閑話.魯坊丸、拉致される。
天文22年5月1日、昨晩の雨も止んで、雲1つない見事な皐月晴れになりそうだった。
俺はまだ7歳だ。
7歳と言えば、まだ『7・5・3』だよ。
赤子は7日目に頭が剃られて坊主になる。
3歳になると髪を伸ばし始める『髪置の儀』が行われる。
男女共に剃られてしまう。
俺も可愛い坊主頭にされていた。
5歳頃になると『袴着の儀』が行われて、初めて袴を穿かされる。
片言時代も終わり、子供言葉になっている。
俺は3歳でやった。
早い子なら珍しくないらしい。
遅い子供は7歳になることもある。
それが終わり、9歳になると『帯解きの儀』が行われ、着物を結ぶ紐が帯に変わる。
元服を終えた兄上(信長)がいくら丈夫だからと言って、帯を外して縄を腰に巻くのが常識外れか判る。
兄上(信長)からお前には言われたくないと言われた気がした。
それが終わって、男子なら『元服の儀』、お市のように女子なら『裳着の儀』が待っている
これで大人と認められる。
この元服で烏帽子を被せる烏帽子親は親同然と言われ、その子の後ろ盾になる。
俺の場合、尾張守護の斯波-義統様がやりたがっている。
しばらく元服などしない。
子供のままがいい!
「魯坊丸様。日も上がって参りました。お召し替えのお時間でございます」
襖が開いて、望月-千代女の代理で侍女の何見姉さんが起こしに来た。
俺は少しだけ寝返って、片目を開けて後を確認する。
いつものように乙子姉さんが警備の指揮を取り、侍女長のさくら、楓、紅葉が後ろに付き従っている。
以前にも言ったかもしれないが、千代女の下に三馬鹿トリオが侍女長としており、その下に実働部隊の隊長として姉さんズがいる。
誰が見ても、姉さんズの方が侍女長トリオより偉そうに見える。
「今日は非常に体調が悪い。働き過ぎた。立つとふらつく」
「若様、今日はどういう日か覚えておられますか?」
「承知している。だが、とても清洲まで持ちそうもない。帝からお預かりした書状を清洲に届けてくれ。幸い、清洲には稙家様がいらっしゃる。俺の代理をお願いするように言ってくれ」
今日は兄上(信長)が守護代に任じられる日であった。
それが終わると、今度は公家風の束帯に着替えて、帝の勅使をお待ちする。
そこで登場するのが俺だ。
俺は帝の勅使として、兄上(信長)と信勝兄ぃに尾張守、三河守を与えるという大役を受けて京より戻った。
「何見、紅葉を連れて、その木箱を持って清洲に行け」
「それでは若様の実績に傷が付きます」
「傷を付けるのだ」
俺の意図を理解できないでいた。
◇◇◇
とにかく忙しい。
熱田神社には久我-晴通らが逗留されており、俺が避難して下さいと言った手前、相手をしない訳にも行かない。
そのついでに熱田神官の仕事もする。
お参りに来た人に顔を見せるだけだ!
更に、そのついでに尾張に来た使者との面会も神官として行う。
一度に会う。
一人一人はノーサンキュウだ。
中根南城で会うと、もっと色々と面倒だ。
全部、お断りしている。
帰りに千代女の見舞いに行くと書類の山が増えていた。
「千代、本当に休んでいるのか?」
「若様、大丈夫でございます」
爺の屋敷ではもうやることが無いので城に戻ると言い出している。
熱田、津島の帳簿だけでなく、元締めの報告も上がっていた。
書類の方は随分と楽になったけどね。
これでいいのか?
城に戻っても部屋で養生するのを条件として5日に戻って来る。
領地が広がって、鍬やスコップなど農具の生産が追い付かない。
鍛冶などの雇用と配置替えもする。
その処理を得意とする中小姓が30人も引き抜かれ、更に30人を派遣しろとか無茶苦茶だ。
断固拒否だ。
そう言いたいのだが、中小姓らは泣いて喜んだ。
数年前まで底辺にいた者が士分になった。
全部、俺のお蔭だと喜んでいる中小姓らに、「お前たちはやらん」なんて言い辛いじゃないか。
俺達も頑張れば、士分になれると思ったのか?
他の中小姓らも目をキラキラさせているしさ。
送りましたよ。
送り出しましたとも。もう好きにしろ。
足りない分は研修という名で予科生にさせているが、経験値が足りないので俺に仕事が回ってくる。
しかも、笠寺、鳴海、大高、沓掛の領主や家臣らが相談に来る。
那古野は清州で、末森は東尾張の日進から長久手で忙しく、こっちは俺に任せることになっているらしい。
誰だ?
そんなことを決めた奴は。
半分に希釈して配置替えした黒鍬衆の皆さんが率いる鍬衆からも悲鳴のような助けを求める手紙が送られてくる。
現地に来て指示が欲しいらしいが、そんな暇は無い。
思い付く限りの対策を提案して丸投げだ。
これだけ忙しくて手が足りないのに、登城しろとか舐めているのか?
