悪役令嬢、神を僭称す
目覚めると存じない天井。
それでも母がいてくれます。
このような早朝は、森番のアップルが小さな指十本全てを駆使して編み物をするのを、母は真似しているのです。
わたくしは彼女に甘えますが彼女はかなり危なっかしいところがあります。
乳母であるミカの母ノリリも止めるのですが。
父のクウカイがたまらずわたくしを奪い取るようにすると彼女とわたくしはかたや機嫌を悪くしかたや泣き出し。
「ねぼすけさん。いつ起きるの。疑問」
「起きますゆえ口付けてくださいおかあさま」
かのリンス・リンシィースの伝記冒頭をひいてわたくしが甘えると彼女はわたくしの黄表紙趣味に呆れつつ。
第三地曜日は過ぎてしまいました。
寝起きは最悪です。
なにゆえ母が寝室にて起床を待っているのか。
そして夜尿を確かめているのか。
確かにぼうっとして童の頃に戻っていましたけど。
わたくしの背はとっくに訓練に行ってしまいました。
彼のお弁当を兼ねてミカが作ったまま片付けられていないサンドイッチが残っています。
わたくしははしたなくも寝台から手を伸ばしてサンドイッチをつまみ、軽く軽食とし、また本に手を……。
首に母の髪が絡みついています。
「だめ」
そういえばあのうたはロザリア様の呪曲だったのですね。良い夢を見るはずです。
おそらくマリア様のたくらみでしょう。
母はわたくしを寝台に縛り付けるかのごとき扱いです。
「……ふわふわと漂う『こころ』
『よろこび』という『こころ』
『かなしみ』と呼ぶ『こころ』
『いかり』と恐れられる『こころ』
『おそれ』『ゆうき』『やさしさ』『いのり』
こころ。こころ。
彼女は心の群れに思いを巡らせ、『本』を閉じた……」
童の頃と比べ棒読みではなくなっているのですねお母様。フェイロンが隣で気持ちよさげに聴き入っております。
それは賢者リンス・リンシィースが神族の世界から人々の心に興味を抱き、旅立つものがたりの冒頭になります。ものがたりにおいて彼女はエルフとされているのです。
彼女は他の仲間にはない『飽きる』『虚無』というものを持ち人間を、ものがたりを知るべく旅に出るのです。
「私にとって完全に敗北した相手は二人もいる。よって私は不完全でもいいかもしれません。快き。それなぜ。説明できない」
わたくしが返答に困っていますと彼女は続けます。
「ひとりはあなたのお父様。もう一人が彼女です」
お母様の説明は要領を得ません。
少なくともあなたは政略結婚とはいえお父様を手にしております。
その台詞はかつての恋敵が昔愛した方の娘に言う言葉です。
「そうじゃなくて」
少なくとも王国の詩作では『最初に敗北したもの、次に敗北したもの』と続ける時、初恋の方と恋仇であった方です。
星の巡り次第では父であり母であったと考えられるため、父母にとっての彼ら彼女らを逢星の父もしくは母と子供たちは呼び、実際に遺児を引き取る方もいらっしゃいます。
やまとのマクラコトバに似た詩作の制限と申しましょうか。
「『タラチネノ』ときたら『母』と続けるようなものではなくて、そのままの意味。戦って負けた相手ね」
お母様が走っていらっしゃることすらわたくし見たことございません。争うなどとてもとても。
「戦いですか。計略でお父様に負けたとおっしゃるのは存じていますが」
わたくしは海賊のむすめのならいで鉤縄の妙技を幼き時に習いはしましたが帝国貴族というものも武術のようなものを修めるのでしょうか。
帝国貴族は本など読みませんが、彼女はこの本がお気に入りです。
完全記憶がある彼女がそらんじずにいちいち本を手に取るのも他人に読み聞かせるのもこの本のみです。
「内容など完全に覚えているのですが、読み返すたびに若き日のリンスに会えた気がします」
