死の罠の迷宮行
「ここまでか」
彼は思った。
周囲を敵に囲まれたまま行うものは外交とはいえない。
実際普段の彼ならば旧友である『あぎと』にブブヅケを出す。
護衛である二人の兵士は隙あれば切りかかろうとしただろう。
ゆえに入り口に置いてきた。
「無意味にまだ引き延ばす気が」
「到着時間は指定されたが会談時間は決めていなかっただろう」
牛歩のように歩き、あるいは休憩をもとめのらりくらり。
隙あれば切り込みあるいは妥協する。
「『心臓』はお前たち二人に任せろと言ったが」
彼の吾妹子の敵となった外交官でもある旧友は告げる。
「一番手っ取り早いのは、おまえの頭を食うことだな」
やはりきたか。
「おまえの条件は呑むし、おまえはマリカと暮らせる。多少なら脳を残しておこう。ついでに多少長生きできる。人間にしては良い条件だろう」
旧友の口がゆっくり伸び、巨大なあぎとになる。
もはやこれまで。
彼は城に置いてきた娘のことを想った。
「リュゼ様!」
まぼろしを見るとは未練だな。
しかし彼女は果敢にもリュゼと『あぎと』の間に割り込み、何処からともなく何か怪しげなものを取り出し。
……業火が起きました。
帝国貴族『あぎと』様はのたうち、火を消そうとするも消えないことに人間のような驚嘆を見せました。
まるで姪子の成長を喜ぶように。
「燐の炎ですおじさま。
さらに金属粉を用いており水で消えるものではございません。これは英雄時代にリンス・リンシィースが開発したとされる『ぎりしあの炎』です。たとえ酸素……空気を断とうと熱が残る限り再燃します」
わたくしの目端を濡らすものは燐の臭いのためでしょうか。
「えげつないものを」
リュゼ様。声に出ていらっしゃいます。
死せば乾いた粘土の如く崩れ去る帝国貴族の体構造は未だ不明瞭ながら、軽量鋼を溶かす液体金属で帝国貴族の動く刃を溶かし、回復能力に対しては塩基を用いて対抗いたしました。
わたくしはリュゼ様ほどの達人にあらず。
されど最低身を守る程度の武術があり帝国貴族の母の手に入れた身体譲りの五感と反応速度を持ちまするゆえ。
「さようならおじさま。楽しゅうございました」
完全な奇襲とはいえ帝国貴族を屠るには力無き小娘でなくば無理でございましょう。
しかしながらわたくしは戦士ではなくまた肉親の情が残っておりました。
とどめを刺さず話しかける真似を致しております。
「っ!」
「マリカ。どうしてきた」
最後の反撃を切り落とし呟く我が背に。
わたくし引き攣った笑みを浮かべる努力をいたし。
「当ててください。ハウワイ旅行にご招待致しますわ」
「全く君という人は……驚かされる」
「あのですね。おふたがた。わたくしもいるということ忘れておりませんか。ねえまじ無視しないでくださいましお嬢様も」
だまらっしゃいまし。ミカ。
「しかし、君たち二人でこの迷宮を抜けてきたのか」
その言葉をさえぎるものがいます。
「リュゼ。私を置いていった。おまえ手足と胤だけもらっていいか。もうガの里から逃さんぞ」
突如現れた半裸の美女がわたくしをさしおき彼に抱きついて。
無論我が悪友ガクガです。
そしてわたくしを守ってきた声を出さぬ勇者もわがかたわらに。
「ガクガ?!」
「おまえばか。誰が大酋長にしてやったと思うのだ。わたしだ」
「私たちもいますわ」「全くあさましきところ」
青いドレスをたくしあげた戦闘服姿のむすめとすみれ色のワンピース姿のむすめも暗闇から姿を表します。
ガクガと同じく我が友柄。
「リュゼ様。ミューシャことアルフォンヌ・マリア・ケイブル子爵位代行とロゼことカロライナ・ロザリア・マーリック伯爵令嬢です」
「これはこれは。むさ苦しいところにオブザーバー参加でしょうか貴婦人方。ガクガ。君も入っている。むくれるな」
彼は足元の死骸などないかのように領主の顔を見せました。
「ミカ。先走りすぎよ」
「えへへ」
ミカは旧友であるカリナが照れるのを無視して容赦なく抱きつきました。
私どもに当てられたのかもしれません。
わたくしどもは彼女達に入り口で待ち伏せされておりました。
わたくしの勝手を散々罵られ無理矢理同行すると申し付けてきたのです。
「『もと』をつけてください。わたくし近々嫁ぎますゆえ」「その名前、久しぶりですこと」
「領主様!」
「あっ。リュゼ様ぶじだったー!」
兵士二人は減給の憂き目に遭わぬようにせねば。
我が背ながら理不尽ですが命令は命令。
わたくしどもお転婆娘どもを護衛してきた兵士二人の命令違反に感謝を。
「アランとベンジャミンは置いてきた」
「仕方ないね」
兵士二人は冗談まじりのようにつぶやきます。
