68.六道地蔵の合戦前日。
(天文22年11月21日(1554年1月4日)~11月30日(1月13日))
にんにきにきにきと元気な足取りでやってきた三蔵法師の御一行が21日に清州に入った。
兄上(信長)から斉天大聖が差し出された。
判っていたけど俺の気分は最悪だ。
しかも時間が無いので大博打だ。
「魯坊丸、久しいな」
「お久しぶりです。こうも早く再会できるとは思っておりませんでした」
「隠居の身だ。何かあれば、駆けつけるのは当然ではないか」
ありがた迷惑だよ。
建設中の新清洲城の仮御殿にご案内して宴を催す。
作戦会議と称して旅の疲れを労った。
わずか半年前は貧しい村と雑木林だった清洲城の対岸に巨大な町が造られていた。
清洲会議で造りかけを見ていた元関白近衛-稙家様はその変わり様に驚いた。
完成したのは外郭の堀くらいだけどね。
城も町も全て造りかけである。
22日は清州見学会となり、23日に出発して那古野で一泊、24日は熱田神社で海鮮料理を振る舞った。
25日にやっと沓掛に入った。
尾張を横断するだけで5日も掛ければ、和議の使者御一行の大将である細川-藤孝が苛立った。
「魯坊丸殿、何のつもりですかな」
「藤孝様は歓迎が気に入りませんでしたか?」
「一刻も早く和議を整え、公方様にご報告せねばならんのだ。何をもたもたされている」
「護衛の兵の多くは熱田の者です。一年ぶりの家族との再会くらいの時間が在っても罰は当たりません」
「何をお考えか?」
「何も考えておりません」
嘘だ。
藤孝が疑っていたが、完全な時間稼ぎだ。
まず、護衛の追加に各所に散らばっていた黒鍬衆200人を再結集した。
もう恥も外聞もない。
各所に散って指導者として活躍していたが、全ての工事や訓練を現場に押し付けて、俺が最も信頼する最強の兵に集まって貰った。
同時に那古野、三河、東遠江に動員を掛けて、総勢一万二,〇〇〇人の兵を結集させる準備をしていた。
僧兵の参加は許可したが、一向宗門徒はご遠慮して頂く。
親義元派の岡崎の竹千代君もご遠慮頂く。
逆に本多さんらも張り切っているので後衛だ。
総指揮は信勝兄ぃが自ら出ると意気込んだがご遠慮頂く。
入ってくる報告に指示を加えて送り返す。
お市の出番は熱田神社で旅の安全の舞いでお仕舞いだ。
「わらわも連れて行ってたもれ」
無理です。
お市のフォローなんて余裕が無い。
絶対に来させないように厳重に言い付けておいた。
大まかな指示を出すと信光叔父上らに先行して三河入りして貰った。
信勝兄ぃは行きたがったらしい。
「信光叔父上、俺では駄目なのですか?」
「信勝、お前には留守を任せる」
「私が兵を引き連れて行き、今川を討ち滅ぼしてくれましょう」
「これは戦ではない。和議の交渉を円滑にする駆け引きだ。矢を一本も打たずに引き返してくるのが仕事だ。お前にできるか?」
「ですから、今川など滅ぼしてしまえばいいのです」
「阿呆。和議の使者の護衛を護衛する仕事だ。お前のようにいきり立つ輩の手綱を取るのが儂の仕事だ。お前を連れて行ったら一緒に暴走する。邪魔だ」
末森を出立する前に一悶着あった。
ぶすっとした顔の信勝兄ぃは末森でお留守番だ。
三河守なのに三河に入れない。
不憫とは思うが、俺も死にたくない。
一発勝負なのだ。
信光叔父上には自制できる武将を前衛、猪武者を後衛に配して手綱を握って貰う。
藤吉郎にも10人の部下を引き連れて出陣の命が出された。
兵が少ないので伝令役だな。
藤吉郎は前田家の口添えで銭が借りられ、城家老に宮後城主の安井-重継の弟で重知を紹介して貰えた。
