75.時はゆっくりと流れていた。
ずずずずぅ、魯坊丸が御所で帝に拝謁している頃、信長は那古野城の茶室で庭の景色を眺めながらのどかに茶を楽しんでいた。
その茶を入れたのは堺から来た一閑斎(武野-紹鴎)という茶の名家の一人であった。
「こうやって呑むと、また格別であるな」
「恐れ入ります」
「ところで茶の心とは何だ?」
「深切、礼儀正しさ、慎しみ、高慢の戒めなどなどありますが、要するに素朴に楽しむことでございます」
「茶器を大金で押しつけてか?」
「殿、虐めてはなりません」
「申し訳ございません。まだまだ、商人としての業が残っております。私もまた未熟者でございます」
「であるか。ならば、この信長も未熟者であるな。尾張の茶器も買って行ってくれ」
「広めさせて頂きます」
一閑斎が商人の顔を見せ、信長も笑った。
この一閑斎が那古野を訪ねて来たのは別に偶然ではない。
先月の公方様への拝謁、お市の猶子の問題から慌てた信長は魯坊丸の様子を見届ける監視団を派遣した。
団長は牧-長義であり、元武衛様の家臣であり、嫡子の義銀様の従兄弟に当たる。
また、副団長は吉田-重氏であり、同じく、斯波氏の一族だ。
京に建てている武衛屋敷の視察を名目に送った。
その随行員には佐久間-信盛の弟の僧明嶽らが同行していた。
一同は京の様子を窺い、堺を経由して海路で尾張に戻ってきた。
それに同乗して一閑斎がやってきた。
「瓦版で知っておりましたが、見ると聞くでは大違いでございました」
「赤黄金色に輝く武衛屋敷は素晴らしく、帝も羨むほどの出来栄えでございます」
「お会いした公家様から完成の暁には、是非にお招きして頂きたいと頼まれました」
「武衛様もきっとお喜びになるに違いありません」
「今頃は帝と拝謁なさっております」
「羨ましい」
「妬ましい」
「御所に一緒に参内できないことをこれほど悔しいと思ったことはございません」
「であるか」
長義と重氏は競うように京の出来事を報告してくれた。
右大臣様をはじめ、天上の方々と話せ、山科卿に町を案内して頂くなど、あり得ないほどの経験にテンションが上がりまくって浮かれていた。
余りの喜びに信長や帰蝶らの顔が険しくなっていることに気づいていなかった。
皆が帰り、信長が覚えたての茶を帰蝶に振る舞う。
「まったく、京に随行した者は皆、ああなってしまっているのか?」
「天上人と触れ合って浮かれてしまうのでしょう」
「長門、おまえはどう感じた?」
「私は最近、那古野の台所を見ておりますので、向こうの台所が気になって仕方ありません」
「牧が武衛屋敷の費用が十数万貫文は下らないとか言っておったのぉ」
「公家様が毎日の如く来訪し、京周辺、若狭から海鮮を湯水のごとく仕入れていると言うのも驚きでした」
日に三十貫文 (180万円)として、帰国予定の二ヶ月で一万貫文を越えることになる。
那古野が用意したのは四万貫文、その内の半分は熱田・津島衆が肩代わりしてくれているが、あれだけ散財を続ければまったく足りていなかった。
また、武衛屋敷には熱田・伊勢の宮大工を100人も呼び寄せている。
普通の大工ではなく、宮大工だ。
尾張の一人前の大工の日当が35文と言われ、宮大工の費用はなんと100文だ。
それが100人だから一日十貫文、一年で360日3600貫文、三年で10800貫文も掛かる。
これは宮大工のみの費用であり、その他の人夫を含めると想像も付かない。
そして、何よりも材料費だ。
「銅板の瓦など聞いていないぞ」
「魯坊丸ですから派手なことをしていると思いましたが、まさかそこまでするとは思いませんでした」
「本当に『織田者』は褒め言葉か?」
「派手好きと言う意味では間違っていないと思いますが、褒め言葉かどうか怪しく感じます」
「悪童はいくら銭を持っているのだ?」
困った長門守が父の太雲(岩室-宗順)を呼び出した。
太雲はお茶を馳走するので来るように言われたが、のどかな茶室の雰囲気でお茶をすると思えないほど、信長には険悪な雰囲気が漂っていた。
「太雲、茶は美味かったか?」
「美味しゅうございました」
「単刀直入に聞くぞ! 魯坊丸はいくら銭を持っておるのだ?」
「さぁ、某も承知しておりません。途方もない額であるのは承知しております」
「どういうことだ?」
「去年の正月を境に、熱田・津島の上納金を廃止し、税に変わっております。ご存知でございますな」
「もちろんだ」
「簡単に言いますと那古野に入ってくる額と同じほどが魯坊丸様にも入っております」
