜ける。

難所の『八風峠』を越えなければならない。

ただし、近江の保内商人が独占しており、通行許可証が必要になる。

お得意様なので入手は簡単だが、商人らに俺の動きがバレるので却下だった。


鎌倉街道(かまくらかいどう)は峠の中で一番低い鈴鹿峠(すずかとうげ)を越える。

大海人皇子(のち天武天皇)も通った道だ。

四日市から草津へ抜けるメインストリート(主街道)だ。

当然、接触する人通りも多く、急げば、当然ながら目立つことになる。

尾張から来たことをバラすようなものだ。


他には津湊から伊賀街道を通って大和(奈良)路に抜けることもできる。

少し似ているが、大湊から伊勢街道を通って大和(奈良)路に抜ける道もある。

こちらは明日香、三輪山、興福寺などを回ってから京に行ける。

修験者の道で人目を忍んで移動できるが、時間が掛かるので却下だ。


つまり、桑名から観音寺城(かんのんじじょう)を結ぶ、もう1つの街道である千種街道(ちくさかいどう)しかなかった。

こちらは千種から上がって甲津畑(永源寺の南側)に抜ける。

難所は『根の平峠』と『杉峠』を越えなければならない。

街道というより山道です。


道なき道を進むと、また一村。

そんな言葉が湧いてくるほど狭い道を進んでゆく。

案内の看板もなく、下手な者が通れば遭難しそうだ。

ただ、警護と道案内は甲賀滝川家にお願いしているので心配ない。

鈴鹿を越えると甲賀領に入る。

この山奥を治めているのが甲賀滝川家であった。

地元なので安心だ。

次々と変わる道案内。

彦右衛門(滝川-一益(たきがわ-かずます))と慶次(前田-利益(まえだ-とします))の一族がゾロゾロと出て来てやり難そうだった。

彦右衛門は昔の悪名をバラされ、慶次は物珍しそうに眺められる。


「慶次、今日は随分と大人しいな」

「ふん、俺をからかっていられるのは今の内だからな」

「どういう意味だ?」

「山を抜けたら判るさ」


慶次が意味深なことを言っていた。

深い山を抜けると、隠れ里のような村が見てきた。

甲津畑に入ったようだ。

むむむ、どうも視線を感じる。

村人では…………ない。

周りを観察する。

岩場に得体のしれない黒い物を見つけた。

子供だ。


「しぇめしゃまきた」

「おにしめ、かえってきた」

「しめさまだ」


つくしんぼ(土筆:ツクシ)のような黒い頭がにょきにょきと生えて動き出した。

千代女が馬の手綱を持ちながら顔を背けて頬を赤くする。

慶次がにやにやと笑っている。


「その、なんとも申しますか、非常に申し上げにくいのですが…………」


『あんたが望月の姫様の旦那さんかい』


千代女が慌てた。

望月家はここから南の8里(31km)ほど行った甲賀の南、鎌倉街道に近い所に所領を持っている。

但し、この辺りも千代女の遊び場だった訳だ。

狭い村だ。

皆、知り合いのようなものだった。


「あの千代がしおらしく(いじらしく)なったものだね」

「オバサン、許して下さい」

「あんたが熱田明神様(あつたみょうじんさま)かい」

「さぁ、どうでしょう。そんな人がいるとは聞いたこともありません」

「そうかい、それならそれでいいのさ」


あぁ、今度は俺が見世物か。

遠慮していた村人が堂々と俺を眺めてくるようになった。

千代女が「申し訳ございません。申し訳ございません」と何度も謝っている。

それだけ慕われていたということだ。


何でも千代女は尾張の小さな城の息子に見初められて出ていったらしい。

それならば、婿殿を連れて里帰りと思われても仕方ない。

甲賀では望月家のご息女様だ。


2日目は甲津畑で宿を取った。

俺はずっと馬に乗ったままだったが、それでもかなり疲れていた。

人に当てられて疲れたような気もする。

今夜はゆっくりしようと思っていたが、突然のお客様がやってきた。


「お初にお目に掛かります。娘がお世話になっております」

「貸して頂いたこと。感謝の念に堪えません」

「父上、若様はお疲れです。あいさつは簡単にお願い致します」

「あのお転婆が言うようになったな!」

「父上、昔話をする為に来られたのですか?」<怒>


今日の千代女は動揺してばかりだ。

甲賀に居た頃の千代女の話も聞いてみたいが、聞こうとすると殺気に襲われる。

千代女は本気だ。

このあとの按摩(あんま)(マッサージ)と称した虐待で殺されるに違いない。

うん、言葉を選ぼう。


千代女の父、望月(もちづき)-出雲守(いずものかみ)は望月家の頭領だ。

甲賀では筆頭格に当たる。

その出雲守を顎で使っているのが、六角-義賢(ろっかく-よしかた)の家老の一人、三雲-定持(みくも-さだもち)であった。


「対馬守(三雲-定持(みくも-さだもち))様、取り乱し申し訳ございませんでした」

「構わん。娘との久しぶりの再会だ。儂は気にしておらん。こちらも愚息が世話になっておるからな」


