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新婚初夜に『トロフィーワイフ』と暴言吐かれて放置されました  作者: 鴉野 兄貴
悪役令嬢のお母さま

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悪役令嬢の母君、行方不明になる

 これは『あぎと』様がいらっしゃるとしらされたときのわたくしどものやりとりです。



「帰ってもらいます。婿殿、良いですね」

 母の一言にわたくしどもば苦笑せざるを得ません。


「そもそもわたくし御忍びゆえに」


 しのぶ気がまるでないのは母らしいと言えばそれまで。そろそろ父まで激怒して辺境に乗り込んでくるでしょうとミカに危惧を伝えたものです。


 父は海賊としてはいまいちとミカの父クウヤは宣うのですがムラカミの中では常識人です。


「……かへりみて常識とはなんぞや」

「ムラカミは主家陪臣家共々ヒャッハーばかりですしね」


 ミカはむごいことを平然と宣います。


「プラネテス様。さすがに帝国貴族にして外交を一手に引き受ける方をぞんざいにはできません」


「婿殿は『あぎと』の揚げ足を取ってこの地を奪いましたよね」


 いくらなんでも『化外の地ゆえ帝国は三部族の行動を関知しない』は失言でした。


 リュゼ様は帝国に朝貢ちょうこうする三部族があざらし漁師たち(※海賊衆)を襲撃した責任を帝国に厳重に抗議し、『あぎと』様の失言を盾に『帝国はこの半島の領土権を持たないとした』として自ら三部族に乗り込み彼らの大酋長となることで結果的にこの地をまるまる平定したのです。


 三部族の『守護者』は帝国において一代侯爵相当。

 責任がないとは言わせないとは当時のリュゼ様のお言葉でした。



「そしてわたしは大酋長の妻……愛人だ」

 いつのまにか忍び込んできて横で聞いていましたガクガが宣うので睨んで差し上げます。


 睨むしかできませぬ。

 わたくし、母によりまだ寝床に縛られておりました。

 ……なにゆえに。


 ミカは同じ寝床にありましたが母に縛られてはおりませぬ。

 早くも『初代国王言行録』に手沢されしショウの新作をば。

 それは母に見せないでくださいませ。


 ミカや母に対する不満はさておき、リュゼ様が三部族を支配下に治めるのを助けたのは確かにガクガです。

 我々の外交問題の発端ほったんとなりし、あざらし漁師たちを全員殴り倒したかたもまた彼女ですけど。


 三部族は本来婿入り婚ですが、ガクガが懲りずに訪れるのは彼女宣うところの『先進的』な行動ゆえで、リュゼ様の三部族における地位の保証でもあります。


 無銭飲食の請求書を処理する身にもなってくださいまし。

(※もっとも彼女は替刃の特許を持っていますので、その膨大な収入をわたくしどもに貸し付けている体裁なのですが)


 ガクガのことより『あぎと』様です。


 国賓級の人物ゆえに一地方領主には過ぎた方ですが、満足のいく歓待をせねばなりません。


「『帰れ』と手紙に書いておけジャン」

「さすがにまずいでしょう」


 リュゼ様のたわむれはわたくしの体調を気遣いするゆえ。

 冗談が過ぎて彼は紋章官のバーナードに忠言されてしまいました。


 わたくしといたしましては『あぎと』様とは幼い頃幾度も遊んでいただき好感しかないのですが、リュゼ様としては別の観点をお持ちのようで。残念ですわ。


「婿殿。わたくしとしてもあまり会いたいとは思いません。今のあやつは人間で言えばワイズマンです」


 母はワイズマン一族にいい印象を持たないようです。

 そのワイズマン伯爵様方は『ワイズマンは伝統的に政争に巻き込まれる』とおっしゃっていましたが。


「父も時折『王国の白い悪魔』と呼ばれますね。むごい言いがかりです」

「政争を好むワイズマン一族ほどではございませんが胃痛がすぎてキレたら海賊時代に戻るじゃないですか。

 この間はぐれバイドゥが王都で開催された園遊会に侵入してきた時に国王陛下以下重臣たちと戦闘に参加して素手でポカポカ殴ってストレス発散成していらっしゃったと手紙で見た日には」


