悪役令嬢、収穫の季節に物憂う
「お母様!」
どうでしょうか。
今やお母様より大きくなった胸を張り、背筋を伸ばし。
その様子にミカが噴き出しました。
軽く睨んでやりますと彼女は左手でおなかを抱えて右手で口元を押さえ無邪気なもの。
「ミカ。あまりマリカを揶揄わないで」
「だって奥様。まんま昔のお嬢様ですよ。嬰児じゃあるまいにウケるってもんじゃないです」
その様子にお母様までもが優雅に扇を口元に添えて見せました。
わたくしどもは女三人、憚ることなく笑い合ったのです。
「混乱渦巻く市街戦で素人の主婦たちを率いて戦闘指揮などあなたにできないでしょう。
庭師の妻、城の者いう『肝っ玉母さん』の指図ですね」
簡単に見抜かれました。
そうです。現場司令官はサフラン様です。
他に6竜の冒険者の宿、アクセサリー屋のエマキのおばあちゃん、モモの祖父ベッポやアジテーション役としてジロラモなどが手伝ってくれました。
わたくし適材適所を心得ておりますゆえ。
「わたくしも変わったのです。
わたくしやリュゼ様がいなくても人々が手を携え機能するように幾つもの策を巡らしております」
「策を弄してもあなたたちのいう『帝国』は必ず対策を取りますよ」
あら、お父様が若きときにあなたにおっしゃっていましたよね。
「『策は踏まえて踏み潰し正面から食い破ります。
真の技とは知っていても破ることはできません』
これは父のみならず一時期わたくしのそばにいたミカの叔母、ミツキの教えです」
「懐かしいですね。ミツキはさておき彼は愚かです。そして……くやしゅうことに彼についていくことにした戦です。端的に言って」
「惚れましたか奥様?」
ミカが楽しそうです。
「勿論です。肯定! 肯定!」
感情が読めないとミカはいいます。
彼女の感情表情は演技によるものではと耳にします。
でもわたくしにとってはもっとも愛するお母様なのです。そして母を愛しているのは父もまた。
わたくしたち姉弟も強く。
父は宰相となる前の短い海賊時代、策をお母様に、そして帝国に自ら教えて正面から帝国の水上型バイドゥ3型の群れを討ち取り、とある小さな港を守り切り名を上げました。
「それはソンシを踏まえた上で成せるトウセンキョウというやまとの教え。
彼の真似はあなたたちには難しいですよ。
まず侯爵家ほどあなたたちは兵站がまだ万全ではありません。あと100年は整えねばいけませんね」
やんわりと母に忠告されてしまいます。
「それにマリカ。あなた当地は冬場に孤立することを忘れているわ。帝国は不凍港を求めていますが、その望みは叶いませんでした。
当地が長年帝国領だった事情は存じているでしょう。
流氷が収まらぬうちは王国も太陽王国も援軍など出せませぬ」
彼女は地図を見せ嗜めてきます。
彼女にとっては未だわたくしは夜尿治らぬ子供なのです。
「あなたたちはあなたたちのいう『帝国』が攻めてきた途端に滅亡しますよ。多少の嫌がらせにしかならないのです。ええ。それは認めてあげるわ。でもそれだけ」
「負けるなら嫌がらせの限りを尽くす。まさしくトウセンキョウですね!」
「わたくし、その時に踏み躙られる女子供老人を思ってしまいますゆえ、いくさのない世の方が良いです」
わたくしが子供のような理想を漏らすと母は微笑み。
「帝国も同じ思いです。帝国は人間の幸せを第一としますゆえ」
はて。
お母さまがおかしな気配。
「収穫の時が来たのですよマリカ。
あなた、かつてデンベエに何か言われていませんでしたか」
金子の出所を常に見ろとは。
でもこの地のお金はわたくしの個人的資産が半ぱ焦げ付くことを前もって予想した上で為替を……。
「帝国は今のところこの地を攻めないでしょう。安心しなさい。
人間たちが自主的に化外の地を住みやすく怪しげなくすりなき土地に変えてくれるのですから願ったり叶ったり」
たまりかねたミカが発言の許可も取らず話しかけます。この子は家中ではいつもそうです。
「あのう奥様。何かご存知でしたら、蒙昧なわたくしにも教えていただくと嬉しいのですが」
「ミカ。簡単な質問よ。100の兵と100の兵が同じ条件でぶつかれば」
