【27.聖痕が消える】
さて、ところ変わって。
その日は、国王や王太子、国の要職に就く大臣たちの昼の会食の日だった。
定例の会食だが、大広間にひときわ大きなテーブルを並べ、染み一つない真っ白な地厚なテーブルかけに、凝った燭台、何枚も重ねられた大きな金縁のお皿が、会の重要性を厳かに示していた。
時間になると大臣たちは促されるように広間に通され、一人一人決まった席に着席した。中にはリーアンナの父グルーバー公爵や、セレステの父トロニック公爵もいる。
最後に国王夫妻、王太子と、そして王太子の婚約者である聖女ルシルダが着席した。
会食はいつも通り始まる。
コックが腕を振るった珍しい料理が運ばれ、皆のカトラリーの爽やかな音や和やかな会話が聞こえてきた。美しく盛られた皿は芸術品のようだ。
季節のスープが出てきたとき、一口すくって飲んだルシルダが、
「これは?」
と急に口元を押さえた。
給仕の女が飛んでくる。
「どうなさいましたか? もしかしてお口に合いませんでしたでしょうか」
ルシルダは不快そうに給仕の女を睨んだ。
「口に合わないというか、舌がピリピリするわ! 何なの、これ!」
給仕の女はおろおろした様子で、
「ルシルダ様のお体に合わない食材だったのかもしれませんね、ちょっとお待ちください」
というと厨房に一旦下がり、そして手に何かの液体の入った食前酒グラスを持って、大急ぎで戻ってきた。
「すぐにこちらをお飲みくださいませとコックが申しております!」
ルシルダは横柄な態度で無言でグラスをひったくると、一気に中の液体を飲み干した。
ルシルダは飲んだ後しばらく口を押えていたが、やがて落ち着いたのか、グラスを給仕の女に乱暴に押し付けた。
「医官の先生をお呼びしましょうか」
と給仕の女がおずおずと聞く。
「大丈夫と思うけど、そうね、一応医官の先生に来てもらうわ。もう二度とこういうことのないように、コックたちによくお話してもらわないと」
ルシルダは偉そうにふんぞりかえって言った。
「は、はい!」
給仕の女は急いで部屋を出て行く。
しばらくすると、医官が入ってきた。
ルシルダは軽く目を上げ驚いた。
医官の後ろに、リーアンナとセレステがいたから!
「何よ、あんたたち!」
ルシルダが憤慨して叫んだ。
大臣席に着席していたリーアンナの父やセレステの父も目を丸くした。
そのとき、いたって真面目な顔で、冷静に医官が口を開いた。
「おや、聖女殿、聖痕が消えておりますな」
ルシルダはぎょっとした。
「え? 何ですって?」
大臣たちも驚いて振り返り、ルシルダの額に目をやった。
「聖痕とは消えるものなのか?」
ルシルダは後ろめたいことがあるのだろう、気まずそうに手で額を隠そうとした。
そのとき、リーアンナが医官の発言に満足そうな顔をしていたのに気づき、リーアンナの父が聞いた。
「リーアンナ、おまえは何しに来たのだね」
「ルシルダ様の聖痕の秘密を皆さまにお伝えしようと思ってきました」
リーアンナははっきりした声で答える。
ルシルダはぎくっとした顔をした。
「どういうことだね?」
国王は、リーアンナたちがこのような会食に勝手に入り込んだ無礼については咎めることなく、穏やかに尋ねた。
「さっきルシルダ様に飲んでいただいたのは、ある薬草を煎じたものです。ルシルダ様にすんなり飲んでいただけるよう、少し細工をさせていただきましたが」
とリーアンナが言うと、ルシルダはキッと怒った。
「もしかしてあのスープ!?」
「はい、舌がピリピリしやすい食材をルシルダ様のスープにだけ入れさせてもらいました、毒ではないのでご安心を。異変を感じたら薬草も疑いなく飲んで下さるかと思いまして」
リーアンナは微笑む。
「薬草がどうかしたのかね?」
と国王が首を傾げたので、リーアンナは続けて説明した。
「こちらの薬草はある薬の効能を打ち消すものですわ。それがルシルダ様の聖痕に関係しているのです」
ルシルダの方はリーアンナの言わんとしていることが分かって真っ青になった。
ある薬とは、皮膚病の古い処方薬のことだ! しかし、いったい、どこでその話を――?