内政が出来る貴重な人材だ。
その家臣に重継の妻の兄弟に当たる浅野-長勝も加わり、杉原-定利が新たな主人になった藤吉郎から伝言を持って来てくれた。
まぁ、どうでもいいか。
熱田、知多、刈谷の水野らには舟で参戦して貰う。
出せる限りの舟を遠津淡海(浜名湖)に集結させる。
これが最後の切り札だ。
沓掛で再会した藤孝と少し睨み合っていると、稙家様が間に入ってくる。
「この愚か者め。従四位下蔵人頭を相手に常体(タメ口)とは分を弁えよ」
「稙家様、わたくしは公方様の名代として意見を申し上げさせて頂いております」
「阿呆。意見を言うのと敬意を払わないのは別だ。その方は礼節も弁えぬのか?」
藤孝は凄く嫌そうな顔をする。
判っているが俺が上位者と認めたくはない。
自尊心が許さないのか、苦虫を噛み潰したような顔で頭を下げた。
「魯坊丸様、どうか無礼をお許し下さい」
「以後、気を付けて頂ければ結構です」
「これより先は足止めされるのはお控え頂きたく存じ上げます」
「その予定です」
護衛に黒鍬衆200人を加えて500人に増やした。
更に丈夫な体で荷物を沢山運べそうな、穴掘り大好きスコップマンを帰蝶義姉上から貸して貰った。
構成は鍬衆とスコップマンの荷駄隊2,000人を用意した。
御一行よりかなり遅れて随行させる。
運ぶ荷物は舟で先に浜津(浜松)に運ばせた。
武田軍と睨み合っている今川の兵の為に用意した陣中見舞いの兵糧である。
念の為に言うが、かなり後方に随行させている。
筋肉を見せるポージングを生き甲斐にするような連中だ。
この寒空に裸とかないないない。
あり得ない。
変態だ。
能力に申し分ないが、褌一丁のスコップマンと一緒に歩くのは勇気がいる。
あれと同一視されると俺の心臓が保たない。
沓掛城を発つと西三河の安祥城、東三河の吉田城、西遠江の浜津(浜松)とかなり強行軍で走破した。
藤孝も文句は無いだろう。
浜津(浜松)に到着すると、まず天候を確認した。
雨が降りそうなら体調が崩れる予定なのだ。
「雨は大丈夫か?」
「おそらくは」
「そうか。ならば決行する」
「御意」
西の空に綺麗な夕焼けが広がっていた。
明日は晴れだ。
明後日は、明々後日は…………誰か諸葛-孔明を連れて来てくれ。
29日、天竜川を渡って遂に今川領に入った。
浜津(浜松)から5里 (20km)辺りの堀越で野営する。
敵の城に入るなんて願い下げだ。
堀越の後は天竜川の湿原地帯が多く、大軍を隠す場所も無い。
ここならば、太田川沿いに下って逃げる手もある。
翌30日は鎌倉街道(東海道)を東に進み、掛川城を横切って、大井川の手前の諏訪原城付近まで進める予定だったが、4里 (15km)ほど進んだ事任八幡宮の手前で急に腹痛を催して俺は倒れた。
本宮と呼ばれる所を少し通過した、逆川が大きく蛇行して外堀のようになる開けた場所に仮設の本陣が建てられた。
鍬衆が万が一に備えて持ってきた仮設の大型天幕だ。
これがあれば、寒い冬でも雨・露を凌げ、囲炉裏で練炭を焚くと温かくして寝る事ができる。
冬の行軍には必需品だ。
四セットも用意したので偉い人は温かくして寝られる。
可哀想なのは兵達だ。
寒空の下で焚火だけを頼りに一夜を過ごす事になる。
天幕に運ばれた俺は仮病がバレないように薬も飲んだ。
しばらく、高熱と嫌な汗が出て気分が悪くなる。
人体に害が無いのはさくら達で証明済み。
10倍の原液を飲んでも大丈夫だった。
その薬で口の中がいつまでも苦く、それだけで気分が悪くなる。
