【11.婚約】
ウォーレスがため息ばっかりついているので、リーアンナは変な顔をした。
それから、話を元に戻そうとばかりにルシルダのことを聞いた。
「ねえ、そのルシルダのことなんだけど、ルシルダが聖女だというのはいったいどういう経緯で決まったのだっけ?」
ウォーレスの「ルシルダが力不足」という話と、リーアンナが『夜の散歩』で聞いたルシルダの「聖女の証明、お金が足りない」という変な話を結び付けて、凄く気になったのだった。
「は? リーアンナは当事者だろ? 何で知らないんだ」
ウォーレスは詰るようにリーアンナの顔を見た。
リーアンナは気後れするように頭を掻いた。
「何でって言われても。私はどちらかというと被害者で、ただルシルダに聖痕があるから、としか聞いてないのよ。その聖痕は本物?」
「……」
ウォーレスは思うところがあるようで、下を向いて黙った。
「なんで黙るの?」
リーアンナが唇を尖らす。
下を向き聞いているのかいないのかわからないような態度を見せたウォーレスだったが、なぜと聞かれて無視するわけにもいかず、ノロノロと目を上げた。
「リーアンナが本気で首を突っ込む気かと思って」
「だめ? ルシルダの話を教えてくれたじゃない。もうここまで聞いたんだから、今から隠そうとしないで。もう全部話してしまってくれない?」
「まぁそうなんだけどさぁ、嫌だなあ」
ウォーレスはわざと声を大きな声を上げると、宙を仰いだ。
これまでの付き合いから、ウォーレスがこの態度を取ると、のらりくらりと話をかわして絶対に口を割らない、とリーアンナは思った。
どうやってウォーレスを喋らせるか、リーアンナには名案が思いつかなかった。
確かにウォーレスに口を開く必要は無いのだ。そうなると交換条件ということになるだが、交換条件といってもリーアンナに差し出せる情報なんてない。新情報とかろうじて言えるのはルシルダの不審な言動くらいだ。
「ねぇ、ウォーレス。ルシルダ様が誰かと暗闇で会話しているのをね、盗み聞きしただけなのだけど。ルシルダ様、聖女の証明にはお金がかかると言っていた」
リーアンナがそう話し始めると、ウォーレスは内容にぎょっとして、リーアンナの顔食い入るように見つめた。
「リーアンナ? ちょっとどういうこと? 聖女の証明? お金? ルシルダは誰と話していた?」
リーアンナは自分にはこれ以上の情報がないことをよく分かっていたが、ウォーレスからもっと話を聞くためには、ずるいと思いながらも交渉カードに使うしかないと思った。
「ルシルダ様の聖痕のこと聞かせてくれる? エルンスト様がルシルダ様と敵対している理由も」
ウォーレスの顔が渋った。
開きかけていた口をぎゅっと閉じて下を向き少し考え込んだ。
聖痕のことはともかく、エルンストがルシルダと敵対している理由を話してしまうと、完全にリーアンナを巻き込むことになる。しかし、リーアンナにはこの件に首を突っ込ませたくない。
「ウォーレス、私もある意味関係者なのよ。確かに少し前までルシルダ様のことはどうでもいいと思っていたけど、今は違う。知りたいと思ってる。私にできることがあるなら手伝えないかとも思ってる」
リーアンナはウォーレスの顔を覗き込むように、熱心に言った。
「僕はあんまりリーアンナに入ってきて欲しくないんだ」
ウォーレスは率直に答えた。
「それはなんで? こんな私でも役に立つこともあるかもしれないわよ」
リーアンナは『夜の散歩』のことを言っている。
しかし、何も知らないウォーレスは口をへの字に曲げて、腕を組んで首を横に振った。
リーアンナがエルンストを好きだからだよ、とウォーレスは思った。
バートレットが以前リーアンナに釘を刺したように、リーアンナがエルンストを好きだと言うことは、エルンストの婚約者の感情を逆撫でするだろうと思った。
なにせ、エルンストを刺したのはエルンストの婚約者であるイェレナの恋人なのだから!
そんな繊細な状況のところへ、エルンストのことが好きな令嬢が首を突っ込んでみろ! イェレナの思うつぼではないか。
イェレナは喜んでエルンストの『浮気』をでっち上げ、自分を正当化するとともに、自分の恋人がエルンストを刺したことも『痴情のもつれ』の一言で片づけてしまうだろう。
「あなただって浮気してたんだもの、痛み分けよね?」と。
そんな状況になれば、自分たちが今やろうとしているニセモノ聖女への断罪に、大きく水を差す事態になってしまう。
ウォーレスたちは、エルンストが刺された事件は、裏にルシルダが絡んでいると睨み調べている最中なのだから!
