【7.熱意】
長椅子に深く沈みこみ、そんな風に昔のことを思い出していたリーアンナだったが、「そう、そのエルンスト様が刺されたんだ」というところにぼんやり考えが及んだ時に、ハッと顔を上げた。
エルンスト様は誰かに刺された。
彼は聖女ルシルダのことは疑うような発言をしていた。
そして自分を庇うような発言も。
もしかして、刺されたのは、うぬぼれかもしれないけれど、自分やルシルダに関係することなのではないだろうか。
そこまで考えると、リーアンナはずっとぼんやり頭の中に浮かんでいたことを実行する決心がついた。
そう、昨日からずっと考えていた。また、『夜の散歩』をすることを。
「メシャを呼んでちょうだい」
リーアンナは侍女の一人に言いつけた。
呼ばれたメシャはひどく面倒くさそうな顔をしていた。
メシャは女中見習いだ。そのくせに、その見習いの仕事も母の言いつけでさせられているだけなので真面目にやらず、結局このグルーバー公爵邸でメシャがやっているのはリーアンナの話の相手ぐらいだ。
その話し相手もたいして真面目にやらない。他の仕事をさぼれるからリーアンナの傍に侍っているが、積極的にリーアンナの話を聞こうとは微塵も思っていない。
しかし、リーアンナはエルンストが刺された話をメシャに聞かせ愚痴った。
「ということよ、メシャ。エルンスト様が刺されたってどういうことだと思う? しかもその状況を当のエルンスト様が隠しているというのよ。どうやらウォーレスやバートレットには伝えたみたいなんだけど」
「どうでもいっすねー」
案の定、メシャは聞く耳を持たない。
「相変わらず興味がないのね」
しかしリーアンナの方も、そんな風に文句っぽいことを言うが、実は馴れっこなので怒りもしない。
なぜリーアンナがこんなメシャを傍に置いて愚痴るかと言えば、メシャが自分に興味がなく、極めて客観的な意見をくれるからだった。そして、驚くほど口が堅かった。
リーアンナは苦笑した。
「人が刺されたと聞けば、さすがにあなたも興味を持ってくれるかと思ったわ」
「そういうのは警備兵とかに言ったらいんじゃないっすか? あたしの仕事じゃないんで」
「でも私、首を突っ込もうかと思ってるんだけど」
「は? やめてください、あたしの仕事が増えそうで嫌ですよ」
「そうね、少し増えるわ。今夜、行ってみようと思っているの。見張りをよろしくね」
リーアンナはさらりと『夜の散歩』のことを言った。
メシャはさすがにぎょっとして目を剥いた。
「はあ? 今夜ですか? 急すぎですよ、あたし、今夜友達と飲む予定だったのに!」
「と思ったから、あなたのご友人たちに根回ししといた。メシャ来れないのごめんねって飲み代を少し多めに渡しておいたわ。お友達、了解ですってお金を受け取ってくれたわ」
リーアンナは少し申し訳なさそうにぺろっと舌を出し、片手を顔の前に立てて軽くお辞儀をした。
「は? あたし、はした金で売られたってことっすか?」
メシャはイラっとした顔をした。
「でもね、お嬢様。やめた方がいいっすよ。バートレット様もウォーレス様も首を突っ込むなって言ってるんでしょう? しかも彼らは何かもう少し状況が分かった上でそう言ってる。お嬢様が邪魔するだけなんじゃないっすか?」
「でも、私のこの力があれば、もう少しいろいろ分かる気がするんだけど」
「それならお嬢様の力のことをウォーレス様やバートレット様に伝えて、その上で連携を取ってやったほうがいいんじゃないすか? もっと有効に使えますよ」
メシャはもっともらしいことを言う。
「それは……」
「気が進まない? まあね、お嬢様はご友人たちにはこの力を頑なに隠してらっしゃるもんなあ。なんでですか?」
メシャは首を傾げながら聞いた。
リーアンナは言いにくそうに下を向いて唇を噛んだ。
