【12.エルンストが聖女を信じない理由】
リーアンナがウォーレスとの婚約を承諾したので、ウォーレスは複雑な気持ちで定まらない顔をしながら、
「エルンストに直接話ができるように場を作るから」
と約束した。
そして約束通り、数日後、ウォーレスはリーアンナを連れてエルンストのリンブリック公爵邸を訪れた。
ウォーレスは言葉少なで、神経質そうに硬い表情をしていたが、リーアンナはここまで来たらもう何でも聞くつもりだった。
エルンスト様のことが好き。一方的な片想い。ずっと見ているだけだった。
だが、今日は言葉を交わせるとはいっても、聖女ルシルダやエルンストの婚約者のイェレナの何らかの企みを阻止するためだ。だからリーアンナは逆に開き直って落ち着いている自分に気づいた。
「はじめまして、リーアンナ・グルーバーです」
とリーアンナは快活に挨拶した。
エルンストの美しい金髪が揺れ、澄んだ青い目がリーアンナを真正面から捉えても、リーアンナは思ったより緊張しなかった。
エルンストも柔らかい洗練された物腰でリーアンナに挨拶をする。優しい笑顔を向け、リーアンナの手を取り甲に挨拶のキスをした。
リーアンナはぼんやり思った。
こんな日がくるなんて! エルンスト様が私の名前を呼び、私に触れるなんて!
もちろんこれはただの挨拶。それでも――少し前の自分なら、夢にまで見た状況だ。今は、また少し気持ちは変わっているのだけれど。ただひたすら好きでいられたときとは違って、彼が巻き込まれているかもしれない陰謀を明らかにするという使命があるから……。
リーアンナは冷静になった。
まどろっこしい前置きは省いて、リーアンナは直球で聞いた。リーアンナが王太子に婚約破棄された直後の、王太子とエルンストの夜の会話のことを。
「私はずっと疑問だったんです。なぜエルンスト様は聖女ルシルダ様に敵対しているのですか? ルシルダ様が本物だろうとニセモノだろうと、エルンスト様に関係ないのではありませんか? 例えルシルダ様がニセモノ聖女だったとしても、他の貴族がやっているように、見て見ぬふりしてらっしゃったらよろしいのではないでしょうか」
エルンストも面倒な前置きを話すのは嫌だったようで、無礼を咎めることなく、すぐにリーアンナの話に応えた。
「それが関係あるんですよ。聖女ルシルダにたくさんの金品を要求されていましてね。要求されているのはうちだけではないのですけど」
金品?
リーアンナはドキッとした。
先日の『夜の散歩で』盗み聞いたルシルダのセリフ――「お金がいる」に関係している?
「なぜ、ルシルア様が金品を?」
リーアンナは震える声で聞いた。
「我が国は雨が多い、だから神殿の女神は水の女神です」
とエルンストが説明し始めたので、リーアンナはすぐに口を挟んだ。
「ええ、分かっています。洪水から人々の財産を守る女神ですわ。雨が降るたび神殿に多くの祈りが捧げられました。それが何か?」
エルンストはにっこりした。
「うちのリンブリック公爵領は大きな河川を数本有しています。河川はもちろん農業には大事なのだけど、これだけ川が多いということは逆に水はけも悪いんですよね。大雨が降るたび川の流路が変わり、家も畑も水浸しになるなど、なかなか制御できなくて困っていました。ですから、うちの領地では治水は重要な問題の一つなんです。堤防の整備や川底の掘り下げなど、様々な規模で工事をいくつも計画しています」
リーアンナは頷いた。
「それはどの領地でも大なり小なり問題になりますわ」
エルンストは言った。
「この国に現れる聖女は女神の加護があり、水を御する力を持つと言われています。だから期待しましたよ。うちは治水工事を積極的にやろうとしているところでしたから、聖女ルシルダから一番効率の良い方法を助言してもらい、なんなら彼女の力にも頼って、いっきにやれたらと思っていたのです。もちろん、うちの領地だけじゃない。特に治水で困っていた領主たちで集まって相談し合ってました」
「だけど、ルシルダには十分に水をコントロールする力がないように見える。聖女が現れる前と後では何も変わっていない」
とウォーレスが横から口を挟んだ。
エルンストも苦笑した。
「そうですね。まあ、でも、ルシルダが聖女らしい聖女じゃないなら、それでもいいんです。黙っててくれれば。聖女はいないものとして、従来通りの方法で治水工事を行うだけです。だがしかし、黙っててくれるような賢明さもなかったんですよね」
「どういうこと?」
リーアンナは聞いた。
エルンストは苦々しそうに顔を歪めて説明した。
「工事は領内のこととはいえ、川の治水は領地を跨ぐ影響が出ることがあるから、王宮に一応許可を取ることになっているんです。その許可を仰いだときに、建設業者から賄賂をもらったのか、ルシルダがしゃしゃり出てくるようになりました。わざと効率の悪い工事をさせようとしたり、領地外の工事も提案し金を出させようとしました。海岸線の埋め立てなども反対し、不要な溜池を何個も造らせようとし、かといってルシルダ本人はそれについて何一つ説明しようとしません。もう黙っとけと思いました」
「なんてこと……」
リーアンナはエルンストに同情した。