「意味が判らん」
「つまり、今年の魯坊丸様のおこづかいは四万貫文から五万貫文くらいですかな? いやぁ、帝に新しい酒を献上され、新しい酒が解禁されますので、さらに儲かって六万貫文になるかも知れません」
「六万貫文だと?」
「信勝様にはご内密にお願い致します」
「言えるものか! 何故、そのような額が貰えるのだ?」
「すべての事業に投資されたのは魯坊丸様です。尾張にある半分は魯坊丸様の物なのです。名こそ出ていませんが、魯坊丸様は尾張随一の大豪商でございます」
「商人だと申すのか?」
「商人ではございませんが、商人と同じことをやっております。ゆえに堺の商人らも一目置いているのです」
「だから、尾張随一の豪商だと?」
「魯坊丸様がそう決められたから上納金を廃止し、税に変えると言っても熱田・津島の商人の誰も反対しないのです」
そう言いながら、太雲は魯坊丸が尾張以外でも手広く商売をしていることは敢えて言わなかった。
信長に聞かれても正確に答えられないからだ。
おそらく、織田弾正忠家という鎖のない他国では尾張の数倍の額を儲けていると察せられた。
そうでなければ、数多の忍びを抱える費用が捻出できない。
尾張は1,000人余りの忍びを抱えている。
下忍だけでも一万貫文を用意できなければ雇えない。
中忍、上忍を数多抱える魯坊丸は彼らに数万貫文を用意している。
そんな酔狂な主人は他にいない。
『情報を制する者が世界を制する』
こんな馬鹿なことを言う変わった主人は一人しかいない。
尾張の忍びはそれぞれの事業で雇われており、それぞれの場所で召し抱えられて、各々が地位を頂いている。
仮の主がすべて違った。
つまり、統一して雇われている訳ではない。
それでは尾張の忍び同士で齟齬が起こる。
それを防ぐ為にすべて統括する棟梁に指名されているのが、長門守(岩室-重休)であった。
長門守は尾張すべての忍びを傘下に収めていた。
だが、その事業の半分は魯坊丸が出資している事実は変わらない。
指示は長門守から出るが、銭は魯坊丸から出ている。
魯坊丸以外にこれほどの忍びを抱える主人がいるだろうか?
他にはいない。
つまり、尾張の忍びは魯坊丸を主君と思っていたのだ。
心の主と言ってもよい。
流石の長門守も信長にその事実を告げるのは憚られた。
表の主が信長であり、裏が魯坊丸。
表裏一体の関係と思わせておかなければいけないと思っていた。
長門守が権力基盤を心配しているのに対して、信長は自分が上洛する時のことを考えていた。
「儂が上洛するとき、それだけの銭を用意できるのか?」
「それは大丈夫ですわ」
「帰蝶、どうしてそう言える?」
「殿が上洛できるのは、おそらく3年後になると思います」
「確かに尾張を統一し、落ち着けた後になるな」
「その頃には行っている事業も一段落ついております。次の事業を少し遅らせれば、上洛の費用は捻出できるでしょう。ねぇ、長門守」
「大丈夫です。必ずや捻出し、此度より派手に用意してみせます」
「悪童が派手にするから、無駄に銭が消えてゆくな」
話も一段落すると、太雲は懐から伯父の信光の手紙を差し出した。
それを読んで、信長は嬉しそうに手紙を帰蝶に回した。
「まぁ、やっと動いてくれますか?」
「長門、3年ではなく、2年のつもりで準備しておけ」
清州の又代である坂井 大膳が重い腰をやっと上げた。
守山城主の (織田)信光に兵糧の援助を頼んできた。
四月一八日までにひっそりと入れて貰いたいらしい。
清州周辺の兵も密かに入れ、清州勢の一部が増田砦を攻め、信長の兵が到着と同時に反転して、清州城から出た本隊とで挟撃する。
信光もそれに加わって貰いたいらしい。
「それはできないとお答えになるのね?」
「そうだ。叔父上は弾正忠家を継ぎたいのであって敵対するつもりはないということになっておる」
「代わりに清州城の後詰めに入ることで許して欲しいとお答えになるのね?」
「那古野弥五郎を寝返らせたのが無駄になるな」
「よろしいではありませんか! どちらにしろ、武衛様を助け出し、清州城が落ちればよいのです」
「まぁ、そう言うことだ」
信長はそのままでよろしく頼むと手紙を送り返した。
ゆっくりと四月一八日が近づいていった。
信長は本能寺で明智光秀が裏切るまで気づかないほど、暢気な性格をしているのです。
何度も裏切られているのに?
追伸.サブタイトル『知らぬが仏』の方がよかったかも?
今更、思ったけど変えるほどでもない。




