母の戦い
「実にあさましき姿よの。『あぎと』」
「物狂いの『心臓』が口にするのはいとたのし」
この地の教会の基礎部分は、私ども、いえ海賊たちが拠点を作り住まうよりも古き建物。
ングドゥ曰く『凶主どもの遺跡より古く神々が建てた』ということ。
教会というものは山賊やモンスターに襲われし場合砦として機能します。
よって何らかの地下道が設けられることがあるもの。
狭きゆえに身体の小さな我が背を護衛にわたくしのみ入り、他の者たちは控えとなります。
……特にポールとライムは本人たちの希望とは異なり是が非でもここに残さねばなりません。
結論としまして、わたくしどもの領民たちが宣うた『司教様の幽霊』なる存在はここに隠れておりました。
問題はある意味御本人であったということです。
かの方は今までに多くのむすめを泣かせましたが、長らくの不摂生とうらみ重なり寿命が尽きようとしておりました。いわゆる死病です。
おもての上では健康を装い、裏では怪しげな魔導や黒魔術に手を染めていた事実がのちに明るみになりますが、詳しいことは彼の助祭であった竜胆夫人が司教代行を名乗り帝国からの司教を丁寧にお断りしたことから辺境の耳には入りにくくなりました。
永遠の権力と権威。
そして女子たちへの尽きぬことなきおぞましき欲望は帝国貴族のもつその不老性の究明へ。
もちろんわたくしも研究者の業のようなものから帝国貴族のふしぎなことをある程度はしらべようといたしました。
しかしながら彼のそれは研究と呼べるものではなかったもようで。
幾重もの涙と血を引き換えに彼は若さを求め訴え、伝説にある悪魔に魂を売ったかの如し。
聖職者とはなんでしょうか。
そして、今我々の前にあらわしたその姿のおぞましきは。
「おじ……様。いえ、司教様?」
「プラネテス様。そのもののけは斬って宜しいか」
「マリカ。私が姿をくらましたときはこの地を去れと申したはずです。婿殿までなにゆえ」
わたくしの母であった『彼女』と対峙するもののけ。
おぞましき、かをおじと呼べばよいのか、司教様と呼べばよいのか。
その身体は半身はおじのもの、半身は老いつつある壮年の殿方のもの。
「帝国と一身になりおったか」
リュゼ様は何かをご存知だったようです。
「この男、私とクウカイの間にもさまざまな嫌がらせを仕掛けてきましたが、最後に『あぎと』に身体を売るとは……見下げ果てたものです」
「何を言うか『心臓』。おまえも同類よ。この力この愉悦。そして若さと力。まこと『皇帝』の力を得ることは素晴らしい。今ならば如何なる女も権威も全て」
かはおかしくなっています。
背よお気をつけて。
母はそれ以上を彼にのたまらせませんでした。
母の髪が蠢くが早いか、刃となってそっ首刎ねたのです。
「このようなあさましい姿を娘に見られるとは」
母は悲しそうに瑠璃色の髪を撫で、少し間を置いてから『それ』より血飛沫が飛びました。
「お見事です。プラネイテ様」
リュゼ様は何かをすでに存じていたようです。
特に感慨もなく、私をそのおぞましきしぶきからマントで守ってくださいました。
「たわむれに婿殿の身体も狙いましたが、これで解決です。こやつの通信は途絶えますが、我々にとって数年数十年は大したことではなきゆえ」
え。
「リュゼ様」
「なんだ」
わたくしは修羅場であることを忘れました。
「最低ですわ! 母に手を出すなんて!」
「出されたのは私だが」
「良き婿殿に対して、マリカは童ですね。マリカの身体の方が馴染むのでしょうが、わたくしにはできませんでした。人の脳をあえて残し並列思考する仕様に欠陥があったのでしょう」
「浮気ごとなど。母と父の仲睦まじきを知らぬ身でおぞましき。……え。人の脳がなんと」
「前にも言ったが、帝国貴族は……」
戯れあうわたくしどもの前で火花が飛びました。
母の瑠璃の髪は再び、鎌のような不思議な形に。