「同等の損害が予想されます……ね。お嬢様」
ミカ。あなたわたくしにカンニングを求めないでください。
「蚊が一匹いたら、蚊帳も必要でしょう」
「この地には不要ですが、王都ではまぁたまに」
つまり、蚊を避けるために多大な労力を必要とする。これがミカのいう闘戦経の教えでしょうか。
お母様はさらにおっしゃいます。
「では蝗が湧けば」
「多大な損害になりますね。多くの人が飢え死にします」
蚊帳や多少の殺虫剤では対応できませんからね。
「コカトリス夏風邪が起きれば。牛の病である口蹄疫が蔓延すれば」
「たしかお嬢様の農学の教本によると該当地域の家畜は全て駆除し、死体は燃やさねば……」
お母様はおっしゃいました。
「あなたたちの武威を帝国は評価します。
ゆえに帝国は兵を用いることはしばしなくなるでしょう。
そのかわりあなたたちを飢えさせ、食糧支援とともに合法的に併合します。
確かにあなたたちはずいぶん実力をつけました。
されど兵より蝗や儚き蚊の方が人間には脅威なのです。
もともとこの地は帝国領。人道支援の名の下の併合ゆえ王国は反論できないでしょう。
領主は今まで通り騎士爵どのとマリカ、あなたが務めれば良い。
王国は政争であなたたちの相手などできません。
帝国が認めれば王国も太陽王国も追認せざるを得ません。あなたたちは晴れて帝国辺境伯家の始祖となりましょう」
そのような卑劣な真似を帝国はするでしょうか。
いえ、お母様がおっしゃるならそうなのでしょう。
「わかりましたかマリカ。これが帝国とあなたたちが呼ぶものの考えです。
もしあなたにもう少し考えがあるなら、帝国銀の流入に伴い、数々の業者が出入りし、あなたの予想以上の発展や治安維持活動がうまく行きすぎていることに気づいたでしょうね」
ミカやカリナに言わせれば流刑民女性宿舎周辺を夜間に散歩するのはおすすめできない程度ですのでまだまだですが。
「わたくしどもは」
「どうもしません。少なくともあなたたちが生きている間はあなたたちは幸せに暮らせるでしょう。
辺境伯とは独自の裁量を持つもの。
帝国に牙を剥こうと王国に逆らおうとあなたたちの思うままに振るいなさい。
帝国はあなたたちの幸せを支援します。
ただし帝国に牙を剥くのはおすすめしないわ。わかりますね」
はい。
しかしながらそのような結末は望みません。
「わたくし、お母様に反抗しますわ」
「そうね。そうしてください」
あっさり彼女は認めます。
まるでそうして欲しいかのように。
「あの男が女神たちに相応しい騎士か、わたくしも見極めたいのです」
彼女ははしたなくもウインクしました。普段なら絶対しません。
「奥様、いやみですか?! わたくしそのあだ名が、だいきっらいなのをご存知ですよね?! お嬢様もなんか言ってくださいませ!」
ミカ、あなた女主人の、それもお母様になんて口の聞き方をするのですか。本当に困った子です。
確かに『王国の二柱の女神』など異教徒の妄言のようなあだ名は困りますが王都ではあまりにも一般的な呼び名になってしまっていますゆえ、わたくし怒る気力もございません。
実の母から言われれば確かに気持ち萎えますが。
「マリカ、マリカ」
フェイロン、今はあなたと戯れる気分では。
フェイロンが持っているものは見覚えがあります。
端的に申せば石です。
やや大きく細長い石。
持ちやすいように包帯が雑な仕事で巻かれていることを除けば。
「……もしや」
わたくしは母を見ます。
気づけばわたくしの方が彼女より背が高くなっていました。しかしながら子供の頃と変わらぬ威厳と暖かさを感じます。やはりわたくしまだまだ彼女に及びませんね。
「これは、聖具ですか」
王都の教会にあるはずですが。
人によれば石の棍棒に見たことでしょう。
昔はひと抱えある石でしたが祖父が振り回した結果こうなったと伺っています。
「どうしてここに」
「借りてきたよ?」
……フェイロン。あなた時々姿を見せませんが、今おそろしいことをもうしませんでしたか。
「ミマリが持ってって良いっていうから。
ダメだったの?」
そこで可愛らしく小首を傾げないでくださいな。
