悪役令嬢、依怙贔屓(えこひいき)し生き物を虐げる
ーー『疫病との戦い』(ユースティア著)『農作物の病と家畜病との戦いの章』より抜粋。
『私は神の奇跡に頼って一匹一匹を救おうとした。
信じて欲しいとは思わない。これは私の覚書だから。
人間には影響がなく、家畜や農作物のみを襲う病はゆえに無自覚に人々が動き回る。ただでさえ感染力が強いかの病は『車輪の王国』の畜産業および農作物に著しい被害をもたらした。
はっきり言おう。
人々は、いや私はこの病をナメていたのだ。
人々に与えた被害ではのちに起こった『鉄と血の帝国』との戦役をも超える。
食料生産に直結したこの病と『車輪の王国』との戦争。
数字の上では戦役よりも人々に被害を与えたのに、ただの圧政として記憶されているこの事件を私はナメていたのだ。
「慈愛神の使徒であるあなたが虐殺に加担するのですか」
慈愛神殿の同僚たちですら私たちに苦言を放った。
アンジェと彼女の夫であるグローガンの仲間達だけが「あなたの下した結論に賛成はできずとも協力する」と言ってくれた時、私は「彼女たちと入る地獄の釜なら少しは快適かもしれないわねぇ」というロンの戯言に思わず顔を綻ばせたものだ。
他に畑違いながら毒に対する知識を生かして戦神殿の施設にて農薬の開発に努めた戦神殿のアン。
病身の義母に代わり各領内における我々の蛮行と言っても良い行動を許可し折衝に努めてくれたエニッド。
相変わらず食料関係で私たちを支援してくれるミリアたちの協力に感謝を。
あとアキ、美味しいお茶をありがとう。ぶっ飛ばす。
(※何が起きたのかは当時のものたちしかわからないが、この物語を知る人々には定番の笑い話だった模様。訳者注釈)
本件についてリンスが下した報告と対処法は当時の現状を客観的に述べ、私たち人間の社会のために必要なことを述べたに過ぎない。
彼女だってこのようなことは本意ではない。
彼女にとっては本来我々人間の社会などさほど重要ではなく、むしろその程度で人間が滅ぶならば家畜たちを救おうとも考えていたにも関わらず私の非難を彼女は黙って聞いてくれた。
いや、ここで告白するが、2回殴った。
一度はその結論を聞いた時。
二度目は人間と家畜や農作物の関係について述べられた時だ。
彼女にとっては殴られる理由などないはずだ。
心ある読者は私のような愚か者と違い、いまなお永遠を生きているであろう彼女を責めないで欲しい。
本件では幾たびも『これが神の意思ならば加護などいらぬ』と天を呪った。
また彼女は慈愛神などではなく暗黒神ともされる自由神ではないかと訝しむ不遜なる使徒に、神は変わらぬ加護を与え続ける。
勝手に使徒にしておいて勝手なものだ。
神は私に加護は与えど導いてはくれない。
久しぶりに人の定めし教義を呪う私にロー・アースは彼なりの慰めを与えてくれようとするが、私は断固拒否した。私はもう彼に反抗し続けていた子供ではないのだが。
私の成すことを全て見守り続けてくださる尊き女神様。
ありがとうございますクソッタレ。
私も医者の端くれであるが、神など最初から信じないミックは彼の特異な医療技術を発揮して対処してくれた。
毒である。
エルフの血を引く彼にとって毒の使用は命を失うよりも恐ろしいことであろう。
しかし彼は『私はエルフが嫌いですから』と表情を変えなかった。
私は彼が愛馬を慈しんでいる姿を知っている。
このような家畜や作物たちに対する虐殺を彼が好むはずがないのだ。
彼は淡々と家畜たちに毒を盛り続けた。
かつて出会った時、私たちに見せた残忍な殺し屋としての彼のように。
私たちと違い愚痴ひとつ漏らさず、時としてやさしい笑みすら浮かべて。
結論として私たちの時代において、この家畜たちを襲った疫病には魔法などという限定的な治療を除き、抜本的な解決策や治療法はなく、以前行った結核のように精霊の力を調整して家畜たちの病への抵抗力を高めるとともに、一部の魔法や神の奇跡により家畜たちを救い隔離し続けていくよりも。
……汚染地域に存在する家畜を速やかに殺し、感染地域の人々の移動を所定期間制限してその拡大を防ぐしか対処法は無かった。
私が救えたのは私たちの拙い加護によって隔離した、種牛や種馬などとなる国家が必要とした一部の家畜のみであったのだ。
そしてここで私の罪を告白しよう。
人々から家畜を奪いながら、私の馬シンバットやファルコの可愛がっている驢馬のライトやミックの愛馬は発病せず生きのびたのだ。
家族として育てた大事な家畜、健康に見える家畜を兵士たちに連れられ虐殺される人々。
できた農作物を奪われ焼かれていく人々の慟哭。
その後に本件に参加した兵士や冒険者たちが訴えてきた心の病。
私は投げられた礫を避けなかった。
どのみち私の傷など神の加護で治るのだ。
人々の怒りと悲しみ、人の営みや社会には。
神は、運命は関知しない。
