29.エピローグ 後編
本日のアシュクロフト邸には来訪者があった。スティーヴンだ。
応接室でスティーヴンと対面しているオフィーリアは、ブラッドが淹れた紅茶の味と香りを楽しんでいる。スティーヴンのほうはと言うと、テーブルに置かれている紅茶の水面をじっと眺めていた。
「フェイビアンたちの処遇が決まった」
「そう」
王家やラウントリー家からもらった示談金はオフィーリアの全財産に比べたら微々たるものだったけれど、一般的な感覚だとかなりの高額だった。しかしまあ、当然ながらそれで片付くわけではない。
「フェイビアンは王太子の地位、それに付随する領地等の財産、王位継承権も剥奪される。ラウントリー伯爵令嬢が学園を卒業したらすぐ結婚だが、フェイビアンは大学卒業後、士官学校で学んでそのまま軍に入ることになるから、まあ新婚生活は厳しいだろうな」
士官学校は完全に寮生活。卒業後もしばらくは軍の寮での生活になるのだ。
「そのうち伯爵位を与える予定らしいが領地はない。王室からの支援は身辺警護のみ。ラウントリー伯爵家や王妃の実家からの支援についても制限が設けられたから、フェイビアンはずっと軍人として従事するか、何かしら別の仕事に就くことになるかもな」
王子に与えられる爵位は基本的に公爵なので、あの国王にしては我慢したほうだろうか。そもそも議会の承認が下りるような内容でなければいけないので、甘い処罰は差し戻されるだけである。
国王の身勝手な婚姻から後継者変更の一連の件により、君主の権限は近年、急速に縮小されつつある。皮肉なことに、フェイビアンが格差をなくそうとする活動がその流れの追い風になっていた。
「あと、ラウントリー伯爵は責任を取って一年以内に当主の座を他の者に譲るらしい。陛下も数年で譲位なさるだろうな」
「当然ね」
「……新しい王太子に関して、私は妾腹だから国王になる資格はない、そちらで王位を継いでくれと他の王位継承順上位者の説得を試みたんだが、順位が上なのは私だし、アシュクロフトを制御できる自信がないからと難色を示された。……つまり、私が王太子になりそうだ」
スティーヴンの声が沈んでいる。
現在の国王は三人姉弟の真ん中で、姉と妹がいる。継承権は男子優先なので、姉ではなく弟が王になったのだ。
伯母にも叔母にも子供がいる。スティーヴンにとってはいとこに当たるわけだけれど、そのいとこたちも、スティーヴンを差し置いてそんな……と繰り上げ継承を拒否した。
「伯母上たちは私にもお前を制御することなんて不可能だと理解しておられるうえでのこの返答だ。――オフィーリアお前、私を王太子にするために、フェイビアンたちを嵌めただけでなく他の王族にも手を回したな?」
スティーヴンの恨みがましい眼差しもなんのその、オフィーリアはにっこりと笑う。
「あなたが王になったほうが楽しいじゃない」
「楽しいかどうかで人の人生を変えないでくれ……」
王族という肩書きがある以上、息苦しい生活ではあるものの、衣食住には困らなかった。最低限の責任を果たせばいいだけのただの第一王子の生活は、王太子と比べれば気楽だった。その生活が崩壊していく音が、ずっと聞こえている。
「わかっていたなら妨害すればよかったでしょう」
「お前の邪魔をしたらあとが怖いだろう……。私は何があってもお前だけは絶対敵に回さないと決めているんだ。しかもブラッドなんて忠実な猛獣までいたら虎に翼じゃないか。手に負えない」
「虎なのはブラッドよ」
「そういう返しは求めていない」
スティーヴンは嘆くように天井を仰ぐ。
「私は国王とかいう面倒なものにはなりたくないんだがな」
「諦めてわたくしの目と耳と手足になってしっかり働いてちょうだいね」
「仮にも王子に向かって……」
頭が痛いとばかりに、今度はこめかみを押さえた。
「確かに、未だに獣人を奴隷として隠している者を締め上げるとか、奴隷ではなくとも自分より弱い立場の相手を暴力や権力で従わせている者をぶっ潰すとか、不正まみれで性根の腐った貴族を断罪するとか、こそこそまだ獣人を売買している獣人奴隷商をこらしめて強制労働に処すとか、王のほうが入手できる情報が多く、何かとお前が望む機会をたくさん提供できそうではあるけどな。フェイビアンたちと協力するとか、そういう道を模索してほしかった……」
「あれはだめだもの」
