悪役令嬢、女神様に会う
存じない天井を見るのはさておき、空を眺めるのは嫌いではございません。
そういえばロザリア様やマリア様はかなり長い間天井の上に天国があると信じていたとおっしゃっていましたね。
幼少期に大切な人がどこにいるか父御らに問うたとき、天井を差されたからだと。
わたくしどもやまとの人々はモヨツヒラサカやニライカナイを信じていますので当初理解できませんでしたが。
光の中、いえ光そのものがあります。
問いかけではなくわたくしのこころにすでにその存在はあり、その存在はわたくし以上です。
まるで砂浜の中で大地全てに向かい一粒の砂が『我は一握のものぞ』と叫ぶかのよう。
あるいはBuddhaの手のひらにて暴れていた斉天大聖よりも儚く。
『あなたはわたしですか』
ノン。
『あなたはわたしでしょうか』
いいえ。わたくしはあなたではございません。
やさしい光が身体も心もバラバラにしていくほどの圧力でわたくしを粉々にしていこうとします。
光なるものは強すぎるとものを動かし心を焼き尽くすものですゆえ。
光そのものが語りかけてきます。
声そのものが光であり光こそ彼女です。
わたくしは彼女のことばを断片的にしか理解できません。
その光は強すぎてわたくしなど強く心を持っていなくば彼女の一部にすらなれず吹き飛ばされてしまいそう。
地曜日のゴミの日にミカは確かにあれを出したのですけど。
忌々しき聖杯は満足したのでしょうか。
わたくしは先程の傷を確かめます。
白い肌に薄く透ける血管。そして薔薇色。
ほくろひとつございません。
『運命の淀みに舞う木の葉。
宿命に抗い時の流れにとどまるもの。
こたびはコカトリス一匹とその家族がために命を落とすとは』
「よしなに」
わたくしはどこに向けて礼をすれば良いかわかりません。
光の中に包まれているとも、彼女の生み出す小川の映像の中にいるともなんとも申せないのです。
そもそも今のわたくしの身体ですら彼女の一部なのでしょう。
とはいえ、リュゼ様を突き飛ばしてしまいました。
時が戻るならば巻き戻したい。
わたくし、彼と頭一つは背丈が違いますゆえ、をなごのうちではやや力があるのです。
『時の川の支流に迷い込み、水が一つにならずとどまる魂よ』
あなたがわかっています。さすがにかようなつまらぬ理由で生まれ直したいとは思いません。
どこまでがわたくしの考えでどこまでが彼女なのか。
彼女はすべてゆえわたくしを維持するものが少しづつこぼれていってしまいそう。
幾度もの失望を経たとはいえ、曲がりなりにも教会のおしえに従うわたくしが、異教徒の女神と話しているのは不思議な気持ちです。
ノン。
あなたはわたくしではございません。
彼女はすべてゆえ、わたくしでもあるのでしょうが。
いけない。しっかりしなくては。
いままで会った方々。友人たち。賑やかな陪臣郎党。
少しづつ、少しづつ光の中に溶けていきそう。
リュゼ様。
ミカ……。
「お嬢様! お嬢様! しっかりしてくださいまし! ピグリム様! 輸血はできないのでしょうか!」
ちょっと姦しいです。
わたくしは彼女に向き合います。
たぶんこのあたり。
ありがたいことに彼女はわたくしに合わせてくれます。
亜麻色の豊かな長い髪。
黄金色に輝く麦穂や果実やそのつるで作られた装飾品とサンダル。白い白い布の服。肉感的である以上に母性的。それでいて緩やかに大きくまるくくびれた胴回り。
顔立ちはミカとは違い母性的な愛らしい美人だと思われますが、おそらくこれはわたくしの心が生み出したものでしょう。
「お嬢様ごめんなさい。ごめんなさい」
メイ。わたくしこそおとなげなかったですね。
『このような結末ははじめてですね。迷い込みしもの』
「女神様ご機嫌よう』
ーー考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのですーー
