守る者
こんばんは、ご無沙汰しております。
お話覚えてないですよね、町中で魔物に急襲されて、なんとか撃退しつつテールベルトに助けてもらって気を失ったところです。
目を覚まして、一番最初に見えたのは白い天井だった。
「知らない、天井だ……」
呟きつつしばしの間呆けていると、少しずつ倒れる前の記憶が蘇ってくる。背中から翼を生やしたような記憶があるのだが、あれは夢だっただろうか。
「いやいや、東雲くん医務室来たこと何度もあるよね?」
視界の外から風のように涼しげな声が響いて、頭にかかった靄が一気に晴れた。
「華田、無事?」
慌てて全身の怠さを振り払うように飛び起きると、華田は俺の隣で微笑んでいた。
「だいじょーぶだいじょーぶ、誰かさんのお陰でね!」
えへへ、と笑いながら片目をつぶる華田を見て安堵すると、力が抜けて再びベッドに倒れ込んでしまった。
「って、ちょ、大丈夫? 穴空いた風船みたいになってるよ」
「いや、ほっとして……紫苑は? あいつも怪我とかしてない?」
「紫苑ちゃんも大丈夫! 瑞垣くんがちょっと怪我してたけど、テールベルトがさくっと治してくれたしね!」
瑞垣がいたのはすっかり忘れていたが、ともかく紫苑にも怪我がなくて良かった。
「2人とも今は部屋で休んでるけど、東雲くんにありがとうって……もちろんあたしも!」
「いや、俺こそみんなに感謝しなきゃ」
最終的に鳥を倒したのは俺だったが、それは必死に立ち上がる紫苑や瑞垣の姿があったからだ。1人だったら早々に諦めていただろう。それに、結局最後は魔力切れで倒れてテールベルトに助けられた。
「かっこ悪いとこみせちゃったな……」
「ううん。かっこ良かったよ、東雲くん」
「――ほぉぁ?」
思わいがけない華田の言葉に、なんとも名状しがたい声が出てしまった。
「翼もほんとに綺麗だったし、一瞬で全部やっつけちゃったときとか、ほんとかっこ良かったなぁ」
2度も言った! お婆ちゃんにも言われたことないのに!
「ふふっ。じゃああたし、テールベルト呼んでくるね。起きたら呼びに来てって言われてるから」
あまりの動揺で頭が真っ白になった俺を放置して、彼女はくるりと踵を返す。少し歩いたところ軽快な足取りを1度止め、振り返った。
「あ、『さん』が取れて呼び捨てになると、戦友って感じしてちょっと良いね」
「お、おう……」
「じゃね」
それだけ言うと、彼女は今度こそ出て行ってしまった。1人残された部屋で、激しい動悸だけが響く。落ち着くんだ、俺。完全数を数えて落ち着こう。6、28、496、8128……あれ、次なんだっけ?
ともかく、やかましかった鼓動が少し落ち着いてくる。冷静に考えてみれば、あれはネガティブなことを言った俺を励ますためのリップサービスであって、決して華田が俺に気があるとか、そういうことではないはずだ。
舞い上がっていた気分が落ち着いて、息が整ってきた頃合いを見計らうようにコン、コンと医務室のドアがノックされた。異世界ではトイレでなくとも2回ノックで良いのだろうか。
「どうぞ」
「アヤトくん、具合どう?」
「全身が怠重いくらいです」
医務室に入ってきたテールベルトは、先ほど華田が座っていた椅子に腰かける。寝ている俺は下から見上げる格好になった結果……そり立つ壁が普段以上の存在感を放っていた。
「華田は……?」
「チグサちゃんなら部屋に帰したわよ……あれ、残念だった?」
「……別に、ちょっと気になっただけです」
テールベルトが、面白いものを見つけたようにニヤリと笑みを浮かべている。別に、そういうんじゃありませんから。
「まあ、その代わりと言っては何だけれど――」
彼女の声を遮るように、ドアが再び開いた。
「彩斗、大丈夫?」
心配そうな顔を浮かべている友人と目を合わせ、笑いかける。
「全然大丈夫。心配してくれてありがとな」
「そ……よかった」
椅子をもう1つ持ってきてテールベルトの隣にちょこんと腰を下ろす。彼女はテールベルトと違い、下から見上げても見晴らしが――
「――彩斗?」
「いえ、なんでもないです紫苑さん」
「……そ」
紫苑は依然として疑いの眼差しを向けてくるが、素知らぬ顔をして誤魔化しきってしまおう。