マリア様を案ずるベンジャミンことフランスはわたくしども『あらしのふくろう倶楽部』のお転婆娘どもに縛られアランとともに馬なし馬車で街に戻しました。
彼にはまだ街で戦う仕事が残っているとはマリア様の意見ですが別の意図もございましょう。
「入り口でやつがれをともがらどもが待っていたのです」
「ドワーフに持って行かれた馬なし馬車があってびっくりいたしましたが、マリア様やロザリア様やガクガが待ち伏せしていて本当に驚きました旦那様」
彼、『鋼鉄鉱』とは学生時代以来です。
再会を喜ぶわたくしに馬なし馬車を持ってきたこと、入れ違いに城にはいなさそうと気づいて知った匂いを辿り街を出るはずだったマリア様たちに出会い、ロザリア様が馬なし馬車を操りマリア様が銃を手に馳せ参じてくれたことを教えてくださいました。
またガクガとンガッグックは仲間たちを呼び戦力を結集していることも教えてくださいました。
え、馬なし馬車ですか。
……アランでは運転できませぬゆえ、縛ったベンジャミンことフランスを乗せてドワーフの彼が街まで。
地面からわらわらとドワーフが涌き出ずりて、街ではいくさより騒ぎになっているやもしれませぬ。
「ドワーフが実在するとはな」
「彼はチェルシーの縁者ゆえ」
「しかし、ングドゥはまだ帰れないとしてもガクガもンガッグックもここにいるということは」
「父が指揮をとる。問題ない」
大神官様ですか。かも荒人神もしくは現人神とされる方。
普段は気さくで優しい方ですが人喰いのガ族に婿いだパ族の男(※お忘れの方もいらっしゃるかもしれませんゆえに繰り返しまするが、三部族は婿入り婚にございます)。勇猛さは彼らの神話に組み込まれております。
「領主様、早く帰りましょう」
「ああ。しかし……旧友を弔わせてくれないか。マリカ。君にとってもおじだろう」
「ええ」
我が背は己の吾妹子の手が細かく震えていることに気づいたようです。
彼は肩を軽く抱きしめてくれました。
ガクガが今度は膨れておりましたが敢えて無視いたします。
マリア様が悪態をつきます。
「こいつはプラネイテ様の仇よ。私が倒すつもりだった。『あんたに手を汚させてたまるか。ざまぁみろ』っていう気だったのに」
「彼女はわたくしにとっても憧れでした」
ロザリア様もが母を悼んでくださいます。
不意に我が背が問いかけます。
「どうしたンガッグック」
「(ない。宝珠がない)」
勇者が戸惑う様子に振り向きといます。
「如何なることが起きましたかンガッグック」
「ちゃんと探しなさいよンガッグック」
マリア様が悪態をつき、自ら『あぎと』様の遺体を探るあさましき真似をします。
「一代侯爵様、もしや『まようもの』様の宝珠はすでに」
ロザリア様はンガッグックの言葉を正確に理解できます。
つまり三人はわたくしの母の宝珠を。
「私は持っていない」
人間のかたちをとどめていないそれは蠢くと、わたくしどもに告げました。
「リュゼ。マリカ。なかなかだった」
一斉に武器を構える私どもですが、彼の母体となる人体の方は活動を停止しつつあり、よって人喰いパラサイトである彼もまた。
「外交の仕事ができなくなるのは心外だが」
あごの部分が伸び、目玉を形成し、かはわたくしを懐かしげに眺めました。
「『心臓』の言うことも理解できた。
確かに夜尿治らぬ子供ではないということか。
……よせリュゼ。兵士ども。
そしてこの地の戦士たち」
人喰いのパラサイトでありながらお母様と同じく人間の脳を食べずに共生してきた変わり者は告げます。
「もう私は長くない。
君たちの今後について話さなくてはならない。
戦争は終戦交渉なくば少なくとも片方が絶滅するかどちらも意義を忘れて有耶無耶になるまで続く。
それは望ましい結果といえない」
「はい。おじさま」
わたくしはおじの言葉を待ちます。
おそらくこれが彼の遺言となりましょう。
「マリカ。この奥に君たちのいう『皇帝』がいる。
君の母『心臓』も私『あぎと』も彼の一部だ。
話してみなさい。そして彼の翻意を促しなさい」
「仰るままに」
彼の手のひらの匂いは人のものでした。
幼少期にわたくしどもをあやして歌うてくださった声もまた。
「マリアとかミューシャとか言う娘よ」
「えっ?! 私?」
さすがにマリア様は銃をぶれさせることなかったのですが声をかけられて意外だったのでしょう。
「ケイブルの子爵位代行は狐狩の名手と耳にしている。そこで質問なのだが、『守るものがいる獲物ほど狩は楽しい』と人間は言う。しかしながら私には最後まで、いや自ら試しても理解できなかった。君にはわかるかね」
「あなたは知らないままでいてください。人間の汚点の一つですわ」
母はおじに間違いなく翻心を促したのです。
「姪に殺されるのは彼女のために困るのだ。……頼む」