「ルシルダ様はご理解なさっているようです」
とリーアンナはルシルダの顔をちらりと見てから言った。
席に着いていた全員がルシルダを振り返った。
王太子一人が下を向いて面白そうにくっくと笑っている。
「いやあ、いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってはいたけどね。なかなか楽しいね。私も『ある薬』って何なのか興味があるよ、いいよ、リーアンナ、続けて」
リーアンナは王太子が不謹慎に笑っているので不審な目を王太子に向けていたが、国王や大臣たちの催促の声に我に返り、説明の続きを口にした。
「ルシルダの聖痕はニセモノです。特別な体質によるものでしょう。古い処方の皮膚病の薬に体が反応して赤い痣が出るようです。それが聖痕に似ているので、皆騙されていたのです。ですから、その処方薬の効能を抑える薬草を呑めば、聖痕は消えるというわけです」
「聖痕がニセモノ? 薬の成分への反応で聖痕様の痣が?」
国王は驚いて目をぱちぱちさせた。
「ですよね、ルシルダ様?」
リーアンナが確認すると、ルシルダは悔しそうに唇を噛んでいる。聖痕が消えてしまった額を庇うように俯いて。
聖痕を出すには確かにあの薬を塗ればいい。しかし、今ここで塗るわけにはいかない。リーアンナの言い分をまるっきり認めたことになるからだ。
苦し紛れにルシルダは反論した。
「皮膚病の薬が私の聖痕を出しているという証拠はないわ。というか、今飲まされたのがその特別な薬草である証拠だってないじゃない! ただの毒かもしれないわ。毒で私の体調が弱り、聖痕も見えにくくなったのよ」
そう言ってルシルダはわざと苦しそうに顔を歪めて頭を押さえて見せた。
「毒じゃありませんよ。薬草の残りがありますし調べてもらっても結構よ。すり替えを心配されるなら、中立な立場の医官の方々に後ほどきちんと用意してもらってもいいですわ。薬草だけじゃなく、皮膚病の古い処方薬もね。塗ったら痣が出るところもお見せしたら。新処方のものは効かないんですってね、注意しないと」
とリーアンナが言うと、ルシルダは悔しそうに黙った。
そのとき王太子がよく通る声で確認するように聞いた。
「ルシルダ、君の聖痕はニセモノだったのかい?」
「そ、それは……」
ルシルダは何と答えてよいのか、真っ青になっている。
王太子はゆっくりと国王夫妻や大臣たちを見回してから、
「まあこの場の空気。誰もおまえを聖女だなんて認めてないな」
と楽しそうに呟いた。
ルシルダは震えている。
「王太子様までお疑いになるの?」
王太子は首を竦めた。
「まあ私も最初っから聖女だとは思ってなかった」
「なんですって!」
ルシルダがヒステリックに叫ぶと、王太子はうるさそうに耳を塞ぐ真似をした。
そして言った。
「おまえが現れたと聞いたとき、すぐに信頼できる神官に問い合わせた。いまいちウィスレッジ神官の言ってることが要領を得なくてな」
「え?」
「私が問い合わせたのは、中央から離れた、水源地帯の神殿を統括する古くからの神官たちだ。彼ら何て言ったか知ってるか? 水の女神の証文におまえの名前は浮かばなかったと言ったぞ」
王太子はニヤニヤしている。
「水の女神の証文? 名が浮かぶ? 何ですか、それは」
初耳だとばかりにルシルダは首を振った。
王太子は、そんなことも知らないのかとため息をつきながら、面倒くさそうに説明した。
「彼らは同じ女神を信仰しているとはいえ中央の神殿とは系統が違うからな。彼らなりの伝統的な聖力の見極め方があるのさ。まあ私も詳しくは知らんが、それによればおまえの聖力は陰性だったということだ」
「そんな! そんな方法知りません!」
ルシルダは聖女を否定されて金切り声を上げた。