「さて、おふたりで盛り上がってるとこ悪いんだけど」
微妙な空気をふりはらうように、テールベルトが咳払いをする。
「単刀直入に聞きましょうか。アヤトくん、あの翼はなんなの?」
「あー、なんか生えてきたんですよね……」
「なんか生えてきたって、そんな庭先の雑草じゃないんだから……何も無いのに背中から翼が生えたりしないから、普通」
「やっぱそうですか?」
異世界なら普通のことなのかも知れないとも思っていたが、そうでもないらしい。
「正直俺にもよく分かんなくて、むしろテールベルトなら何か分かるかなって思ってたんですけど」
「あ、んー、断定はできないんだけど……」
1語ずつ噛みしめるような、自信なげな前置きと裏腹に彼女の中では思い当たるものがあるようだった。
「ギリギリあり得なくもないのが『神懸かり』、くらいかしらね」
「かみがかり……?」
「そっ」
いきも○がかりみたいなものだろうか。首傾げていると、テールベルトが優しい口調で言葉を続ける。
「簡単に言うと、精霊の力の一部を身体の中で展開する術ね。私もさっき使ったんだけど気づいた?」
「えーっと……」
「――鎌鼬」
必死に思い出そうとすると唸っていると、隣で黙って聞いていた紫苑が口を開いた。鎌鼬――大量の鳥を瞬時に切り刻んだ、あの術だ。
「そう。あれが私の守護精霊の力」
「守護精霊……?」
新しい概念が次々と出てくるせいで、頭がこんがらがってしまいそうだ。
「そもそも魔力っていうのは、精霊が私たちに与えてくれる加護の力と言われてるの。私たちは皆、生まれ落ちる瞬間に精霊から祝福を受ける――昔から、そんなふうに信じられているわ。魔術っていうのは、自分に祝福をくれた守護精霊にお願いをして、叶えてもらう儀式なの。それに対して、力そのものを借り受けて自分で振るうのが、『神懸かり』。魔術と比べても格段に難しい技術で、使える人はごく一握りなのだけど……魔術を使えないのに『神懸かり』が使えるなんて、前代未聞どころの話じゃないわ」
「精霊ってなんですか?」
「……そうね、そこからよね」
テールベルトは困ったような笑みを浮かべながらも、立て板に水を流すように解説を続ける。
「何種類いるのか、意思があるのかないのか、そもそも『存在している』と言って良いのか。いろんな議論があるわ。力の概念そのものとか、全ての法則の根源にある理だっていう人もいる。ただ、ときに生物のような姿をとって私たちの前に現れることもある……むしろあなたたちの方に、心当たりがあるんじゃないかと私は思ってるのだけど、どうかしら?」
「まあ……ないこともないですね」
「おそらくあなたたちは、元の世界にいた頃に向こうの世界の精霊のようなものと遭遇し、祝福を得た。そのせいで、召喚されたときに祝福が衝突を起こし、この世界の精霊から力を得ることができなかった。今のところはそれが私の仮説……前例のないケースだから、断言はできないけど」
「たぶんそうなんだと思います。僕は前の世界で、アキヤラボパに助けられたことがあるので」
「アキヤラボパ……それがあなたの守護精霊なのね」
テールベルトは、口の中で音の響きを確かめるように繰り返す。それから、紫苑の方へと視線を移した。
「シオンちゃんは、何か心当たりはある?」
「あります……けど、名前が分からない」
「そう……それだと、『神懸かり』は難しいかもしれない。けど、精霊が与えてくれた力が何かある可能性は否定できない……ただ、既存の魔術体系では引き出せないのは確実だし……」
いつのまにか彼女の視線は宙をさまよい始め、発せられる言葉は独り言と化していた。
「精霊の、力……」
紫苑もテールベルトの言葉をオウム返しにしたまま黙り込んでしまう。沈黙に耐えかねた俺は、横から口を挟んだ。
「俺にも、アキヤラボパから力を授かってるってことですか? ……その、『神懸かり』以外にも」
「そうね、何かあると踏んでいるわ――あくまで、私の勘でしかないけど」
「僕はこれから、何をどうするべきでしょうか」
今までは、魔術が使えないからこそできることに力を注いできた。いずれこの学院は辞めることになると思っていたし、だからこそ吸収できる限りのものを吸収しようとしていた。
