閑話.名刀『秀貞』と佐久間『抜作』。
今宵の月は美しい。
林 秀貞は刀を月明かりに翳して、うっすらとした笑みを零した。
この刃はその光を浴びてさらに輝きを増す。
「兄上、随分と上機嫌でございますな」
「これを見よ。見事な名刀であろう」
「然らば」
弟の林 通具が刀を受け取って見分する。
武人の家系である林家は刀にうるさい。
重さの加減、輝き、反りの具合をじっくりと見つめる。
「7分、いやぁ、8分でしょうか?」
「何を言うか、9分で名刀だ」
「名刀というには聊か、美しさに…………は?」
「もう良い。返せ」
「しばらく、名を確認せねば、おっと」
「ふん、今更気がついたか」
刀の刻印に『秀貞』と刻まれていた。
林 秀貞の為に作られた刀という意味だ。
通具はしくじったと思った。
持ち具合も良く、実践に申し分ない。
唯一、欠けているのが波紋の美しさだった。
最初に気づくべきであった。
「織田で造った刀で、鍛冶師がはじめて上出来を付けた名刀だそうだ。林家は実の剣。飾りはいらないでしょうと言って!魯坊丸様が送ってくれた一品だ」
「魯坊丸様が? 兄上はお嫌いではなかったのですか?」
「何故、そう思う」
「ですが、評定が終わってから『小僧、黙っておれ!』、『殿の御前で、何様のつもりだ』と叫んでおられるではございませんか?」
「あれはワザとだ! どうしてかよく判らんが、殿(信長)は魯坊丸様の話なら聞いてくれる。儂が言いたいことを代わりに言って貰っておる」
「そういうことでございましたか」
「兄思いのよい弟殿だ。林家を頼って下さる。上洛の準備の為に、しばらくは評定に出られないのでよろしくと言われて、刀と一緒に手紙を送って来られた」
「それがこの刀でございますか」
「その通りだ。織田で造った鉄で、織田の鍛冶師が打った刀だ」
「そう言われると、益々、美しく見えますな」
林 秀貞は上機嫌になった。
刀を取って月に掲げる。
そして、妖美に笑った。
「まだ、話せぬが、謀が進んでおる。林の力が必要になる。腕を鈍らせるなよ」
林家は稲葉氏の武門の流れを汲む家系であり、東海には一族が点在していた。
猛将で知られる家系であり、信秀も林 秀貞を『我が典韋』と、魏の曹操の忠臣の名で呼んでいた。
尾張において、林家の求心力は衰えていなかった。
◇◇◇
評定が終わると、林 秀貞から手紙が送られてきた。
今日の感想だ。
「あのおっさんも筆まめだね」
「それだけ若様を気に入られているのだと思います」
「あのおっさんのせいで評定で疎まれているからな」
「だからでしょう」
「まだ林家は使えるからな! 騙しているようで悪いから、口先の世辞みたいなものだ」
いずれは必要なくなるが、しばらくは敵中に突撃してくれる武将が必要だ。
やってくれる武将の一族は重宝するさ。
その手紙の次に評定の報告書を千代女が渡してくれた。
俺はその場にうな垂れた。
「どういうことか説明できるか?」
「佐久間様が開発区に視察に行かれ、急げば、今年の田植えに間に合うと思われたようです」
「阿呆か!」
家老の佐久間 信盛は兄上(信長)を擁護する家の1つだ。
兄上(信長)の為に骨身を惜しまずがんばってくれる。
しかし、どこかチグハグだ。
「信長様の事業に成果がでれば、荒地に大金を投じる意味も理解され易くなります。家老や城主には無駄な開発に力を注ぐより、武具や馬を揃える方に銭を使うべきだと言う意見が根強くあります。その声を押さえる為に成果は欲しいと存じ上げます」
「それが阿呆だと言うのだ。もし、梅雨で大雨が降って河川が氾濫したら、すべてが流される。河川の工事を止めてやることではない。それどころか、そこで失敗したら、再開も簡単でなくなる。先が見えていない」
「まったく、そうだと存じ上げます。差し戻しますか?」
「それは拙い」
評定で決まったことを俺が独断で止めると軽んじたことになる。
兄上(信長)の面子も丸潰しだ。
冬には麦くらいを植えてもよかったが、今年は稲を植えるつもりじゃなかった。
来年、正条植えの水田を採用して収穫量の多さで驚かすつもりだった。
ホント、参った。
巧くいっている所まで触るのは止めてくれ。
「千代、熱田台地の両岸水路の担当の中小姓は権三郎と武蔵だったな」
「はい、その通りです」
「では、権三郎の東水路は完全に停止、土岐川(庄内川)の河川工事に回させる。逆に西側水路は梅雨までに完成させろ。手抜き工事も許さん。人手は荒川城沖を埋めている笠寺衆を回して貰おう」
「判りました。しかし、それで河川工事は間に合うのでしょうか?」
「間に合わん。だから手順を変える。先に石とコンクリートで護岸壁を作り、梅雨に間に合わせ、偽装の盛土と竹林は完成してからとする」
「間者にバレますね」
「背に腹はかえられん」
あぁ~~~~、関係者に手紙を書いて協力をお願いしないと、笠寺衆には水田のメリットを説いて、水路が完成すると来年から収穫量が上がると唆すか。
「千代、関係者は何人ほどになるか?」
「少なくとも20人はいるかと」
「とにかく、手紙を書く、説得して納得して貰らわねばならん。使いにやる者にも説明を怠るな」
「承知しました」
「余計な仕事だが、忙しくなるぞ」
「お任せ下さい」
俺も千代女も右筆にも迷惑だ。
兄上(信長)を思うのはいいが、佐久間 信盛は抜け過ぎた。
雨が降ったときはどうするつもりだ?
あそこは完全に沼地化するぞ。
絶対に排水を考えていない。
どうして、アイツは俺に余計な仕事を増やすのだ。
あいつの渾名は半助じゃなく、『抜作』だ。




