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【書籍化】魯鈍の人(ロドンノヒト) ~信長の弟、信秀の十男と言われて~  作者: 牛一(ドン)
第二章『引き籠りニート希望の戦国領主、苦闘!?』
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28.英雄、色を好む。

(天文22年(1553年)7月6日)

笹の葉さらさら軒端にゆれる…………。

7月7日と言えば、七夕(しちせき)です。

奈良時代に織女・牽牛伝説と「乞巧奠(きこうでん)」が渡来し、お盆を迎える前の(みそぎ)として、『機織津女(たなばたつめ)』の信仰が習合したのでしょう。

6日の夜に祭壇を作り、桃やナス、アワビ、金銀の針や五色の糸、琴などをお供えし、裁縫や芸事の上達を願うのです。

そして、七夕(しちせき)の夜に星を見ると、最後にすべてを川に流します。

お供え物も笹竹も川や海に流し、この世の(けがれ)を払い清めるのです。

翌日にはきれいさっぱり片付けられ、七夕(しちせき)が終わると全て綺麗に水に流すという風習があったそうです。


「帰蝶様、こちらはどこに飾りましょう」

「もう少し上の方がよろしいのでは?」

「では、(あみ)はこちら側の下でよろしいですわね」

「それでいいと思います」


飾る物にも1つ1つの意味がある。

吹き出しは織姫の織り糸、『魔除け』になる。

網は魚を捕り、『大漁』を祈願する。

紙衣(かみこ)(神衣)は、裁縫上達と、着るものに困らないように。

そろばんは『商売繁盛』。

(ふで)(すずり)は習字の上達。

瓢箪は『無病息災』

思い思いの『(がん)』を掛ける。

笹に使うのは、6月30日の穢れを落とす『大祓い』にも笹が使われているからだ。

(この時期、すくすく育つ笹の駆除の意味もあったのだろう)


帰蝶は七夕(しちせき)を皆でやろうと近くの家臣夫人やその妹、あるいは、娘などを清洲に招いた。

笹に飾りモノを付けて、ワイワイガヤガヤと遊んでいた。


さて、明日は晴れるのだろうか?


因みに、農村ではそんな遊びを行わない。

むしろ、雨が降ることを祈っている。

晴れると織姫と彦星がカササギに乗って地上に降りて再会を果たす。

カササギは幸せを運ぶ鳥と言われて吉兆の鳥と呼ばれるが、七夕の夜だけはまったく違った。

カササギが疫病という(わざわい)を持って、村を苦しめると信じられていた。

だから、短冊が雨で流されるほど降ってくれと祈った。


余り梅雨が早く上がると収穫の前に日照りが続き、稲が駄目になってしまうからだろうか?