しかし、そこに『神懸かり』という力を得た今、自分が何をすればいいのか、却って分からなくなる。
「そろそろ、魔境での実戦訓練に入る。そこで経験を積んでもらった後は、うちがあなたたちに提供できるものはなくなるわ。既存の魔術が役に立たない以上、うちのカリキュラムはあなたたちには無駄が多い。となれば、騎士学院に転校して剣や槍を身につけながら、自分の能力を探っていく方が良いんじゃないかしら」
「転校……」
紫苑と顔を見合わせる。
「まあ、ゆっくり考えてくれれば良いわ。どちらにせよあと2,3ヶ月はうちで面倒見られるはずだから」
「はい、いろいろとありがとうございます」
「……やめて、お礼なんて。当たり前のことをしてるだけだから」
凜とした顔立ちに、苦虫を噛みつぶすような表情が浮かぶ。
「それはそれ、これはこれなので」
「……そ。じゃあ、一応お礼は受け取っておくわ」
目を伏せて小さく息を吐き出し、吸ったときには引き締まった表情を取り戻している。
「もう部屋に戻っていいわ。明日の授業にも普通に参加していいけど、具合が悪かったらきちんと申告して休むのよ」
「はい、分かりました」
「じゃ、私はこれで失礼するね」
テールベルトが去った部屋に、2人取り残された俺と紫苑。
「なあ、紫苑」
「何?」
「ちょっと自主練しようぜ」
「――正気?」
* * *
元から黒い紫苑の瞳が、深く柔らかい夜空のような深い闇に染まる。しかし、彼女の身体から魔力が溢れ出てくる気配は皆無だ。それは一重に、魔力の制御が上達していることの証左だった。
鋭く息を吐く音。限界まで高めた俺の聴覚がそれを認識したときには、俺の視界は影に覆われている。音速で迫る飛び膝蹴り。思わず両手で受け止めようとした俺の視界の端で、ニヤリと歪む紫苑の口元。
「くそっ」
俺の腕を踏み台にして跳び上がった紫苑は、身体を捻りながら俺の背後に着地する。スタッという音が耳に届いた瞬間、俺の身体は前方に吹き飛んでいた。少し遅れて、牛に突進されたかと思うほどの衝撃を感じる。
思うように息ができず、咳き込みながらなんとか息を整える。蹴りの威力一つとっても、以前より明らかに上昇している。
「紫苑、身体の動きが、いよいよ化け物、じみてきた」
「さっきの戦闘で何か掴んだかも……でも彩斗も疲れてるだろうし、続きは明日……」
物わかりの良さそうな言葉に反して、瞳は爛々とした光を湛えている。実戦で得た感覚を確認したくてうずうずしているのが丸見えだ。
「いや、もう少しやってこう」
「大丈夫?」
「大丈夫だよ。感覚を忘れないうちにものにしちゃおうぜ。鉄は熱いうちに打てってやつ」
「……微妙に意味違わない?」
「あれ、そうか?」
首をかしげる俺の何が可笑しかったのか、紫苑はふふっと顔を綻ばせる。差し出された手を取って立ち上がると、漆黒の瞳と目が合った。
「悔しいもんね」
「……そうだな」
出し抜けに紫苑の口から零れた言葉の意味は、確認するまでもない。魔物と対峙して痛感させられた、己の無力さ。テールベルトに見せつけられた、果てしない実力差。助けに来た彼女の姿を見て覚えた安堵の大きさは、俺の未熟さの裏返しでもあった。それが堪らなく悔しいのは、どうも俺だけではないらしい。
「強くなれるかな」
「なれるよ――守りたい仲間がいるんだから」
いつまでも守られていたくない。アキヤラボパが俺を守ってくれたように、今度は俺が誰かを守れるようになりたい。
「――あっ」
「ん?」
「いや、だからアキヤラボパは力を貸してくれたのかなって」
きっとアキヤラボパとは、守る者なのだ。虹色の翼は、誰かを守るための盾であって、誰かにとっての守る者になるために貸し与えられるものなのだ。
「要するに『俺がガン○ムだ』ってこと?」
「急に小っ恥ずかしくなってきたから言うな。てかお前そういうネタ拾えるんだな」
「恥ずかしくなんてないよ! あたし、そういうのかっこいいと思う!」
「……えっ?」
紫苑ってそういうキャラだっけ?
「って千草も言ってくれる」
「うっせえ。なんで華田が出てくんだよ」
どうやら彼女は俺と華田の関係を誤解しているようだ。強くなるより先に、まずはそれを解いておかなければいけないようだった。