それはわたくしも思います。
まだ賢者としても画家としても無名だった少女の物語なのですから。
そして感情表現に乏しく誤解されやすい彼女が何度も友人たちと衝突しながら偉大なる英雄の一人となっていくお話です。
「わたくし、リンスと友人になれたでしょうか」
「女童は皆『悪魔皇女』や『カリン』たちと友人です」
お母様を除き、帝国貴族が子供向けの物語を好くのは他に存じませんが、『あぎと』様に黄表紙を読んでいただいたことならございます。
「そう。それならいい。もう確かめられない。悲しみ」
母の様子にあやしげなものを感じて問い詰めたくも、わたくしは寝台に縛り付けられているようなもの。
赤子の如き扱いには閉口しますが、甘えられる存在というのは良きものです。
「わたくしにとってのリンス、あなたにはたくさんいる。大切にしなさい」
まるで遺言のように彼女はいいます。
わたくし、腹心の友と呼び合った者たちには裏切られ憎まれ、姉妹同然に育った陪臣の娘には毎日ぞんざいに扱われ、当地ではよくわからない感性をもつ娘に付き纏われ……。
「わたくしが陪臣の子たちに『本の虫』と揶揄われていたことですか」
ともだち……ともだち……ミカはまだしも一瞬浮かんだガクガの顔などは脳裏から振り払います。
「よくわからない。本を友人というのか。疑問」
母娘とはいえ会話が成立しないこともございます。
少なくとも母が古の賢者に親近感を抱いているのはわかります。
「お母様、散歩に行っていいでしょうか」
「そっちは書庫。庭はこちら」
……母はわたくしの背と仲が良すぎるのではないでしょうか。
身だしなみを整えて外に出ます。
やろうと思えばひとりでできるのです。
さすがに針で着用するドレスは無理ですけど。
「変わったドレス。前に学会に提出していた論文の成果か」
「試作品です。一部ミスリル繊維を使っています」
動きを補助し、身を守るのみならず虹の構造色を発揮して美しいのです。
「人間、侮れない技術ある。反乱を起こした時はなかったもの」
「戦いのためではございません。楽しいから作ったのです」
「おいしいでなく、たのしいか」
「よしなに」
“花の枝 たおりふる子よ 嬰児のむれ
きのふは将のみつるぎ けふは指揮者のタクト
『亜は偉大なる魔導士ぞ』 あすのよあけは雲を動かさんとす
ああ青空よ 平和かくなり”……です。
子供たちの憧れと空想の中でのみ剣が振られ、功名と無関係に童の心で今の気持ちを戯れ歌にするのを許されることが平和と古の詩人は歌っているのです。
「ほら、見てくださいお母様」
わたくしの扇の仕掛けで『リュゼ様LOVE』と表記されたり彼のマッシブポーズが動いたりする様をみた母はしばし考えごとを。
「確かに、戯れ事なり。されどマリカ。あなたには大事なのでしょう。確認」
「もちろんです」
彼女は続けて問いかけます。
「クウカイで作りたいができるか」
「一週間ほど頂ければ。元絵はマリア様。デザインはロザリア様になります」
……楽しそうですね。お母様。
あまり表情には出ないのですが母は父が大好きです。
「では、出来上がり次第クウカイに届けて欲しい」
「お父様にですか。何ゆえ」
彼女は笑みのみでわたくしのくちを閉じさせてしまうのです。
「動く絵もできるのなら、出会った頃の彼も今の彼も」
「マリア様はお父さまとあまり面識なきゆえ、ご希望に沿いかねますが、努力はします」
……主にフランスことベンジャミンが。
庭が騒がしいのですがなにゆえ。
いえ、だいたい予想がつきます。
「メイ。出てきなさい」
「やだっ!」
カリナは遠巻きにミカを見ていましたが、無言でわたくしに礼をします。
城の主だったものも多く鶏小屋に集っており。