誰が来ているのか知っています。
というか、逃げています。
俺は知らんし、全部お断りだ。
何故、逃げているかと言うと、先日、千代女の兄の与右衛門がやって来て、その話を聞いてびっくりした。
「六角の重臣、平井のご息女を殿(六角-義賢)のご養女として、そなたに嫁がせる。これを断られると望月家の立場が危うくなる。どうか承知して欲しい」
「俺、7歳ですよ」
「それは承知しているが、この通りだ」
与右衛門が頭を下げるが、俺はヤリ過ぎたらしい。
「三好を討った総大将は熱田衆を率いていた内藤-勝介ですよ」
「誰もそんな風に思っていない」
「蛇池の戦いの総大将は勝幡城の織田 信実で、笠寺は全朔ですよ。俺は参戦もしていません」
「我らは承知しているが、皆は三好2万5千、今川3万を討った総大将は魯坊丸と思っておる。清州を盗った信長様の話など誰もしていない」
何と言う迷惑な話だ。
要するに、清洲の守護代織田-信友がマイナー過ぎた。
一方、畿内の覇者『三好長慶』と海道一の弓取り『今川義元』の軍を片手で払い退けた童子(鬼)と思われているらしい。
どうしてこうなった?
「当然です。天から火の玉を落とす敵とどう戦えと言うのですか?」
確かにヤリ過ぎだ。
あれは使える武器じゃありません。
なんて言える訳もない。
(久我)晴通に頼まれて整備の終わった機体で間近で飛んで見せたことで、俺の余力はまだまだあると思われたらしい。
余力なんてありません。
火薬玉も底を突いています。
言える訳もなく、はははと笑うしかない。
「近衛-稙家様もお喜びの言葉を伝える為に尾張に下向されるとお申しております。皆、次期守護代の魯坊丸様を祝うのだと申しております」
「誰が次期守護代ですか?」
「魯坊丸様が?」
だぁ~~~~、めちゃ誤解されていた。
(斯波)義統が俺の烏帽子親になる話と、兄上(信長)の大和守家に養子に入る話が混同されている。
俺も兄上(信長)の養子に入ると思われていたのか?
兄上(信長)は俺が元服するまでの中継ぎの守護代?
だから、養父になると思われている兄上(信長)に挨拶に行っている。
「まだ、はっきりと掴んでおりませんが、もし内親王を正室とされた場合は側室でも構いません」
「そんな話もあるのか?」
「おそらく。また、他家からも来ると思われますが、第一側室は六角でお願い致します」
与右衛門が帰った後に、正式な六角の使者と美濃の使者が到着した。
それに遅れて、北条の船が熱田に着いた。
昨日は周辺の伊勢の領主、南信濃の伊那の小笠原、筑摩の木曽、飛騨の姉小路、浅井、朝倉、若狭武田まで祝いの使者がやって来た。
勿論、公方様の使者もやって来ている。
特に浅井、朝倉、若狭武田から使者が来た原因は公方様だ。
「魯坊丸の命に従って、上洛せよ」
この人、何言っているのですか?
こんな感じだから、皆、俺を尾張の次期国主と思っているらしい。
ははは、笑うしかない。
最後に遅れるように武田の使者が子供を連れてやってきた。
こちらも悪い予感がする。
その使者が小さな幼子と言うのが解せん。
武田のご息女?
うん、俺は無関係だ。
今川は祝いの使者ではなく、交渉の使者が戻って来て熱田に逗留している。
揃う顔ぶれを見て弱気になった。
(久我)晴通が立会人として、連れ添って俺に報告をくれる。
昨日は稙家が立会人に加わり、結果を帝に報告するとか言われて脅されたらしい。
「儂が立ち会った限り、約定を破れば、朝敵とされますぞ」
朝敵になれば、周辺諸国が共同して合従軍を編成するかもしれないとか脅され、「20万人の合従軍で今川を一蹴すれば、帝の権威も高まって天下が平になりますな、ははは」とか言われて、今川の将が青ざめるのが目に浮かんだ。
祝いに来ている国が全部、敵になる?
この後から来るであろう越後の長尾とか、関東の結城、もしかすると奥州から伊達とか、更に尼子、毛利、大友からも使者が来る。
尼子、毛利、大友らの皆さんは京を経由するから判り易い。
織田に来るのは序でだ。
京で挨拶回りの方が重要らしく、京で色々回っているらしい。
それが終わってから尾張に来る。
しかし、20万人の合従軍って?
中華の故事に倣って言っているのですよね。
その20万人って、どこから出てきたのだ?