妹が何を考えてフェイロンに聖具を偽物とすり替えさせたのか、母がいかにしてフェイロンと知り合ったのかは謎ですが、もしや妹のお手紙に浮ついたような変化があった理由はこの子では。
「ん? マリカ。僕の顔になんか?」
「……いえ、もはや何ももうすことなき」
ついにわたくしども、教会の秘宝窃盗第一容疑者に成り果てました。まさに取り返しがつきません。
「あら。連中には全くわかってないわ」
「ちゃんとすり替えたから大丈夫!」
初対面のはずの母とフェイロン、二人は楽しそうです。
ミカは流石にめまいを起こしてしまいました。わたくしも実のところ変わりません。
聖具。
わたくしも一度、学生時代に触れたことはあるのです。
あの時は否応なく使うことになりましたが。
めちゃくちゃにお叱りを受けましたし、わたくし『あの方』と話すのはあまり好みません。
「お母様。こなるもの、粗大ゴミの日に処分……もとい隠滅できませんか」
「第一地曜日は過ぎたでしょう。次は第三地曜日では」
「地味に奥様、辺境のゴミ出しルールまでご存知なのですね」
わたくしどもが心底嫌そうにするのを見て、フェイロンと母は楽しそうにしています。
うまくやれば普通に処分できそうですけど。
はぁ。気がすすみません。
もしかしたらですが、フェイロンの冗談かもしれません。
わたくしはゆっくりその石に手を伸ばします。
石はフェイロンの手を離れ、まるで重さなどなきかのように自ら自然にその場に起立しました。
「マリカ・ムラカミが汝を呼ぶ。我が祭器よ女神の身元に馳せ参じよ」
わたくしはゆっくり手のひらを石に伸ばします。
「いでよ我が聖杯」
水のようにとぷんと音をたて、わたくしの手のひらは石の中に。
わたくしは苦もなく黄金の盃を手にします。
やっぱり本物です。
もしわたくしが貴婦人の自覚なくば大きなため息を漏らしていたことでしょう。
「フェイロン。あなた国宝を盗むなんて、何を考えているのです」
「えっ? えっ? ミマリと『心臓』がやれって言うから」
「あなたには自分の意思がないのフェイロン?! お嬢様が窃盗犯にされたらお家お取り潰しです!?」
聖具を持ち出すなぞお家取り潰しどころか断絶です。しかも遥か辺境にまで持ち込むなんて。
「だいたいフェイロン。あなたいつごろこれを取り替えたのですか」
「ミカ。この間の墓参りついでだよ。だから冬になる前かな」
「お母様」
「なにか」
気分すぐれぬゆえ、寝込んでいて良いでしょうか。
聖杯レーヴァンテインは炎の杖、命の盃、水の剣、とねりこの枝。
今はわたくしがイメージしやすい盃の姿をしていますが常に形を変えるもの、いえ人間にはこの姿を正確に捉えることは叶いません。まさしく神の祭器ですので。
しかしです。
「ミカ。次の第三地曜日にこれを出しておいてくれないかしら」
「金の盃なんてあっさりゴミ拾いの方々に拾われます!」
いえ、いっそこの台座ごと。
わたくしの物憂いに母は頓着を見せません。
「それはまだ必要になるでしょうから、次の第三地曜日までは待つべきです」
冗句はおっしゃいますが。
正直わたくしはこの聖具を扱うこと良き心持ちがしません。
人の身で聖具を扱うのはあまりにも危険なのです。
「ミカ、フェイロン。……あと、ポチとタマはいますか」
「にゃ」「いるにゃ」
「お金の流れを調べて。お母様は嘘などついたことありませんが改めて。
あと異常な作物の病や家畜の病と思しきものがあったら報告してくださいな」
「ニンゲン、ねこが金に興味あると思うか」
ポチには申し訳ないのですがただしく『猫に金子』ですね。
「はいはい。私たちは家畜の病気を調べればいいのね。鶏たち家畜の様子を見て回るだけなら簡単よ。ついでにつまみ食い……」
それは御堪忍願います。タマ。
お母様は二匹と遊ぶのができないのが惜しいのかなんとも悩ましげなお顔をなさいました。
お金の流れならデンベエに頼むのが良いのですがまた叱られそうです。
とりあえずミカとフェイロンに頼みましょう。
(※もちろん察知したデンベエに後でめちゃくちゃに叱られました)
長い冬が終わり、喜ぶべき収穫の季節が物憂いの日々になりそうです。