 父は家族には優しい方です。

 同じように伯爵様は病身ながら素敵な方だとは思いますよ。

 リュゼ様ほどではございませんが。

 これは惚気と申して良いのですよね。


 一時期わたくしの側使を務めた、ミカの叔母ミツキがワイズマン伯爵の弟御と婚約したそうですけど、良縁かと。

 ミツキは真面目過ぎて恋愛とは縁遠いと愚考致しておりましたが、素直に祝福したいですね。



「ワイズマンはさておき、『あぎと』もわたくしも人間がいうところの『皇帝』ですが、ナメクジと芋虫ほどに違います」


 母はそのようにおっしゃったのですが、いささか表現が面妖です。

 幼きときの母とおじ上とのやりとりには嫌悪のようなものを感じないのですが、のちに出会いし『あぎと』様はわたくしの知る方と様子が異なっており。



 その蛞蝓と芋虫の違いについて知るのはもう少し後になります。


 母は出立前にわたくしども、そうマリア様ことミーシャとロザリア様ことロゼを呼び寄せました。



「最後にあなたたちに渡すものがあります。必ず役立つでしょう」


 マネキンに着せつけられしそのドレスたちはわたくしたちのよく知るものでした。


「……”紅蓮花”』

 そはわたくしが学生時代に開発したミスリル糸をふんだんに用い、失われし魔導技術たる宝石糸や新素材シルベールや蜘蛛糸などを惜しむことなく注ぎ込んだもの。汎用性に特化したものとなります。摩訶鉢特摩(Mahapadma)地獄の刑期ほどではなくともおそらく700年はすがたかたちを保つでしょう。


「フェアリーブルー? これあんたのとこに送り返したものよね」

 マリア様のそれは三つのドレスの初期型ながらそれゆえにさまざまな実験的機能を持つ、可憐さに反して戦闘服としての完成度が高い逸品になります。


「ウルトラバイオレット。また巡り合うとは因縁ですね」


 ロザリア様は意識朦朧としていた時、『ロゼ』として仲良くなった童たちより『なんだ性格悪い方なんだ……』『ロゼちゃんをかえして』などと呼ばれたのがこたえたらしく。

 服装のみならず言動もずいぶん穏やかになりました最近、民族衣装を身にまとっていらっしゃる彼女は今更このころもをまとうことになるとはと思うところあるようです。


「わたくしもロゼです。童は愚かなものゆえゆるしましょう」


 あの不思議な子は本当に私どもの元に戻ってくるかはわかりかねますが、ロザリア様はもうひとつの自らに指摘されたことは忘れていない模様です。



「しかし……ええ。『惑う方』様。わたくしどもが今更贈り物ごときで娘御の味方をするとでも」

 ロザリア様のご両親、あのおやさしい伯爵夫妻は暗殺者共にむごたらしく。

 伯爵様は太陽王国出身ではありましたが議会派からは距離を置いておりました。死したことをいいことに内乱を企んだ首謀者のように扱われていると聞きます。


「思っておりません。しかしうらみつらみあってなおあなたたちは幾度も娘を助けてくれました。そしてこれは贈り物でも人間が行う賄賂でも、ましてあなたたちの大切な方々の代わりに手打ちとして渡すものでもございません。必ずあなたがたの命を繋ぐものとして持ち込んだのですから」


