悪役令嬢、新しい地図を広げる
母とリュゼ様は仲良しです。
「そうとは限らないのだが」「クウカイとは違うが、快き婿殿ですね」
妬いていいでしょうか。
後に知ったことですがお城の一室が空洞になっていました。リュゼ様も少しお怪我を。
やはり古代魔導帝国の遺跡は危険ですね。
ミカとわたくし、先日までお互い共に出血多量で死にかけており、混迷しつつ互いの名前を呼び合うため同じしとねにてゆびさきを握り合うようにしていたようです。
聖具を使ったのはこれにて二度目ですが此度はまことに儚くなりかけました。
祖母も祖父を救うべく聖具を使い黄泉比良坂の際まで……。
「ミカ」
わたくしこのような声でしたっけ。
舌がもつれ腕は重くことばをはなちつつ幾度もこころここから離れ。
わたくしどころかミカの命まで失ってしまうところでした。
かの女神はもはやわたくしと彼女は別の存在となるとおっしゃっていました。
幼い頃より見ていた悲しい夢。争う二柱の女神。
彼女とわたくしが別の存在となるなら、あの妹神の化身がもしも仮に本当にミカなら、ミカはまだしもわたくしは別の存在ゆえに彼女の願いを叶えることはできないのでは。
それとも彼女には別の手段があり、どちらにせよわたくしどもは離れることなきさだめなのでしょうか。
未来のことなどわかりかねます。
まして異教徒の、もはや信仰を失った女神たちの意図など。
正直わたくしどもとしてもあの夢はあまりこころよきものですらなく、今後あの夢を見ずに済むのならそれはそれで良いかもしれませんね。
わたくしはこれより女神の加護なき身となったと彼女は言いました。
翻してみれば彼女、いえ彼女らの加護なくば、わたくしども此度のいのちすら幾度殺され犯され拷問を受けこころを壊しあるいは狂うことも許されず囚われたのでしょうか。
いえ、それどころではございません。
ミカは本来ならわたくしの人生になどいなかったむすめなのです。
名もなき陪臣の娘。口答え多く儚くなったもの。話にもならなかった存在。
わたくしもまた傲慢と虚栄に囚われ、必ずほろぶさだめのもの。
ある時はその身を皇帝に委ね皇帝そのものになって討たれ、ある時は民衆により犯しつくされ牡蠣の殻で肉を削がれて死に、ある時は太陽王国との取引で行方不明になり、ある時は藩王国の山中で暗殺者に討たれるさだめを幾度も繰り返す時の川の澱みに囚われた小さな魂。
全知全能でありながら最愛の姉妹神同士で争い滅び共に生きられぬ女神たち。
わたくしたちは時の河の小さな支流の澱みで幾度も巡ることで出会い別の流れを作らんとした。
正史になき物語。
人々がやがて滅ぶ物語へ。
その悲劇に憤りし魂が描いた別の微かな可能性。
揮 翰 動 三 辰
筆を取れは日月星をも動かす。
何者かが描いた偽りのものがたり。
別の世界のお話を始めよ。
その手に筆を取れ。
運命を書き換えよ。
幼き日の記憶。
源氏香紋の陰の幻。霧隠。
存在しないつながりのものがたり。
存在しない幻の家の紋。
読みたいその方々に会ってみたいと駄々をこねてお母様やお父様を困らせたのは幼いゆえのまぼろしの国への近さでわたくしの定めを知らずに存じていたのでしょう。
『時が経てばどっちが偽史でも未来では繋がるもんさ。リンスが言うには時間とか世界ってのは無限に繋がる箱みたいなもんらしいぜ……って確か俺はリンスと面識がないんだっけ。まぁいいさ』
この世界において世界を救わず、王にならず、英雄にもならずに鄙びた村にて一人の女性と生涯を共にしたかたはおっしゃっていました。
しかし彼の書いた物語は正史とも偽史ともつかぬままわたくしどものこころの物語となっています。
小さな流れ。
本来ならいなかった方々。
英雄ならざる方々が紡ぐ別のささやかな水漏れの如きお話。
正史におけるわたくしの微かな良心の源。
コリス様たちに勝利を齎す小さな要因。
本来なら名前すらなき騎士。
非業の死のさだめのものが幼少期に憧れた彼と暮らすささやかな、ありえないお話。
それを紡ぐための小さな糸に手を触れた。
これからは女神たちですら知らないお話へ。
ひととして生きるが故の苦しみとささやかな喜びへ。