「まあ、中央では一般的な方法ではない。だから私も大声では言わなかったさ。中央神殿とか南部の拠点神殿とかとむやみに対立するは、私も望むところではないし」
王太子は頷きながら言った。
それから、
「エルンストはうるさかったがな。ま、エルンストがいいとこまでやってのけるなら、最後は私もエルンストの話に乗って、この話をしてやろうとは思っていたが」
と付け加えた。
「エルンスト……」
ルシルダは放心状態でその名を呟いた。
「あ、そうだ。その水源地帯の神官たちの意見も聞きたいなら、今度呼んでやるぞ。どうする?」
「い、いえ、結構です」
ルシルダは即答で拒否した。もうこれ以上追い詰められたくない。
「じゃあ、君はもう自分は聖女じゃないって認める?」
王太子が面白そうに聞いた。
ルシルダはもう負けを認めた様子で、悲壮感を漂わせていたが、最後に気力を振り絞って言った。
「でも聖女とかどうでもいいじゃないですか。王太子様はそう仰いましたわ、私が聖女じゃなくても私を愛していると」
「? そんなこと言ったかな」
王太子はきょとんとする。
「言いましたわ!」
ルシルダが泣きそうになって叫ぶと、王太子はポリポリ頭を掻いて答えた。
「言ったとしても、まあ、あれかな、睦言ってやつじゃない? 寝所の甘い会話なんてそんなもんだろ」
しかし、ルシルダはまだ食い下がった。
「王太子様! せ、聖女じゃなくても! 聖女不在の今でしたら、私が婚約破棄をされる理由はないんじゃありませんか? 本物の聖女が現れたりすれば、そりゃ身を引かなきゃいけないのは分かりますけど……」
王太子は呆れた顔をした。
「悪いけど、聖女法はどこまで知ってる? 聖女の偽称は罪だよ」
「え!」
「そりゃそうだろ! 聖女って名乗れば国の当主、もしくはそれに準ずる者と結婚できるんだからさ、悪用されたら困るだろ。偽称がOKなら誰でも聖女名乗るじゃないか!」
王太子はうんざりしたように言った。
「誰でもって……。私には聖痕が……」
ルシルダが苦し紛れの言い訳を言おうとしたとき、ぴしゃりと王太子が断じた。
「だからそれはニセモノだったんだろ? 君の特殊な体質だかなんだか知らないが、何かの薬に反応して聖痕みたいな痣が浮かぶだけ」
ルシルダは今度こそ完全に黙った。
「聖女の偽称の罪はどんなもんだったかな? 法相」
王太子は出席していた大臣の一人に聞く。
法相はいきなり聞かれて焦りながら、うーんと記憶を引っ張り出すように呻いた。
「聖女の偽称なんて久しく聞いておりませんでしたから、記憶があやふやです。でもそうですね、刑の上限はなかった気がします。悪質度によるということですね。悪戯のようなものであれば修道院での監視で済みますが、悪質度が高ければ死刑があり得るということです」
「死刑!」
ルシルダが悲鳴を上げた。
「ということらしいね。まあ君の場合は南部の拠点神殿の神官が噛んでいるし、裁判で判断していくしかなさそうだよね」
王太子が慰めているのかいないのか分からないような言い方をした。
それから、王太子はふっと思い出したようにリーアンナの方を見た。
「で? リーアンナ。聖女がいなくなったから、また私と婚約するかい?」
「は? 絶対嫌です」
リーアンナは思いがけない質問に、咄嗟に本音が出た。
言ってしまってから、無礼だったかしらと慌てて口を押える。
でも、この王太子様、何考えているか分からないもの。絶対嫌。それにもう別の人のことが気になっているし……!
一方、リーアンナに嫌だと言われても王太子は怒りも悲しみもしなかった。
そして笑った。
「ははは、冗談。そんな怯えた顔しないでよ。何か悪いことした気になるじゃないか。私も嫌われたもんだね」