「……はぁぁぁ。やっぱりもっと厳しくフェイビアンを教育するよう、しつこく進言するべきだったな」
「もう遅いわねぇ」
後悔はあとになって悔やむから後悔なのである。
「そもそもお前の目的の一つは、公爵家の当主であるお前がブラッドと結婚できる状況を作ることじゃないのか? フェイビアンと協力したほうがスムーズにことが運べたと思うんだが」
「籍を入れることにこだわりはないわ。それに、わたくしはあなたの父親や異母弟と違って、周りを完璧に黙らせることだって可能だもの」
国王もフェイビアンも、そのあたりが下手だった。
「アシュクロフトの後継者について口を出せると思っている連中は、高い代償を払うことになるでしょうね」
王位ではないのだし、跡継ぎさえいれば、と周りに納得させることは難しくない。オフィーリアがアシュクロフトの悪名を有効に活用できると踏んだ一つだ。
口を挟んで破滅。そんな結末は、誰だって迎えたくないだろう。
王太子にも容赦がないとオフィーリアの性質が改めて知れ渡った以上、誰もがオフィーリアへの態度にさらに慎重にならざるを得ないのだ。
スティーヴンは背もたれに体を預けると、虚ろな目になった。
「派手に問題を起こして継承権を放棄するか……」
「残念。揉み消すから無駄よ」
「わかっている。ちょっと願望が漏れただけだ……」
これくらいは許してほしいと、スティーヴンは切実に思った。
「いっそお前が王になればいい。一応継承権があることだしな。ああ、それがいい。すべて解決だ。結婚についても、お前なら周りの口を閉ざせるだろう?」
「却下ね。仕事が増えてやりたいことに割ける時間が減るもの」
「だからその面倒な仕事を私に全部押し付けないでくれと言っているんだ……」
どうしてこんなにも面倒ごとが押し寄せてくるのだろうかと、スティーヴンは神を呪いたくなる。神なんて信じてはいないけれど。
「元からあなたは王太子になる者として生まれたんでしょう? 本来の立場を取り戻すことになっただけだわ」
「母上がうるさくなりそうだ。めんどくさい……」
「あら。あれが好き勝手するのをこのわたくしが許すと思うの?」
「あーはいはいそれなら安心だな」
もう投げやりだった。オフィーリアがスティーヴンの実母を嫌っているのは不幸中の幸いである。
「継承権があるから、という話なら、マーガレット嬢が女王になるのもいいわね。そうなればあなたは王配になるわ。とっても素敵」
上品に笑みを零すその姿が、スティーヴンには悪魔のように見えた。それでも美しいことは認めざるを得ないのだから腹立たしい。
ハズヴェイル公爵家も王家の血筋だ。ただ、現在の国王とはかなり遠縁なので、マーガレットやクリフォードに玉座が回る可能性は非常に低い。
けれど、マーガレットの恋人は現在継承順位第二位であり近々一位になるこのスティーヴンである。結婚するとなれば、しかもオフィーリアの推薦があれば、マーガレットが女王として立つ未来も実現可能だと思わせられる。順位の意味がない。
これがオフィーリアの恐ろしいところだ。
「私はきっとストレスと過労で早死にする……。原因はお前だ、オフィーリア」
「――あら」
オフィーリアは目を細めて首を傾げ、淡い青色の双眸でスティーヴンを射抜いた。
「あなた今、このわたくしに罪をなすりつけると宣戦布告したの?」
相変わらず声音は穏やかなのに、一瞬で相手の全身に恐怖が走る独特の威圧感がある。
「……口が滑った」
「そう。わたくしは寛容だから聞かなかったことにしてあげるわね。それと、死なない程度にこき使う予定だから安心して? ただの第一王子だった頃と比べて王太子や国王って多忙だものね。マーガレット嬢から旦那様を奪うわけにはいかないし、もちろんそこは考えてあげるわ」
「………」
「継承問題への配慮で第二王子とペネロピ・ラウントリーの結婚を待つ必要がなくなって、マーガレット嬢と早く結婚できるのよ? 感謝してくれてもいいくらいだと思うのだけれど」
「…………」
スティーヴンはブラッドを見る。
無表情のブラッドは軽く頭を下げた。
「今後ともオフィーリアのためによろしく頼む、未来の国王陛下」
だめだ一生逃げられん、とスティーヴンは諦めるしかないのだった。
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