紫電
雷を使う女の子が好きです。
なのはシリーズならフェイトちゃん推し。とあるシリーズなら御坂美琴派です。
俺を見下ろす山吹の顔は冷たく、先ほどまでの豊かな表情はない。どうして。問おうとしても、山吹の魔術で麻痺させられた俺の口は、思うように動かない。
「あんたさぁ、自分が嫌われてるって気づいてなかった? おめでたい頭してんだね、ほんと」
ぐりぐりと鳩尾にねじ込まれる踵より、蔑むような視線が痛い。
「ねえ、なんか言えば? ……ってああ、喋れないのか。最期の言葉くらいは聞いてやろうと思ってたけど、ミスったわごめん」
大げさにため息をついて頭を抱えた少女は、しかし言葉と裏腹に表情一つ変えない。ただ淡々と、独り言のように言葉を吐き出してゆく。
「大した能力もないくせしてあいつらに取り入って仲良くなっちゃってさ。誰に尻尾振ってるか分かってんの? あいつら自分たちのことしか考えないクズだからね? ……それとも、おっぱいが大きければなんでも良いの?」
尻尾を振ってなんかない。ただ、現実を受け入れただけだ。反論したいことはいくらでもあるが、俺の筋肉は弛緩しきって口が動かない。
「ねえ、教えてよ」
不自然に抑揚の抑えられていた声が、初めて少し震えた。
「なんであたし、こんな目に遭わなきゃなんないわけ? あたし、何かした? 悪いことしてなくね?」
連ねれば連ねるほどに、彼女の言葉には抑えきれない熱がこもってゆく。
「こんなクズみたいな世界、勝手に滅んでれば良いじゃん。あたし関係ねえじゃん! 巻き込むんじゃねえよ!」
思い切り蹴りつけられた俺は、丸太のようにゴロゴロと転がる。太い木にぶつかって止まったとき、口の中には土の不快な味が広がっていた。同時に俺の心中は、憤りとやりきれない気持ちが綯い交ぜになっていた。
辛くて仕方が無いのだろう。苦しさを何かに叩きつけたいのだろう。気持ちは俺だって、痛いほどよく分かる。だが、俺を痛めつけてどうするのか。俺が山吹を召喚したわけでもなければ、何とかしてやれるわけでもない。こんなものは、ただの八つ当たりだ。
それに彼らへの憎悪を叫んだところで、何も変わらないじゃないか。訓練をして知識をつけて、この世界で必死に生きようとすることの何が悪いというのか。
考えれば考えるほど、ふつふつと湧く怒りは増すばかり。それでも悲痛な表情を見ていると、ただ山吹を憎めば良いとも思えなかった。今はただ、死体のように転がっているしかない自分の身体がもどかしい。
動いてほしい。頼むから動いてくれ。一言で良い、彼女に言葉をかけさせてほしい。
天にいくら祈れど、神に何を願えど、俺の身体は死体のように横たわったまま動かない。
「むかつくんだよ! あいつらも、あいつらに尻尾振ってるあんたたちも!」
叫び声を上げながら、山吹は狂ったように何度も何度も俺を蹴りつける。だがその脚はろくに身体強化もされていないようで、蹴れば蹴るほど彼女の方が痛いはずだ。それでも山吹は――端正なはずの顔をくしゃくしゃに歪めて嗚咽する同級生は――いつまでも俺を蹴りつけるのをやめない。
「もう嫌……お願い、死んで。あんた死んでよ……じゃなきゃ、やってらんないのよ」
吐き捨てられた言葉と共に、すらりと伸びた細い人差し指が突きつけられる。彼女の体内で高まる魔力が漏れ出し、瞳は金色の輝きを増してゆく。それを見て、ようやく実感が湧いてくる。
彼女の一言で、俺の人生は終わる。異世界に来て、何も成し遂げぬまま無為に死ぬんだ。
「th……」
怖い。助けて欲しい。何より、自分の無力さが恨めしい。俺を見下ろす苦しそうな表情が、哀しい。
「thun……」
最期の瞬間は、なかなか訪れない。彼女の唇は、ここにきて一単語紡ぐことを拒んでいるようだった。
「thund……」
裏返る声。次第に大きくなる、指先の震え。対照的にぴくりともしない、俺の身体。
「th……thun…………ああ、もう、嫌あぁっ!」
何もかもを投げ棄てるような、絶叫。間髪入れずに響いたのは、全身を激しく震わせる轟音。迸ったのは、視界を覆い尽くす激しい光の奔流。
空へ翔け昇る紫電に視力を奪われる直前の一瞬、視界に捉えたのはへたり込んで泣きじゃくる少女の姿だった。
* * *
数秒後、徐々に色を取り戻していく俺の視界の中で、山吹が気を失っていた。溜めに溜めた魔力の制御を突然手放したせいで、行き所をなくした魔力が暴発したのだと今更になって理解する。
「あっ……」
山吹が意識を失ったからだろうか、麻痺の魔法が解けている。違和感は多少あるが、自由に身体が動かせる。ふらつきながら木を支えに立ち上がり、辺りを見渡した俺は言葉を失った。
地面から、木の上から、こちらを見つめる眼が5対……いや、6対。先ほどの雷の音が魔物の関心を引いてしまったのかもしれない。動揺する間に完全に包囲されてしまう。目の前には、意識のない少女が一人。
――「神懸かり」を使うか?
