冒険者ギルドと受付のお姉さん
「東雲くん、おはよ-!」
「あ、おはよ」
朝食の載ったトレイを持って席を探していると、囓りかけのパンを片手に持った少女が手を振ってきた。彼女は今日のようにクラスの女子と固まって食事をしていることが多い。朝から元気な同級生に軽く手を挙げて挨拶を返して、食堂に並ぶ長机を見渡す。
隣に人の存在を感じると落ち着いて食べられないので、3つ並びで席が空いているところが良い。できれば正面にも人がいないのが理想だ。
そんな風に吟味して席を選ぶ。空いているうちに済ませようと朝食に手を付けるが、程なくして隣の席が引かれた。
「あっ……」
視界の端に入った立ち姿を見て、昨日の彼女の表情が脳裏をかすめ、一瞬言葉に詰まる。
「――彩斗、おはよ」
「……おはよう」
紫苑は特に何かを気にした様子もなく、左手に持っていたトレイを隣に置いて腰掛けた。昨日のことを謝らなければ、とは思うが、紫苑の手を止めさせるタイミングが分からない。
結局どちらも一言も発しないまま、俺の食べるものがなくなってしまう。ちらりと隣を見るが、黙々と食事に向き合う紫苑に話しかける勇気が出ず、席を立つ。
今日は休日で授業で授業もないことだし、このまま訓練場にでも――
「――東雲くん?」
唐突に聞こえてきた声に我に返ると、目の前に腕を組んだ華田が立ちふさがっていた。
「ほんとにいいの、それで?」
「あ、いや、良いというか、まあ……」
華田の迫力に気圧されながら視線をちらりと横に移す。紫苑はいつの間にかこちらを向いていたようで、目が合うとコテンと首を傾けた。
「……食べる?」
差し出された皿の上では、小さな実が一つ転がっている。見た目は黄色だし味も異なるが、口の中で弾けるような食感は紛れもなくプチトマトのそれである。3大紫苑が食べられない野菜を昨日から立て続けに引き当ててしまったらしい。
紫苑の皿から似非トマトをつまみ上げ、口に放り込む。皿の上が綺麗になっても、彼女は俺の顔を見つめたままで体勢を戻そうとしない。沈黙が気まずい上に、背後から感じる圧力がどんどん高まっている。耐えきれなくなった俺は、喉に詰まっていた言葉をなんとか吐き出した。
「紫苑、その、今までごめん……俺、『後ろめたさ』とかもっともらしいこと言って、自分のことしか考えてなかった」
「……うん」
黒い瞳が揺れる。それから彼女は、はっとしたように目を見開いた。
「違う、私が悪かった。もっと早く私から言えば良かった話なのに、今更あんな言い方して」
そう言って紫苑は目を伏せる。真一文字に口を結ぶ彼女の表情は悲しげで、自分が情けなくなる。
「じゃあさ」
紫苑にこんな顔をして欲しくない。その一念が照れくささを抑え込んで、口から言葉が飛び出した。
「これからも友だちでいてもらえる……?」
「それは嫌」
後先考えず勢いで放った言葉は、にべもなく拒絶された。
「友だちは、頼まれてなるもんじゃない」
俺の心は踏み潰されるアルミ缶のように、ぐしゃりと音を立ててぺしゃんこになる。そんな俺を一瞥してから机に向き直った紫苑は、こちらに顔を向けないまま付け加えた。
「てか、言われなくても友だちだと思ってるから」
難解な紫苑語を理解するのに数秒を要した。それから、顔の温度が突然あがるのを感じる。口元が弛みそうになるが、華田にバレるとからかわれそうなのでなんとか引き締めた。
「東雲くん東雲くん、嬉しいの全然隠せてないからねー?」
華田からは表情が見えないはずなのに、なぜか俺の心情は筒抜けなようだ。
「よし、じゃあ、仲直りもできたことだし」
華田がパチンと手を鳴らす。
「そろそろ、お小遣い稼ぎにいかない?」
「アルクス魔術学院の生徒さんたちですね、学生証を拝見します」