「メイが鶏小屋から出てこないのです」
ショウが申し訳なさそうに言います。
この『うたうしま』城は多くは海上にあるゆえコカトリス夏風邪とは無縁のはずでしたが、本来の持ち主である農夫のロン・ベルク氏が品評会にパイを出しそこで感染したのでしょう。
潜伏期間を過ぎていたので安心していたのですが。
「メイ、出てきなさい」
「やだやだやだ。わたしがパイちゃんを世話するもん!」
「確かに発病した個体に接触したものは隔離のち殺処分が推奨されます。人間は感染しませんが潜伏期間は隔離が必要です」
ショウの説明にミカが続けます。
「メイはそれを聞いて自ら鶏小屋に入ってしまいました。お嬢様如何にいたしましょう」
「これでわたしもお外に出たら他のコカトリスにうつっちゃうよね。ならこのままパイちゃんの世話する!」
「メイ。お弁当は」
メイはカリナに叫びます。
「いらない!」
「カリナ。あなた一服盛られると思われているわよ」
ミカはカリナとため息。
「と、なると私も信用してもらえそうにないですね」
医者のピグリム先生も困っています。
「コポ」
「……失われた体組織の再生はさておき、疫病まで治せると思っていませんので、スライムさんの出番ではありませんね」
アランは竪琴を手に何事か考えていましたが楽器を下げてしまいました。おそらく呪曲を試す気には到底なれなかったのでしょう。
メイが鶏小屋に立て篭もるのは今に始まったことではございませんが、今回は深刻です。
「まさかメイごと焼き払えとは言いませんよね」
セルクの声は冷たいものです。
「やれと言われたら」「やるのかしら隊長」
普段ふざけている兵士二人、ポールとライムも皮肉気です。
「にゃー!」「なの!」
ポチとタマはシロコマパイと共に我々のもとに来ました。
言葉は通じずとも、いつも喧嘩はしていますが本質的に彼らは仲良しです。わたくしどもが鶏小屋に近づこうとすると威嚇します。
珍しいことにカツオブシを見せても「うっ」「そんなもので屈するか」と申します。尻尾は激しく動きますが。
お母様はフェイロンを伴いやってきました。
彼は一応わたくしどもの義息子になりますし。
「あのメイドは何にこだわっているのか」
コカトリス夏風邪は死病です。
種痘のようなものを仮にわたくしが開発できたとしてもその効果は病の症状を和らげるのみです。
「お母様。メイはパイと仲良しなのです」
もちろんわたくしどもも。
仮にわたくしが種痘のようなものをつくり与えることがかなえど逆に発症を見抜くのが遅れる効果しかないでしょう。一晩眠って冷静になってしまうと打つ手なきことを改めて思い知らされます。
コカトリス夏風邪は発症したら最後です。
メイの看病に関わらず発症してから数日から十日ほどでパイは息を引き取ることになります。
日を待たずしてコマやシロも発症するでしょう。
そしてどのみちわたくしどもはしばしこの城から一歩も動くことかなわなくなります。
「だけどお嬢様。帝国の連中はコカトリスに困っているはずなきにも関わらず、露骨に我々のコカトリスばかり狙ってくる……いやらしい」
そのミカが図解するとこうなります。
(ずかい むらかみみか)
草 コカトリス ww コカトリス パイ メイ
芝 wwwww 帝国← www 木 ww コマ
貝殻 コカトリス w コカトリス www シロ
コカトリス www コカトリス →わたくしども
w コカトリス wwwwwww 木 ww 他コカトリス
「私どもはコカトリスやその卵を食べませんが」
確かにお母様は食事すらほとんど行いません。
「勇者殿が動けない間に帝国ができることは多くありましょう」
その通りです。