エルンストも大きく頷いた。
「王太子殿下は聖女ルシルダの言う通りにしないと工事の許可は出さないと言います。一応聖女だから顔を立てろとね。あの人だってルシルダがやってることは分かってるはずなのに。そこからは金と政治の話です。うちの発注する工事費は建設業者を通じてルシルダに渡るようになっているっぽかったのでね。仕方がないので、ルシルダに賄賂を出しました。すると小さな土手建設が一つ許可されました。なるほど、ステップバイステップで金を要求する気です。まったく、何が聖女でしょうか。民の生活を守るための工事に口を挟んで賄賂を要求する女が、聖女法によって王太子妃になる? 私は色々間違っていると思いましたよ。だから私は聖女法には反対だし、ルシルダが聖女というのにも反対です」
「反対とはいっても、王太子様が言う通り、ルシルダ様が聖女なのだから……」
とリーアンナが遠慮気味に言うと、エルンストもため息をついた。
「そうなんですよ、聖痕ばっかりはね……」
「なるほどね……。エルンスト様がそうやってルシルダ様に反対しているから、ルシルダ様はエルンスト様を脅すつもりで……」
とぼんやりリーアンナが呟いたので、エルンストはハッと目を上げた。
「あなたは、何を知っているんですか?」
「それだよ、エルンスト。おまえを刺したイェレナの恋人、ルシルダと繋がってるってリーアンナが言うんだ」
とウォーレスが横から口を挟んだ。
「何ですって?」
エルンストは気味が悪そうにまじまじとリーアンナを見つめる。
リーアンナは気後れしながら、
「詳しくは話せませんが、ルシルダ様の口から聞きました。聞いたただけですけど」
ともじもじ答える。
「ルシルダの口からって、いったいどんな状況です」
エルンストは鋭く聞いた。
リーアンナは身を竦める。
「それは言えませんが……」
そうだ、『夜の散歩』のことは誰にも言うつもりはない。
リーアンナが断固言うつもりはないことはエルンストにも伝わり、エルンストは小さくため息をついた。
「そうですか。じゃあ、これ以上は聞きますまい。まあ、私も疑っていましたから。ルシルダとイェレナとの関係を洗ってもらおうと、ウォーレスたちに頼んでいたんです。イェレナ絡みは私は派手に動けないので」
「ウォーレス、そういうことだったの。何か分かりそう?」
リーアンナは心配そうにウォーレスを見た。
ウォーレスは柔らかい目でリーアンナを見返してから、エルンストの方を見た。
「……エルンストが通行許可書の話をしてたろ? だからそっちから少し当たってる。イェレナの恋人が持ってた変な通行許可書だ。ルシルダの名で発行した――」
「何を企んでいるの?」
「まだ分からない。でもただの通行許可書だからね。エルンストを刺したのがルシルダの命令なのかは分かってないからな。バートレットともうちょっと探る」
ウォーレスはもの足りなそうに答えた。
「そうか」
と少し沈んだ顔になったエルンストをリーアンナは不安そうな顔でちらりと見た。
エルンストは気付いていなかったが、それを見ていたウォーレスの目が苦しそうに光った。
リーアンナはエルンストの表情に居た堪れなくなり、絞り出すように言った。
「エルンスト様。私が、ルシルダ様が何を企んでいるのか探ります」
リーアンナはそっとエルンストに近づき、無意識に手を取った。
「リーアンナ?」
エルンストは驚いた。
「リーアンナ、だめだ、危ない」
とウォーレスはすかさず反対し、二人に歩み寄るとエルンストの手からリーアンナの手を外した。
ウォーレスに外されて初めて手を握られたことに気づいたエルンストは、ハッとしてリーアンナの顔を見てから、リーアンナに触れられた自分の手をじっと見つめた。
しかし、何かを決意し気が高ぶっていたリーアンナは、自らエルンストに触れた事に気づいておらず、ウォーレスの方を向いて弁解していた。
「ウォーレス、危なくないの、私は凄い情報網を持ってて。大丈夫」
とリーアンナは言ったが、それは嘘だった。もう一度『夜の散歩』をする気でいる。
「大丈夫なわけないだろ! 絶対にダメだ」
ウォーレスが冷たく断じた。
「ウォーレス、誰かがやらなくちゃいけないわ。私、エルンスト様がどうしてルシルダ様を疑っているのか、話を聞けて良かった。ルシルダ様がもしニセモノ聖女なら、これは国の問題でもあるでしょ?」
とリーアンナが言うと、ウォーレスはもっと険しい顔になった。
「危険と分かっていてみすみすやらせるわけないだろ。そもそも、リーアンナが首を突っ込むのを承諾したのは、勝手にやらないって約束だったからじゃないか。僕はそんなつもりでエルンストの話をリーアンナに聞かせたわけじゃないよ」
リーアンナは不本意そうに黙った。
エルンストが思いとどまらせようと優しくリーアンナの肩を叩こうしたので、ウォーレスは鋭い目でそれを払い除けた。
「エルンスト。少しリーアンナと話がしたいから今日はこれで失礼する」
ウォーレスの剣幕に驚いたエルンストはぽかんとしながら、
「それは構いませんが……。大丈夫ですか?」
と聞いた。
「これは僕の責任だから。リーアンナのことは自分で何とかします」
とウォーレスは答えた。