そして、何よりウォーレスが嫌だった。
リーアンナがエルンストのことに心を砕く様を見たくない。まして、リーアンナとエルンストが何かの弾みで親しくなってしまうのは、ウォーレスが最も望まないことだった。
「ええと」
ウォーレスは言葉に詰まっている。
言いたいことはたくさんあるが、ポンと言える内容でもない。
そこをリーアンナが畳み掛けた。
「ウォーレスは私を心配してくれているのでしょう。同時に、私とエルンストが変な噂が立たないように警戒もしてくれてるのでしょう。バートレットに釘を刺されたわ。それはいいんだけど、でもウォーレスが私を蚊帳の外にするなら、私だって自分で調べるわよ? どうせ私が調べるなら、私に勝手に動かれるよりも、ウォーレスたちと意思疎通しながら動く方がウォーレスにとっては都合が良いんじゃなくて?」
その物言いに、ウォーレスはぎょっとした。
「なにそれ脅し?」
「脅しじゃないわ。別に私はあなたを困らすつもりはないから。だけど提案よ。ちゃんとあなたにできる限りの事は事前に相談するようにするし、あなたの話もきちんと聞くから私も仲間に入れてくれない?」
まっすぐなリーアンナの瞳に、ウォーリスは、多少心を動かされた。でも心配は尽きないようで、目には躊躇いが浮かんでいた。
「……じゃぁ、エルンストへの気持ちをなくすことってできる?」
「え?」
「エルンストのことが好きなリーアンナがこの件に関わる事は、エルンストに婚約者がいる点ですっごくやりにくくなる。微妙な問題なんだ。イェレナが泥棒猫だと騒いだら世間は僕たちを悪者だと思うだろう。それだけは避けたい」
ウォーレスは困り顔で説明した。
「それは……」
リーアンナが言い淀んだ。
「できるの?」
ウォーレスは強く確認する。
「えっと……。できると即答したい。もともと婚約者がいるエルンスト様とどうかなろうなんて考えてなかったんだし! ただ、ふとしたときに目で追ってしまうとか、そういう無意識の行動で、人に噂されてしまったらってことよね……」
リーアンナが自信なさそうに下を向いた。
「……」
ウォーレスは、他の男のことを想うリーアンナを辛そうな顔で見つめていた。
「……」
リーアンナも申し訳なさそうに黙ってしまう。
そのとき、ウォーレスがひどく躊躇いながら、ぶっ飛んだ提案をリーアンナにぶつけた。
「じゃー、リーアンナ、僕と婚約する?」
「え!?」
あまりの話にリーアンナは聞き間違えたかと思った。
しかしウォーレスは罪悪感の表情を微かに漂わせつつも、真面目な顔をしていた。
「形だけでも僕と婚約しておけば、多少は盾になれるよ。婚約している僕と君がセットで動いておけば、イェレナ側が言いがかりをつけてきても反論はできると思う。どう?」
「どうって……」
リーアンナはあまりの申し出に困惑している。
「僕じゃ嫌?」
「ウォーレスのことは嫌じゃないけど……。でもそんな提案、簡単にうんと言えないわ。あなたは本当の婚約者を探しに帰国したんでしょう? 私と婚約してしまったら、あなた本当のお嫁さんを探せないわよ」
とリーアンナが言葉を選びながら答えると、ウォーレスはまだるっこしい言い方が自分でも嫌になったようで、リーアンナの顔を真正面からじっと見た。
「嫁に来いよ」
「えっ?」
リーアンナはウォーレスの気迫の押されて驚いた。
「誰でもいいって言ったろ。リーアンナでもいいんだからそのまま嫁に来いよ」
ウォーレスはぶっきらぼうにそう言ってから、無表情にまたカップに視線を落とし、そのまま手を伸ばしてお茶を飲んだ。
そう、誰でもいい。リーアンナでなければ誰でも同じだ。
ウォーレスが少し不機嫌そうに見えたので、リーアンナは困ってしまった。
にしても提案そのものが重大過ぎて簡単に返事ができない。
婚約って……!
ただ、ウォーレスと婚約しても、リーアンナに困ることはたぶんなかった。
そもそもエルンストには婚約者がいるのでどうこうなろうとは思っていなかったし、かといって王太子に婚約破棄されて以来、他に候補の男性がいるわけでもなかった。
リーアンナの父グルーバー公爵も、娘が婚約破棄で落ち込んでいると思ったのかそっとしておいてくれているので、積極的に婚約の話が持ち上がったりはしなかった。
ウォーレスなら気心知れているし、リーアンナを利用したり騙したりという心配はないような気がした。
冷静に考えてみると、リーアンナは、エルンストの件に関わる良い理由が欲しかっただけなのかもしれなかったが、ウォーレスの出した条件が悪い話ではないような気がしてきて、覚悟を決めた。
リーアンナは小さく息を吸った。
その気配にウォーレスは微かに緊張して目を上げる。
リーアンナは言った。
「いいわ。そんな条件でいいなら、全然ウォーレスと婚約するわよ」
しかしウォーレスは喜ぶどころか後ろめたい顔になって、また下を向いてしまった。
これがバートレットの入れ知恵だった。
「決まりでいいんだな」
妙に落ち着いた声でウォーレスは言うと、それから二人は黙ってお茶を飲んだ。