首を無くした骸は未だ倒れず、湯が沸くような音を立て、ゆうくり我々に迫ります。
その右腕が蠢き、白い何かになってわたくしどもに。
それが刃と知ったのはリュゼ様に庇われ母に助けられてのことです。
「首を刎ねたのに」
「おまえも同じだろう」「人の脳を持つ実験型よ」
足元で声がしました。
おじと司教様の二つの顔が、前と後頭部で別々に嘲り笑うております。
そしてその首からは蜘蛛の脚が生え、凄まじい速さで動き。
二つの舌が刃となり、空を切り闇に乗じて別々にわたくしどもを貫かんとしますが、かたやリュゼ様が、かたや母が防いでくれました。
しかし、母は、いえその姿は。
帝国よりもたらされし至宝と謳われし彼女の身体のあちこちにまるで乾いた粘土細工のようなヒビがあります。
彼女の胸から上はわたくしの存じるひとのそれではなく、目玉とつるぎと鞭と肉の粘土を合わせたような。
「マリカ」
「はい」
この方はわたくしの母です。
それは間違いなく。
「私があなたを守ります。婿殿はこやつを」
「承知」
母のいう『身体を奪う』は正しくわたくしとリュゼ様の身体を、この領地を奪い返し手に入れることでした。
彼女の人の部分の寿命はすでに尽きていたのです。
少しづつ崩れていく古い身体はその動きに耐えることができず、かわすことかなわず、ただその頭と両の腕が変じた刃がわたくしの周りを駆け巡り、そしてやがて私を抱き止める鎧として、檻として包んでおりました。
その狭間から垣間見えるのは我が背の驚くべき剣の冴え。
「『あぎと』。人間の脳を得たか」
「おまえと同じだ。実験体。おまえは部品に過ぎない人の脳と同調するあまり人の心を得すぎたエラーだ。もはや処分するに躊躇いはない」
「『あぎと』。君は人の心はなくとも、理知的で有能な友人であったぞ。その男のような腐った心を得て如何にする」
戦いの声。剣戟の音。火花の臭い。
血の味と鉄の味。皮膚を震わせる絶叫。
「マリカ。耳を閉じて。怖いことは何もない」
「はい。お母様」
わたくしはそっと耳に手を添わせます。
嗚呼思い出しました。
母の顔がその豊かな胸の真ん中まで二つに割れて鮫を思わせる歯を見せていたあの日を。
わたくしども姉妹と赤子だったナレヰテに迫る獣をその歯が喰い殺し、その両手が変じた刃が切り裂きその血を啜り切った日のことを。
『怖い夢を見たのです。お姉さま。お忘れになって』
ミマリはやはりわたくしより女王の器でしたね。
今ならばわかります。
妹の態度はいつもいつまでも変わらず揺るがずでしたゆえ。
それは彼女の稚気ではなく、優しさと賢さ、そして揺るぎない彼女の強さだったのです。
わたくしはいつも『帝国貴族に対する偏見では』と現場で帝国貴族と戦ったリュゼ様たちにすら。
研究者失格の偏見に自らを縛っていたのですね。
もしミマリに再び会うこと叶えば、わたくしの不明を彼女に詫びねばなりません。
そして姉として妹を慰める義務を怠ったことを恥じて。
わたくしへの攻撃は苛烈でした。
司教様はあくまで仮の身体。
便利であったから利用し尽くし、さらにこの地での工作にも使えただけ。
かの狙いはわたくしの身体のみ。
動きを鈍らせていく母のその肉とも金属とも刃ともつかないその身はわたくしを暖かくつつんでくれました。
「奴隷など『我ら』の部品にすぎん。なぜわからないリュゼ。我々の進歩のため、我々がより良き未来を得るために。絶対の幸福のためには瑣末なこと」
「わかりませんなぁ! 私の妻はあなた方の部品として生み出されたものではありませんゆえ! 誇り高き父の手に抱かれ、愛ある母御の胎より生まれ、妹弟に恵まれ友柄に慕われしもの……大切なひとりのものゆえ!」
うたが聞こえます。
「今からでも遅くない。『心臓』。その者の身体を手に入れろ。もはや長持ちせんぞその調整体は。