「悪用すれば他人の私生活を覗けてしまう能力よ。そんなもの持ってるなんて知られたら、私の周りには人はいなくなるんじゃないかしら。私が他人の私生活を喜んで覗くような性格じゃないと分かってくれているような人でさえも、きっと片隅では引っかかるものを感じると思うのよ、きっと」
「まあ気持ち分からんでもないかな。あたしみたいにお嬢様に何見られても恥ずかしくない人間は身構えないでしょうけどね、隠し事のある人間は身構えるでしょうなあ」
メシャはズバッと言う。
「それは私にも分かるわ。それが怖いの」
「だからウォーレス様やバートレット様には言わずに一人でやるってことですね。でもさ、エルンスト様でしたっけ? ただの勘ですけど、それ十中八九あの聖女絡みでしょう? お嬢様に今更首を突っ込む資格があるとは思えませんけどね。だってお嬢様、これまで、ルシルダ様が現れてからこの2年間、『聖女』の疑惑は放置してきたわけじゃないですか」
メシャはリーアンナを批判するように言った。
『聖女』の疑惑というのは、エルンストが王太子に直訴していたように『本当にルシルダが聖女なのか』と疑っている人がいるということだ。
そういう人がいることを知りつつ、リーアンナは「聖女法に則って」事を荒立てることはしてこなかった。ルシルダに極力関わりたくなかったからだ。リーアンナには『夜の散歩』という能力があるにもかかわらず。
2年間何もしてこなかったことはリーアンナも自覚があったので、エルンストが刺されたからといって今更首を突っ込むことに、少し後ろめたい気持ちになった。
「そ、それはそうだけど。でも、まさかエルンスト様が刺されるほどの事態になるなんて思ってなかったの。私が婚約破棄に甘んじて――私が身を引いてすべてが丸く収まるならそれでいいと思ってたのよ。あ、いや……、エルンスト様が刺されたのは『聖女』の問題のせいじゃないかもしれないけど……。でも、私……」
もじもじしながらも退く気配を見せないリーアンナに、メシャはため息をついた。
「エルンスト様が好きですか?」
「あ……うん。たぶん。彼を目で追ってしまう」
リーアンナは赤くなりながら素直に答えた。
「エルンスト様は婚約者がいるんでしょう?」
「それ、当たり前だけどみんな言うのよね。毎回『知ってます、だから何もしません!』って答えるのだけど」
リーアンナは申し訳なさそうに縮こまった。
「不毛ー……」
「だってこの気持ちはコントロールできないじゃない! 感情をコントロールできるならどんなに人生が楽になるか、私だって泣きたいくらい思うわよ!」
とリーアンナが叫んだので、メシャは呆れたように首を竦めた。
「患ってるなあ……」
「ええ! じゃあ白状するわ。例えば夜会の招待があるでしょう? まずエルンスト様は来るだろうかって考える。でもそんなこと誰にも聞けないから、一人でずっと来るか来ないかくよくよ考えている。その気持ちの正体は『来たらいいな』っていう期待よ。それで夜会に行くでしょう? エントランスからすぐにキョロキョロとあたりを見回すの。エルンスト様がいるんじゃないかって。見つけるまで一通り会場の隅々を探さないではいられないのよ。そして、建物の中に見つからなければ理由をつけて庭に出るの、外にならいるんじゃないかって」
リーアンナは開き直ったように滔々と語る。
「で、見つけてどうするんです。話しかけるの自重してるんでしょう?」
完全に呆れ返った様子のメシャは腕を組んで上から聞いた。
しかしリーアンナも負けていなかった。
「ええ! 話しかけませんよ。見るだけで幸せ、会えただけで幸せってやつだもの!」
それを聞いてメシャは降参したように両手を小さく上げた。
「不毛ー……。そんな重症だったんすね。じゃあもう止める選択肢はないっすね。行ったらいいっすよ。私が見張っときます」





