7.もう一年が経ったのか。
(弘治元年12月15日(1555年1月17日))
冬場に時化るのはよくある事だ。
天候が回復しないので足止めされた。
慶次は遊郭に通って情報収集だ。
堺衆との会合で第3回の武闘大会が決定した。
堺衆はこれを恒例にしたいらしい。
第2回の傭兵もほとんどが仕官できた。
仕官の登竜門とか言われている。
まぁ、この第3回は間違いなく仕官できる。
しかも公家様の直臣だ。
織田家の魯坊丸ではなく、公家の魯坊丸として召し抱える。
この方が色々と都合が良いという事になった。
つまり、帝の銀山にして、どの勢力にも手出しできないようにすると言い出したのだ。
「帝への献上品となれば、税を掛ける事もできませんからな」
「魚屋は相変わらず、腹黒い事を考える」
「反対ですか?」
「賛成します」
「魯坊丸様、お名前をお使いしたいのですがよろしいですか?」
「来年は『改暦の儀』の勅命が下る。全国に協力を求めねばならない。何かと物入りになるので帝もお喜びになると思う」
「では、そのように進めさせて頂きます」
堺衆の代表は俺が指定して天王寺屋に決まった。
あと、大和と京からも代表が同行する。
朝廷の代理は山科-言継様にお願いする事になった。
巧くすれば、関税の免除は大きい。
採掘した全ての銀に関税を掛けられると馬鹿にならない額になる。
小寺家を襲って、我が物にしようと考える馬鹿も山程出てくるだろう。
これは小寺家を守る策でもある。
他にも有象無象の関所対策だ。
関所は国で1つ。
幕府はそう命じたが、現実はそう簡単なものではない。
美濃の国も関所は2つある。
播磨はまだ完全に従っていないので関所があちらこちらにある。
全てに通行税などを払っていられない。
そういった調整を小寺家に押し付けて、逆らうならば朝敵として幕府に討伐軍を派遣してもらう。
そう言って脅せば良いと魚屋が言ったのだ。
「朝廷から感謝状の一枚で済むのです。安いモノでしょう」
魚屋の言う通りだ。
公家を使って通行税を免除させる。
よくある密輸だ。
帝への献上品に税を取る事はできない。
代わりに公家と仲良くなるか、帝に申し上げて感謝状を貰う。
朝廷への貢献が高くなれば官位なども貰える。
見事な『飴と鞭』だ。
織田家の後ろ盾だけでは少し弱かったが、朝廷を巻き込み、幕府から借りた一万貫文の金利を払う為の策である事を幕府にも申し出ておく。
これで生野銀山の銀を狙う者は朝敵であり、賊軍であり、織田家を敵にする。
あとは天王寺屋の腕の見せ所だ。
どれだけの利益を稼ぎ出せるかだ。
俺も金山とか、銀山も持った事がないのでどれだけの利益を生み出すのか知らない。
楽しみな事だ。
さて、慶次の方も目途が立ったらしい。
博多、坊津、平戸、下田、浦戸、下関、室津、鞆の浦、柳井、境湊、温泉津、須佐の計12か所に遊郭を作って情報収集を始める。
「急に増やせるのか?」
「増やせる」
慶次が断言する。
と言っても、織田の忍びの拠点としての遊郭ではない。
「女将の知り合いで信用のできる者に堺の支店を作らせて現地の女を雇う」
「あまり期待できんな」
「そこで堺と京の女を3人程派遣する。京・畿内の女というだけで人気になるのは間違いない。その女らに情報収集をさせて、既に派遣している行商人と歩き巫女を組ませれば、一先ずは情報網が作れる」
「巧くいくのか?」
「間違いない。九州や四国からわざわざ女を抱きに来る馬鹿がいるくらいだ。こちらから行けば、喜んで食いついてくる」
「よく思い付いたな」
「女達が考えてくれた」
あはぁ、俺は乾いた笑いを吐いた。
どこで相談していたのかは聞かないでおこう。
そんな風に暗躍をしていると迎えの帆船が到着した。
「魯坊丸様、お迎えに上がりました」
加藤-延隆が自ら乗り込んできた。
船団を組んだのは300石船の『堺い』号という。
いろはにほへとの『い』であり、堺一番艦という意味だ。
建設中だった造船所を堺の商人に売り、そこで完成した最初の船だ。
佐治衆にしては気前が良いって?
違うぞ。
千石船の目途が立ち、300石船用の造船所を取り壊して千石船用に改築しようかという話になっていたところに、堺衆が造船所に融資してくれた。
佐治衆は取り潰す予定だった造船所をそのまま使い続け、新築中の造船所を堺衆に売った。
その銭で千石船用の新しい造船所を建設している。
加えて言うと、堺の商人らが多くの船職人を斡旋してくれたお陰で、稼働率が5割だった造船所がフル稼働まで盛り返せた。
職人が育つのを待っていた佐治衆にとって、此程ありがたい事はない。
問題が一気に解決した。
ホント、堺の商人の人脈は馬鹿にできない。
佐治氏の大野城の周辺で沢山の造船所が乱立している。
300石船の造船所3つが稼働し、千石船の造船所1つが稼働し、建設中は1つ、300石帆船用の造船所1つが稼働している。
その他に極秘裏に千石級の帆船も建造中だ。
もう、織田国営の『佐治船会社』と言っていい。
今年、進水した300石船は5隻だ。
合計8隻になったので、その内の3隻を尾張と相模の定期便にした。
残る5隻と千石船1隻が熱田と堺と土佐の下田を結んでいる。
新たに進水した『堺い』号は堺と博多を結ぶ交易船になる予定だ。
来年は周辺の水軍にも船を貸し出し、再来年には売り出しもできるのではないか?