ーー真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことですーー
『宗教家に煽られ暴徒と化した民衆に捕まり、牡蠣の殻で肉を削ぎ落とされて惨死』
ええ。
『あるいは宗教的意見の異なるものを次々と論破する。車裂きにされ、斬首』
そのようです。
その他、統計を用いて治療待遇を変えるべく軍の改革まで運動などを経て姉は発狂し最愛の同志を過労死させるなどなどを見せつけられて。
『いい加減懲りて』
わたくし幾度も反省しておりますよ。
たまに親娘で運動や黄表紙を書いていたりもしましたし。あのものどもは元気かしら。北極海まで行かなくてもいいのに。
『自殺は禁じたはずですけど』
いちいち細かく指摘されましても。
この戯れの世に来ては何周目でしたっけ。
あなたと出会ってからははじめてかも。
『二十三週目ですね』
そうでした。
王太子に婚約破棄され、友人どもに見捨てられ、家族は政争に敗れ修道院にて司教どもに幾度もおぞましき扱いを受け、少しづつ膨らんでいく自らの胎に絶望し木の杭で胸を刺して死にきれず腐敗していく身体とともに発狂死。
皇帝そのものになり王太子とコリス様たちに立ちはだかり討伐される。
あっ。遊戯の世界の本筋前にて足を踏み外して階段から落ちて死ぬのもありました。後ろにいらっしゃったのはどなたがたでしたっけ。
「お嬢様はそのようなむごい方ではございません。やさしくて強くて努力家でなんでも知ろうとしますが、ちゃんと反省できる方です」
そういえば、12歳を待たずして死んだものがいました。実に生意気な、陪臣の立場もわきまえないもので。
名前は……名前は……忘れてしまいました。
たかが陪臣の娘などさして重要でも……。
ーー出来うることなら神でなくお互い普通のむすめとして。
あなたと共に生きて死にたいーー
わたくしの最後の力が彼女を包んでいきます。
わたくしの身体は醜く崩れ沸騰し腐敗し。
花よ黄金よと讃えられし声も身も枯れ腐りゆき。
『なにゆえ……姉よ』
彼女の神秘的とも月影とも称された美しい身体は徐々に石となっていきます。
よかった。あなたはそのままでいられる。永遠に。
あなたはほんとうに愛らしくて美しい。だいすき。
ーー死にたい。死にたい。死にたい。滅んでしまいたい。姉神をわたしは殺してしまった。わたしの半身わたくしのこころ……だれかお願いこの石の身体を解き放って……ころして……。ーー
「それでいいの? そりゃ構わないけどさぁ。そんなに長く待ったんだよね女神さま」
のんびりとした童の声。
「ほら迎えにきた。お姉ちゃんと一緒にいきな。
ああ。ハワイ旅行のチケット代は女神様たち持ちで頼むわ。
来週もサービスサービスでお願い。バイバイ」
わたくしたちは姉妹そろい、彼に微笑み。
しかし彼はわたくしどもにもう興味をなくしたかのように、闇夜を嵐のように通り過ぎ旭と共に去ってゆきます。
「……あっ姪っ子へのプレゼント忘れてた。叱られるな。どうしよう」
それは許してもらうように計らいますわ。ふふ。
わけのわからぬ記憶は女神たちのものでしょうか。あの童にはわたくしにも見覚えありますがひと違えでしょう。それよりも。
「ミカ……」
思い出しました。わたくしの心の妹。
「お嬢様、わたくしの血を使ってくださいまし……お願い目を開けて……姉さんでいいから」
あなたは頑なに本家の養女になれと申し付けても『わたくしが姉なら構わない』と言い張りましたね。
今ならわかります。
「マリカ、目を開けて。あなたはわたくしではない。あなたはわたくしにならなくていい。了解して」
お母様。あなたはとても魅力的な方です。
どなたかがわたくしの両のたなごころを握っていらっしゃいます。
端的に言って小柄で、少し太っていて、お顔立ちも益荒雄といえば宜しいのでしょうけど……どちら様でしたか。忘れてはいけないかた。
