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新婚初夜に『トロフィーワイフ』と暴言吐かれて放置されました  作者: 鴉野 兄貴
物憂う令嬢たち、ちっとも休めず

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悪役令嬢は酸苺の夢を見る

 少女は走る。少女は走る。

 小さな庭の先に薬草の匂い。

 父と母が待っているあの家。


「おかあさん」

 彼女が知る母は若く美しい。

 黒いローブに大きな箒とつば広のとんがり帽。


「おとうさん!」

 悪戯気な微笑みにちくちくした髭の男。

 小さな庭を少しでも大きく少しでも美しくしようと冬の寒い中も夏の短い間も野良にでて小さな畑を耕していた男。


 あとは声も出ない。

 ただ両親に甘えて泣き始める。

 二人は戸惑いつつも彼女を受け入れる。



 妙な夢を見ています。

 あの少女はサフラン様でしょうか。


 庭師と思しき男性と伝統的な魔女の姿をした女性は彼女の養父母でしょう。


 ウルド『獏』卿の夢はまだ続いているのでしょうか。

 それともあのメイが滅ぼしたバイドゥの影響でしょうか。

 だとすればわたくしが他人の夢の中にいるのが不可解です。


 わたくし覗き見を好みませんのでおいとまいただき、少女の楽しそうな声を背に上品に整えられた少女言うところの『お人形さんの森』を散策します。


 視界が開けてくると四阿にて美しい調べが聞こえます。

 明るい日差しの中美女たちに囲われて美声を披露しているのはアランです。

「アラン」

 わたくしは話しかけたのですが、相変わらず声は届かないようです。

 美女たちはアランに少々口にするには差し控える痴態を行おうとしています。

 アランは彼女らを無視して竪琴を止めうたをとめ。


「おいで」

 木陰で隠れている少女に話しかけます。


 透き通るような青い肌。水面のように輝く髪。

 特徴的な胸元の赤い宝石。ゆったりした絹のローブに身を包んだ少女は何処となく透けて見えて。


 戸惑い狼狽える少女に彼は近づくと、「呼びかけていてくれたのは君だね」と手を取り軽くしゃがんで口付けをします。


 少女は声を出さず首を振って泣き出しそうですが嬉しさを抑えることができないようです。


「僕は起きたらこのことを忘れているだろうけど。どうせ浮気な真似をするだろうけど。僕の気持ちを知ってくれ」


 彼は跪いたまま、空の両手に何かを持って膝をつく仕草をします。


「コポ」


 少女が言葉にならない何かを洩らすと彼は微笑みます。

 これ以上はあまりにも野暮です。


 わたくしは早々と退散します。

 それでもアランの優しげな声は聞こえてしまいます。



「スライムさんですよね。知っていますよ」



 リュゼ様より伺いました。

 膝を矢で刺す仕草は当地の婚約の誓い。

 その時存じていればもう少し、いえここでは。

 急ぎ先を進むと何処かでやまとの歌が聞こえます。


 あれはカナエでしょうか。

 美しいドレスを身に纏い、勇猛そうな騎士を従え、女王のように威厳ある姿。しかしながら彼女の掌にはマリア様の銃があります。


 木漏れ日と花と蝶と香りを楽しみ、草木を踏まないように歩く姿にいつもぼうっとしていた昔の面影が少しありますが、その表情は戦場に向かう兵士もかくやの勇敢なもの。


 彼女は出会い頭にミカとカリナに出会いました。

 声は聞こえませんが、旧交を温め抱き合い、ミカとカリナが止めるにも関わらず彼女は去っていきます。


 ふと通りすがり際に、カナエだけがわたくしにカーテンシーをしました。


 よく見て学んでいたのですね。

 彼女に続く人々はカナエの不可解な行動がわからなかったらしく何事かと伺っているようです。


 剣士に農民。職人に鉱夫。

 女王の気品と酒場娘の気やすさ。

 人々とともに、彼女の騎士と共に彼女は去っていきます。

 引き止めるミカにもカリナにももう彼女は振り返ることなく。

 ただ、わたくしに再度礼をして。


 一周して帰ってくると先程まで木漏れ日溢れる日中であったのに夜のしじま。


 静寂と星たちの詩、天をわたる『輪』を見上げていると、楽しげな団欒の声。


「サフラン。君はお姫様になるんだ」

「わたし、もうお父さんとお母さんのおひめさまだもん! ほら今日はちゃんと上品にスプーンで食べてる」