今年に限って言えば、雨が降る度に補修の工事が中断されるので中々に厄介なことになっている。

一方、氾濫を免れた那古野などは稲がスクスクと育っており、今年は大豊作になりそうだと言っている。

被災にあった民とは天と地ほど違った。


被災にあった民には信長が炊き出しを命じ、今年の税を免除し、秋から植える麦や、来年の種籾を配布すると宣言しているので悲壮感はない。

村人総出で復興を目指していた。

帰蝶も『我が殿は優秀だ』と胸を張っている。


厄祓いと言えば、6月30日に(清洲山王宮)日吉神社に熱田の神官である魯坊丸を招いて『大祓い』が行われた。

熱田神社が怒っていたが、清洲に招くならば津島にも来て欲しいと言われ、宵の29日に熱田、夕方に津島に移って天王社、明けて30日に清洲の日吉神社で落ち着いた。

それが終わると、翌日の評定の為に清洲城に戻ってくる。

休みを奪われた上に神官としての仕事も増えて、魯坊丸がカンカンに怒っていた。

民を安心させる為には仕方ない。


「帰蝶様、この素麺がとても美味しいです」

「これも魯坊丸が送ってくれたものよ」

「尾張は魯坊丸様がいらっしゃるので幸せです」

「もう他の国に行けません」


那古野から一緒に来た家臣らの女性はそれが普通になっている。

だが、清洲周辺の夫人や娘らには驚きの毎日のようだ。

城の周りが変わっていくのも驚きだが、生活が向上するのが実感できるという。

この素麺も流通を増やす為に薄利多売で広められている。

暑いこの最中に井戸水に付けて食べる冷たい素麺が大流行していた。


「魯坊丸はもっと細くと文句を言っていました」

「魯坊丸様の向上心は素晴らしいですわ」

「幼いのに美しく可愛らしい」

「わたくし、大祓いで初めてお目に掛かりました」

「可愛らしかったです」


概ね、魯坊丸の人気が高い。

信長も尊敬されており、二人が一緒に清洲に戻る時は街道の両脇に人が溢れるほど集まっていた。

そんな可愛らしい魯坊丸も清洲の政務所では恐怖の大魔王で恐れられている。

武将は皆が一目置いており、この度の三河の始末も見事であった。

加賀で起こった30万人の一向一揆ではないが、食うに困った三河一向宗の大軍が尾張に襲ってくるのを未然に防いだ。

米を伊勢から取り寄せて送った。

伊勢商人から銭を借りて兵糧を買ったことになっているが、魯坊丸が伊勢商人を傘下に置いているのを承知している。

帰蝶は魯坊丸が伊勢商人に命じたことを知っていた。

本気になった魯坊丸は一体どれ程の財力を隠し持っているのだろうかと首を傾げた。

大変な弟御を持ってしまったと帰蝶は思ってしまう。


「帰蝶様、帰蝶様、それより信長様のお話を聞かせて下さい」


帰蝶の眉がぴくりと動く。

開けっぴろげな塙-直子(ばん-なおこ)が以前のように信長の話をせがんだ。

無邪気に笑顔を振り撒いている。

以前は凄く好感を持っていた直子であるが、今はちょっと複雑だ。


“水に流す為に呼んだ。水に流す為に呼んだ。水に流す為に呼んだ”


帰蝶は目を閉じて胸に手を当てて呪文のように心の中で呟いた。

大丈夫。

心を落ち着かせると帰蝶は先日の信長の悪戯の話を聞かせる。


「そうですわね。先程お飲みになった緑茶を覚えておりますか?」

「ええ、大変美味しかったです」

「茶色の番茶が普通でしたが、尾張では緑の葉の色をしたお茶を売り出しています」

「とても高いのよね」

「そうですね」

「信長様の話を聞かせて下さい」

「慌てないで」


直子はせっかちだ。

話の前振りもいらないらしい。


「先日、殿がお茶を披露しようと家臣を呼んだのです」

「信長様が?」

「はい、そこで出したのが緑のお茶です。高価なお茶を用意してくれたと感謝したのです」

「素晴らしいですわ」

「いいえ、殿が用意したのは銅に付着した緑青(ろくしょう)などの錆やカビを集めて解いた物です」

「ほほほ、信長様らしい悪戯ですわ」

「笑い事ではありません。家臣はすぐに吐き出したので酷い事にはなりませんでしたが、それでも3日間も体調不良でお休みしました」

「それはお気の毒なことです」

「この忙しい最中に何をやっているのと怒りました」


可哀想なことに呑み切った家臣は三日三晩うなされたらしい。

そのおどける姿を見て信長は楽しんだ。

悪戯好きの酷い殿様もあったものだ。


「もう二度としないようにキツく言っておきました」

「帰蝶様、そんなに怒らずともよろしいではありませんか。信長様は悪戯が好きなのです」

「悪戯にも程があります」


二人のやりとりを見て、手伝いをしていた中条-駒(なかじょう-こま)まで笑った。

中条は清州に移って新しく入った中小姓の一人だ。

いつも勘定方で帰蝶らの手伝いをしている。

非常に優秀な者であり、次に士分に取り立てられるのは駒しかいない。

そう言われている美男子の少年であった。

むしろ、帰蝶は信長が小姓に取り立てるのではないかと心配していた。

那古野の小姓はすべて側近に取り立て、清洲で新しい小姓を次々に取り立てていた。

皆、可愛らしい者達ばかりだ。

常備兵で志願しに来た若侍がいつの間にか小姓になっていたなど、最近では珍しくない。

駒は勘定方には絶対に必要だ。

駒を取られる訳にいかない。


「駒、疲れたでしょう。そろそろ交代しなさい」

「ありがとうございます」

「あと少し…………うぅ!?」


駒が突然に顔色を悪くし、口を押えて出て行った。

直子が目を丸くして立ち上がって追い駆けた。


「直子、どうしました?」

「帰蝶様、付いて来て下さい」

「どうしたのです」


駒が廊下の隅で食べた物を吐いていた。

帰蝶は駒に駆け寄って背中を摩った。


「どうしました。何かありましたか?」

「いいえ、何でもございません」

「何でもないという感じではありません」

「すぐに治まります」

「辛そうです」

「本当に大丈夫でございます」


何でもないという顔ではない。

直子が難しい顔をして、駒をじっと見ていた。


「失礼します」


直子はそう言うと着物の脇から手を中に放り込んで駒の胸を確かめた。


「やはり」


直子が小さく呟いた。

そして、顔を真っ赤に染めて駒を睨んだ。

何か凄く悔しそうな顔をしている。


「念の為にお聞きします」

「は、はい」

「誰の御子でございますか?」


今度は帰蝶が目を丸くする。

直子が何を言っているのか?