ーーははは。わかるぞわかるぞ。我らも益荒雄は好きだ!ーー
リュゼ様を侮辱するならば出入り禁止にします。ガクガ。
『勇者は妖精に愛されしもの。人々に運命を変える勇気を与えるもの。やがて魔を絶つもの。そしてただの卑しい人間に過ぎぬもの』
されど卑小な身で現在なる運命と契りを交わすもの。
『マリカ様』『マリカ様』
マリア様その花冠には虫がついています。
ロザリア様おやめください。ワインがかかってしまいます。
ミカ、カナエ、カリナも見ていないで、笑っていないでもう……あなたどもは主たちに対して心得違いをしていませんか。ふふふ。
「お姉さまお姉さま」
「うえあねさま。うえあねさま」
ミマリ、ナレヰテ。
「娘よ。やっと起きたか」
お父様。お祖父様。
「マリカ様」
陪臣郎党の皆様。
手真似で挨拶をしてくる愛らしい少女、子供たちや娘たちかつての娘たちに慕われるアクセサリー屋の老婆、誇大妄想を語る青年、親切な道路掃除夫。街の人たち。
当地であった城の仲間たち。
ガクガたち三部族や海賊衆。
『わたくしはあなたではないようです。
ではあなたはわたくしの聖杯でなにを成すのです』
「永遠の平和を」
彼女は寂しげに微笑んだかもしれません。
それは虚無の世界ですよと。
友も家族もいえ、ものすらない、こころすらない永遠にして虚無だと。
あるいは恐ろしき虐殺の世界。
わたくしの意識を今のわたくしとして繋いでくれる手のひらは、その身体に反して大きくて、タコだらけでゴツゴツしていて。
お父様とはまた別のものを感じます。
『あなたはわたくしでないなら、あなたはこれよりその身を汚され殺され心を壊され、あるいはもっとむごい目に遭うでしょう。今までよりも』
そしてあなたは処女神格ゆえ、わたくしども一体ならばわたくしは御子を得ること叶わぬということですよね。
いいです。あなたはわたくしの願いを叶えてくれました。
わたくしもあなたの願いをかなえて差し上げます。
あなたの好きな妹君と、ひとのわずかすぎるいのちながら……共に。
「ミカ……」
こえをだしたくてもこえはでず。
彼女の白い頬は血の気がなく、瞳は固く閉じられ、ますます美しく見えます。
時折夢見心地にて微笑む様は何かをおもいだしているのでしょう。
「マリカ、目覚めたか」
あなた様。突き飛ばしてごめんなさい。
ところで泣きすぎで目脂がひどいですよ。とってくださいましね。
「かろうじてミカ殿のみ血が合いましたが、まだ二人とも話せるわけではございません」
「一時はどうなるかと思いました」
ピグリム様とショウの声がします。
「話にしか聞いたことがない『ディアナ・ディア・ディアス』ね。……ミカ。無理をして」「ミカちゃんおきて」
確か男女の顔を持つ双面神で、転じて……いまはなにも思いつきませんね。
ミカのもとには……わたくし目が掠れて見えませんがカリナとメイがいるのでしょう。
母はつきっきりでわたくしどもを看病してくれたのでしょう。彼女は眠る必要のない身体ゆえ。
「証拠隠滅……じゃなくて地曜日のゴミの日に出しておいたのにねぇ」
「呼べば来るなんて知らないよ……」
ミリオンとフェイロンはなにかやりあっています。
扉の外ではクムの家族たちの声、アランの声。
紋章官のバーナードや執事頭のジャンをはじめ城のものどもの声。
チェルシーが鋼を打つハンマーの音。
そして。
朝を告げる鶏鳴たちの声。
喉を鳴らす猫たちの声。
「よかった」
そしてあなた様のお声。
聖杯は失われましたが、わたくしにはもっと素晴らしいものが、ものたちが共にいます。
重い、重すぎる腕を伸ばそうとして、ふるえるわたくしのゆびさきを柔らかな白魚のようなものがつかみます。
「おじょう……さ……ま……」
おはようございます。ミカ。
わたくしの魂の妹。
末永く短いいのちを共に。