よく原液を飲めたな。
因みに、紅葉だけ飲んでも平気そうだった。
流石、毒耐性のある体だ。
「魯坊丸…………」
天幕に駆け込んできた藤孝が俺の名を呼ぶと、稙家様がギロリと睨んだ。
「…………様、明日にでも出立できますか?」
「できますかとは何だ」
「出立できますでしょうか?」
「藤孝殿、申し訳ない。立つのが精一杯でございます」
「藤孝様、やはり若様にはこの冬の行軍は堪えたようでございます」
「それでは困る…………ります。何とかして頂けませんでしょうか」
「申し訳ありません。熱も引いておりません。このまま駿河まで行軍を続けると若様のお命に関わります」
横になっている俺は顔色も悪く、汗も浮いていた。
御身を大事にと稙家様が擁護してくれる。
明日中まで熱が引かないようならば、浜津(浜松)に戻って出直すと千代女が言う。
藤孝が渋い顔をする。
おそらく、個人的には俺が死んでくれた方が嬉しいのだろうが、無理して死なれるような事があれば公方様のお怒りが目に見えている。
死ぬのは困るようだ。
その話を聞いて慌てたのが関口-親永だった。
制止を振り切って天幕に入って来た。
「お待ち下さい」
俺の予想では大井川を渡り切った辺りが一番危ないと見ている。
◇◇◇
事任八幡宮から大井川を渡った藤枝は一日の距離だ。
大井川を渡ると山本-勘助が立て籠もる相賀(旧島田市)の犬間城が見えてくる。
突然、勘助の名が飛び出して来たのにはびっくりしたが、犬間城で武田軍2,000人が立て籠もっている。
さらに大井川の少し上流には7,000人近い武田の乞食兵が控えていた?
おそらく、大井川を下って来ている。
その犬間城を今川軍一万人が取り囲んでいた。
戦もせずに睨み合いだ。
武田家と戦を回避する為に交渉中と言う建前になっている。
筋書きが読めれば、猿芝居もいい所だ。
更に増援として東から兵が移動して来ているらしい。
河東地区にはほとんど兵が残っていない。
織田家の情報網は行商人や歩き巫女が中心なので交易が止まるとぴたりと情報が途切れる。
勿論、俺には加藤-三郎左衛門らの凄腕の独立愚連隊がいるので完全に途切れる訳ではないが制約される。
しかし、それを補うように風魔達が頑張ってくれていた。
風魔は土着して情報を集めるので、手に取るように駿河と甲斐の情報が入ってくる。
甲斐の武田-晴信は諏訪に移動して上洛中だ。
諏訪からの道は、まっすぐ南下して伊那を通って遠江に入る『遠州街道』、同じく伊那から三河に入る『三州街道』、一度北上して塩尻から南下する『木曽街道(中山道)』がある。
下伊那の小笠原家とは戦中であり、『遠州街道』は通れない。
東美濃に話を付けているので、おそらく『木曽街道(中山道)』を使うつもりなのだろう。
晴信と入れ替わるように典厩(武田晴信の弟の信繁)が甲斐に残り、武田軍の指揮を取っている。
まず、甲斐の南部、駿河に接する地域を治める穴山-信友が兵3,000人を連れて勘助の援軍に向かっている。
この信友は今川-義元と縁が深く、晴信の正室である三条殿の輿入れにも大きく関与していた。
所謂、今川家と以心伝心の仲だ。
今川内の武将とも知己が深い。
武田家の先陣がこの信友だ。
そして、武田家の本隊は駿河との国境付近に富士川流域に一万人の兵が参集していた。
一方、北条-氏康は今日にでも小田原を出港している。
今回は河東地区の奪還を諦めて貰った。
これから起こる事件は今川義元と武田晴信に責任を取って貰う。
河東地区に手を出さないのは北条家も関与したなどと言わせない処置だ。