「一度裏切ったものが再び裏切らないという保証はございませんよ」

 マリア様、いまはミーシャは母に告げます。

「わたくしもあなた達人間でいえば帝国の間諜スパイです。いまでもともいえます」

 ムラカミにはしのぶような高度な真似はできませんゆえ、問題となりません。



「さぁ。まとうてみなされ」

「はい。お母様」「……プラネイテ様が是非にとおっしゃるならば」「……必要ならば」


 マリア様は『妖精蒼銀の(フェアリーブルー)百合(リリー)』と銘うたれたドレスを。


 ロザリア様は『もっとも(ウルトラ)尊き紫の(バイオレット)薔薇(ローズ)』と銘うたれた純白のドレスを。


 わたくしは『赤蓮花(レッドロータス)』と自ら名付けたドレスを改めて母より受け取りました。



 それぞれ可憐かつ流行に惑わされぬ美しい見た目ながら機能性も高い品です。


「ちょっと待って。私だけメイなの? いいわよ自分でまとえるからこれは……。

 ……わかった! わかったから! あんたがカナエと比べられるのが嫌いなのはわかった! 任せるから好きにしなさい!」


 少々騒ぎが起きましたが、あとは概ね。

 この三着は側使を本来必要としません。


 別室にてミカはわたくしの身体にそれを丁寧にまとわせ、化粧やアクセサリーを整えていきます。


 ロザリア様とカリナの働きは申すまでもなく。自ら流行を作るというロザリア様の面目躍如めんもくやくじょと言えましょう。


 可憐かつ清純さを際立たせるマリア様。

 彼女はちゃんと化粧をすればとても麗しい方なのです。


「とってもきれいだよ。かわいい」


「あんた発言を許して……もう貴族のむすめではないものね。いいわ、えっと……メイ。

 いつものモスリンのドレスを思い出すね」


 おそらくマリア様の発言はカナエ絡みでしょうがわたくしは問いただす立場にありません。



「……普通にまとえば美しいのですが、余計な機能は要りませぬ」

 ロザリア様は本体ともいえるコンパクトを手におっしゃるのですが、彼女の赤を好む普段の嗜好と異なる純恋すみれのドレスは大変お似合いです。


 全て実家のデザイナーであるアンの作品ですが、私どもとは浅からぬ因縁があったころも。

 学生時代の思い出と共にまとえど、そのこころは違うものとして一心を新たにします。


「あとはお任せします」

 母はわたくしたちに頭を下げました。


「プラネイテ様。最後にいいですか」

 マリア様が呟くようにことばをはなちます。

 実際、声がもれていることに気づいていないのでしょう。


「なんなりと」


 マリア様は母の腰元に抱き寄りました。

 母の髪が少し動いて見えましたがそれだけです。


「うらみがないとは申しませぬが、娘のころよりよくしていただいた恩は忘れておりません」

 母は少し壊れものを扱うような手つきで彼女の額にそっと触れました。


「ではわたくしも『惑う方』様にささやかなむくいを」

 ロザリア様まで母の背中に抱きつくのは予想外でした。


「今の私はもはや死したもの。されどわたくしの父と母の名誉回復を」

「夫に頼んでおります。娘のミマリも尽力していますゆえ吉報を待ちなさい」


「マリカ。最後ですよ」

「はい。お母様」


 ここは辺境。

 母はその山一つ超えた先にある帝国の貴族。

 そして彼女の嫁ぎ先は敵国である我らの王国。

 本来気軽に行き来できるわけではございません。


 わたくしは母の手のひらを掻抱かきむだき、しばしの、ともすれば最後の別れを惜しんだのです。



 そうして母は去って行きました。

 リュゼ様があやしげな命令をする程度には、かき消えたとも言うべき去り際でした。



「プラネイテ様でしょ。あの方が神出鬼没なのは今に始まったことではないわよ。案外明日にでも本国の侯爵家本邸に気づいたらいらっしゃるわ」


 マリア様ことミューシャは、幼い時に実の母を亡くしたゆえ、母に対して特別な感情を持っています。わたくしをにくんでも母は憎まないのです。


 ロザリア様は手に収まる大きさの貝殻を模したすみれの化粧鏡を手に物想うておりました。

 母は帝国風のファッションリーダーでもありましたゆえに幼き日の彼女に影響を与えたらしいのです。


「思い出すな。あんたらと引き合わされた時」

「”おんなべんけい”と知らない言葉で罵られて褒め言葉と受け取った野蛮人がいましたね」

 あれはあまりにもマリア様が失礼だったゆえ。

 それにロザリア様もまたわたくしのことは申せぬかと。


「まぁろくな目に合わなかった。マリカ様が動くたび、銃撃戦はするわ停学は食うわ留年しかけてカナエに監禁されるわ当時の婚約者たちには睨まれるわ」

「概ね同意ですこと。わたくしもマリア様も散々でした。昔のマリカ様はまことむごいかたで」


 言い返すことばありませぬ。


「まぁでもここにカナエがいたら、喜んでくれるだろう。そういうことにしておこう」

「あなたがあの側使めを忘れられないのは理解しますが、あなたがいまだにメイド一人雇わないのは私といたしまして不便でなりません。いい加減ベンめに申し付けて小使の一人でも雇うようにお願いします」


