ある侯爵令嬢様が、ダンスパーティーで婚約を破棄された理由。(4/5)
ノックはしなかった。
扉を壊さんばかりに勢いよく開けて生徒会室へと入ったカロルは、一目散に書記のテーブルへと近づいて、紙の山を両手で机から叩き落とした。
その向こうに座っていたミネットの胸ぐらを、左手で掴み上げる。
ミネットは、少しだけ驚いた顔で、しかし一切の抵抗なく、じっとカロルを見つめている。室内に他の役員はおらず、カロルを止める者はいない。
カロルは右手を振り上げて、そして――。
「――そういうことですのね?」
問うた。ミネットはうなずく。
「ええ。小生は、そういうことだと考えておりました」
振り上げた手が一瞬震えて、力がこもり、しかし。
カロルは、震える右手をそのまま降ろし、胸ぐらを掴んでいた左手も離した。
「小生を打たないので? 平民など、いくら叩いても咎められませんよ。すっきりしたいなら、どうぞ」
「ッ、あなたは……ッ! あなたという、お人は……ッ」
カロルはわなわなと震えて、床に崩れ落ちた。
整えられた前髪が崩れ、はらりと顔にかかる。
「……なにも、悪くありません。すっきりしたいときに叩くのは、お父様にいただいたウサギのぬいぐるみだけと決めております」
「そうでございますか」
ミネットは床に落ちた書類の山を一瞥してから、カロルの横に膝を突いた。
「……おそらく、ではございますが。フレジエ侯爵はフェリクス様をご領地に呼び出し、そこで初めて謀反の計画をお伝えになったのでしょう」
野心家の父に対して、気弱な息子。後戻りできない段階になってから伝えれば、なし崩しに操れると考えたのだろう。
だが。
「フェリクス様には、どうしても見過ごせないことがあったのでございます。――あなたでございます、カロル様」
謀反が成功するにせよ、失敗するにせよ、カロルは巻き込まれることになる。
……そして、フェリクス自身は、おそらく「失敗する」と考えていたのではないかと、ミネットは推測していた。
だから、巻き込んでしまう前に、カロルとの婚約を破棄したのだ、と。
「関係を断ち切る必要があったのでございます。それも、最悪に近い形で、誰もが見ている場所でやらねばなりませんでした。お二人のあいだには、信頼関係や親愛の情などなかったのだと、表明するのが目的だったのでございましょう」
カロルに責が及ばないように。
……そして、ひょっとすると。王宮に謀反の情報をもたらしたのは、フェリクスなのではないかと、ミネットは思う。
カロルはうつむいたまま、静かに口を開いた。
「ミネット書記。どうして、その推測を教えてくれませんでしたの?」
「……間違っていれば良いと、そう考えておりましたから。しかし、もしそうなのであれば、小生はフェリクス様の意思を尊重するべきだと考えた次第でございます。つまり――」
カロル・ド・ラ・カッサータを巻き込むわけにはいかない、愛する幼馴染を守らなければならないという、強い意思を。
「――ことが終わるまで、小生は黙って見守るべきだと」
「……そう、ですか」
カロル・ド・ラ・カッサータの両手が、ふかふかの絨毯をきつく握りしめる。
ミネットから、うつむいた顔は見えない。表情はわからない。
「わたくしひとり残されるくらいなら、一緒に墜ちてしまいたかった。追放されたってかまいません。ただ、同じ場所に居られれば、それで良かったのに――」
けれど、赤い絨毯にぽたぽたと水滴が落ちて、色が変わっていく様子は見えている。肩も声も震わせているカロルの背中が、見えている。
「いけませんよ、カロル様。少なくとも、フェリクス様は、あなたの涙を望んでおられないでしょう」
横合いから、ミネットはそっとハンカチを差し出した。
「我々は生徒会でございます。生徒の悩みを解消し、笑顔で学園生活を営んでいただくために存在しております」
「笑顔なんて、わたくしにはもう……」
「なるほど、もう笑顔になれる気がしない、というお悩みでございますね?」
カロルが思わず顔を上げると、ミネットが少しだけ微笑んでいるのが見えた。
「その悩み事。我々にお任せくださいませ」
●
その週のダンスパーティーに、カロルは参加していた。
ダンスなんてする気はなかったのだが、ほかならぬオディロン第三王子から直々のお誘いとなれば、断るわけにはいかない。なんでも、隣国の貴族令息も参加するとかで、華やかさが欲しいらしい。
しかし、カロルは渦中の人だ。ダンスに誘う者はいない。
だから、カロルは壁際で、ぼうっとしていた。壁の花というやつだ。
……踊る者達を見て、思い出してしまう。この場で、フェリクスに婚約を破棄されたのだ。そして、彼はいま、国外へ――。
泣きそうになって、慌てて目元を押さえる。パーティーで泣くわけにはいかない。
……だから、目の前に誰かが立ったことに、気づくのが遅れた。
「僕と踊って頂けませんか、レディ」
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