マリア様は子を守る狐を一撃で屠る狩人のように正確に銃を扱いました。
「『眠れ褥に。天の川を通って見えざる輪に……』」
ロザリア様が『鎮魂歌』の呪曲をしらべます。
わたくしども、今時死骸が不死者として蘇ることなどないと存じているつもりです。
これがわたくしのおじの最後となります。
「……これではまるで自殺ではないか」
「かは人を知りすぎたのです」
おじは、帝国貴族はわたくしごときに倒されるような脆弱な存在ではございません。
「皇帝が復活したっていうの。マリカ何か知っているかしら。さっさと全部話して」
「勇者アルダスの倒した存在かは存じかねます。
されど聖マリカと聖アノスの建国記とされる怪文書に、あるいは神話に一つ目巨人の記述があります」
かのもの『神に挑み神となり世界の卵を目指して左目をうばわれしもの』と。
聖ユースティアの著書には『バッツーラ』と。
車輪の王国から西方に旅した自由騎士の物語にも登場するもの。
「確か”彷徨える魔物”なる存在としての名前は……」
「なにその変なことば」
それは女神さまに聞いてくださいまし。ロザリア様。
「……『すべてをみとおすもの』もしくは『右目』」
おじは迷宮のもののけどもに好きにさせないように隠しました。
わたくしどもは何故かこの迷宮の奥にいるという皇帝に翻意を促す必要があります。
されど『右目』については『遊戯』の設定でも語られておりません。
そもそもいくつかある運命の分岐においてコリス様と皇太子様との前に立つのはわたくし、すなわち『心臓』にございます。
かの『右目』なる存在は迷宮の中にある特定の宝箱や蠢くシンボルにコリス様が自ら触れることを『祈るもの』なるコリス様とその守護神のような存在がともに決断せねば出会う必要もないのです。
「運命を見通す瞳と存じておりますが、正体はわかりかねます」
「ふぅん。まぁいいわ。サクッといきましょう」
マリア様は相変わらずですね。
私どもは忍びの技を持つようになったミカの警戒と罠解除に頼りつつ迷宮行を再会致しました。
意外なことは忌まわしき麻薬の魔法をつかうはずのカリナが美しいシャボン玉をいくつも生み出して幻の通路を見破ったことです。彼女にはかような想像力などなかったはずですが。
道中はかくも多くの死の罠続き、また恐るべきものどもが立ち塞がりました。
まず姿を消したのは三部族が誇る勇者ンガッグックと我が友ロザリア様。
「こなるもののけ、わたくしと一代侯爵様にお任せあれ」
彼女はコンパクトを手に『起動』とつぶやきます。
それはまさに処女神の誇りを体現する純白のドレス。
「カリナ、あなたは行きなさい。癒しの力を持つものおまえひとり」
「されど、されど……うちすえられてもお供したく」
「行け。そして友を守れ。
存じているでしょう。わたくし決して失敗はしないのです」
ロザリア様はカリナを抱きしめて何事か告げました。
次には兵士二人が姿を消しました。
我々のゆくてには次々と帝国貴族なる人喰いパラサイトが待ち受けておりました。
最強を名乗る『右腕』を食い止めるべく彼らは挑み。
「帝国貴族に集団で挑むのは犠牲を増やすのみですよね。領主様」
「そうそう。サクッといってらっしゃい」
しかしあなた方は。
「領主なんてガラじゃないですよ。ライムほど強くない私は主夫なんていいかなと」
「わたし、全然料理とかできないもんね!」
「知っていたのか」
リュゼ様の言葉に。
「父同様に接していただいたご恩は忘れません」
「結婚式には一番いい席をご用意します! お父様おこづかいはたんまりと!」
カリナが次々とシャボン玉を生み出して幻影をうち破り、ミカが仕掛けを解除する様はメイも驚きですね。
「リュゼ様!」
この声は。
「ミカ。カリナ。私も助けにきたよ」
迷宮では違和感しかなき天真爛漫な笑みを浮かべる少女のおもての作りはわたくしも存じております。
「……K工場の生き残りかね」
リュゼ様は冷淡に告げます。
「バーナードは忠実な男だ。そしてああ見えて純情でね。チェルシーを置いてくるはずない」
彼と彼女の表情が曇ります。
「それに私がカナエを忘れるとでも?
あの子はねぇ。未だに私の、ケイブルの名誉のために大陸で闘っているの。
……こんなところに来るはずがない」
マリア様は銃を少女に向けます。
「カナエに聞いたことがあります」
カリナは告げます。
「廃棄物なる存在がいると。カナエの元になった子はスキルもちだと」
「主に逆らう漂流者どもめ!」
悪態をついて姿を表すのはカナエやバーナードとそっくりのものどもそれぞれ6人づつ。
おそらく彼ら彼女らが『皇帝』のみもとに辿り着く最後の障害となりましょう。