「うーん。じゃミカをもらおう」

「あげません!」


 むきになるわたくしを揶揄ったマリア様は微笑んでくれました。

「昔、よくこういうやりとりをした」

「マリカ様は『命は差し出しても側使ミカはやらない』とおっしゃっていましたものね。

 当時はたわれた(※頭がおかしい)方とおもふたもの」

 ほほとあざけり、そして優しげにロザリア様はおっしゃいました。


「今は理解できます」


 主人たちの前として口を閉ざすカリナに絡むメイと小声で嗜めようとするミカのやりとりを彼女は見ています。


 相互に依存していたロザリア様とカリナは今や良い意味で他人となりました。


「少し、妬きますが、私も別の関心ごと増えましたゆえ」


 あの3人は賑やかですね。

 特にメイは初めて見た時のフケと脂だらけの髪に隠れた美しい瞳や肌の荒れた顔及び薄汚い服装と見違えました。

 鉄面皮と呼ばれたカリナがあそこまで愛らしく微笑むのを誰が予想したことでしょう。


「おい、侯爵令嬢、じゃなかった『ひざのくに騎士爵夫人』」

 え。

 わたくしども三つのこうべがぶつかりました。

「むごいことをします」「なにゆえに」

「いやぁ悪い悪い。二人とも。ちょっと力を入れすぎた」

 悪びれないマリア様にわたくしどもは抗議します。

 急に肩を抱き寄せられたのです。


 されどわたくしども、そのむごさがかえっておかしくて思わず笑ってしまったのです。




 かくも母はわたくしどもの身の回りにおいて良き影響を残しました。

 そしてこれよりも。



 思えば母は海水を厭うに反して海岸の浜遊びによくわたくしども姉弟を連れて行ってくださいました。


 夏になったら三人で浜を歩くのも良いかもしれません。

 ミカやカリナやメイやフェイロンたち童もつれて。



 ムラカミは海賊ゆえ童は昼間に浜遊びをし、大人は夜に浜にて宴を行ひささ()を楽しみスモウをとるのです。



 ……瑣末ごとですが母より、『かのユースティティアが邪神復活を防いだ後に執り行いし魔除けの祈祷に用いたなるなぞめき水着』を譲られましたが、リュゼ様のお好みには合わなかった模様です。



「もともとの法要では殿方がまとうとともにスクワットをしつつ鼠蹊部そけいぶ両手もろての手刀で擦り、白の神官服姿の娘御と『おぼしおどろけりは理想郷ゆうとぴあ』と人々のおそれやまい消え去るまで昼夜を問わず叫びあったといいます」

「お嬢様。その一次資料、また怪しいのじゃないすか」


 ……聖ユースティティアを表す一次資料の多くは彼女の神格化に尽力した小ソフィアナのものを除き内容を疑いたくなるものばかりですからね。


 そのすがたかたちいとおぞましくまたみだりがましき水着は封じますが、要所に光のようなものが降り注いでみえる事象に反して全方位より人の視線を防ぐ不可思議な力は当地の農業や軍事技術に役立つかもしれません。



 ……ちょっとだけ着てみて背のかたの反応を。

 いえいえとんでもございません。

 母を見送りふたたび湧き上がるわたくしの邪心とは別に、我が背は早くも領のことを心をさこうとしております。


「耳ざとい君は存じているかもしれないが、司教様の幽霊が何故か当地の教会に出ると言う。馬鹿らしい話だが勘繰られても困る。母御のこと疎かにすることはないがこちらも早急に解決せねばならない」

