閑話.あのお方の陰謀。
(天文22年 (1553年)10月18日)
【甲斐武田】
北信濃『川中島の戦い』の戦いを終えて、甲斐に戻って来た武田-晴信の前に、非常に不細工な顔をした隻眼の男がとある手紙を持って現れた。
えへへへ、その男が怪しいように不気味に笑う。
煌々と揺れる蝋燭の火が揺れて、その男をより一層怪しく見せていた。
手紙を読み進める程に晴信は眉間にシワを寄せていった。
読み終えると一息付いた。
そして、手紙を囲炉裏の中に放り込んだ。
別に内容を拒絶したのではない。
手紙の最後に処分するように書かれていたのだ。
「名を聞こう」
「山本-勘助と申します」
「にわかに信じ難い」
「あのお方は博打を好みません。然るにこの大博打、それだけ追い詰められております」
「儂を騙すか?」
勘助は黙ったままに微かに笑みを浮かべるだけに留めた。
入って来た時に足を痛めているのであぐらをかけないと断ったので片足をだらりと前に出したままであった。
何故、このような者を?
晴信はそう思わずにはいられない。
父の信虎を追放したその日から、常にあのお方は晴信の前を歩いていた。
晴信は真似るように軍政を整え、金山を開発し、内政にも力を入れた。
対立せぬように兵を信濃へ進めた。
晴信の前にあった大きな壁が崩れようとしていた。
「気前の良い事だ」
「いずれ奪われるならば、高値で売るのもあの方のやり方です」
「しかし、公方様の大連合に勝てると思っておられるのか?」
「どれ程大きくとも扇の要は1つでございます。また、敵も一人ではございません」
晴信は腕を組んでしばし考えた。
織田家をこの世から消したいのは山々であったが、『織田家包囲網』に参加する気にもならない。
公方様を敵に回すのは厄介であった。
「何をお悩みかは知りませんが、証拠となる書状などは必要ございません」
「それはどういう事だ?」
「あのお方は血判状に晴信様の名を書かれるなど思っておりません。返事は要りません。私を雇うか、雇わないか、そのどちらかでございます」
「雇うと言えば?」
「兵2,000人をお貸し下さい。駿河の三城を取って参りましょう。その後に5,000人以上の兵を追加して頂きたい」
「流石にそれは無理だ」
「奴隷や浮浪者、不要な村もございましょう。その者や村人達で構いません」
勘助の言う通り、北信濃へ向かう途上の村でどちらに付くか判らぬ者らがいた。
かと言って安易に処分もできない。
また、奴隷や浮浪者などを下伊那方面などから掻き集め、有象無象の者らを処分すると思えば出来なくなかった。
「戦では盾くらいにしか役に立たんぞ」
「織田の新兵器を消耗させる盾くらいにはなりましょう」
「奴らが最初に逃げる」
「背中から槍を突き付ければ、どうでしょうか?」
進むも地獄、戻るも地獄、よくもそんな辛辣な手を思い付くと晴信は思った。
不穏分子を一掃するには悪くない手である。
勝っても負けても駿河をくれると言う。
「拠点を失ってどこへ向かわれるつもりか?」
「敵の拠点を奪うつもりでございます」
「そのような事ができるのか?」
「先程も言いましたが、敵は一人ではございません。細工は流々仕上げを御覧じろ」
「信じられん」
「でしょうな。ですが、晴信様に損はございません」
「聞く限りではそうだな」
迂闊に承知できないが、魅力的な案であった。
「儂が否と申せば、どうするつもりか?」
「織田家と和議を結び、公方様を頼ってしばらくは隠遁される事になりましょう」
「駿河はどうなる」
「それを決められるのは公方様でございます。織田家に割譲されるか、そのまま留め置かれるか、あの方にも判りません。ただ、従うのみでございます」
脅迫だ。
拒絶すれば、駿河を手に入れる機会を失ってしまう。
