74.信勝、魯坊丸の策謀を蹴る?(魯坊丸の策謀じゃありません)
(天文22年 (1553年)11月30日)
その日は非常に寒い日であった。
末森城の庭の池の水も凍り付き、火桶から離れたくない者が続出する。
そんな朝にも日々の稽古を忘れる事なく、城の主は刀を振った。
吐く息が白い。
一心不乱に振る姿を飯炊きの女達などがうっとりして眺める。
体中から湯気が上がり、それが終わると井戸に行って体を拭く。
信勝はその日も同じように日課を熟した。
「殿、少しお疲れの様子が窺えます」
「だが、休む訳にも行くまい」
「こう言ってはなんですが、明日は三河からは誰も来ません」
「そうか。そうであったか」
三河からの陳情はしばらく棚上げと聞かされた。
西遠江、三河では大動員が掛けられたのでそれ所ではない。
信光や家老らが居なくなって楽ができるかと言えば、全く逆であった。
不慣れな次期当主らが手際も悪く悪戦苦闘を広げていた。
当然、信勝への負担も大きくなる。
寝る時間が削られているのが顔に出ているようだ。
「皆が不安に思います」
「だが、休んでいる暇は無い」
「せめて、化粧でお隠し下さい」
「わかった。そうしよう」
信勝は決して無能な当主ではない。
勤勉で皆の意見を聞く、決して悪くない資質を持っている。
ただ、年功序列を重んじる武家社会に染まり、面目を最も尊いモノとし、変革と無縁の当主であった。
戦国の世でなければ、名君と謳われたかもしれない。
そして、その夜の帳に隠れて準備の書類と報告書の束に囲まれて終わるハズだった。
「信勝様、一大事でございます」
「慌てるな」
「申し訳ございません」
「で、何があった?」
「清洲より早馬でございます。斎藤-利政様、ご子息の高政様に毒殺されて敢え無い最期を遂げたとの知らせです」
信勝は書類の束を手から零して、その場に立ち上がると先の戦いで肩を並べた高政の姿を思い浮かべた。
利政のやり方に不満を持っていたが、豪胆にて直実な高政が毒殺などする訳がない。
「それは確かな事か?」
「間違いございません。信長様が確認され、直ちに弔い合戦の準備をするようにとのご命令でございます」
使者が持ってきた書状を受け取った。
斯波-統雅の印が押されているので、この命令に逆らう訳にいかない。
だが、本当に統雅様がご承知なのだろうかと信勝は思う。
信勝は首を振る。
それを考えるのは後だ。
「城に残っている者を評定の間に集めよ。帰った者はすぐに登城するように言い渡せ」
ともかく軍議である。
家老の中で残っている大物は佐久間-盛重のみであった。
当然のように帰れずに残っていた。
柴田-勝家は評定の準備では役に立たず、判らない事をあれこれと聞いて来てくる。
はっきり言って、仕事の邪魔なので家臣だけを残して自城に返されていた。
「大学允を呼べ」
信勝の部屋に盛重に加藤順盛の嫡男の順政、信光の嫡男の信成が付いて来た。
信勝の周りには近習が座っており、一番近くに津々木-蔵人が座っている。
出戻りが図々しく筆頭だ。
もちろん、信勝が蔵人を重用するには訳があった。
信長のお相手が可愛い藤八(佐脇-良之)だったように、信勝のお相手が蔵人だった。
両刀使いは信長だけではなかった。
信勝の愛人に向かって批判する者は少なかったのだ。
まぁ、蔵人の忠誠心を疑う者もいなかったのも加味されていた。
「軍議の前に聞いておきたい」
信勝が美濃に進軍する信長の案を受け入れるかを聞いた。
信長は信勝に稲葉山城と逆の方に行けと言う。
信勝としては明智城か、稲葉山城に向かいたかった。
「明智-光安殿が利政殿の六男新吾様を連れて、明智城に向かっているならば、新吾様を旗頭に挙兵するまでの時間を稼ぐのが目的と思われます」
「稲葉山城からも兵を出したと言うぞ」
「信長様は常備兵を連れて援軍に行けますが、末森は今から陣触れを出しても間に合いません」
