ある侯爵令嬢様が、ダンスパーティーで婚約を破棄された理由。(2/5)
西方王国の貴族学園には数多の不文律が存在する。
やれ『廊下は左側を歩くべし』だとか。やれ『平民特待生は一階のトイレを使うべし』だとか。そういう、校則で明言されていない不文律。プライドの高い学生貴族たちが、穏やかに学園生活を謳歌するための、いわば暗黙の了解である。
さて、その中のひとつに『生徒会書記は当代でもっとも賢き者が務めるべし』というものがある。当代の生徒会書記は平民特待生ミネット。どこか冷めた印象を受ける、小柄で色白な少女である。
そして、不文律にはこういうものもある。
曰く――『悩みごとは賢き者に相談すべし』と。
●
「わからないのです。フェリクス様が、なぜ婚約を破棄なさったのか」
カロルはソファに座って、ぽつぽつと相談事を語り始めた。
「わたくしとフェリクス様は、愛し合っていた――と、思うのです」
「親が結んだ縁だと聞いていたが、違うのか?」
対面のソファに腰かけたオディロンが首をかしげた。
「初めて会ったときは、そうでした。けれど、徐々に惹かれ合って……十歳の誕生日に、赤い薔薇の花束を贈ってくださったのです。王都の薔薇園に赴いて、自ら手折った薔薇で。『きみは僕が守る』とも言ってくださったのですわ」
「花言葉は『あなたを愛しています』でございますね」
オディロンの横にちょこんと座るミネットが淡々と言う。
「学園に入学してからも、そうです。お互い忙しくて、頻繁に、とはいきませんけれど、あのパーティーの先週だって、二人で街のカフェに出かけて……」
「買い食いは校則違反でございますが」
「ミネット、気にするところはそこか?」
「休日の話ですわ、ミネット書記。違反はしておりません」
「そうでございましたか。失礼いたしました」
慇懃無礼なミネットを、カロルは気分を害した様子もなく「構いませんわ」と許した。
「――で? 単なる許嫁というだけでなく、休日にデートするくらい仲が良かったのに、いきなりフラれたのが不満だと?」
「不満という言い方は、少し違いますわ。わたくしが愛想を尽かされたのであれば、わたくしがそれまでの女であっただけのこと。しかし、なんと申しますか……どうすればいいのか、わからなくて」
ミネットが「なるほど」と相槌を打つ。
「理由がわからないがために、お気持ちが迷子になってしまっている、ということでございますか」
「ええ、そうです。そうなのです、ミネット書記。このままでは、諦めればよいのか、悲しめばよいのか、怒ればよいのか……、それすらもわからないのです」
会長席に腰かけていたオディロンが、柔らかく微笑む。
「実は、私もあなたのことを心配していたところなんだ、カロル嬢。強く気高いあなたと言えど、傷ついた心は簡単には癒えないから」
ミネットは内心で「ひどいうそつき野郎でございます」と思う。絶対に面白がっている。
「というわけで、ミネット。どうしてカロル嬢はフラれたんだと思う?」
「わかりません。……いまは、まだ。カロル様、いくつかお聞きしたいことがございます」
ミネットは、じっとカロルを見つめた。カロルは居住まいを正す。
「ええ、構いませんわ。どうぞ、なんでもお聞きになって」
「では。フェリクス・ド・ル・フレジエ侯爵令息様と、パーティー以前で最後にお会いになったのは、街のカフェですね? そのときの態度は? まだ、心変わりされた様子はなかったのでございますか」
カロルはミネットのことを、不思議な雰囲気の平民だと思う。
ちんちくりんで、飾り気も化粧っ気もないくせに、一本芯の通ったサーベルのような美しさを感じる。目つきの悪い三白眼も、正面から見れば、きらきらして美しい。
「はい、いつも通り……その、イチャイチャしておりました」
「ふむ。カフェ以外には、どこへも?」
「ええ、わたくしは学園の寮に戻りました。でも、フェリクス様はそのあと、御父上から呼び出しがあったとかで、ご領地に戻られて。再会したのが、先週のパーティーでございました」
「別れ際までは、お変わりなく?」
「そうです」
「ならば、ご領地でなにかあって、心変わりしたのだと考えるべきでしょう。フレジエ侯がどのようなお方か、ご存知でございますか?」
「もちろん。何度も会ったことがありますもの。ひとことで表すなら……」
カロルは気遣わしげに、ちらりと会長を見た。
「……その、野心家、でしょうか。王家に繋がる血筋だと、会うたびに自慢しておられました」
ミネットは、その妙に歯切れの悪い口調から、フレジエ侯爵と生徒会長、双方への配慮を汲み取った。実際は王家に対して、もっと激しいことを言っていたのだろう。例えば……。
オディロンが可笑しそうに笑った。
「そうだな。フレジエ侯は、私のひい爺様の弟の家系で、百年くらい前は王位継承権の第二位だったはずだ。彼が『王にふさわしいのは自分だ!』なんて言っていても不思議じゃないし、気にしない。……実際になろうとしない限りは、だがな」
あけすけな言い様に、カロルは目を逸らす。
ミネットは目を細めてオディロンを見つめ、少しなにかを考えた。ややあって、カロルに視線を戻す。
「次の質問を。フェリクス様は、公衆の面前で他者を辱めるような言動をされるお方でしたか?」
「いいえ! そんな方ではありません! むしろ、誰に対しても心優しく、いっそ気弱に思えてしまうことすらあるお方ですわ」
ミネットは「で、あれば」と言葉を繋ぐ。
「仮にカロル様の言動が気に障って婚約破棄に踏み切ったのだとしても、場所を選ぶ分別をお持ちだと愚考いたします」
「言われてみればそうだな。気弱な人間が、大勢の前で婚約破棄なんて大それたこと、出来るはずがない」
「つまり、そうしたい理由があったのだ、と考えるべきでございましょう。カロル様との婚約を、公衆の面前で破棄したい理由が」
さすがのオディロンも、不快そうに眉をひそめた。
「それは、つまり……カロル嬢に恥をかかせたかったってことか? そんなの、嫌がらせか、あるいは報復くらいしかない気がするが」
報復。つまり、仕返しである。
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