61.義統の葬儀は?
(天文22年 (1553年)11月2日)
30日、藤吉郎と別れて出港したが風が酷くなったので衣浦湾に入るのを断念して、伊良湖岬の湊で一泊した。
翌日には沓掛の舟着き場に到着して沓掛城に入ると、さくら達に出迎えて貰った。
「若様、お帰りなさい」
「今度は連れて行って下さい」
「資料は揃えておきました」
「若様、どれから致しましょうか? お仕事、お食事、お風呂、それとも私た・ち!?」
ごつん、さくら達に何見姉さんの拳骨が飛んだ。
目から星が飛び出るような痛そうな奴だ。
千代女が苦笑いを零した。
「冗談ですよ」
「おふざけは禁止だ」
「とばっちりだ」
「私、何も言ってないのに」
何見姉さんが俺に謝る。
こいつらを見るとほっとするよ。
◇◇◇
俺の召喚は斯波-義統様から文が届き、今川と和議が整いそうなのに築城を始めて挑発したみたいに思われた事の弁解のようだ。
まずは兄上(信長)に手紙を送った。
明日は清州に行く。
千代女は同じ守護代になるので頭ごなしに中止しろと言えず、またこの後の対応の摺合せをしたいのではないかと言った。
果たしてそうなのだろうか?
単に呼び出すのが癖になっているのではないか?
しかし、目が覚めると状況が一変していた。
新たな報告が入ったのだ。
もちろん、昨日の内に俺を起こしてもよかったのだが、千代女は俺の睡眠を優先した。
その癖、自分は仮眠に留め、その他からも情報を集め、駿河・伊豆の調査に行っている加藤-三郎左衛門らに情報を流して、今川と武田の調査をお願いしたと言う。
千代女の方が体を壊すぞ。
さて、俺は京より急ぎ戻ってきた義統様の家臣と警護に当たっていた忍びの一人と対面した。
清洲に行ってからこちらに来たそうだ。
「そなたが見たものを詳しく聞こう」
知恩院を上洛した長尾景虎の為に明け渡し、義統様は本能寺に入っていた。
公方様が風呂自慢でもしたかったのであろう。
「食事も美味しいですからね」
「極楽・極楽」
「守り易い」
「実際は長尾殿が合戦になった知恩院を見学したいと希望したそうです」
義統様は見学と言わず、宿泊地として提供したそうだ。
公方様もその気前の良さを喜んだ。
その日も花の御所へ向かう警護は20人、側近と籠を担ぐ者を含めて8人が籠の側に付き添った。
また、万が一に備えて早朝の見回り衆が200人の兵を連れて周辺を巡回していた。
「本能寺を出発すると、後ろから一人、また一人と怪しい者が付いてくるのが見えました」
小雪が舞い散ってかなり冷え込んでいたそうだ。
その日も六条通りから室町通りに曲がって花の御所に向かっていた。
室町通りに近付いた所で急に足を速めた。
警護の者はすぐに警戒体制を取ったらしい。
「その数が20人くらいに増えたので、一人が見回り組に連絡に行きました」
周辺の警護に忍びの者が5人いた。
その一人が離れると敵の忍び10人程が攻撃を仕掛けてきた。
完全に分断工作だ。
同時に後方から付いて来た者が走り出し、「斯波義統、お命頂戴!」と叫ぶ。
警護の10人程が残って足止めをしている間に籠を急がせたが、曲がり角を曲がった所で三方から10人程ずつ怪しい者が駆けてきたそうだ。
「敵が50人だと?」
敵の忍びを入れると60人になる。
これは衝動的な襲撃ではないのは明らかだ。
残る護衛と側近の同心らは周りを固めたが、すぐに乱戦になった。
とにかく通さない。
そんな思いで壁を作り、時間を稼ごうとしたらしい。
近くに見回り組がいる。
ほとんど間を開けずに駆けつけてきた。