「末森にも常駐する兵がある」
「騎馬隊150騎、末森に常駐する兵は300人のみにございます。信勝様を守るのが精一杯で援軍になりません」
「信勝様、もしよろしければ某が先行して行って参りましょうか?」
順政が名乗り出た。
信勝と違い警護の兵は数人で済む。
この常駐する兵ならばすぐにでも出陣でき、清洲の命に従って『善光寺街道』を通って多治見に行き、そこから『今渡街道』に折り返して明智に行けば良いと言う。
そして、後続として信勝が末森・那古野の兵を連れてゆく。
悪くはない。
しかし、それでは光安の手伝い戦で終わってしまう。
「信長兄上が明智に向かうのであれば、俺は稲葉山城に向かいたいものだ」
「信勝様がそうおっしゃるのですならば、某が東美濃に向かいましょう」
「大学允、行ってくれるか」
「1,000人程連れて行きます。それだけあれば、東美濃衆を集結させ、明智に向かうのに支障は無いでしょう」
佐久間-盛重と加藤-順政が信勝の名代として東美濃に向かえば、斯波-統雅の命令に逆らった事にならない。
「行ってくれるか?」
「お任せ下さい。間に合わせて見せます」
「こちらは東美濃衆をまとめ、堂々と進軍致しましょう」
「よろしく頼む」
信勝は末森・那古野の兵を連れて犬山を抜けて稲葉山城へ向かうと言う話になっていった。
高政が相手ならば申し分ない。
思う存分に戦って見せると鼻息を荒くする。
「信勝様、少しだけお時間を頂けませんか?」
「蔵人、何か?」
「ここではお話できません。中庭に出て頂けませんか」
「ここで話せぬだと」
蔵人が目を障子向こう、天井、床下に向けた。
目と耳の無い所で話したいらしい。
仕方なく、信勝はその意を受けた。
中庭の池の真ん中にある小さな小島に移動した。
「ここならば誰の耳にも入るまい」
「先日、我が家の菩提寺の住職より聞きました話でございます。高政様が信勝様と共闘したいとお考えのようです」
「詳しく話せ」
蔵人は利政がもうすぐに亡くなると言う話を聞いていた。
そして、信勝と高政が手を繋げば尾張守護代も夢でないと言う。
「信長様が留守の清洲城を奪うか、信長様を背後から襲って亡き者にすれば、必然的に尾張が手に入ります」
「蔵人、正気か?」
「三河守護代と尾張守護代では価値が違います。千載一遇の機会かと思います」
「愚か者!」
話を聞いていた盛重が雷を落とした。
蔵人の阿呆さ加減に呆れたようだ。
「下らん、下らん」
「大学允様、下らなくはございません。信勝様の一生が掛かっております」
「儂の所にも行商に来て、魯坊丸様が信勝様に刺客を放って三河を奪うとか言って帰ったわ」
「大学允、誠か!」
「信勝様、慌てなさるな。魯坊丸様がその気ならば、噂など立てずに信勝様のお命を奪っております。魯坊丸様はそれが簡単に出来ます。それは身をもってご承知のハズです」
信勝は盛重に言われて、殺されそうになった評定の日を思い出す。
末森の警護は信勝より魯坊丸の命令を聞く。
「では、その住職の話も嘘か?」
「それは判りませんが、高政殿にとって尾張が揉める事はありがたい事に間違いありません」
「高政様の罠か?」
「さぁ、どうでしょうか」
信勝は順番に他の者の意見を聞く事にした。
まずは加藤-順政だ。
「よく判りませんが、清洲の命に従っているのが良いと思いました」
「それでは詰まらないでないか」
「疑われるよりマシと思います」
順政は父親と比べると大人しい性格のようだった。
次の次期那古野城主の信成だ。
「罠だと思います。そもそも成功するハズがありません」
「信成は反対か?」
「反対ではなく、不可能だと思います」
「何故だ?」
「父がそれを許しません」
そうだ、信光がいた。
信長の背後を討って亡き者にしようと清洲を取って守護を人質にしようと、西遠江に行っている信光が許す訳がない。
