閑話.多事多難(3)。
【三好】
三好-長慶は一先ずの手配を終えると、開城させた芥川山城に戻って戦後の処理を行った。
まず、一族の芥川孫十郎を阿波の弟である実休に預けた。
既に多くの兵は解散させていたが、残った武将に恩賞をくれてやらねばならない。
だが、長慶は芥川孫十郎の領地を切り取って褒美にするつもりはなかった。
「待たせたな!」
河内守護代の安見-直政と遊佐家の陣代遊佐-太藤らが長慶に頭を下げた。
直政は河内守護代であるが河内守護の畠山-高政と仲が良い訳ではない。
いつ守護代職を取り上げられ、前河内守護代の遊佐-長教の子、信教に譲ると言い出し兼ねない。
そう言う意味では、信教の陣代となっている太藤も同じであった。
「既に聞き及んでおろう。管領の細川-氏綱様と紀伊・河内守護畠山-高政様が無様に逃げ出した」
「承知しております。逆賊、氏綱様の淀城を御攻めになりますか?」
兵を解散させたことから長慶にそのつもりがないことは承知していながら、(安見)直政は煽った。
淀城は淀川の対岸の上流にある。
生駒山を越えれば、すぐに攻めることができる。
京に近くなり、褒美として悪くない。
「ふふふ、そうもいかん。既に詫び状を貰った。帝にもその旨を伝えた」
長慶は静かに笑って、直政にそこをやるつもりがないことを伝えた。
氏綱の得た所領の一部を朝廷に返させる。
織田との条約が不備に終わり、どう考えても横領した朝廷や公家領の返還は不可能になった。
朝廷への忠義を示す為に時間稼ぎのおべっかにしかならないが、やらないよりマシと思った。
「という訳で、直政には引き渡しの立会人を命ずる。その他の領地は摂津衆にも割り振ってゆく」
「承知しました。代官職、謹んでお受けいたします」
氏綱が承知した生駒山付近の土地の管理を直政に命じた。
代官になれば、僅かばかりの禄が入る。
禄以上に手に入るのが、その土地の支配権だ。
もし、淀城を攻めるときは、その土地が足がかりになる。
また、今回、日和見をした領主も氏綱派と見なし、全て朝廷に差し出すことにした。
そう数は多くないが、その代官を摂津衆に割り振っていった。
大した被害を出した訳もなく、十分な褒美であった。
これは大した話ではない。
ここで用済みと摂津衆を部屋から追い出した。
長慶は前振りを終えて、足を組み直す。
さて、本題に移ろうか!
そんな感じで顔を引き締めた。
「先程も言ったが、河内守護の畠山高政様は敗走された。どうやら厠で気張り過ぎたらしい」
ははは、皆も既に『厠談議』を聞き及んでいたのか、一斉に笑いが飛んだ。
「兵を見捨てて逃げるなど、武士にあるまじき行為ですな!」
「違う、違う、兵に見捨てられたのよ」
「いずれにしろ、一太刀も返さずに逃げたとなれば、武士の風上におけぬ所業でございます」
「それは無理だ。厠から出た時には、織田も公方様もおらぬのだ」
大きな雷鳴のような音がして、畠山らの家臣一同と尻を拭きながら寺を出ると兵は潰走し、公方様は東山の街道を抜けて去っていった。
兵を落ち着かせようと武将は派遣したが、皆、散り散りに逃げてしまった。
敵方の兵が京より去っていったことすら気付かず、僅かな手勢しか残っていなかった高政は急いで紀伊の国に逃げ出した。
「して、安見直政、遊佐太藤、お主らはどうする?」
笑っている直政らに長慶が鋭い眼光で問い質す。
皆の笑いが止まった。
どうすると問われて戸惑うのは当然だ。
皆、考えていなかった。
ただ、主である高政を見下していただけである。
そして、少しずつ長慶の意図を察して、一人、また一人と頭を下げてゆく。
「皆、同意と言うことでよいか?」
「後ろ盾、よろしくお願い致します」
「うむ、すでに弟の十河一存にはその旨を伝えてある。連携して事に当たれ!」
「ご配慮、感謝致します」
(畠山)高政が台頭したのは、(遊佐)長教が暗殺されてからであった。
それまでは長教が盛り立てており、高政は傀儡でしかなかった。
だが、その長教が暗殺されていなくなったのだ。
紀伊衆の湯川-直光、南河内衆の丹下-盛知が、長教の子である信教を擁護する形で、河内の支配権を手に入れた。
守護の高政が河内と紀伊の支配権を手に入れて、それを見せ付ける為に京に出陣した。
人生、思った通りに行かぬものだ。
今、高政らの評価は地に落ちた。
中継ぎの守護代でしかない(安見)直政と陣代でしかない(遊佐)太藤が河内の支配権を手に入れるチャンスは今しかない。
長慶がそう言っている。
後ろから支えてくれると言ってくれたのだ。
これ以上の褒美はないと、皆、頭を下げた。
直政らが出てゆくと、代わりに松永-久秀が入って来る。
久秀は京周辺に出没する賊の討伐に当たっていた。
しかし、尾張に送った間者と久我-晴通から近衛-稙家に宛てられた手紙の内容を手に入れて、長慶を追い駆けるように芥川山城に入って来た。
久秀の話を聞きながら、長慶の顔が険しくなってゆく。
清洲を奪取した上、今川も撃退した?