「ですね。ひさびさに」

 儚くなりかけ、あるいは母に縛られ、またお城が出してくれなかったりで心苦しい日々を過ごしたゆえ、時には妹背ではばかりなく領の皆様のために。


「出歩くなと言っている」

「背はいぢわるです」


 わたくしが拗ねますと彼は笑います。

「まぁ、『うたうしま』のおかげで助かっている」

「最近このお城は機嫌が悪いのか、わたくしだけ出してくれないのです」


「単にマリカを守るためでは」


 ぼそっとフェイロンがカーテンに隠れつつ余計な一言をば。


 ミカですか? カリナとメイと共にわたくしたち妹背のたのしみを奪っております。


「探偵まがいのことをされて腹を探られる不快は君も存じているだろう」

「そういうお話ではございません」

 当地を訪れるものは私もリュゼ様も含めつみびとゆえ。


 あの3人は探偵まがいの仕事は得意です。

 メイドや側使の義務ではございませんが。


「つまんな……いえ、その、どこか足を運びましょう」

 危うくミマリの真似をするところでした。

 前はわたくしとミカと彼だけでさまざまな問題に関われて楽しかったのに。


 わたくしが現場仕事のたのしさを知ってしまったことに彼は呆れ返っているようで。



「君がドレスや宝石で満足できる女なら楽なのだが」

「わたくし欲深いゆえ」


 いかな財宝よりわたくしの方が価値ある自負がございます。

 美術品は保護しますが概ねわたくしほど彼を飾ることができると思っておりません。

 そして功名心人並み外れておりますゆえに。


「兎にも角にも……大事な身体なのだからおとなしく待つこと。研究なら良いぞ。毒の類や爆発騒ぎは困るが」

「お気に召すままに」

 ミマリならば『つまんなーい』と叫ぶところですがわたくし童ではないゆえ。



 そんな中、事件が起きます。



 母が行方不明になったと母にこっそりついて護衛をしていたポールとライムが報告してきたのです。




 青ざめ倒れそうになるわたくしめを彼が支えてくれました。



「申し訳ございません」

「確実に『黄金の鷹』に乗船し、そのまま船が出たのは確認しました」


 そもそも母は来訪時にいかなる船に乗っていたのかもわからないのです。


「出航までのあいだ、小さな手荷物ならいざ知らず、人が隠れるような荷物が船から出た様子はありませんでした。船長たち曰く昼食の時には姿をくらましていたと」



「帝国貴族が護衛をつけないのは知っているが」


 母の行方にリュゼ様も何か仮説を持っているようですがおっしゃってくださいません。


「引き続きセルクたち兵士にはプラネテス様を捜索させる。しかし私には他にも案件を抱えている。例の司教様の幽霊騒ぎだ。変に勘繰られると本国はおろか帝国にも太陽王国にも疑われる」

「母は海の水を好みません。あの美貌ならば風に当たるため外に出れば人目につき騒ぎになります。また船室の窓より飛び降りるような愚行も犯さないでしょう」


 司教様についてはわたくしども幾度も思うところあるゆえくちにはしませんが彼はぞんじてくれております。


「確かにその通りだ。彼女もまた何かを予測していたのだろう。プラネテス様から伝言がある」

「怪しき。母も直接おっしゃればよきものを」


「『もし私が姿を隠したらマリカにこのように告げてほしい』と。帝国貴族は頻繁に姿をくらませるゆえ戯れだと思うたが、ことが深刻そうだからな」

「そうですね。否定は致しませんが、母はなんと」


「”狭井河よ 雲立ち渡り 畝傍山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす”だ。言えばわかると」

「……”畝火山 昼は雲揺とゐ 夕ゆふされば 風吹かむとそ 木の葉さやげる”」


「なんだ? 自然を歌うものか? わたしにはわかりかねる」

 ……それは皇后イスケヨリヒメの。



「背よ。行ってはなりませぬ」

 わたくしはかれに告げます。


「全てを捨てて逃げよとわたくしめにかは告げています」

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