「そうじゃないわ。真剣に聴いて……私たちはあなた様の本当の両親ではございません。乳母と庭師にすぎません」


「………なにそれわかんない」

「あなた様は『太陽王』陛下の末姫になります」



「懐かしいねえ」

 わたくしの隣で声がします。

 振り返るとサフラン様です。


「あれが私の両親。私にとっては本当の両親だった。太陽王を両親と思ったことなんてないよ。いつもあそこに帰りたかった」

「……ごめんなさい。覗き見するような真似をしました」


 彼女はニコニコ笑うと背中を叩きます。

 夢なのに咳き込んでしまいます。


「あの二人は、死んじまうんだ。すぐに帰ると言った私が帰ることはなかった」

「……」


「サフラン」


 夜なのに少年がやってきました。

「迎えに来た」

 その少年は八人の青年や少女たちを伴って。


「ミリオンかね」

「普段ならサフランが来るんだよ。子供たちがうるさいんだ。僕に投げっぱなしにしないで」


 ミリオンは、少し小太りした少年は不貞腐れたようにしてからおどけます。


 サフランの息子や娘たちは、大人の姿で彼女をいつもの、彼女が言う『城』に招きます。

 その扉にはクムと彼の家族と思しき貴族風の人々。


「ありがとうお父さんお母さん」

「さよならは言わんぞ。どうせ悪戯娘だ」「すぐに会えます」


「父上、母上、兄者姉上。これにて不肖の息子おいとまします」

「自慢の息子だ」「ええ」「えっと今はクムだって。それ俺の犬の名前だぜ」「いい名前ですよお兄様」


 クムとサフラン様はわたくしに手を振りあるいはエプロン姿のままカーテンシーをして。


「じゃ、奥様おやすみ」


 消えてしまいました。



 闇の中を歩いています。

 いえこれは闇でしょうか。

 何も聞こえません。夢の中とはいえ匂いも味も感じず、歩いている体の感覚すらなくそれどころか熱さも寒さを感じず魂だけになったかのよう。


 涙の匂い。

 その甘い味。

 膨れ上がる怒りの声。

 激しい銃声と身体を揺るがす咆哮。


 銃を手に化け物を討ち取った娘には面識があります。


「あんた……カナエに化けたのが運の尽きよ」


 彼女は絶対に間違えません。

 視覚聴覚嗅覚味覚触覚全て自ら断ち切りこころで相手の本質を直接打ち抜くケイブルに伝わる心の一撃。


 印刷所に伸びた男たちを彼女は意外と愛情深く揺り起こしています。

 これも野暮ですね。

 再び取り戻した感覚と共にわたくしは進みます。


「マリカ様。そこにいらっしゃいますね」

「いません」



 ここは何処でしょう。

 童と美しい女性が戯れています。

 群青色の髪をした童はとても楽しそうに女性と遊んでいます。


 海辺の崖のそば、柔らかな日差しの中、女と童は楽しそうに互いの両の掌を握り、ゆっくりと周りつつ遊んでいます。


「かわいいむすめ。やさしいむすめ。かしこいむすめ」


 歌うようにおどける女にたわむれる童。

 わたくしのぞんじている童の腕にあるはずの火傷痕はございません。


「今日は鞠遊びをしましょう。羊毛を詰めて作った鞠です。よく跳ねます」

「わぁ」


 童の表情が明るくなり、女は鞠をつき始めます。


「香島嶺の机の島の小螺しただみ

 い拾ひ持ち来て 石以ち突き破り

 早川に洗ひ濯ぎ 辛塩にこごと揉み

 高杯に盛り 机に立てて

 母に奉りつや 愛ずめずこ刀自とじ

 父に奉りつや 愛ず児の刀自」


 先程まで笑っていた童の表情が暗くなります。


「どうしたの。メイ。お母さんのやるままにやってごらんなさい」

「……ちがう」


 少女は首を振ります。

「かわいいっていってくれたのは、ミカちゃん。

 やさしいっていってくれたのも、ミカちゃん。

 かしこいってほめてくれたのは。ミカちゃん」


「いつも遊んであげたでしょう」

「ぜんぜん」

 少女は拳を握ります。


 夕焼けの中、女は困ったように告げます。

「この歌を眠るあなたに……」

「してほしかった。でもちがうんだ」


 夕焼けが消え、崖の上にいた二人は暖炉の前にいました。


「その歌を、やまとのことばを教えてくれたのはミカちゃんなんだ」

 少女はゆっくり腕を女に差しだすようにすると、赤いやけどが浮かび上がります。


「これが無ければ、ミカちゃんに会えなかった。それはわかってる」


 少女は何処からか取り出したナイフを女に何度も突き立てました。


「うそつき! うそつきだ! そんなこといちどだってなかった!