信成は信長と信光を討って後に清洲を奪わないと信勝に従う者はいないと言う。
これには信勝も同意せざるを得ない。
「大学允、まだ言う事はあるか?」
「特にありませんが、誰が仕掛けたかが気になります」
「誰が? 高政様ではないのか?」
「沢山おりますぞ。まずは幕府」
「公方様が?」
「公方様は何かしか魯坊丸様を呼び出されます。余程、信頼されておるのでしょう。しかし、幕府は別です」
「幕府は別か」
「他にもございます。朝倉、六角の重臣、三好、武田、そして、今川も怪しいですな。ともかく織田家は揉めれば喜ぶ者らです」
盛重も熱田と佐久間の境界で揉めており、魯坊丸を亡き者にしようと企んだ。しかし、今は怪物に媚びを売っている。
魯坊丸を怪物と判っていない馬鹿が織田家の力を削ぐ為に色々と策謀を巡らしていると言う。
「大学允は魯坊丸を気に入ったのかと思っていたぞ」
「ご冗談を。あのような化け物と顔を合わせるのも嫌でございます。況して争うなど、絶対にしたくもございません」
「そうか、好きで付き合っているのではなかったのか」
「念の為に言っておきますと、此度の策謀は魯坊丸様御自身が起こしたのかもしれません」
「魯坊丸が?」
「美濃の不穏分子を煽り、魯坊丸様にとって不都合な者を排除する」
「魯坊丸が仕掛けたと申すのか?」
「判りません。判りませんが、新たな美濃守護代の新吾様は12歳です。傀儡に仕立てるには都合が良いかもしれません」
「大学允、それは事実か?」
「判りませんと申しております。とにかく信勝様もご用心だけはして下さい」
「わぁ…………判った」
他の者の陰謀と言われてもピンと来ない信勝であったが、魯坊丸の陰謀と聞くと何故か腑に落ちてしまう。
魯坊丸ならばあり得る。
母の土田御前を人質に取っても安心していないのか?
根が素直な蔵人を騙して俺を嵌めるつもりだったのか?
おのれ、魯坊丸め。
何故か、信勝は魯坊丸への疑心を深めた。
そして、高政も魯坊丸の策謀に乗せられたのではないかと思ってしまう。
信勝の中で魯坊丸の悪評がぐんぐんと上がってゆく。
「で、どう致しましょう」
「高政様も追い詰められていたのだな」
「弟殿に内政と外交を奪われました。焦らぬ方が不思議でしょう」
「躍らされて憐れよのぉ」
信勝は燦々と輝く星を見上げた。
戦国の世では親兄妹でも敵味方に分かれる事がある。
判り合えた友と思っていた。
「今宵は新月であったか」
「暦の上ではそうなっております」
「明日には新しい月が出る。そうなりたいものだな」
「何の事でしょうか?」
「魯坊丸の策に乗って全軍で清洲に行く」
盛重が慌てた。
信勝の気が触れたのかと疑いたくなる。
清洲に向かう選択はない。
信勝と一緒に心中するのは御免だった。
「お持ち下さい」
「安心しろ。武力で清州を奪うような馬鹿な事はせぬ」
「しかし」
「順政と大学允は命じられたように東美濃に向かえ。それならば良いであろう」
「本当に武力で奪うような事は致しませんか?」
「約束する。大学允の忠告を無にはせぬ」
信勝は目上の者を敬い、忠告を何度も判っていると答えていた。
だが、最後までその真意は話そうとしない。
話が終わると軍議の為に評定の間に移動した。
順政はこの後の軍議が終わるとすぐに出立し、盛重も城に帰ると陣触れを出した。
翌早朝、信勝は集まって来た兵と共に出陣し、末森・那古野を合わせて3,000人の兵が清洲に向かってゆく。
東美濃に向かう盛重は逆の道に兵を向けた。
そして、信勝の背中を不安そうに見送った。
なお、先発した順政の部隊は新吾と辰姫らを保護すると言う手柄を立て多治見に戻った。
また、盛重も明智に残った2,000人の兵を東美濃衆と一緒に足止めさせる働きを見せて面目を保った。
稲葉山城は風雲急を告げていた。
信勝、蔵人ほど阿呆じゃなかったみたいです。
でも、何やら思いを秘めて美濃に向かうつもりです。




