【20.聖女の思惑】
そのころ、ルシルダはベッドに腰かけて王太子にしなだれかかっていた。
「ねえ王太子様。あのリーアンナのお友達のセレステって令嬢が、私のことを聖女だと認めてないとか言ってるんですって。何とかできないかしら」
しなだれかかりつつもあんまり甘い雰囲気ではなく、口からこぼれるのは自分の悪口を言う令嬢への愚痴だった。
王太子は面倒くさそうに聞いた。
「何とかって?」
「だって、私への侮辱だと思わない? 王太子妃になる女がバカにされてあなたも腹が立つでしょう?私がばかにされるってことはあなたもバカにされてるってことよ」
ルシルダはむくっと上体を起こすと、王太子を真正面に見て言った。
「バカにされてるのかあ。それは嫌かなあ」
そんなどうでもいい話聞きたくないっつの、と思いながら王太子はのらりくらりと返事した。
王太子が向き合う気がなさそうな返事するので、王太子の横に座っていたルシルダは急にすっと立ち上がり、王太子のすぐ目の前で腕組みし首を傾げた。
「おや?」
王太子が目を上げたが、口元はニヤリと笑っている。
ルシルダのこういう態度は知っている。何を考えているかも。
そのまま王太子は腕を伸ばしてルシルダの腰を引き寄せた。
「立ち上がって威勢のいいところ見せようとしたってバカだなあ。君は私の隣に座っておきなさいよ。聖女なんて私の横に居れば何だっていいんだから」
そう。この態度のルシルダは、自分の言うことを聞かせるために、体を差し出すときのルシルダだ。
ルシルダは腰を引き寄せられて少しバランスをくずし、咄嗟に王太子の肩に手をかけた。その左手首を王太子がルシルダの腰から右手を放して掴む。
「あ」
ルシルダは足をもつれさせてそのまま王太子の正面から倒れこんだ。王太子はルシルダの体の重みを楽しむように真正面から受けたが、それもつまらないと思ったのか、すぐに身を躱してルシルダをベッドに寝転がらせた。
「あら」
とルシルダが可愛らしく声を上げると、王太子は楽しそうに口の端を緩めて、ルシルダに覆いかぶさった。王太子の少し長めの前髪がルシルダの顔に触れそうな距離。
「でもダメよ、王太子様。やっぱり私をバカにする人のことは罰して下さらなきゃ」
ほらな、と王太子は思った。
こういう場面で、さっきの話の続きをするんだ、この女は。
「どうしたら満足かな? 謹慎させようか? 本人を? それとも父親の方を? 数年社交禁止にしてやるのもいいかもしれないね」
王太子は思ってもないことを適当に口に出す。
しかし、王太子がその気はないことに気づかないルシルダは、目を輝かせた。
「領土を取り上げれない? 私の領土にしてよ」
「領土? それはさすがに法的根拠がないかな」
王太子は、ははっと笑って見せた。
そう聞くと、ルシルダはすぐに提案を変えた。
「じゃあいいわ。簡単に、罰金で」
王太子は喉の奥でくっくと笑う。あさましいなあと思いながら。
「罰金? お金が欲しいの?」
「そう」
「あちこちから賄賂を受け取っているのに? まだお金がいるの?」
王太子は呆れて言った。
「賄賂だなんて言わないで。私はコンサル料としてお金をもらってるだけよ。ありがたい聖女の助言を与えてあげてるのよ」
ぎくっとしながらルシルダは口先で言い訳する。
王太子は、はいはいと聞き流した。
「まったく。お金、何に使ってんのかな、宝石かなドレスかな。まあいい、好きにしなさい」
「そう言ってくれる王太子様が大好きよ」
ルシルダはそういって、自ら身を乗り出し王太子の唇にキスをした。
王太子はルシルダの髪をなで、眉をなで、そして頬をなでた。
「私は王太子の生き方に退屈しているからな。少しでも退屈がマシになるなら、なんでもいいよ。例えおまえが本物の聖女じゃなかったとしても」
ルシルダはぎくっとした。
しかし、慌てて取り繕いながら、
「冗談を。私は本物の聖女です」
と空威張りして見せた。
「そうか。ならいい。ニセモノ聖女よりは本物聖女の方が幾分かましだろう」
王太子は心のこもらない声でそう言った。
ルシルダは何も聞かなかったふりをして王太子に抱きつく。
王太子に足を絡ませながら、それでも頭の中は別のことを考えていた。
あの私をバカにしたセレステとかいう令嬢はリーアンナの親友だ。
そしてそのセレステと婚約していたブローデというやつは、エルンストを刺すように命じたダスティンの友人だ。
セレステという女はブローデとの婚約を破棄して、そして私を聖女とは認めないと宣言したらしい。そうブローデ側から聞いた。
セレステはリーアンナの友人だから私を目の敵にしているのか? それとも私の正体について何か気付いているのか?
いやいや、何も気づいていないだろう。私の正体など気づかれる要素はないのだ。大丈夫、私には聖痕がある。王太子やリーアンナですら気づいてないはず。
問題はあのエルンストという男だ。
あの男は私を排除しようとしている。賄賂を強要したのがまずかったのかもしれない。だから賄賂だって少し減額してあげたのに。なのにエルンストは感謝するどころか私の周囲を執拗に嗅ぎまわり始めた。
だから、あの男だけは野放しにはしておけなかった。
王太子様は賄賂のことは気付いてる。でも私が得た賄賂がどういう使われ方をしているかまでは気付いていないはず。それが聖女の地位の維持に使われていることだって……。
私はこの秘密を守り通して見せる。
私は聖女だ。
子どもの頃、ひとかけらのパンを得るために、どこぞの店になんとか入り込んでは、あかぎれまみれの手を冷水に浸しながら、野菜を洗ったり、皿を洗ったりした。冬の水、あの指が動かなくなるほどの冷たさを覚えている。
しかし冬の冷水などまだ幸せだった。食べ物をもらえるから。もっとしんどいことはいっぱいあった。生きるために何でもやった。
同年代の美しい貴族の少女が、たまたま馬車を横切ってしまった私を小窓から眺め、今にも御者の鞭に打たれそうになっている私を助けてくれた。
いったい何の気まぐれか。彼女は透き通るような美しい声で短い質問をいくつかして、そして気の毒そうな顔をして私を神殿の福祉施設へつないでくれた。
私は神殿の子になり、神官様の恩に報い、今も神官様の言うとおりにしている。
もうあの頃には戻りたくない、その一心で――。
私は聖女だ。
神官様が聖女だと言った。
だから私は聖女だ。
聖女でいるために金が要る。それなら私は金を集める。
全ては神官様の言うとおりにすれば大丈夫なのだから。