こちらは直臣ではないが加藤家に召し抱えられ、加藤の名を賜ったのは三雲-定持(みくも-さだもち)の御子息、三雲(みくも)-三郎左衛門(さぶろうさえもん)だ。

加藤と名を改めたので、自称『飛ノ加藤』を名乗っている。

俺の愚連隊(ぐれんたい)の忍者衆100人の頭をやって貰っている。


その父親がラスボスだ。

忍びの頂点の一角、異名『猿飛佐助』を持つ三雲-定持(みくも-さだもち)だよ。

生きた心地がしない。

もっとも『猿飛佐助』の名は息子の三雲-賢持(みくも-かたもち)に譲ったそうだ。

怖い一族であることは間違いない。


「息子殿と月見酒に来られた訳ではないのでしょうね?」

「ははは、急ぎでなければ、そうしたい所です。愚息は喜ばないでしょうが」

「申し訳ございません。こちらも急いでおりますので」

「承知している。だが、これも仕事だ。主からの手紙でございます」


そう言って、義賢(よしかた)の書状を取り出した。

当然のような観音寺城(かんのんじじょう)へのご招待状であった。


「申し出はありがたいのですが、俺は旗屋-金田(はたや-きんた)と申します。お人違いと義賢(よしかた)様にそう申し上げて下さい。此度は先を急ぎますゆえに、平にご容赦を!」


観音寺城(かんのんじじょう)に寄れば、お忍びにならない上に1日のロスを生じる。

とても合意できない。

賢持(かたもち)も承知していたのか、その提案は下げてくれた。

代わりに、八日市の赤神山成願寺にお参りして欲しいとお願いされた。

赤神山は観音寺城(かんのんじじょう)の裏手になる。

承知することにした。

断るとロクなことにならない。


 ◇◇◇


甲津畑を日が昇る前に出れば、朝方の内に八日市に入ることができる。

お茶屋で軽く食事を取ると、赤神山の成願寺を参拝する。

到着すると住職が待ち受けていた。


「お待ちしておりました。どうぞ御本尊を拝見ください」


案内されて本堂に上がると他の客が拝んでいた。

その後ろに望月出雲守と三雲定持がいれば、余程、勘の悪い者でなければ気づくだろう。

俺は拝み終えると向きを変えて頭を下げた。


「熱田商人、旗屋-金蔵(はたや-きんぞう)の子、旗屋-金田(はたや-きんた)でございます」

「熱田の商人のご子息か。儂はただの四朗だ」

「ただの四朗様でございますか、お初に御目通り叶って光栄に存じます」

「あいさつは抜きでよい。そなたらの目的を聞きたい」


義賢(よしかた)は弓が達者だと報告に書いてあった。

体付きは平均より上で兄上(信長)と比べると筋肉質と思える。

年は32歳。

油が乗った頃合いであるが、先代が偉大過ぎた。

その為か、威厳が足りないと言われている。

俺はそんな気はしなかったが、どう思うかは本人次第だ。


さて、織田の本心を隠す必要もない。

俄かに京が騒がしくなったので様子を窺いに行くだけだ。

こちらから手を出すつもりはない。

できれば、関わりたくない。


「なるほど、織田は傍観を決めるか?」

「三好様と争ってもなんの益もございません。都が荒れるだけで京の方たちも困るでしょう。織田家は公方様に忠誠を誓っておりますが、天下が乱れることを望んでおりません」

「なるほど、承知した」

「ただの四朗様におかれましては、六角様がどのようにお考えかをご存知でしょうか?」

「亡き大殿は公方様の烏帽子親を務め管領代となられた。左京大夫もそれに倣う」

「ならば、都の治安を脅かす者が敵と思って相違ございませんか?」

「相違ない」


俺は肩の力を落としてにっこりと笑った。

京で暴れている前管領細川-晴元(ほそかわ-はるもと)は、先代(六角-定頼(ろっかく-さだより))の養女を貰い受け、義兄弟になっていた。

晴元(はるもと)の支援者の中に六角が入っていたら大変なことになる。

(裏で繋がっていないとは言えないけど)


表だって支援をしないと言質が取れたのは吉兆(きっちょう)(めでたい)だった。

見届け人に千代女の父上がいる。

後で言ってなかったとか言わせない。


石寺楽市を見てみたい気持ちを押さえた。

会見が終わると馬を飛ばした。

景色は最高だ。

右手に近淡海(ちかつあふみ)(琵琶湖)を見ながら疾走する。

武蔵(たけぞう)は荷物を背負いつつ頑張って走りながら付いてくる。

俺には絶対無理だ。

日が暮れる頃に瀬田の長橋が見えてきた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 六角は先代が偉大すぎた。 信長の政策の先鞭つけていたり、天文法華の乱で宗教戦争やったり、それでいて足利将軍の後見人でありながら終生仲違いしてない政治お化けだったりする。 後孫が馬鹿すぎた。…
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