わたくしども、出入りの商人、わたくしのゆうじ……学友どもが住まう印刷所の皆様全員、さらにガクガが出入りしそうな三部族のほとんどが行動できなくなりました。
「お母様のおっしゃっている通り、わたくしども皆まとめてしばし蟄居(※ちっきょ)でしょうね」
もっとも蟄居閉門と違い刑罰の意図はございませんが、多くの方には同じことに感じるでしょう。
(※閉門は門を外から塞がれ、家中も出入り業者とも一切出入り禁止。期間はやや短い。
蟄居は部屋からほぼ出ることすらできない上、お上のお赦しあるまで終身刑に等しいこともある)
「ねぇねぇポール。鏡で通信指示ができるでしょ」
「ライム、限度があるぞ」
前回のように夢見の能力者には無力、不審者は防いでも善意のもと訪れるものは防げない、海戦では無類の力を発揮するが住民が持ち込んだ病までは防げないなどこのお城の弱点が露呈した形になります。
「バイドゥ3型の艦船タイプって大戦時、うちの祖父クウヤにまとめて殲滅されたはずですけど」
「ミカさん。帝国の最大の脅威はその生産能力です。生産の必要が今のところないゆえに作られていないと考えるべきです」
「ショウの言う通りだね。感染を防ぐべく沖合に出たとして、小さな流氷を無視できる小型艦艇タイプが群をなして襲ってくるならば……ひとたまりもないね」
お手上げ。兵士長として率直なセルクにリュゼ様続けるに。
「流氷など恐れる海賊衆ではないが、流氷が小さくなっているこの季節は却って苦戦を強いられるだろうな。ミリオン」
「あれかー。リュゼは見たことあるか知らないけど、アレキモいんだよ。青緑に輝きながら仰向けに身体逸らしている裸の女の子と大砲と小舟がくっついたみたいなデザインで下に鉤爪みたいな細い四つ足ついていて流氷登ってくるんだ。ピートの奴が言うには磯部焼きにすると案外……」
「それ以上言わないでミリオン」
サフラン様がミリオンを止めます。
「場合によっては空からぶっ叩くよ。……ぎっくり腰で墜落しなければ」
「ワシも最近リュウマチがひどくてね」
ポールの祖父母ロベルタとマークは『そらとびまっくらくじら』との戦いにて墜落していましたからね。
「ねね、父さん。メイちゃんたちにお弁当あげなくていいの」「パイちゃ……」「ぼくも入っていいかな」「メイちゃんお腹すくと思うの」
「夜中になってからな。隠れてやるんだぞ。あと小屋に入っちゃダメ」
クムと子供たちの声が聞こえます。
無駄とは思いますが、メイには、そしてポチとタマには鶏小屋から離れていただかねばなりません。
「メイ、出てきてくださいまし。自室で蟄居をお願いするわ」
「やだっ!」
手ごわいです。
「メイ。世話が必要ならロンに頼む。君は農夫でも獣医でもないだろう」
「旦那様、ロンはこっちに来れないよね。ならいつもパイちゃんと一緒にいるしわたしが世話するもん!」
「……何が何でも、私たちを近づかせる気はないでしょうね」
ミカが呟きます。
「たかがコカトリスだけど……ミカやメイに嫌われるのは嫌ね」
カリナは賢者ショウや医師ピグリム先生同様、メイの意思を尊重するようです。
「メイ。メイ……出てきなさい」
「やだっ! わたしが出ていったらパイちゃんやシロやコマを殺しちゃうんでしょ! 絶対やだっ! パイちゃんは私のともだちだもん!」
「……わたくしだって」
「お、お嬢様?」
「マリカ、何をする気だ」
「"救急如律令"。我は汝を呼ぶ。聖杯よ来やれ……」
「ひっ? 奥様ナイフを何に使うつもりです?!」「早まらないでくださいましお嬢様!」
「マリカやめるんだ。剣を離せ……むっ?!」
「婿殿しっかり」
「我が血、わが命を捧ぐ。
我が祭器よ。『慈愛の女神』の名の下に命ず。
速やかにこの者どもの命を救えいっ!」