そもそもおまえのその身体は奴隷どもを掻き乱すために作ったもの、長期の運用は想定していない。
人間と我々の交配実験は失敗したが、その娘は稀に見る良質な身体だ。知能肉体能力健康状態共に素晴らしい。
おまえの新たな身体と補助思考回路としては最適であろう。
どうやら少々『邪魔なもの』があるようだがそれはそれで良い使い途がある」
母はもう答えませんでした。
そのうたは母の歌ってくれた歌。
祖父の故郷の歌。
『”瓜食めば子ども思ほゆ
栗食めばまして偲はゆ……”』
その暖かさ、やさしさに私はつつまれて。
幼子だったわたくしは夜尿に悩まされ自らを恥入り眠るのを厭うたものです。
母はわたくしを抱くことがとても苦手でしたが、睡眠を必要としない身体ゆえ、ミカの母である乳母ノリリの手の届かないところで。
ええ。母がひとのすがたを保ち続け、人を食しないことを覚えたのはこの頃だったのです。
私が泣きまするゆえに。
それは刃であり、つるぎであり、槍であり、銃であり。
盾であり、鎧であり、檻であると共に暖かい赤子のためのくるみにございました。
「おかあさま……」
ごめんなさいミマリ。そしてナレヰテ。
わたくしはあなたたちからミカのみならず、母までも。
『……”いづくより来りしものそ
目交にもとなかかりて安眠しなさぬ
銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも”』
「お母様……」
返事はございませんでした。
それはもはや崩れかけた粘土の様を成して。
「愚かな」
首を無くしたそれはゆっくりと双面の頭を抱きます。
その蜘蛛の足がぷちぷちと潰れる音と共に首と胴体は共になり。
「この首は、やはりいらん」
無造作に、簡潔にかは言い放ち、司教様の顔を貫いて。
「邪念と邪しかなきあさましき魂よ。皇帝の器の一つになれるとおもうたか」
その手は灰色の臓物のようなものをくりぬき、頭から掻き出だします。
「良いな。最高にハイというのか人間は」
「マリカ! 見なくていい!」
「やはり、おまえか、おまえがいい」
その血と骨とおぞましき汁にまみれし指先が私どもを指します。
「『我々』人は集い揃いそして始原の巨人に戻る。そして宇宙の、世界を再構築する神々を産む礎となるだろう。貴様たちにはその資格を得る機会をやろう」
「機会だと。戯けたことを」
それよりも。
わたくしは母の申したことを覚えておりました。
母だった身体より漏れいでた赤い宝玉。
それをかは手に。
「背よ! 母をわたしてはなりませぬ!」
「!」
わたくしがいうが早いか。我が背の剣先は容赦なくその宝玉へ。
「危ないところだった」
ぐるりと潰れた顔がごきごきと音を成して裏側にあったおじの顔をしめしました。
「『心臓』は大切な部品の一つ。貴様らにもいずれわかる」
我が背の剣はかたきの右腕がへんじたひとひとり分の長さの刃の半分を切り取り、されど途中で止まってしまいました。
「母を返しなさい。かえして!」
「それは承認しかねるマリカ。おじとして言おう。『我々』には永遠の進歩と幸福が必要なのだ。君にもいずれわかろう」
「『心臓』に思わぬ苦戦を強いられたのはさておき、君たちの乱入のおかげでだいたいののぞみは叶った。『心臓』は取り戻せたし、現時点でできることは少ない……そうだ。君たちの傷を今は癒しておこうか。
せいぜい今を楽しむことだ。定命の者達よ。いつか共に未来を築こうぞ」
『追え! 奴を追え!』
我を失うわたくしの耳元。
リュゼ様が外にいた者たちに叫ぶ声が聞こえます。
しかし、敵は翼を広げ、おそろしき速さで飛び去ってしまったのです。
のちにお父さまよりお手紙が来ました。
母は『本国の馬車の事故で命を失い、遺骸は原型を留めていなかった』とのことです。
わたくしは父のそのお手紙を暖炉に投げ入れました。
このお話はここまでになります。