今なら、使えそうな感覚はあった。
――だが、それからどうする?
莫大な魔力を消費したあと、俺はこの森を抜け出せるだろうか? とはいえ、切り札を温存しながらここを切り抜ける手なんて……
――いや、だが、例えば
俺の頭を、一つの可能性が過った。
――例えば俺一人なら、包囲を抜けることができるのではないだろうか。
目の前で倒れている少女を見下ろす。こんな状況だというのに、一向に目を覚ます気配がない。
――そもそも、こいつが
こいつが俺を殺した結果、俺はこうして窮地に立たされているのだ。なのに俺は彼女を救うために、我が身を危険にさらさなければならないのだろうか。
――否。
そんな義理も道理も、どこにもない。
――こんなクズみたいな世界、勝手に滅んでれば良い
彼女は自分で、そう言ったじゃないか。
ゆっくりと息を吐いて、周りをもう一度見渡す。よく観察してみれば、ギラギラとした視線は山吹に集まっている。このチャンスを逃す手はない。身体強化で一体を倒し、そのまま一気に包囲を抜けよう。山吹という餌を置いておけば、深追いはしてこないはずだ。そう決断した俺は――
「――Achiyalabopa」
気づけば、気を失わないぎりぎりいっぱいの魔力を込めて、虹色に輝く翼を出現させていた。
どうしてこんなことをしているのか。本当にこれで良かったのか。何も分からない。内心では自問自答が止まらない。それでも俺は手を伸ばす。翼から剥がれ落ちた6枚の刃は滑るように最短距離を進み、魔物の喉元から脳を打ち抜いた。
「はぁ」
翼をしまい、木にもたれかかってため息をつく。魔物を退治したのは良いが、今の一撃で魔力が底をついた。目眩もするし、身体強化も使えないだろう。意識のない山吹を背負って、この森を抜けることができるだろうか。
「東雲?」
弱々しい声が聞こえて顔を上げると、山吹と目が合う。
「なんだ、起きてたのか」
「まあね……だけど、さっきので魔力も体力もありったけ使い果たしちゃったみたい。乾電池がショートしたみたいな感じなのかな。足も挫いたっぽいし、体動かせないや……置いて行きなよ」
微かに声をあげる山吹は、まるで憑き物が落ちたように清々しい表情をしていた。
「死ぬぞ、お前」
「まあ、それだったら自業自得じゃん? 八つ当たりなんかするから、あたしが馬鹿だったから、罰があたったんだって。そう納得できるから、いいんだ。自己満足に巻き込むようなことして、ごめん……あたしが言うのも変な話だけどさ……無事で帰って」
それだけ言うと、彼女は笑った。いつも通りに、朗らかに笑った。その笑顔に、腹が立った。なぜかは分からないが、猛烈に腹が立った。
「――んなことで」
「ん?」
傾げた首に張り付いた柔和な笑みが気に入らない。溜まった苛立ちを、ぶっきらぼうな口調で山吹にぶつける。
「そんなことで納得してんじゃねえよ」
「そんなことって……」
「うっせえ」
支えにしていた木から手を離す。三半規管がうまく機能していないが、どうにか足を前に進める。さんざん嬲られた腹いせに、山吹の右手を乱暴に引っ張って背負った。
「反省してるって言うなら、俺の言うことくらい、黙って聞けよ」
山吹が息を呑む気配を感じながら、一歩、二歩と足を進める。
「俺はさ、召喚されたことを不幸だとは思ってない、思いたくない。これから先の俺たちに幸せが待ってないなんて、誰にも言わせたくない。被害者ぶって諦めたフリして、やりきった感だして……それで笑顔で死んでいくやつが、気にくわない」
足元がふらついて、何とか近くにあった木を支えにする。背中に汗が滲んで気持ち悪い。目を閉じたらそのまま倒れてしまいそうだ。
「東雲、マジで無理すん――」
