【25.聖痕の秘密】
さて、セレステに助言をもらったリーアンナは、適当な時間を見計らい、メシャとセレステに肉体を任せて『夜の散歩』に出た。
行き先はもちろん南部の中心都市にある拠点神殿だ。
この神殿は歴史的に見ても問題の多い神殿だった。
近年、王宮は王都にある中央神殿を国の第一神殿として定め、地方の神殿を統括させてきたが、南部の拠点神殿だけは異質だった。
普通は、地域の小神殿で実績を積んだ神官が地方の拠点神殿に選ばれ、さらに優秀な神官が中央神殿に集められるのだが、南部の拠点神殿だけはこの神殿で修行を始めた神官がずっとそのまま居座っていて、小神殿からの流入もなければ、中央神殿への移籍も滅多にない。
神官の流動がないため、南部の拠点神殿は閉鎖的で独自の文化を持っていた。
もともとは、昔、一人の英雄的な神官が特例で故郷の南部の拠点神殿に居座ったのが初めだった。その時期に中央神殿が遠慮気味に接したのが良くなくて、特例がなんとなく今まで続いてしまっているといった感じだった。
あくまで特例に過ぎないのに、南部の拠点神殿はどうもプライドが高く、中央神殿への対抗心が強かった。
中央に屈しない特別感を南部都市の住人も喜んだので、結果南部の拠点神殿だけは中央神殿の管理から外れた浮いた存在になっていた。
そんな神殿に、聖女ルシルダの筆頭後援神官がいた。
聖女ルシルダは、南部の拠点神殿で聖痕を認められ、聖女と認定されたからだった。
これが厄介だったのだ。閉鎖的で野心的な神殿に現れた聖女。
もちろん、聖女ルシルダの後援としては、中央神殿も一応名を連ねている。
聖女法によって王太子妃になる聖女が中央神殿に認められていないというのは政治的にバランスが悪いということで一応聖女の後ろ盾になっているのだ。しかし、実際は聖女のことは南部の拠点神殿がほぼ牛耳っているので、中央神殿は後援とはいっても名ばかりだ。
そして、その立場を利用して、南部の拠点神殿は中央神殿にあーだこーだ要求したり、いちゃもんをつけたり、主導権を握ろうとしているのだった。
逆に、中央神殿からは南部の拠点神殿の内部事情はよく分からないといったことになっている。
そんな秘密主義の南部拠点神殿に、今夜、リーアンナは『夜の散歩』で、ふわふわと入っていったのだった。
もちろん実体がないので誰に見咎められることもない。
ふとリーアンナは、一人の顔立ちの整った明るそうな若者が、こっそり裏口から神殿を抜け出そうとしているところを見つけた。
不思議に思っていると、
「ダスティン、何をしている」
と偉そうな神官が若者に声をかけたので、リーアンナはハッとした。これがダスティンか!
「ウィスレッジ神官殿。そろそろ王都に帰ろうと思いましてねー」
ダスティンは悪びれず答えた。
「ダスティン、おまえはまだ帰れん」
「えぇー! もういいかげん帰らしてくださいよぅ! イェレナに会いたいですよぅ」
ダスティンは調子よく拝む真似をした。
「おまえ、エルンストを刺した犯人なんだぞ、自覚はあるのか?」
とウィスレッジ神官が窘めたが、ダスティンは、
「え? ありますよ。でもそれが何か?」
と気にする様子もない。
「エルンストは高位貴族だ、捕まったら裁かれて、下手したら死刑だってありうるんだぞ」
「ははは、捕まりませんよぉ」
「その自信はどこから来るんだ、いったい!」
「僕はねぇ、そういうことはかなりうまいことやるんですよ。僕が刺したなんて証拠は誰にも掴めないはずなんで大丈夫です」
ダスティンは口元は笑っているが目は笑っていない。
ウィスレッジ神官は、ダスティンの冷たい笑顔にぞくっと背筋が凍るような気がした。
「そ、そりゃあ頼もしいな。だが、ルシルダにもおまえから目を離すなと言われている」
「うへぇ~。ルシルダ様かぁ。あの人の名前が出てくるとめんどくさいなぁ」
ダスティンは宙を仰いだ。
「そういういい方は気に食わんな、仮にも聖女だ、敬いなさい」
「ルシルダ様はウィスレッジ神官殿の秘蔵っ子ですもんねぇ。でも敬えだなんてよく言ったもんですよぅ。あのニセモノ聖女、よく見つけてきましたよねぇ」
ダスティンは感心したように言った。
その言葉にウィスレッジ神官は悪い笑顔を作った。
「ふん。あの体質はまったくもって珍しい。古い処方の皮膚病の薬で額に聖痕のような痣が出る」
「あの痣、なかなか聖痕に似てますもんね。ほんと悪い奴ですよ、ウィスレッジ神官殿はぁ。普通しません、いくら聖痕に似た痣を持つからといって、聖女に仕立て上げるなど」
ダスティンは楽しそうに笑った。
「なに、ルシルダも望んだのだ」