本件を振り返って。
心身ともに辛い虐殺に加担することになった王国兵や冒険者たち、グローガンとその手下である仲間たち。
次々と無辜の命を奪わなければならない私の憤りを受け止めてくれた彼ら彼女らには感謝している。
私は旅の狩人の娘として育った。
旅の狩人は依頼を受けて猪や鹿をとる。
村の宿に泊まることすら断られることが多い。
報酬を払えない村々のために、父ガウル兄トーイと協力し獲物の半分を自ら加工したりもした。
我々も飢えていたが彼らはもっと飢えていたのだ。
わたしたち親子は旅先で幾度卑しい流れの狩人としての侮蔑を受けただろう。
幾度殺し屋と罵られただろう。
先ほどわたしたちが獲った獲物で満たされし噯気(※げっぷ)とともに。
わたし達は獲物となった生き物たちの供養を必ずしていたが、彼ら生き物たちにとっては勝手な話であろう。
兄が慈愛神の使徒となったのも、私が風邪と同じように兄のその加護が感染ったのもそういった体験によるものかもしれない。
しかし我々がかかった『病』は人間にはとても有益なものであった。
私たち兄妹がかかった『病』と我々が病にかかったもしくはかかるであろうとして理由もわからず殺された家畜たちとに如何なる違いがあろうか。
(※我々のように神々の加護を得た者たちが人間の社会に不利益とされ、魔女として焼かれる日も来るかもしれないが、本件とは直接関係がないので論議しない)
我々は人々の命を奪うより人々を救ったが、我々が命を奪ってきた動物、特に魔物と呼ばれしものたちより多くの命はついに救いきれなかった。
実際に動物の心がわかるというファルコに何故狩をするのか聞くと彼は苦笑いしていた。
愛らしい彼にしては珍しい。
我々が狩をすることで山の植生を人間に都合よく維持できたり、畑を守ることができるとロー・アースは説く。
それは人間の、人間の社会の理屈だ。
狙われる猪や鹿にはたまったものではない。
「狼も熊もその営みで山の環境を守るではないか」
ロー・アースは言うが全く違う。
狼は巣を守るために病気になった獣を食べもせずただ焼き尽くしたりはしない。
病から逃げあるいは去り、もしくは野垂れ死ぬのみだ。
私は群れから逸れた飢狼になりたい』ーー
……何度読み返しても、ないです。
コカトリス夏風邪を防ぐ方法、治癒する方法。
その蔓延を根絶する叡智。
怪しげなお薬はございますが、その後の調査で結局それらの区域は壊滅的被害を受けております。
つまり参考になりません。
カリナのスキルについても考えました。
彼女は小説などを毛嫌いしています。
空想し応用する固有魔法と彼女の性格の相性は最悪です。存在する薬品は生み出すこと叶いますが彼女が存じないくすりは作ることできません。
同じ治癒能力である太陽王国のミカことミキのお茶も動物にはあまり効果がありません。
そもそも魔法なるものは大規模な疫病には津波を止めんとする小さな盾にすぎません。
かつての英雄の時代ならば神官や女精霊使いの治癒能力が役立ったでしょう。
しかしいま現在、治癒能力者は貴重な人材です。
多くは賢者ショウやピグリム様のように魔導で作りしポーションを使います。
そしてポーションの効果は極めて限定的なのです。
ユースティアや『カリン』ことジョセフィーヌ・カリーナ・マーリックの時代ははるか伝説。
その間に試されし人々の知恵は必ずどこかにあるはず。
人類の叡知よ我に光をもたらせ。
取り寄せられる論文、学術誌、あるいは怪しげな魔術の本。錬金術師の書いた書物。
賢者ショウが紐解く司書魔導に保存されし叡知たち。
あるいはいままさに焚書されていく太陽王国の書物たちの中にあるのでしょうか。
ない。
ございません。
全くありません。
愛する人に暴言を吐かれて遠ざけられ、街中で出会った3羽の友たち。
大切な風切り羽根を自ら捧げてくれた存在。
わたくしの学問は物言わぬ友人すら救えないのでしょうか。
「マリカ。根を詰めるな」
母が淹れたのでしょう。彼が茶を持ってきてくれました。
しかしわたくしは『疫病との戦い』を、『家庭の医学』を、『魔導薬品の調合について』を。
「お嬢様。指先が切れています」
ミカが止めるのも振り払い、あるいは家畜たちから得た血を調べ、怪しげな錬金術に従い煮たり焼いたりもし。あるいは家畜たちの血を針で自らに刺し。
「いい加減にしろ!」
彼がわたくしを止めたのは、わたくしが普段絶対にしない再現性のない妄想にまで試験するに及んできたからです。
「離してください。聖ユースティアはトート医師の指導を受けて初期の種痘を成功させています。ワイズマンの家伝という一次資料もあり」
「それは伝説だ。いくらコカトリス夏風邪を防ぐ種痘のようなものを作るためとはいえ、コカトリスの血を君に注すというなら止める」
「お嬢様、そのポーズで石像になるおつもりですか」
ミカが悪態をつきます。