 ぶさいくだって、うすぎたないズベタだって、ばかだってあんたはいったんだ!

 そんなことなかった! いちどだってなかったよ!」


 女の姿は崩れ、醜悪なもののけになっていきます。

 メイはナイフを取り落とし、そのもののけを抱きしめました。


「あんた、いいひと、すごくいいひと……。

 でも、変えてほしくない。変えちゃいけないんだ。

 これはわたしなんだから。わたしだけのものなんだ」


 小さく嗚咽を漏らす少女を私は小さく抱きしめます。

 ここにミカはいませんが、きっと彼女はそうするでしょう。


「……お嬢様?」

「メイ。あなたのおかげで皆が助かりました」


 太陽王国のミカとメイの報告によれば、城に巣食う新型のバイドゥを単独で滅ぼした功労者はメイということになります。

 少なくとも城中のすべての人々が幸せな夢に囚われる中、メイだけは。


 彼女だけは過去に幸せな記憶を持たなかったのですから。


 人々が寄り添って生きるのは様々な立場や境遇故。

 今ある苦しみも悲しみも何かの意味があるのやもしれません。

 そのためには生き抜かねばなりませんが。


「もう、繰り返し嫌な夢を見なくていいです。わたくしたちがいます」

「お嬢様、ミカちゃんは」


 わたくしは返答に困ります。

 先ほど見かけたのですが。


「わたし、ミカちゃんは助けられた」

 メイは少し照れたようにします。


「わたくしたちも助かりました。

 あなたがいなければ城中のもの皆がいまだ夢の中に囚われていたことでしょう。

 わたくしどもは貴女を誇りに思います。私たちはこの地で良い娘を得ました」


 彼女は「へへん」と笑うとくるりと回って微笑みます。

「もし褒美がほしければなんなりと」

「じゃ、がっこうにいってみたい」


 学校ですか。王立学園ならば学費も旅費もかかりませんし、場合によっては通信課程もありますね。わたくしも遅ればせながら先日当地の栗の生態についての小論文を書いて卒業資格を得ました。