「籠を背負った小者の証言ですが、側近と同じ同心らしき姿をした者が後ろからふらりと現れて、籠の横に立ったと思うと、『あんたに恨みがある訳ではないんだが』と呟いて、ふらふらと乱戦の中を擦りぬけて消えていったそうです」
「それで義統様は?」
「必殺の一撃でした。心の臓にぐさり、痛みを感じる間も無かったと思われます」
「かなりの手練れですね」
「千代、誰の仕業だと思う?」
「判りません」
「主犯は判っておりませんが、実行者は坂井-大膳と荷之上城を追い出された服部-友貞の元から消えた家臣でありました」
おい、何の冗談だ。
友貞が率いる服部党は元々津島四家から抜け出した一派であり、長島の願証寺に帰依していたので手が出し難かった。
先の清洲統一戦でも津島を攻撃したので討伐対象になっていたが、長島の一向宗と対立する訳にも行かないので地道に交渉が続けられていた。
しかし、三河の一向宗が織田方に付いた事で状況が一変した。
友貞は頭を剃って『道円』と名乗り、義統様に降伏した。
城、土地の一切を失ったが、一族の命は救われた。
「道円が降伏を決めたその日の内に多くの者が城を退去したそうです」
「その中に坂井大膳らもいたのか?」
「おそらくは」
「誰が手引きしたのだ?」
荷之上城から今川派が逃げ出していたらしい。
だが、どこで匿われていた?
首謀者は誰だ?
これだけ用意周到に事が運べる者は少ない。
俺の脳裏に細川晴元がチラつく。
そんな気がする。
そして、使ったのが服部党の残党となると義元の影が見える。
証拠が無いのが証拠か。
平手-政秀を暗殺しようとした時もそうだ。
尾張統一戦でも暗躍していた。
こちらが見逃している急所を的確に狙って攻めてくる。
しかし、義統様を殺しては和平への道を閉ざす事になるぞ?
理解できない。
となると今川と織田の和平が邪魔な存在か。
「武田ですか?」
「あり得るが、危険過ぎないか。服部党との繋がりも見えん」
「いすれにしろ証拠が見つかれば、タダではすみません」
「他に手掛かりになる物はあったか」
忍びは首を横に振る。
「敵の忍びは何人かが逃走。どこの者か判りません。襲ってきた者はほとんどが見回り組に捕縛か、斬首されました」
「殺した奴は?」
「見つかっておりません」
色々と拙い。
公方様はキレているだろうし、幕府の威信にも傷が付いた。
朝廷も落ち着かないだろう。
何よりも武衛家の跡目だ。
義統様の子息である岩竜丸は13歳だ。
先日、元服して義親様を名乗られたばかりで義統様の留守を任せられていた。
兄上(信長)が烏帽子親になったので親同然であるが、義統様ほどの思慮はない。
俺は着替えて、すぐに清洲に向かった。
◇◇◇
(天文22年 (1553年)11月5日)
京から色々と情報が入ってきた。
お怒りになった公方様が見回り組の責任者である忠貞義兄上を呼び出してお叱りになった。
とばっちりだ。
叱っただけなので自重してくれたのだろう。
諸将を呼び出す大号令を控えて、それを発する管領に就任するハズだった義統様が殺されたのだ。
筆頭を奪われて恨んでいた細川-氏綱や妬んでいた畠山-高政も疑われている。
織田家を恨む三好の一派、あるいは、織田家と今川家の同盟に反対する今川武闘派と言う噂もある。
問題は誰が支援していたのかだ。
服部の離反者は一向宗でもあるので大坂御坊も疑われており、京の町はぴりぴりとした空気が漂っているらしい。
斯波・細川・畠山の三管領に戻すと言う構想も延期だ。
義統様の代わりに公方様が自ら大号令を発する事になった。
どれだけの大名が集まるのか?