金の卵だ。
また、帆船の2番艦から前後に大砲を増設し、左右合わせて6門装備する。
積載量が落ちるだけだよ。
俺は反対したが、聞いて貰えなかった。
兄上(信長)が軍事目的として使用するらしい。
飛距離が短く、命中率も悪いので威嚇にしか使えない。
数を増やしても意味が無いと思う。
2番艦の完成と同時に、1番艦も6門に改造する。
大砲小屋が片側に三ツも出来る。
当然、大砲の場所だけ角張っているのも不格好だ。
天井を揃えて甲板を高くする。
すると、あのスマートで美しいフォルム(形状)が分厚い唇のようになる。
俺としては不本意だ。
延隆も反対したが、甲板の下に大砲を入れる選択は無い。
無いのだ。
海面に近過ぎて、場合によって旋回の時に砲弾口から水が流入する危険が出てくる。
(荷をぎりぎりまで積んだ場合だがな)
大砲台を帆船の柱と一対にする事で綺麗に纏めて誤魔化していた。
もうできない。
不本意だが仕方ない。
完成した想像絵を見て、兄上(信長)は大砲と大砲の間に鉄砲の発射口ができる事を喜んでいたらしい。
頭の中が軍事仕様だ。
延隆の帆船には主な航路はない。
この前は大島から八丈島に赴いて貰い、サトウキビの栽培をしないかと誘って貰った。
勿論、北条家の許可は貰った。
北条家も大喜びだ。
今回は更に夢が広がり、バナナやパイナップルやマンゴー等の南国のフルーツも植林して増やしたいと考えている。
手に入るかは判りませんがコスメさんに注文しました。
持って来て欲しい。
船は接岸したが、すぐに出港にはならない。
熱田で積んできた荷を降ろすからだ。
降ろした酒や醤油等が飛ぶように売られてゆく。
それが終わると鉄鉱石や銅鉱石等の積み込みが始まる。
全てが終わったのは14日だった。
翌朝、堺の商人らに見送られて出港した。
◇◇◇
(弘治2年1月1日(1555年2月2日))
一年で一番忙しいのが元日だ。
京に居ると宮中の参賀に呼ばれ、尾張に居ると熱田神社で式典に参加せねばならない。
巫女見習いのお市は、里と栄を巻き込んで大晦日からいそいそと出掛けていった。
本来なら俺も忙しいハズだった。
だが、何と俺は蟄居中だ。
俺も忘れていたが蟄居中だった。
去年と同様に清洲の元日の挨拶も免除される。
まぁ、一度も行った事がないけどね。
毎年、熱田神社で忙しいのでお断りしている。
俺が清州や末森に挨拶に行くのは7日を過ぎてからだ。
正月元日に評定は無い。
来訪者が多いのでそれどころではないのだ。
予定もころころと変わる。
清洲は来訪者と宴で大忙しだ。
それが元日に始まって10日頃まで続く。清洲の仕事始めは10日となっている。
去年の俺は11日に清洲に行って裏方の手伝いを行った。
13日は一門衆のみで集まった。
去年は説明に時間が掛かったが、今年はそんな事もないだろう。
煩かった信勝兄ぃは三河の安祥城に移ったので参加しない。
やっと正式に三河守護代を賜って末森から出ていった。
安祥城は新しい城が出来るまでの仮の居城だ。
そして、末森城主は三河取りで活躍した三十郎兄ぃが賜った。
少し早いが11歳で元服をして織田-信包を名乗る。
烏帽子親は斯波-統雅様だ。
信勝兄ぃが居なくなった事で東尾張の全ての城が清洲の管轄に入った。
兄上(信長)の尾張統一はほぼ完成した。
さて、大変なのは三河の方だ。
だが、俺は知らない。
俺の領地を除き、暫く関与しない。
東三河は三河守護又代の信光叔父上が責任を持つだろうし、西三河は相談役の正辰に任せて放置しよう。
勿論、西遠江は信広兄ぃにお任せだ。
そう言えば、石英や石灰の鉱床も見つかった。
これから街道の整備を始めよう。
なんと奥三河の設楽で金山が見つかった。
下伊那と東美濃の国境付近だ。
砂金が見つかったから必死に探したらしい。
しかし、設楽って奥三河だった。
西遠江でないのが残念だ。
仕方ない。
信光叔父上に頼んで俺の領地にして貰っておこう。
西で銀山、東で金山。
巧くすれば、暫く銭で困る事がない。
そんな事を考えながら、養父の忠良と母上、嫁候補の三人、中根家の弟らと正月の雑煮を食べた。
こうして、のんびりと雑煮が食べられるのは本当に嬉しい。
織田家の兄弟・妹達は別館だ。
このまま部屋に戻って、ごろごろと蟄居を楽しもう。
そんな事を思っていると障子が開いた。
「兄上、わらわとあそんでたもれ」
お栄の下の5歳のお幸がやって来た。
何でもお市やお栄が自慢していたので俺と遊びたいらしい。
それは判った。
問題はその後ろだ。
小さい頭が見えた。
「あ・に・う・え」、「あ・に・じゃ」
3歳のお犬とお徳だ。
お犬とお徳は喋り言葉も片言だ。
母上がくすっと笑っていたので何となく察した。
俺に会いたがっているのは側室達か。
お供が手伝わないと、ここまで来れないしな。
「兄上、あそぼ」
ここは断るべきだ。
俺には、ごろごろできる貴重な時間が少ない。
心を鬼にして…………。
「兄上、あそぼ」
「あ・に・う・え」
「あ・に・じゃ」
俺の時間が…………そう思いながらも妹達の手を取った。
少し後悔。
でも、妹達の笑顔に負ける。
俺は顔を少しニヤつかせて連行されて行った。
今年もこんな感じになりそうだ。