長尾-景虎は猪武者ではなく、攻め急がない。
北信濃を手に入れるのも手間がかかる事が判った。
やはり巧妙だ。
この棚からの牡丹餅は喉から手が出るほど欲しい。
「悩む事などございません」
「悩まないでか」
「織田家と北条家が同盟を結んでおりますれば、武田家も加わればよろしい。駿河を三方から攻める算段をしているのでしょう。三城が手土産となります」
「何を言っておる?」
「借りた兵に『武田菱』の旗は使いません。兵には今川の旗を持たせ、味方の兵と偽って今川の軍を襲うと言っておきましょう」
勘助は武田の兵を今川の兵に見せて織田家を襲うつもりだ。
今川のみでは兵の数が足りないので武田から借りるのが目的と察せられた。
「晴信様は京に上洛され、後を任せた者が織田家の危機を知って駿河に雪崩れ込んだ。それで良いではありませんか?」
「何が望みだ?」
「扇の要を見事に討ち取った暁には、遠江より西は今川、駿河より東は武田と致し、北条家はお任せ致しますとの事です」
晴信も扇の要は魯坊丸と考えた。
魯坊丸がいなくなれば、織田家は分裂してその力を十分に発揮できなくなる。
魯坊丸がいなくなれば、大連合も霧消する。
付け入る隙が生まれる。
だが、都合良く魯坊丸が出て来てくれるのだろうか?
勘助は疑っていない。
「駿河を手に入れた織田家の次の狙いはどこでございますか?」
嫌な事を言う。
織田家は北条家と結び、武田家と結んでいない。
むしろ、信濃の武田家と敵対する勢力と婚姻を結ぼうとしている。
次の狙いは明らかだ。
晴信は手の平で遊ばれているのを感じながら承知する事にした。
「勘助、お主を200貫文で召し抱える」
「ありがたき幸せ。御屋形様の為に尽くさせて頂きます」
「その言葉に偽りが無い事を心から願う」
「ご心配は無用でございます」
勘助の目が蝋燭の揺れる火で怪しく光っていた。
取り敢えず、兵500人を預かった勘助は甲斐と駿河を結ぶ釜無川(富士川)の西側にある穴山氏の下山城から西に兵を進めた。
勘助は南アルプスの笊ヶ岳を超えると、大井川流域を下っていった。
そして、駿河の小長井長門守を調略し、駿河の北西の山奥になる小長井城、徳山城、更に大井川を下って行き、11月15日には東遠江の相賀(旧島田市)の犬間城を襲って陥落させた。
小長井長門守が武田家に寝返った事も今川家の家臣らに衝撃であったが、所詮は山奥の話であり、そこにいる兵の数も知れていた。
しかし、犬間城となると話が変わってくる。
犬間城は駿河と東遠江の境界に近く、二里 (8km)程の南には志太郡(藤枝)があった。
今川居館、三条氏館、花倉城、岡部氏館などがある今川家の第2の拠点と言ってよかった。
その直上に武田軍が現れたのだ。
織田家との決戦を考えていた駿河の武将らは急に浮き足だった。
犬間城に入った武田軍は2,000人であった。
しかし、その後方には小長井城があり、一月近く掛けて甲斐より5,000人以上の難民兵が送られていた。
山越えがある為か、ガキこそいないが女や若い少年も混じっていた。
身なりは酷く、鎧すら身に付けていない者も少なくない。
腐ったような槍や刃がボロボロの刀を身に着けた乞食の集団が小長井城周辺に溢れていた。
だが、城には一万人の兵が一ヶ月は食うに困らない程度の粗末な食糧があらかじめ用意されていたのだ。
誰が用意させたのかは敢えて言わない。
藤林長門守が率いる藤林伊賀衆は敢えて無視していた。
故に小長井長門守が寝返るまで、織田家の間者も気付かなかった。
14日・15日と小長井長門守の寝返りが伝わり、犬間城の陥落の報が入る。
この目紛しい展開に誰もついてゆけない。
全てが秘密裡に進み、その準備を終えようとしていた。