織田家も北条家も土地に固執しない。
そういう姿勢で挑む。
6月の弔い合戦まで、織田家も北条家もその姿勢を崩すつもりはない。
さて、俺が東遠江と駿河の国境近くで足を止めたので、義元も計画を変更せざるを得ない。
それも義元の想定内だろう。
今夜にも今川家の総勢と山本勘助の兵が大井川を渡るに違いない。
関口親永が何と言うか楽しみだった。
◇◇◇
千代女が浜津(浜松)に引き上げると聞くと親永が慌ててやって来た。
「おどき下さい」
「それはできません。若様の事はわたくしが一任されております」
「今川家と和議をして頂かねば困ります」
「若様のお命が第一でございます」
「ち・よ」
俺は弱々しい声で千代女を呼んだ。
そして、耳打ちする。
千代女が「承知致しました」と言って戻ってゆく。
「義元様がここまで来て頂けるならば、ここで和議を終えると言っております」
「それは助かる」
「もし来られないと言われましたならば、後続の織田の兵が掛川城を通過する許可を頂いて下さい。その兵に守らせて若様は浜津(浜松)に戻られます。御一行はそのまま駿河に向かって下さい」
「それでは和議が?」
「御一行が浜津(浜松)に戻ってきた所で若様が署名致します」
御一行は駿河と浜津(浜松)を何度か往復する事になる。
とても正月参賀の儀に間に合わないと親永が訴えるが千代女も譲ろうとしない。
無理を通したいが稙家様が俺の命が大事と譲らない。
「必ず、義元様をお連れ致します。ここを動かないで頂きたい」
「既に後続に迎えの手紙を送ってあります。明日中に返事が無ければ、明後日には全軍が渡河して若様をお迎えに来る事になります」
「そんな無茶が許されると思うのか?」
「儂が許そう」
「稙家様」
「親永様はそれを承知で若様を護衛の責任者に推薦されたのではありませんか」
ぐおっと呻くような声を小さく漏らす。
親永が公方様に俺を推薦した。
今川の兵を一蹴できるだけの武力を持っていると公方様の前で公言したのは親永自身だ。
「ご安心下さい。東遠江を占領するのはホンの僅かな間です。若様が浜津(浜松)にお帰り頂いた後にお返し致します」
「貴方は何を言っているのか、判っているのか?」
「はい。承知しております。一万二,〇〇〇人の兵で東遠江を占領するのに三日も掛かりません。城は全て跡形無く潰しておきます。その後で和議を結びたいと言えば、否と言われる方もおりません。よろしゅうございました。正月参賀の儀に間に合いそうです」
千代女が笑顔で毒を吐いた。
親永が冬の寒い中で滝のような汗を流す。
少しは想定外になったか?
しかし、猶予に二日でも長いくらいだ。
大井川を渡った藤枝に義元が来ている事は承知している。
俺がそれを知っているのも不自然だから二日とした。
これで忍んでやってくる選択が潰れただろう。
こちらだってギリギリだ。
風が吹いても、雨が降っても俺の負けだ。
無茶を承知でタイムリミットをこちらで決めさせて貰った。
半か丁か、一か八かの大勝負だ。
義元、どうする?
熱田の秘術を恐れるか?
それで感付かれて取り止めになったならば、それはそれで良しとする。
義元も少しは慌てろ。
おぉ、マジで親永が困っている。
その慌てる素振りがツボに嵌った。
くくく、俺は笑いを堪えて悶えた。
その苦しむ姿を見て皆が心配そうにする。
早く、出て行ってくれ。
ぷっ、苦しい。
魯坊丸は何を企んでいるのでしょうか?
もう判った人もいますね。
ヒントを沢山書きましたから。
でも、内緒です。