受付のお姉さんは、俺たち3人の学生証を受け取り、慣れた手つきで申請書と見比べながら、何やらさらさらと書き込んでいる。余談だが、一口にお姉さんと言ってもいろいろな分類がある。今回のお姉さんはいわゆる「昔は綺麗だったんだろうな」系のお姉さんであって、受付「嬢」ではない。
ちなみに、この世界で最も高いお姉さん力を誇るのは……おや、手続きが済んだようだ。
「はい、ではその学生証が冒険者ギルドでの身分証も兼ねることになります。各種手続きの際には必ず持参して頂くようお願いしますね」
「はい、ありがとうございます」
返された学生証をみると、裏面に「0」という数字が記載されている。
「ギルドからの支払いは原則としてギルドカードへの入金という形になります。どこのお店でもギルドカードで支払いが可能なはずですが、現金が必要な際には銀行で下ろすようにしてください」
「あ、はい」
異世界は日本より遙かにキャッシュレス化が進んでいるらしい。その分なくすと大変なことになりそうなので、しっかり懐にしまい込む。
「今日申し込める仕事は、まだ残っていますか?」
「はい、こちらのリストからお選び下さい」
冒険者の本来の仕事は城壁の外に出て、結晶を回収してくることだ。しかし、ろくに経験を積めていない俺たちには、城壁外での仕事は荷が重い。だが、冒険者ギルドは、高い魔力や身体能力を持つ冒険者に仕事を斡旋する、ハローワークを兼ねているのだ。
華田はお姉さんに提示されたリストをしばらく見つめてから、1カ所を指さした。
「この、ユスタンシル魔導工場ってとこ行きます」
「かしこまりました。では手続きをいたしますね」
「お願いします」
それから店の場所だけ教えてもらい、ギルドの建物を出る。ギルドに入る頃はまだ低かった日もだいぶ高くなり、静かだった大通りには少しずつ賑わいが生まれ始めている。
「――あれ、華田?」
突然聞こえた声に振り向くと、朝の爽やかさを吹き飛ばしそうなほど暑苦しさのクラスメイトが立っていた。俺の同室でアメフト部の瑞垣だ。
「なんだ、東雲もいたのか。同室の俺らを誘ってくれないなんて水臭いじゃねぇか」
肩に腕を回そうとするの瑞垣をなんとか手で食い止める。いくら身体強化の技術は俺の方が上とはいえ、俺の太ももくらいはありそうな太さの腕が首に掛かるのは、本能的な恐怖を禁じ得ない。
そもそも、瑞垣も俺を誘わずに1人で街に出てきているわけで、俺だけが非難される言われもない……いや、誘われても困惑するだけだろうが。
「お前らこれから仕事すんの?」
「うん、そのつもりー!」
「じゃあ一緒に行こうぜ」
「え、あー……」
華田が困ったように俺に視線を向けてくる。俺としては、どうして大して仲良くもないクラスメイトと一緒に仕事をしなければならないのか、理解に苦しむところではある。とはいえ、彼がいたところで特段支障があるわけでもなかった。
「まあ、いいんじゃないか?」
ややあって、華田の陰に隠れている紫苑も、こくりと頷いた。
「おっけ。じゃあ、俺ギルドで登録手続きするから、ちょっと待っててくれ」
「いや、あたしら先に行くから後からおいでよ。ユスタンシル魔導工場ってとこ来て」
「……おう、分かった」
心なしか肩を落としつつ、瑞垣はギルドに入ってゆく。それを見送って、ようやく一息ついた。
「あいつ陽キャっぽい」
「はいはい、よしよーし」
唇を尖らせる紫苑の頭を、華田が苦笑しながら撫でている。
「じゃ、行くか」
「おーー!」
「おー」
華田が元気なのは相変わらずだが、紫苑も乗ってくれたのが少し嬉しかった。
因みに筆者はプチトマトは好きです。
キリが悪いですが、文字数が多すぎたので分割しました。