判るけれど判りたくない。


「誰の御子ですか?」

「申し訳ありません」

「申し訳ありませんではありません。誰の御子かと聞いております」

「直子。止めなさい」

「しかし、帰蝶様」


直子の口を押えると、警備をしていた岩井丹波守に様子を見ていた他の夫人らを部屋の中に入れるように命じた。そして、同じく警備をしていた埴原-常安(はいばら-まさなお)に駒を抱えさせて離れに移った。


「申し訳ございません。一度限りでございます。私の事を男の子(おのこ)とお思い、一度だけ部屋に招かれました」


はぁ、はっ~~~!

帰蝶が話を聞いて溜息を付いて呆れた。

清洲に移って早々、帰蝶が駒の優秀さを見つける前に信長は駒を見つけていた。

しかし、駒が女人と知ったので信長も拙いと思ったのか、それ以降は声が掛かったことはないと言う。


「本当に申し訳ございません」


帰蝶が冷静だ。

冷静になれたのは直子のお蔭だ。

直子がずっと悔しそうな顔をしていたので、帰蝶の溜飲(りゅういん)を下げてくれていた。

しかし、困った。

近々、近衛の娘が側室として輿入れする中で、身分の低い中小姓のお手付きがお子を産むのは体裁が悪い。


「帰蝶様」


部屋の見張りをしていた常安が声を掛けてきた。


「常安、今、忙しいのです」

「そのお子は俺の子です」

「常安?」

「俺は駒様と密かに会っておりました。その腹の子は俺の子だと思います。どうか下げ渡して頂けませんでしょうか?」

「常安様」

「駒様に作って頂いた鍋は美味かったです」

「しかし」

「それでよろしいではありませんか」


常安と駒はまったく他人ではないようだ。

皆、那古野から移動したので、よく似た長屋で暮らしている。

駒は料理も上手で近所の侍や兵に食事を作ってやっていた。


「ははは、常安。駒様達と言わんか?」


(岩井)丹波守が詳しく説明する。

駒が住む家には他の中小姓も住んでおり、中小姓は読み書きそろばんだけでなく、裁縫から料理まで皆が上手らしい。

兵達は城だけでなく、住まいでも世話になっていたらしい。

中でも駒は美少年で人気があった。


「ただ、駒様は皆と一緒に風呂に入った事がない。いつも残り湯を貰って、風呂掃除を終えてから就寝されていました。不思議な方と思っていました」

「なるほど、そう言うことでしたか」

「今は屋敷も完成して長屋を出ましたが、皆、仲良くやっておりました」

「そうですか」

「どうでしょうか? 駒様を儂の養女に頂けませんか。そして、改めて、常安に嫁がせたい。許して貰えませんでしょうか?」

「腹の子は常安の子で間違いないですか?」

「間違いございません」

「駒、貴方はそれでいいですか?」

「異存ございません」

「判りました。許しましょう。但し、勘定方の仕事を抜けるのはなりません。乳母を探しておきなさい」

「畏まりました」

「直子さん、よろしいですわね」

「判りました。皆様には説明しておきます」

「よろしくお願いします」


駒が産んだ子供は信長の子ではない。

そういうことになった。

にこやかに部屋を出た帰蝶であったが、廊下に出た瞬間に帰蝶の顔は般若面を被ったように際立っていた。


「帰蝶様」


廊下の脇で千早(ちはや)が声を掛けてきた。

帰蝶は顔を横に向ける。


「ご命令とあらば、信長様の一物(イツモツ)を切り落としてきます」

「ふっ、それは面白い…………でも、これから来る側室にご迷惑が掛かるのでよしましょう」

「そうですか?」

佐吉丸(さきちまる)、人払いは?」

「誰も近付かせておりません」

「此度の事は他言無用。殿に知らせる事もなりません」

「長門守にも、そのように伝えておきます」

「お願いします」


帰蝶は少しだけ平静さを取戻して作り笑いを浮かべる。

帰蝶は意地っ張りで我慢強く、損な役回りを買って出てしまう。


7月6日『天赦日(てんしゃにち)(天がすべての罪を赦してくれる日)』。


空を見上げると、織姫と彦星が輝いている。

彦星ね。

帰蝶は腰の扇子を取り出して力の限りバキっと折って中庭に捨てた。

そして、廊下を再び歩き始める。


「英雄、色を好むというけれど…………まったく」


帰蝶のご立腹はしばらく解けそうもなかった。

幼名は雅楽介、乙殿(おとどの)、ご誕生おめでとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 帰蝶さん アシュラ面 怒りですね!?
[一言] 帰蝶さんの般若面は凄いだろうな怖いだろうな、何処かの美術館で国宝になってないかな。信長が宦官にならずに良かったのだが、これは実際に上杉謙信に起こった事件だったのかも知れない。
[良い点] 信長さん、大丈夫か? ただでさえ復興支援や難民救済で忙しいのに帰蝶さんにそっぽ向かれたらひどいことになるぞ? [一言] 難民救済のうわさが広がったら尾張はどうなるんだろうな? 尾張どころか…
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