『幸せで心楽しい暮らしとは、豪華なもの、驚くこと、快楽を貪り若さを使い潰すようなものではなく、小さな喜びをもたらす毎日が静かに続いていくことなのです』
『母を恋し父を恋いて愛を斯う童たちが無心に石を積むような。そしていつしか新たな童たちを見守るものへと彼ら彼女らを育む川の如きもの』
わたくしの存じないかたがたのことばが何処かより聞こえました。かは女神たちの声でしょうか。
わたくしどももそのような生き方ができるでしょうか。
王とならず英雄とならず、愛する女性と一人の村人として生きた作家の物語のように。
争い合い滅ぼし合う女神たちに、人間のむすめとして、そのような穏やかな生き方を過ごすものがたりを見せることができるでしょうか。
わかりませんね。
でも書き物はもう少し続けていこうと思います。
もっとも、この状態で何かが書けるはずもなく。
わたくしがこの続きを書くようになったのはしばらく経ってからになるのです。
かつて幼子だったわたくしとも遊んでくださいました帝国の外交官『あぎと』様がいらっしゃるとの連絡を受けたのはお母様同様唐突でした。
かの方はわたくしが倒れている間に連絡を寄越して来たとのことでリュゼ様はミリオンに命じて『今は妻が倒れており拙い歓待しか成せそうになく。よろしければブブヅケでも食べて行くが良い!』と歓迎の返答をしたとのこと。
「妻!!?」
「ああっ!? お嬢様が知恵熱を!?」
「……いつもこんな感じなの?」
「そうだよおばさん」
「メイ、カリナをいじめるのはやめて」
「いじめられてるのは私だもんミカちゃん! ……ごめんなさい」
わたくしどもの回復に伴い、戯言を申す程度にはメイも気が緩んできました。一時期職務継続不可能だったのですが。もちろん彼女の暇乞いなど受付ませんが。
貴婦人たるものがメイドの一言で。
この地に来てからわたくしはどんどん弱くなっていきますね。
昔のわたくしはもう少し自信に溢れていたはずなのですが、慣れぬ地で戸惑い迷い虚勢を張りあるいは根拠のない自信と善意に突き動かされ。
「……」
「どうなさいましたかお嬢様。まだ具合が」
いえ、わたくしだって成長しています。
なので、その冷たい目線は辞めてくださいませロザリア様。マリア様。
「ミリオンが珍しいものを作ったそうですが、よろしければ」
「いるか! このバカむすめ!」
即答でマリア様に叱られました。
「……」
ごめんなさい。何かお話しませんかロザリア様。ガクガ、後ろでさもありなんと首肯はやめてくださいまし。
なおミリオンが作ったブブヅケとは黄金麦を焚きしめそれに惜しげなく茶を注ぎ、海藻塩とあられにした餅、山葵などを加え味を整えた高級かつ食べやすい雑炊のような簡略料理とのことです。粥に近いですがもう少し米は硬めです。
賞味しましたがなかなかのもの。
湯洗いした鯛の切り身と焼きを入れた焦げ鱗の塩が上品な味わいですね。
ミカ、ゆっくり食べなさいな。
舌を火傷しますわ。
旧友二人とガクガがブブヅケを辞し早々と帰ったのち。
「じゃ、長居しすぎたから僕はここで」
「フェイロン、どこにいくの。もうみのむしごっこの刑はやらないからここにいなさい」
何故か席を外そうとするフェイロンとミカがやり合いますがミカもまたほとんど動けません。
重たげに腕を伸ばしてフェイロンを抱きしめています。
もうミカったら。
わたくしはあうるべあちゃんと仲良くしてますからSuit yourself。(※この表現はもう少しあばずれな意味がある。作者)
「なんかね! おくさまは『皇帝に連なる帝国貴族で、建国の英雄の孫にして宰相閣下の娘で、王太子の元婚約者。学者として有名かつ女神様の祭器を扱い、おまけにその血は不老不死の妙薬ディアナ・ディア・ディアス』らしいの!」
「まったく。子供のままごどだってそんなにふざけた設定盛り込みませんねお嬢様。おまけにまた異教徒の女神の生まれ変わりとかいう夢までみたと」
フェイロンの暴露もしくはまとめにミカが呆れリュゼ様は大笑いしていましたが、セルクは心労にて休暇をとってしまいました。ごめんなさい。また出かけます。