「でもあなた今年で15歳ですよね。今からは少し遅いですが、16歳で編入して18歳で卒業を目指すならばかなり努力しなければいけませんよ」

「そうなんだ。カリナのおばちゃんにきいてみる」


 あなたとカリナは『面識がない』はずですが、よいでしょう。

 メイに先導されるように歩いていますと、また場所が変わっていきます。

 月夜の中、輝く星々の元、寒さに震えるロザリア様とカリナがいます。


 ふたりはお互いの体温を頼りに寄り添い、小さなマントでかろうじて暖を取り合っています。


「ロザリア様、しっかりしてくださいまし」

「いやみなおばちゃん、ねたらしぬよ」

 しかしわたくしどもの声はまたも届かないようです。


「ロザリア様。ロザリア様……ここまでですか」

 カリナはいつもの気丈さもなくつぶやきます。


「わたくしが不甲斐ないばかりに、申し訳ございません。わたくしのいのちを差し上げられるならばそうしたのに。

 すぐに後を追いますゆえ、ご寛容ください」


 星が落ちました。

 いくつもいくつも。


 星々は金貨のようにあるいは銀貨のように流れ星となりあるいは踊り。


「星はつどう

 ほしながれ


 わかきゆうしよ このちに

 麦穂黄金と生る このちに」


 ロザリア様が歌っています。


 星々の流れは絶えず、温かなスープや炎が二人を包みます。

 分家である王家に本家を奪われた家の、亡命貴族についてきたわずかな家中の人々の顔。笑顔。優しい顔。


「わすれられし遺跡に

 集う星を追うものよ


 我は囚われの身で

 ものがたりおもふ」



「あの歌、なんなのお嬢様」

 メイは存じないでしょうね。

「あれは太陽王国始祖、マーリックに伝わる歌です。星を追う冒険者たちとマーリックの祖先の出会いと救世までを歌う長い歌と存じています」


「剣士も魔法使いにも

 わたしのこころゆらぐことなく

 幸福語る神官の手に 吾心寄せる……」


「わたくし、夢を見ているのでしょうか。ロザリア様」

 カリナが意識朦朧としたまま歌うロザリア様を抱えて戸惑いを隠さないのも無理はなく。


 黄金に実る麦の海の中、小柄な貴婦人が共も連れずに二人に向けて歩いてきます。

 真珠を髪に絡めて硬く結い、白いドレス風のスカートの裏地には革鎧が見え隠れし、艶やかな宝石類を星々のようにまとう美しい少女がそっとロザリア様の頬に触れます。


 ロザリア様の頬が赤みを取り戻していくのを見届けて彼女はそのまままっすぐ通り過ぎようとして。


 彼女は一瞬わたくしどもに振り返りました。

 まるで太陽のような無邪気な、子供のような素直な笑み。


「あのひと、たぶん」


 救世の英雄『星をおうものたち』に協力したマーリックの中興の祖。ロザリア様の先祖。


 夜はいつのまにか明けていました。


「ロザリア様、ロザリア様。起きてくださいまし」


 暖かい炎。

 柔らかなベッド。

 家中の者たちと召したご馳走。

 それらは幻ではなく、きのこの円のうちにその跡が。



「あのひと、起きたらここに来るよ」

「カリナですか」


「縛らないであげて」

「わたくし、一切の証拠を持っていませんゆえ。無論面会禁止処置は不当とリュゼ様も判断するでしょう」


 悪夢が夢現の中に消え去るならば、あの二人ならば今は乗り越えていけるでしょう。



 この後、主人に薬をもっていたと自白する宿敵を太陽王国の『ミカ』は縛りませんでした。

 宿敵といっても家の関係、まして『泉屋』は騎士でなくなりその末裔であるミカもひとりのめしつかいとして生きてきたので今更固有魔法に目覚めたとて気にならないと太陽王国のミカは言いました。


「お嬢様、起きたら学校のこと考えてね」

「ならば悪戯をやめなさい。これからもっと他の皆さんにもする気でしょう。皆があなたを好いているのは明らかです」


「うーん。どうしようかな」


 まったく仕方ない子です。



 不思議な甘酸っぱい香り。

 酸苺は自ら蠢き、根をはり害虫を食べる小さな魔物。


「ミカちゃん! やっとあえた!」

 メイが駆け寄り胸に飛び込むのはわたくしのミカです。

「メイっ?! ちょっちょくるし……お嬢様?!」


「ミカ、わたくしあなたにたくさん隠し事をしていました。お友達のこと、わたくしの学友のこと……」


 わたくしが許しを乞う中、彼女は黙って聞いてくれました。


「お嬢様、酸苺の歌をご存知でしょうか」

 かの猛毒の苺は素焼きの壺の中で夢を見てワインになるといいます。


 ふつふつと湧く小さな泡は人々の夢を内包して空に登ると。


「良いお酒になりなさい」

 ミカは微笑み、小さな夢たちを見送ります。

「わぁ。あか……あお……きいろ……しろ……くろ……むらさき……みどり……」

 メイ、あれはわたくしどもの夢なのです。


 ふつふつ甘い泡を浮かべ、泡たちは空に。

 各々の、人々の、街に村に山に海への夢に帰って行きます。



 ……久しぶりによく眠りました。

 久しぶりといっても変な気持ちです。

 だいたいほとんど日にちが経っていないのです。



 わたくしは夢か現か存じないものを入れて三度目のカラシくんの訪問を受けました。

 背が伸び、紳士的で、わたくしの知る幼さはありません。



 彼はわたくしどものお願いにも関わらず、しばらく当地を旅して後、王立学園の卒業論文を仕上げて帰ると申しました。



 ミカもまた彼にもう少しここにいたらと引き留めたそうですが失敗したと苦笑いしていました。詳細は聞けません。


「こんなに仲良くされているのを目の当たりにされたら、そりゃカラシだってね」


 ミカの言葉にリュゼ様は楽しそうに笑うとわたくしの肩を遠慮なく抱きます。

 わたくしも不快ではなく、むしろ本意なのに戸惑いが先に来ています。



 最近のわたくしどもはなんとなくお互いの肌が触れ合う距離にいます。

 不可思議なことに今こそというタイミングで邪魔が入りますが。


 ミカはまるで失恋をしたむすめのように寂しそうに、それでいて明るい笑みを我々に向けてこう言いました。



「きっとどこか旅の途中、彼はまた『殺せ』といって地面で暴れていますよ。きっとね」

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