新生義藤政権は最悪の船出だ。
上洛したばかりの長尾景虎らもびっくりだろう。
俺は義統様の息子に会ってびっくりだった。
「魯坊丸にはいつも迷惑を掛けてすみませんね」
「帰蝶義姉上の苦労に比べれば大した事はありません」
「武衛家の家督相続の儀式と言われてもね」
「まったくです」
まさか、葬儀を誰がするかで揉めるとは思わなかった。
義統様の死は一応隠されている。
管領に就任するハズだった者が殺されては体面が悪い。
体調を崩されて寝込んでいる事にされた。
「何故、葬儀が出来ん」
「未だ、ご病状が悪いと言う事になっております」
「こちらに遺体を戻されてから葬儀をする事になっております」
「それでは父が浮かばれん」
父の死を聞かされた義親様はすぐに兵を起こして仇討ちをすると言い出した。
どこを攻めるのだ?
さらに大葬儀を催して、自分が家督を相続した事を盛大に宣言したいらしい。
このお坊ちゃんはまだ官位も貰っていないぞ。
大急ぎで頼んでいるが、こちらにも段取りがあるのだ。
黙って座っていてくれないかな?
兄上(信長)が京を担当し、俺と帰蝶義姉上が義親様との打ち合わせを担当する事になった。
「話すら聞けないようでは何ともなりません」
「まだ、遊びたい盛りなのです」
「守護としても心構えがありません」
「傀儡として育てていたようね」
「参りました」
「来月までには公方様の前で大人しく座れるくらいにするつもりだったのですが…………」
「義統様の代わりに管領に付かせるのは無理ですよ」
帰蝶義姉上も困ったという顔をする。
迂闊な事を喋らないように躾けたらしいが足りない。
俺が人を育てるのが巧いと言われているが、やる気の無い奴にやる気を出させるような技法は持っていない。
こいつに教育は無理だ。
帰蝶義姉上も俺の知らない所で苦労していたようだ。
「来月に殿(信長)と一緒に上洛して頂き、官位を貰う予定だったのです」
「もう諦めましょう」
「守護を務めてくれないと、信勝殿と魯坊丸の守護代就任式も出来ないでしょう」
「その前に葬儀が出来ません」
大葬儀をすると意気込んでいるが肝心の本人が何も覚えようとしない。
無駄と思いつつ部屋に向かう。
「魯坊丸、大義だ」
「今日は葬儀の段取りを覚えて頂きます」
「それより、今川はいつ討つのだ」
「そのような予定はございません」
「何を言っている。今川方の残党が父を討ったならば、服部衆は全員を打ち首、そして、今川を滅ぼして父の供養にするのは当然であろう」
「戦とはそんな簡単に行えるものではないのです」
面子や体裁は教えられていたが、地理や領国の経営などは全く興味を示さない。
戦をやりたがっているが体を鍛える風でもなかった。
義統様は父が守護職から失脚する所をその目で見て来たので、傀儡にされても守護代との距離感を心得ていた。
しかし、義親様は傀儡にされている父の姿しか見ていない。
傀儡として都合の良い事しか教えられて来なかった。
たとえば、俺が全く関係のない北畠が主犯でしたと言えば、おそらく深く考えもせずに北畠を討てと命じるのだろう。
これでは京に置くことはできない。
あるいは、公方様に願い出て在京守護に仕立て上げ、美濃や北近江のように領国経営から完全に切り放してしまうかだ。
後釜の弟は何人かいる。
「兄上(信長)、ご相談がございます」
「なんだ?」
「葬儀の件ですが、弟の斯波-統雅様に取り仕切って頂く方がよろしいと思います」
「やはり、帰蝶と同じ意見か」
「まだ、義親様はお若いので、中継ぎ守護をお願いした方がよろしいと思います」
「統雅様は嫡男がおられるのに、自分が出る幕ではないと断られている」
「ですから、一度後見人にされて教育をお願いしては如何でしょうか。俺では間に合いません」
「であるか」
統雅様は自分が管領職など分不相応と思われていた。
名代とすれば、間違っても管領職を与えようなどと言わないだろう。
翌日、改めて統雅様にお願いに行った。
一先ず守護になって頂いて、義親様の教育は後々やってゆく事になった。
やっとこれで葬儀の話が進む。
こうして義統様の遺体の受け取りを段取りしていると、京の不穏な空気が駿河に伝わっていた。