「娘は縛り付けておいた方がいいかもしれません」
「概ね同意しますが、多分いうことを聞かないでしょう」
お母様の御髪が何故かわたくしの身体にまとわりつきます。
お母様ご立腹です。
その笑みがどのようなお叱りより怖いです。
「まったく。辺境で親の目が届かないので実に好きにしていたようで婿殿の忍耐には感心しております。……ところで娘が回復したらあなたたちは繁殖行為をするのかしら。興味。深々」
「がぶっ!」
危うくわたくしめもブブヅケを。
これ以上は申せません。
ミカ、背中を叩いてやりませう。
ごめんなさいメイ、カリナ。
動けぬミカの代わりに掃除をお願いします。
「あれはなかなか興味深い。心よき」
そういえば帝国貴族は完全な生物を名乗るゆえ本来繁殖を行わないのでした。
……あくまで学術的な興味ですが。
「わたくしの身体の胸より下は哺乳類サル目ヒト科ヒト属とほぼ違いませんので人としての繁殖行為を行えます。よって娘は人間となります。聖具を扱うのは姑の血筋。女神の加護などはわたくしと無関係です」
母の端正なおもてを見るに、わたくしどもといかな違いがあるのかわかりかねます。
兵士のセルクとその部下であるライムやポール、彼らは『帝国との戦いにおいては首を斬れ』『戦死者の骸の手脚を切り落とせ』と指導しています。勇者たちの骸に酷い仕打ちですがあれはバイドゥと呼ばれる帝国のもののけと戦う基本形です。彼らは時折人間の死骸より手足を奪って自らの部品としますゆえ。
「何を教えても『帝国に対する偏見では』と。『まどうもの』様にせよ『あぎと』殿にせよ娘御に慕われていますね」
「快き」
「二人とも、本当に仲良しですね」
「手合わせして好感が増したのは否定しないが……」
「試すつもりが少し欲しくなる程度には気に入りました」
彼は不機嫌そうに、母は珍しいことに感情豊かに話します。貴婦人はあまり感情を表に出さないものですが。
それより母とリュゼ様は何の手合わせを。
ショーギもしくはイゴでしょうか。
わたくしどもの隣の席に座る母を見て『あぎと』様は少し驚いたようです。
「『二人とも健在』のようだな」
「ああ。ピンピンしているぞ。プブヅケでも食っていけ」
「おひさしゅうございます。『あぎと』様」
危うく『あぎと』おじさまと言いかけたのですが、『何かが違う』とわたくしども妹背は感じたのです。
「マリカ、久しいな。『初めまして』。思ったよりも元気そうだ」
「おかげさまで」
嘘です。
わたくし一応教育を受けておりますので健康を偽ることは可能です。
問題は帝国貴族に健康状態に関する虚勢は一切通じないという事実なのですが。
かつてある高貴な方の膵臓癌の兆候を彼と母は見抜いていらっしゃいました。
通常ならば進行が進み助かることなどはございません。
「リュゼ、この狐め。『初めまして』」
「あなた様は外交官どのとして来訪されたのでしょうか。それとも悪友としてきたのならとっととプブヅケ食っていけ」
リュゼ様は少しご機嫌よろしくないようですね。
それにしてもここまで珍味を推すとは。
回復しましたらわたくしもミリオンに教わって手ずから作って差し上げましょう。
楽しみが増えました。
奥では未だほとんど立てないミカがカリナに支えられて控えております。
ミカと体調変わらぬわたくしがこの席に立つことについて当然彼は反対しております。
「かつての旧友と姪のような存在、そのどちらとも『初めて会う』と思えば感慨深いといえば良いのかね。『心臓』」
ここではわたくしどもが領主ですので、本来ならばこの場で一番格の高い母は一歩引いて発言をしていませんでした。
彼女はあくまで無言をつなぎます。
どうにも奇妙ですね。
わたくしの存じるかれはもう少し。
「おまえ、痩せたのか」
「ふむ。前の身体よりは体積は減ったがそのことか」
簡潔に申しますと、わたくしどもの知る『あぎと』様の外見は恰幅の良い優しげな紳士なのです。今わたくしどもの前にいらっしゃるかたは綾目と杜若ほどに異なります。
いえ、タイヘイキのアヤメの方の時代のアヤメは別の植物だそうですがなにぶん祖父の故郷の物語ですゆえ詳細はわかりかねます。