だが、その話も稙家から出てくれば、少しは信憑性も出てくる。
いずれにしろ、同盟国の武田や同盟を結ぼうとしている北条から来ているのは間違いない。
そこに大義名分が加われば、冗談でなくなる。
今川は袋叩きだ。
「お待ち下さい。我らでは決めかねます」
「仕方ない。少し待ってやる」
そりゃ、義元に指示を仰ぎたくなるな!
と言う訳で、交渉は義元からの返事待ちで延期された。
あれ?
今川の将って、織田と交渉しているのだよね。
交渉相手が稙家に変わってないか?
大体、こんな感じだ。
◇◇◇
俺は記憶力のいい紅葉に向かって言った。
「紅葉、兄上(信長)に聞かれたら答えよ」
「はい」
「尾張には三頭の獅子がいるらしい。一人は守護代、もう一人は沓掛城主、最後の一人は沓掛城主を統括する弾正忠家の当主だ」
「信勝様も偉いのですか?」
「沓掛は末森の支配下にある。つまり、俺に命令することができる。尾張に入った使者もふらつき始めている。現にチラホラと信勝兄ぃに挨拶に行くようになっている」
「行っておりますね」
「俺が兄上(信長)に養子に入る話がない。そう断言したので、使者たちは首を捻っている」
「若様は信長様の養子になられるのですか?」
「なるか! 忙しいのは嫌だ。むしろ、蟄居とか言ってくれた方が兄上(信長)に感謝するぞ。養子とか言い始めたら、俺は出奔する」
俺が出奔と蟄居するのに賛同してくれたのはさくらだけであった。
他の者は不安らしい。
俺としても熱田投資会社と熱田人材派遣会社があればいい。
他は余計だ。
「とにかく、俺を好きにさせてくれるなら、どちらの兄上も助ける。だが、三頭政治なんて、他所の国からすれば、付け入る隙を作ることになる。邪魔だ」
「どうするのですか?」
「俺は子供だ。餓鬼だ。武勲はあるが、所詮は子供だ。熱も出せば、体調も悪くなる。嫌なことには癇癪を起して駄々を捏ねる」
「そんなことないと思います」
「あるのだ。式典をサボり、武勲に傷を付ける。そうすれば、尾張は兄上(信長)を頂点に固まる。三頭政治など言わせぬ。尾張の頂点は1つ。俺が下がれば、兄上(信長)が頂点に立つ。お前らは俺が癇癪を起して駄々を捏ねていると言いふらして来い」
「若様!?」
「さくら、任せたぞ」
「任されました」
「楓、絶対服従だったな」
「ですが…………」
「紅葉、一言一句伝えるのだぞ」
「あの…………若様?」
紅葉が口答えをするのか?
「伝える必要もない。一言一句、聞き届けた」
「あ、兄上(信長)」
「本当にお主の侍女は優秀だな」
「千代か?」
「まったく同じ口上を手紙で寄越して来たぞ。俺の為になるから、悪童の我儘を聞いて欲しいと書いてあった」
「では、何故?」
「ホレ、行くぞ」
俺は寝巻きのままで持ち上げられた。
「まだ、食事もしておりません」
「飯なら清洲で食わせる。他の者は必要な物と着替えを持って付いて来い」
「兄上(信長)、馬なら自分も乗れます」
「儂が逃がすと思うか?」
「逃げません」
「遠回りでもするのであろう。儂が迎えに行かねば、絶対に逃げ出すとも書いてあった」
千代、何をやっているのだ。
俺は心の中で千代女を罵倒する。
しかし、千代女が元気なら、兄上(信長)と連絡を取って連れて来いと言われれば、連れてゆくので結果は同じだ。
千代女と兄上(信長)の違いは、説得するか、拉致するかの違いだけだ。
「兄上(信長)、お許し下さい。あのような海千山千の相手などしている暇はありません」
「儂も嫌だ」
「俺はまだ婚姻などするつもりはありません。断るのも面倒です」
「知らん。儂も断るので忙しい」
「帰蝶義姉上も大変ですね」
「違う。帰蝶が側室を迎えよとうるさいのだ」
帰蝶義姉上が健気過ぎる。
「だが、俺は嫌だ」
「父上(故信秀)が羨むような妻の数になっておるぞ」
「遠慮します。父上(故信秀)は女好きですから。好きで背負った側室らの争いですが、俺は側室に気を使う生活なんて絶対に嫌です。一人で十分です」
「まぁ、頑張れ」
「他人事だと思って。稙家様を相手に断るのは至難の技ですよ」
「ははは、お前も苦手か」
「苦手です」
「儂も背中から嫌な汗が止まらなかったぞ。それと北条の宗哲も顔を見ただけで、戦では勝てんと思った。いいか、断るのは良いが、どちらも怒らせるなよ」
「無茶言わないで下さい」
「とにかく、儂に回すな! 儂は相手をしたくない」
「俺だって嫌ですよ」
こうして俺は艱難辛苦しか待っていない清洲に拉致されたのだ。
嫌だ、マイ、ゴー、ホーム!




