【18.バートレットの回想】
ウォーレスとリーアンナを連れて厩舎に出た。バートレットもついてくる。
ウォーレスが、リーアンナが乗るための馬を用意するように言いつけたので、厩舎の世話人たちはたちまち忙しくなって、速足で立ち回り始めた。
そんな中、バートレットは手袋を着けながら回想していた。
一年前のあの日のことを。
セレステの邸にお茶をしないかと呼ばれたのだ。二人っきりのお茶だったので、バートレットは心なしかうきうきしていた。
しかし、
「バートレット、ブローデ・ストークリー伯爵令息って人と婚約することになったんだけど」
とセレステが言い出したので、バートレットは思わず手が震えてカップを落してしまった。
「婚約? そんな話少しもしてなかったじゃないか!」
と思わずバートレットが非難するような口調で言うと、セレステは思いがけず咎められて驚き、
「そりゃ恥ずかしいからしないわよ。リーアンナには少し相談してたんだけど」
とトーンダウンしながら答えた。
バートレットは、セレステがしゅんとしたので少し反省し、無理やり自分を落ち着かせると聞いた。
「で? そのブローデってやつとの婚約は、決まりなのか?」
「うん……」
セレステはぽつんと答えた。
「もう書面で?」
「書面はまだ。でもその書面の日付は決めたわ」
それを聞いてバートレットはなんだかほっとして、無意識に言った。
「じゃあまだ撤回できるってことか」
それを聞いてセレステの方が驚き、思わず声を上げた。
「ちょっとちょっと! なんで婚約撤回しないといけないの」
バートレットはハッとする。
「え? あ、ああ、そうか。……」
バートレットが下を向いて黙ってしまったので、セレステはそっと言った。
「いい人そうよ」
「そうなのか。……」
そんなことを聞かされても、バートレットの奈落の底に突き落とされた心は明るくはならない。胸が何かに押しつぶされるような感覚になって、息がしにくい。言葉も少なになってしまう。
「大丈夫?」
セレステがいつもと様子の違うバートレットを気遣うように聞く。
心配されたバートレットは自分を情けなく感じ、何か言わなければと口を開いた。
「それは、俺じゃダメ……。いや、何でもない。そうか、婚約か」
「同じことを何度言うの」
「いや、セレステが婚約とか考えてなかったから」
バートレットは打ちひしがれた心で呟いた。
それを聞いたセレステも何か思うところがあったように下を向いた。
「……。だよね。一言も言ってくれなかった」
「え?」
思わずバートレットは顔を上げる。
しかしセレステは首を横に振った。
「何でもない。仲の良い友達と結婚は別の話だものね」
まるで自分に言い聞かせるような言い方だった。
それを聞くとバートレットも何も言えなくなる。
「別……。そう、だな」
「……だよね」
気まずそうに二人は黙った。
しばらくの沈黙のあと、バートレットは聞いた。
「ブローデってのは、どこがよかったの」
「え? あ、条件のこと?」
セレステが我に返ったように聞き返す。
「伯爵家って言ってたね。……あまり名を聞かないが」
とバートレットが心配そうに聞くと、セレステは少し首を竦めながら言った。
「そうね。地方の有力貴族って感じ。王宮の方への出入りは最近許されたばかりだからあまり中央の貴族には知られてないかもだわね」
「なぜトロニック公爵家の令嬢が、地方の貴族を?」
とバートレットが納得のいかない顔で聞く。
セレステは少し寂しそうに答えた。
「中央の見知ってる貴族だと、なぜか比べちゃって」
「比べる? 誰か、と?」
「……」
「セレステ?」
セレステの目が一瞬潤んだような気がしたので、バートレットはそっと名を呼んだ。
しかし、気丈にもセレステは次の瞬間にはしっかりバートレットの目を見た。
「……別に」
「別にって何だよ、もう……。……それで、見ず知らずのやつと?」
まどろっこしい会話のやりとりにバートレットが少し苛立ちを見せると、セレステは逆に何だか吹っ切れたようだった。
「見ず知らずってわけじゃないわよ。何度か会ったし」
「いい奴なの?」
「まあ、大切にしてくれる感じね」
セレステの口調ははきはきしてきた。
しかしバートレットはセレステがそんな風に答えるのも気に入らない。
「それはさ、ストークリー伯爵家としては、トロニック公爵家みたいな中央の有力貴族とのコネを作りたいってだけなんじゃねえの? 完全に家柄だけで見てるだろ!」
「それでも、まあ。そういうのは大なり小なりあるだろうから。もうあんまり考えないことにしたの。私を裏切らないとか大事にしてくれるとか、そういうところがちゃんとしてれば、あんまりうるさくは言わないわ」
セレステは開き直って言った。
俺の方が!という言葉をバートレットは呑み込む。そしてぐるぐると頭を巡らせた。俺はいったい何をしていた。なぜ婚約の一言でもセレステに言わなかった? セレステの年齢のこととか分かってたじゃないか。どうして真面目に考えなかった。どうしてここまでずるずるきてしまったのか。誰かに奪われる前にセレステを……。
バートレットは心が削られた思いで、それからどうやってセレステの邸から帰ったのか記憶がない――。
そんな1年前のあの日の気持ちまで思い出したバートレットは、着けかけた手袋の指が間違っていたことに気づいて手袋を乱暴にむしり取った。当時の自分にイライラしている。そしてぐっと顔を上げた。
バートレットは、リーアンナのために馬房の世話人と馬の準備をしているウォーレスの方をちらりと見た。
そしてその横で作業を眺めているリーアンナのことも見た。
「リーアンナ、鞍はこれでいい?」
と鞍に手をかけながら、愛に満ちた眼差しで柔らかく聞くウォーレスに、リーアンナは「うん」と微笑んで答えている。
そうだ、本当はこういう関係がいいに決まってる。
俺とセレステだってありに違いない。
リーアンナにセレステの様子を聞こう。
ざっくりとは聞いている。セレステがブローデに怒ったこと。ブローデはルシルダ側の人間で価値観が相容れないと言ったことも。
それなら、これからセレステを支えるのは俺だ。
そうバートレットは思った。
「バートレット? 行きましょうか」
リーアンナは念入りに準備してもらった馬に乗せてもらって、少し緊張しながらバートレットに声をかけた。リーアンナの足元には、乗馬服のくせに責任感のある顔でリーアンナの馬の轡をとるウォーレス。
「あ、ああ、行こうか。準備はできた?」
とバートレットが現実に引き戻されて言うと、リーアンナはにっこりした。
「ばっちりよ。早く馬に乗って?」
それからリーアンナは心配そうにバートレットに声をかけた。
「セレステのことでしょ? 応援するわ……バートレット」
「ちょ、は? いきなり何」
バートレットの耳が赤くなった。
バートレットの慌てっぷりをよそに、リーアンナはリーアンナで思うところがある。
「セレステの婚約破棄は私のせいだもの……。これが正しい方法か分からないけど、セレステには幸せになってもらいたいの。ブローデ様はちょっと違う気がしたから……」
それからリーアンナはわざと少しだけ明るい調子で言った。
「それに、仕返しよ、バートレット。私の婚約は誰のせいだと思ってるの。さ、馬を歩かせながらセレステをどうやって支えるか作戦会議しましょ」
バートレットは少し照れ臭そうに下を向いてふふっと笑った。