何より目つきが、こう表現して良いものか。
まるで『……』様がわたくしやミカを見る目のようで。
帝国貴族である『あぎと』様は捉え所なきものの、わたくしや妹そして生まれたまもない弟、ミカや陪臣家の子供たちと分け隔てなく遊んでくださいました。
幾度か贈り物すらいただいています。
例えば麗石と呼ばれる数々の美しいアクセサリーです。
おそらく信じがたいまでの高温高圧で作成するものであるはずですが再現はできませんでした。
研究したところ硬さも御影石の三倍はあるようです。おそらく石英……ガラスを含むはずなのですが通常のガラスとは異なるようでして。
ミカは帝国のアクセサリーを身につけませんが、特に麗石に関しては研究助手としてでも触れることすらおぞましそうな態度を取るため、わたくしも普段身につけません。
麗石は高品質の金剛石や蓮花宝(※パパラチア)や金緑石(※アレキサンドライト)、雷帝石(※パライバトルマリン)と言った希少なものにはじまり、翠玉・紅玉・蒼玉・蛋白石などを含みます。どれも人類にはまだ作れないほどの高品質かつ純度の高い逸品揃いです。あまりにも均質なことから工業製品ではと妄想し夢見て幾度も実験を重ねたので資料が……この記述は消しておきます。
その麗石を見たミカのような嫌悪の情を彼に感じてしまうのです。
特にあの目。まるで。
「司教殿は行方不明だそうですね」
沈黙を守っていた母が唐突に発言しました。
母はわたくしの心が読めるのでしょうか。
いくらわたくしどもが親しい間柄でも公私は分けるものです。母とは思えぬ失態……ではありませんね。彼女は明らかに意図してお話をしています。
「世迷言を。ここにおる」
彼の方は助祭ある身でありながら幾人もの女性を手にかけた方です。
いえ、少年にすら。
「ここに? 司教殿までいらっしゃるとは伺っていないが」
「あの、『あぎと』様、長旅でお疲れでしょう。席を改めて今宵はお休みくださいな」
あまりにも言動が奇しいためわたくしは失礼なことを申し上げてしまいます。
帝国貴族である『あぎと』様は多くの方々ににくまれ畏れられますがわたくしどもムラカミの姉弟にとっては優しいおじさまですゆえ。
しかし司教様は。
かの方はわたくしどもにとっては心穏やかにいられぬ方と申さねばなりません。
ミカとわたくしにもおぞましき劣情を抱き、直接学友どもからは伺っていませんがおそらくマリア様やロザリア様にまで手をかけようとしたのですから。
確かにお父様のお手紙に『司教殿が王宮から消えた』と書かれていたのは存じております。
如何にして消えたかもわからぬと。
しかしながらあれほどの方が動けばお忍びでもムラカミの陪臣郎党ならば森番のアップル、当地ならばミリオンやフェイロンや吟遊詩人アランや蹄銀職人である鍛冶屋チェルシーらが嗅ぎつけますし、通常ならばミカやロザリア様の耳に入る筈です。
さすがに一地方領主に王国全てを任じられる司教様を歓待する用意などありませんが、『あぎと』様の戯言でしょう。
礼法に則ったやりとりのあと私的なものがたりというのが作法ながら彼は多少お疲れを見せていますがお戯れをおっしゃっる余裕があるのですね。
後は形式に則ったやりとりになりました。
今回の作物や家畜伝染病については帝国貴族としての『あぎと』様が食料支援を打診しリュゼ様が正式に断る形でお話はつきました。
母が申すように帝国はわたくしどもを辺境伯として認めるとのことを『あぎと』様は一方的に通達してきます。
そもそもリュゼ様は帝国から見れば一代貴族とはいえ侯爵待遇である『守護者』たちを支配していますゆえただの王国騎士として扱うには無理があり、『あぎと』様は先の『毛外の地』発言でこの地の領有権を手放してしまいました。
この数年、実効支配を続けるとともにあやしいおくすりの蔓延を防ごうと努力しているわたくしどもを認めるとのことですが、わたくしどもには困るお話。
わたくしどもは母の立会のもと王国に翻意を問われるような真似をする気はないと返答しました。
とはいえ帝国の通達は常に一方的ですからね。
わたくしどもの地図はこれより大きく描き変わることとなるでしょう。