コカトリスの血は猛毒なのです。
「待ってくださいませ。コカトリスが嘴で触れても石化しない芸香の花をまだ試しておりませぬ」
「その花は開花したての月夜のみの効果で長持ちしない。今から種を蒔いたところで当面開花しないし季節外れだ。さらに私の記憶ではその植物は触れただけで光毒を発症するはずだが」
「では、どうしろと言うのです。ミカ、あなたもパイから風切り羽根をもらいました。リュゼ様もシロから。わたくしはコマから……」
二人は何も言ってくれません。
「とりあえず、眠りなさいマリカ」
「お言葉ですがお母様。眠ってなどいられませぬ。お母様は睡眠の必要などないでしょうから存じていないだけです。わたくしはまだ……」
どこからかバイオリンの調べと歌声が聞こえます。
なにこれ。ちからが……。
「……ロザリア様ありがとうございます」
ミカは現れたむすめに頭を下げます。
「馬鹿娘のために足労いただき感謝する。伯爵令嬢」
あとはのちに聞きしこと。
「子爵代行はこのようなお節介まで行うのですか。新聞の三文記事の挿絵でも描いていれば良いものをわたくしを呼びつけて」
家宝のバイオリン(※魔導帝国時代より伝えられしもので、かの『カリン』も使ったものといいます)を手にロザリア様はため息。
彼女は今や使い手のいない『呪曲』をいくつか存じているのです。
「侯爵夫人。領主殿」
彼女らは礼をします。
「先にこの城より発掘された楽譜より眠りの詩、傷をゆっくり治す詩、心をゆっくり癒し魔力を回復させる詩、弔いの詩まではございます。
しかしながら疫病に対する詩は失伝しています」
「そのようね。元子爵代行」
「わたくしの祖先である『カリン』は他に踊りの詩、魅了の詩、合唱の詩をノートにしるしていますがわたくしには使えません。今アランなるものが習得しようとしていますが、適正もありますゆえ難しいでしょう」
たかがニワトリの魔物如きのためにと彼女は悪態をつくとわたくしのゆびさきを握ります。
「カリナにくすりを用意させましょう。
学生時代からこの方は変わらない。
周りがまるで見えていません。
……侯爵夫人には娘御へ失礼を申すこと平に容赦願いたき」
「あんたが言うな。まぁ私もたいして変わってないけど」
「人間も帝国もそれほど簡単には変わらないものです。しかし人間は大きく変わる。興味深い存在」
母はこの二人には寛容です。
先に二人に贈り諸事情あって戻って来たドレスをこの地にわざわざ持ち込み再び彼女らに与える程度には。
つまり彼女は裏切り者とされる二人が生きていることこの地でわたくしどもが保護していることをぞんじていたことになります。
母が自分たちを害するつもりがないと知ってからというもの、この二人は前よりも母の前で素を見せるようになりました。
「で、あんたのコンサート代金っていくらだった?
なんならローンでお願いしたいのだけど。
わたくしたち結婚資金を捻出しないといけないのです。ぼっちのロザリア様」
「クリマンジュウ3つで構いませんよ。野蛮な子爵代行」
「気に入ったの? あなた正気?」
ロザリア様はお気に入りの食べ物でも気分次第で召使いたちを打擲するほどの偏食にして少食なのですが。
「……人間がどんどんわからない」
「奥様、ロザリア様は特殊です。たぶん」
ミカ。ロザリア様は『地獄耳のロザリア』の異名を持っていますよ。あなたも存じているでしょうに。
学内のゴシップはいつのまにかロザリア様の耳に入っていましたゆえ。
「よし、じゃあうちの新聞で今回の家畜病と作物病のチャリティーコンサートやるからあんた出演よろしく。なんならあの円形劇場に水撒いてスケートリンクつくるから、月夜の晩に踊ってくれても構わないけど」
「あら。子爵代行様は男装してパートナーまで勤めてくださるのですね。またもや徳を積むことになりましょう」
この二人は基本的に悪態ばかりついていますが仲良しなのです。
マリア様と組んで氷上にて舞った時はマリア様は同性からの大量の恋文に大変閉口しておいででしたが。
かように全て終わったのち記していますと、隣でガクガがニコニコしながらわたくしの書物を横から見ようとします。
どこかに行ってくださいまし。
フェイロンとでも遊んでいてくださいな。
「……へぇ。わたくしで『も』良いなら今のうちに特訓しておくわよ。夜に氷が張らなくなるまでに特訓終わるかしら。わたくしついつい憎たらしいどこぞの伯爵令嬢の脚を蹴っ飛ばしてしまいそうで。
ンガッグック一代侯爵あたりに頼んだ方が目がありますわよ。
彼の方は帝国式の踊りにも通じてありますゆえ。……あら、ご存知なかったのですかロザリア様」
「……」
暑いわけでもないのにロザリア様は扇を使います。
夜はやってきます。
眠るものも眠らぬものも。
病めるものも見守るものも。
「おいたわしや」
ミカはわたくしに毛布をかけながら、物憂うのです。