俄かに信じられない天駆ける船など、晴通様は夢でも見ていたのではないかと、思いたくなるような内容であった。
「鞍馬山の天狗を相手にする方が楽そうだな!」
「まったくでございます」
「久秀、お主の先見の明は確かであった」
「いいえ。私もここまで凄まじい剣を隠しているとは思いませんでした」
「で、雷鳴の方は判ったか?」
「鉄砲鍛冶の話を要約しますと、大量の火薬を使ったと思われます」
「同じ物を作れるか?」
久秀はかくんと首を縦に振った。
「既に幾つか作らせております」
長慶はにたりと頬を緩めた。
織田には驚かされた。
ネタが知れれば、どうと言うこともない。
だが、久秀の顔は明るくない。
むしろ、険しさを増したように思えた。
「一つの玉を作るのに、50貫文以上の火薬を必要と致します」
「50貫文だと?」
「違います。50貫文以上です。それを100個か、あるいは、200個を一度に投げたと聞き及びます。しかもそれを数度に分けて!」
「待て、待て、しばし待て!」
長慶が頭の中でそろばんを弾く。
そして、首を横に振って、「あり得ない」と呟いたのだ。
「長逸様との交渉で、五万貫文もあっさりと承諾したのも嘘ではなかったようです」
「銭を払うのも、火薬の代金で消えるのも同じと言うことか?」
「とてもではございませんが戦で使える代物でございません」
鉄砲一発を撃つ度に火薬代10文も掛かる。
1,000丁を揃えると、一発撃つ度に10貫文が消える。
鉄砲が贅沢品と言われる由縁であった。
織田の新兵器はそれを遥かに凌駕する。
「織田の財力を侮っておりました」
「逃がした魚はデカかったと言うことか!」
「和議の使者を送り、話を元に戻すべきかと存じ上げます」
長慶は前屈みになっていた背筋を正し、深く息を吐いてからゆっくりと息を吸い直した。
そして、目を閉じて、しばらく思考する。
久秀は主君の決断を待っていた。
長慶は頭の中を整理した後に、久秀の意見を聞く。
「さて、どのようにすればよいと思うか」
既に、長慶は決めている。
久秀はその思惑を読み取るように口を開いた。
「まず、浅井と六角の争いですが、此度の戦で被害が甚大な為に援軍を送れないと断っておくべきでございましょう」
「うむ、六角と美濃の斎藤を仲介したのは織田と聞く。六角を突くと、織田が出てくる」
「織田は少数でも侮ることができません。決戦は避けるべきと存じ上げます」
浅井家は見捨てられることが決まった。
北近江の浅井-久政にとって堪ったモノではない。
公方様と六角の背後を牽制して貰う為に同盟を結んだのに一方的に反故にされることがきまった。
三好の信用が下がるが、背に腹は代えられないと割り切ったようだ。
「次に丹波ですが、八上城の波多野氏との決戦は避け、八木城の丹波守護代内藤-国貞の遺児である千勝丸を盛り立て、丹波衆の切り崩しを息子にさせようと思います」
「それでよい。その方の息子、久通に任せよう」
「ありがたき幸せ!」
これで松永家は後々に丹波での影響力を持つことができる。
更に、久秀は次の一手を申し述べた。
「京の奉行も某から堺奉行の岩成-友通に替えて、長虎様の補佐をさせるのがよいかと思います。友通ならば、商人との取引も行え、京の町衆とも付き合えるでしょう。いずれは、朝廷(織田)の兵も戻ってくると思います。問題を起こさぬ者を据えるべきと考えます」
長慶は即答を避けた。
久秀と少し思惑が違ったらしい。
「殿におかれましては、このまま芥川山城に留まり、摂津と山城の双方に睨みを利かす方が良いかと思われます」
「大和にはそなたが行く気か?」
「はい、某が失敗しても殿が残っております。しかし、殿が失敗すれば、三好はそこで終わりとなってしまいます」
三好家を支えるのは強さでしかない。
長慶が出陣すれば、必ず勝つ。
畿内で敵無し!
誰もがそう思っているので、三好は天下を治めることができる。
そう思わすことが必要であった。
大和衆は長慶の命に逆らった。
仮令、(三好)長逸と守護高政の命であっても、長慶の命に逆らったことは消えない
これを機に大和の国を完全に掌握する。
北河内衆に南河内衆を襲わせるのと同じ理由だ。
筒井家を始め、大和衆は損害を出し、紀伊・河内の守護高政の援軍も期待できない。
大和を切り崩す絶好のチャンスだった。
そして、長慶は自分が出向くつもりであった。
「大和の興福寺を脅し、最悪は大仏殿を焼く悪行は某にしかできません」
「汚名を被ってくれるのか?」
「三好家の当主がそのようなことをするべきではございません」
「燃やすのか?」
「脅すだけです。但し、従わないならば、やむを得ません。燃やしてご覧にいれましょう」
久秀の意図を察した。
毛利と尼子の戦いは長期化しそうになって来た。
これを機に播磨を取り戻すつもりであったが、長逸の敗戦でそれができなくなった。
久秀は短期間でその穴埋めをやろうと考えていた。
興福寺には大量の蓄えがある。
これを全て奪いに行くつもりらしい。
「手順が変わるが問題ないのか?」
「当初は、周辺を切り崩してから本丸の興福寺を襲うつもりでしたが、口うるさい管領の氏綱様、紀伊・河内守護の高政様が不在の間に本丸を落としておきます」
「その銭で播磨攻めをするか?」
「その通りでございます。三好が弱いのではありません。織田が強かったのです」
久秀はそう言ってから頭を下げた。
言いたいことは判った。
三好は『天下無双』の称号を取り戻さなければ、『三好弱し!』と侮った周辺国が畿内に押し入ってくる。
そんな危険な狩り場になる可能性は排除したいのだ。
公方様や六角を攻めると、再び織田が出てくるかもしれない。
東は駄目だ!
ならば、西を攻めるしかない。
その銭を手に入れる為に!
久秀は悪名を買ってでも、早急に大和を取るつもりなのだ。
「よきにはからえ」
長慶が久秀の忠義に心の中で頭を下げた。