「――黙れよ」
意固地になっている、と自分でも思う。愚かな真似だと分かっている。それでも、この手を離すわけにはいかなかった。
「無理かどうかなんて、他人に決められてたまるか。できると思ってるからやってんだよ」
返事はなかった。ただ、山吹の腕に微かに力が入ってしがみつくような格好になり、少しだけ歩くのが楽になる。
歩く。歩く。聴覚もあまりうまく機能しない中で、2人分の鼓動の響きだけを感じながら歩く。
「東雲」
「なんだ?」
「怒ってないの?」
「馬鹿かお前」
手頃な木の幹に体重を預け、少し休憩する。
「めちゃくちゃ怒ってるわ。過去体験したことがないくらい、自分を見失いそうなほど激しい怒りを覚えてるわ」
「……ですよね、すみません」
「帰ったら、絶対お前のことぶん殴るから」
「……うん」
神妙に頷く山吹。だが安堵したのだろう、身体の力が少し抜けたのを感じる。
「なんで殴るって言われて嬉しそうなの? お前もしかしてM?」
「それは否定しないけど……今のはそういうのとは違うでしょ」
「いや否定しろよ」
「あ、Mって言ってもそんな激しいやつじゃなくて、ちょっとね、ちょっと」
「いや、聞いてねえし」
こんな状況だというのに笑ってしまって、少し元気が出た。もう一度山吹をしっかりと背負い直し、歩き出す。
「ねえ、東雲」
再び声をかけられたのは、数十歩ほど歩いた俺の足が止まったときだった。
「なんだ?」
「これどうする?」
「……どうしようか」
俺たちの前に立ちはだかるのは、ゴリラのような魔物が一頭。その太い腕を一振りするだけで、俺たちの命は容易く奪われるだろう。普段なら目をつぶってても倒せるレベルの魔物だが、魔力の枯渇している今、対処のしようはない。正真正銘、万策尽きた。
「ねえ、東雲」
「なんだ?」
「ありがとね。ここまで背負ってきてくれて。死ぬ前に、良い思い出できた」
囁く声は弱々しくて、俺の首に回した腕も小刻みに震えている。腕をしっかりと握ってやると、少しだけ震えが収まった。
「だから、諦めるなって」
「どうにもなんないよ、もう」
「あのさ」
「ん?」
彼女の腕を掴んだまま、俺は目一杯笑って見せた。
「俺ら、頑張ったじゃん?」
「うん、頑張った」
「ほんとに頑張って、諦めたくても最後まで踏ん張って、ここまできたじゃん?」
「うん」
「そんだけ頑張って、それでもどうにもならないときにはさ――」
目の前の魔物を睨めつける。いつでも俺たちを殺せるとでもいいたげな、舐めきった表情を浮かべるそいつを超えた、向こう側に視線を向ける。
「誰かが助けてくれたりするもんなんだよ」
「いや、そんなに上手い話が――」
――その瞬間、何かが音速で突っ込んで、魔物の頭が吹き飛んだ。
「あるわけ……え、何?」
背中から呆然とした声が聞こえてくる。
「彩斗、山吹さん、大丈夫?」
肉塊と化した魔物から、少女が降りたつ。黒曜石の瞳と目が合った。
「紫苑、助かった、ありが……と……」
そこまで言ったところでバランスを崩す。慌てた顔をした紫苑が受け止めてくれた。
「何かあった?」
「まあ、いろいろな」
「強い魔物?」
「いろいろあったんだよ、いろいろ」
「……そ」
紫苑の表情を見る限り、とりあえずは見逃してくれるようだ。代わりに後で問い詰められるのは、覚悟しておかなければならないだろう。
「もう、紫苑ちゃん、置いていかないでよ……ってあれ、東雲くんに金糸雀ちゃん? 大丈夫?」
華田も血相を変えて飛び込んでくる。友人2人に迎えられて、ようやく肩の力が抜けるのを感じた。
結局その日俺と山吹は、紫苑の両脇に抱えられ、かなり情けない思いをしながら帰ることになった。