「一番利益を得ているのはあなたでしょう、ウィスレッジ神官殿。ルシルダ様は聖女の名でやりたい放題。あっちこっちから賄賂を集めてますよねぇ」
「仕方がない、皮膚病の薬とはいっても、安く効率よくできる今の処方薬では聖痕が出ん。聖痕を出すには古い処方薬でないといけないが、原材料が希少で金がいるのだ」
ウィスレッジ神官は困ったような顔を見せた。
しかしダスティンはそれを鼻で笑う。
「その金額、実際より多めにルシルダ様に伝えてるんでしょう? 差額は全部あなたの懐だ。いったいどれほどお金を得たのやら」
「ふん。私がルシルダを聖女にしてやったのだからね。それくらいよいだろう」
「ええ。だからルシルダ様もあなたの言いなりだ。それで僕はルシルダ様の言いなり。――あれ? 僕が一番損な役割じゃないかぁ」
ダスティンは口を尖らせた。
「そう言うな。イェレナ嬢とおまえの仲はルシルダが保証すると言っているのだ。こんな恋愛、本来なら投獄モノだぞ。ルシルダのおかげじゃないか」
「そう。だからイェレナは僕にルシルダ様の言うことを聞けと言うんだ。でも肝心のイェレナに会わせてもらえないんじゃ、ルシルダ様の言うこと聞く意味ある?」
ダスティンは盛大にため息をつき、そして刺し殺すような目でウィスレッジ神官を見た。
ウィスレッジ神官はぶるっと震えた。
「ダ、ダスティン……?」
ダスティンの目はぬめっと光っていた。
「僕は相当器用な男だよ。イェレナ攫ってどこかでこっそり暮らすんでも僕は構わないんだ。ルシルダのお墨付きなんか本来は必要ないんだからね。イェレナが公爵家に相応しい暮らしに拘ってるから、おまえらに付き合ってやってるだけで」
「そ、そんなことを言うなよ。まあ、エルンストが刺されたことに凝りてルシルダと和解、協定でも結んでくれれば解決だ。これからうまいこと話し合う予定だ。エルンストの治水事業からいくら金を引っ張れるかが重要だが、まあ向こうも早期の決着を望むだろう。そしてイェレナとエルンストの婚約も破棄、おまえはイェレナと結婚できるというわけだ!」
ウィスレッジ神官はわざと調子よく言った。
ダスティンは呆れた。
「ほんと、金なんすねー」
リーアンナはそのやり取りを苛立ちながら聞いていた。
めちゃくちゃだ!
何もかも!
腐ってる!
リーアンナはこの怒りをどうしてやろうかと思った。
そうしてリーアンナが唇を噛み、腐敗した神官への悔しさを我慢していたとき、リーアンナは見慣れた人物が入ってきたのを見つけた。
リーアンナの心臓が驚きで早鐘のように打ち始める。
な、なぜ!
だめ! 危ないわ!
もう、これ以上は心がついていかない、やめて!
その人物は一人の騎士を護衛に着けただけのウォーレスだったから。
ここまで会話を盗み聞きしてきただけで、ダスティンは相当頭がイカれてるとリーアンナは思った。
とにかく人を刺しておきながら罪悪感がないのだ。
何が悪いと開き直って、ケロッとしている。そしてどうせ捕まえられないと、婚約者のいる恋人のところに会いに戻ろうとしている。
普通の感覚ではない。
こんな人、話が噛みあうはずがない。むしろ危険。流れ矢に当たりそうな勢い。
いくらエルンストを刺した犯人だとしても。エルンストがもしかしたら死ぬところだったと想像したとしても。今の状況でこのダスティンという頭の軽い犯罪者とまともに向き合うのはバカバカしいとリーアンナには思えた。
だから、ウォーレスにもダスティンと向き合ってもらいたくなかった。
わざわざ危険の匂いのするところに足を踏み入れないでほしかった。
エルンストのことを何とかしてあげたいと思っていたが、今のリーアンナにはウォーレスの方が大事になってきていた。
ダスティンは何だか得体が知れない。
だから、もうルシルダだけでいいじゃないだろうか。ルシルダのニセモノの聖痕のことは聞いた! ルシルダを失脚させて、芋づる式にウィスレッジ神官とイェレナを断罪して、そして幕引きを図れたらそれでいいんじゃないだろうか。
ダスティンに手を出したら返り討ちに会うのではないだろうか。ダスティンは躊躇いなく手を下すだろう!
リーアンナはウォーレスの姿を見て本当にはらはらした。
思わず意識の塊のまますーっと急いで近づき、そしてなんとかウォーレスを止められないか、思とどめさせられないかと、腕を伸ばしてウォーレスの腰を抱きしめようとした。
しかし、意識の塊は実体がなく、リーアンナの腕はウォーレスの体を素通りしてしまう。
「ウォーレス」
思わず口にでた言葉も声にはならず、ウォーレスには届かない。
なぜ出きたのウォーレス。何をする気なの?
ああ、なんとかウォーレスが無事でありますように。





