ある侯爵令嬢様が、ダンスパーティーで婚約を破棄された理由。(5/5)
温かな声が、ダンスホールに響いた。
声を投げかけたのは、灰銀の髪と切れ長の瞳を持つ美少年であった。
「いえ、わたくしは、今日は踊る気は――」
断るために視線を上げたカロルと目が合う。「え?」と小さく声をこぼす。
信じられなくて、数度、瞬きをする。幻じゃないかと思って。
でも、消えない。ちゃんと、そこにいる。
「あ、なた、は――」
「申し遅れました。僕はフィーリクス・シュヴァルツヴェルダー。こちらの国の方にはフォレ・ノワールの貴族と言ったほうがわかりやすいでしょうか」
西方王国の貴族学園で、毎月おこなわれるダンスパーティーでの出来事である。いくつものシャンデリアが吊るされた煌びやかなダンスホールでは、楽隊による生演奏が奏でられていた。
だが、指揮者も思わず手を止めてしまっていた。
演奏が止まれば、踊りが止まり、歓談すらも止まる。
今日の主役が、壁際の二人であると、誰もが分かっていた。
その場にいる生徒たちは、ひそひそと言葉を交わしながら、あるいは固唾を呑んで、その見世物の行く末を見守ろうとしていた。
美少年は周囲の目にも、まったくひるまない。
「美しいレディ。どうか一曲、踊ってはいただけませんか?」
「……わたくしで、いいのですか?」
けれど、カロルはそんな質問をしてしまった。
「わたくしは、つい先日、婚約者に手ひどく振られて。自分が嫌われていると思って、愛を信じられなくなって、他人にひどいことを言ったりして。そんな、思いやりのない女ですよ……?」
「僕の手をとってください、レディ。あなただから、いいのです。それとも――」
美男子の顔が、少し陰った。
不安で不安でたまらない、気弱そうな少年の表情になる。
「――あんなにひどいことしたくせに、こんな風に戻って来た未練がましい男は、やっぱり不満……かな? ねえ、カロル。どうしたら許してくれる? 僕、やっぱりきみの傍に居たくて。そしたら、オディロン様が便宜を図ってくれて――」
美貌に似つかわしくない、濡れた子犬みたいな表情を見て、カロルはまなじりを指でこすって笑った。
「馬鹿ね、フェリクス……フィーリクス様。たった一曲じゃ駄目よ。今日は、もう他のだれとも踊れないくらい、くたくたになるまで――いいえ。今後、一生、ずっと、ずぅっと。わたくしとだけ、踊ってくださらないと」
許してあげませんわ、とカロルは言った。
それくらいならお安い御用だよ、とフィーリクスは言った。
わあ、と歓声が上がる。楽隊が演奏を再開し、誰もが主役のためにダンスホールの中央を譲った。
美しい恋人たちが、譲られるままに踊り出す――。
その様子を、壁際から眺める者たちがいた。
ひとりは空色のドレスに身を包んだ小柄な生徒会書記で、もう一人は白いタキシードが似合いすぎる生徒会長である。
「では、やはり告発したのはフェリクス・ド・ル・フレジエ様――いまはフィーリクス・シュヴァルツヴェルダー様でございましたか」
「ああ。実父であっても不正を許さない高潔さ、短時間で謀反の証拠を集めた頭脳、王宮に持ち込んだ行動力、そして己も連座刑に処されると分かって告発した勇気。フォレ・ノワールの養子にぴったりだって、叔父は喜んでいたとも」
「それはようございました。一件落着でございますね」
オディロンはミネットのドレス姿を上から下まで見て、よし、とこっそり気合を入れる。今日、ミネットにはこの場を見届ける責任がある――と言って生徒会費でドレスを特注し、パーティーに参加させたのは、もちろんオディロンである。
「さて、相談もいち段落したことだし、一曲どうだい、ミネット。せっかくドレスを着て、ダンスパーティーに参加したんだからな」
「過分なお誘いでございますので、お断りさせていただきます。小生は平民、元よりこのような煌びやかな場にいてよい存在ではございません。壁の花のひとつだとお思いくださいませ」
「……つれないなぁ、ミネットは」
オディロンは唇を尖らせた。
「オディロン様は、小生など気にせず踊ってくださいませ。たくさんの令嬢様がたが、オディロン様からのお誘いをお待ちでございますよ」
「今日は足が痛いんだ。しかも、主役は俺じゃない。俺も壁の花になるさ」
「……さようでございますか」
ふたりは黙って、ダンスホールの中央に視線を向けた。
無言の時間が少し続いてから、オディロンが再び口を開く。
「見ろよ、ミネット。いい笑顔だ、二人とも」
「ええ。とても、いい笑顔でございます」
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西方王国の貴族学園には数多の不文律が存在する。
やれ『廊下は左側を歩くべし』だとか。やれ『平民特待生は一階のトイレを使うべし』だとか。そういう、校則で明言されていない不文律。プライドの高い学生貴族たちが、穏やかに学園生活を謳歌するための、いわば暗黙の了解である。
さて、そんな不文律のひとつに『生徒会長は当代でもっとも貴き者が務めるべし』というものがある。当代の生徒会長はオディロン第三王子。柔らかな金髪と慈悲深い碧眼という、魔性の美貌の持ち主である。
また、『生徒会書記は当代でもっとも賢き者が務めるべし』というものもある。当代の生徒会書記は平民特待生ミネット。どこか冷めた印象を受ける、小柄で色白な少女である。
たった二人の生徒会は、今日も生徒のために奔走していることだろう。
『生徒の悩みを解消し、笑顔で学園生活を送ってもらうために存在する』――それが、彼らの不文律である。
以降、不定期ではありますが、エピソード単位で更新していければと考えております。
(すでに第二エピソード、第三エピソードには着手しております。)
第二エピソードは本日18時に投稿開始予定です。
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