ミカ、春眠暁を覚えず【一日目終】
むむ。寝ぼけていました。
メイに叱られてしまいます。
目を開けると知人の顔が。
夢の続きでしょうか。
季節外れの紅葉を再び花開かせた少年をなるべく遠くに配させると私たちは城から離れます。
ちなみに乗合馬車は込み込みでございます。
無料なのは無料ゆえの問題があるのです。
痴漢対策は急務ですね。
彼は無実を訴えておりますが。
「いや、その坊ちゃんはあんたを守っておりましたよ」
御者はそう申しておりますが殿方というのは油断ならぬもの。ミツキ叔母上のように武は優れていても他はダメダメな純情娘もいるのです。
私は最も寒く最も痴漢の危険の少ない外側に陣取り不本意ながらカラシを右に置き。
こんなに背が高かったかしら。
殿方はすぐ成長しますね。
私と一つ歳下の叔父であるサミダレも今頃彼女の一人くらいできたかしら。
あいつ私と三つ違いのシナナイ叔父がお嬢様の資料管理をしていると知らずに、お嬢様の資料を弟の私物と勘違いした挙句悪戯していたので、洗濯物と一緒に干してやりましたけどおとなしくなったのかしら。
私から七つ離れたオワル叔父も蹴鞠で色々ぶっ壊してくれましたけど。本人の希望通り海賊王の第一歩として泳げるようになったのかしら。あの子水につけると泣き出しますからね。
シナナイ叔父はそろそろ折に触れては女装させられるのをなんとか回避できるようになったようには感じませんが。
「なにか。おミカさん」
「カラシ。ここは風が乾燥しているわ。薬を塗ってあげる」
ちょっときつく叩きすぎました。
エナカおばあちゃんが買い物のおまけにくれる保湿クリームは軽い打ち身にも効きます。
その時私自身が手に握っているものに気づいてあやしき。
「……指輪」
貝の指輪で高価ではありませんがなかなか趣味の良いものです。
「いいでしょう。先ほど買いました。今日のお礼にどうぞ」
ずいぶん気が効くようになったようです。
お嬢様のことしか見ていない昔と比べれば。ですが。
「そういえば」
「なんでしょう」
いえ、カナエが似たようなものを露店で買ってあなたにあげようとしたことがありますが、きっと覚えていないでしょうから。
にしても趣味が悪い。彼女は妙に何かに夢中になるような殿方が好きでした。
ひょっとしたら今でもかもしれません。
「少なくとも顔は悪くないのですね。あなた」
「ずいぶんご挨拶ですねおミカさん。親父にも一日で二度も平手打ちされたことないですよ。全く」
薬塗ってあげてるでしょう。全く。
少なくともムラカミには『親父にも打たれたことがないのに』と申す軟弱者はいません。
……でも少しは悪いと思っていますよ。ええ。
「今から宿舎に向かうなら、これからは歩いた方が近道ですぜ。激混みです。それにここからは女馬車と男馬車に分かれます。帰りの馬車が必要なら今のうちに手配しておかないといけませんぜ」
どうも流刑民だけでなく寒さから逃れて普通の人やただの移民が住もうとしたり一時の宿を求めて戸を叩くらしく。
お嬢様方の予想通りかそれ以上で、今は宿舎を建てるための仕事はひっきりなしのため仕事には困らないとか。
「そういえばカリナから余計なお世話を頼まれたっけ」
「なんでしょう」
あの子、なにをやらかしたのかロザリア様と接触禁止らしいのよね。
だからお嬢様や旦那様に内緒で引き合わせてほしいとか。私がそんなこと引き受けると……思われて仕方ないかもしれません。
「なんでもないわ。でも日が傾いて危なくなるから早くしないと。カリナもカリナよ。勝手にうちのメイを連れ歩いて返してくれないのだから」
「おミカさんが眠っていて起きてくれませんでしたから……いえ、三つ目の紅葉はいりません」
ふん。だまらっしゃいな。
つまり、メイはカリナと別れてもう帰っているかも。
……ないですね。私はお城とお話できませんけど。
あの子、確か母親の家があったかも。
前にポチやミリオンたちと行ったと……どこだっけ。頑なに本人は教えてくれなかったから知らないのです。
「ポチ。タマ。あれ。どこ行ったのかしら」
乗合馬車に乗っている以上シロコマパイもいませんね。迂闊でした。
「イッテラー」「ノシンデー」「ヒューヒユワー」
コカトリスの鳴き真似は意味を持たないはずですけど、女の声を真似て迂闊な人間を誘き寄せることには使うと聞きます。
「カラシ」
「どうしました」
今更ながら身の危険を感じ胸が高鳴ります。
ただお嬢様と以前攫われた時と違い妙に暖かいですけど。
なにこれ。これも物憂いかもしれません。
つまり大抵マリア様やロザリア様のせいでこうなったとも。
やっぱりお嬢様のご友人には目の前にいる殿方含め困った方しかいません。
目指す宿舎にカラシが付いてくるには想像以上に揉めました。
女性宿舎を警備する冒険者はかなり職務忠実で真面目な方でした。一応私の連れには違いなく、私が領主の城にいることを証明してやっと認めてくれました。
今回は揉めましたが彼のことは覚えておき、ちゃんといい仕事が入るよう評価してあげましょう。
「カリナ。カリナ。私よ。入れてよ」
数度ノックをしても反応なく、やっと臆病窓が開いたかと思うと目の前に銃身。
「……ミカ?!」
「……物騒な世の中ねカリナ」
雪道の中カーテンシーの真似をしてみせる私に彼女はといます。
「暗いからわからないけどそちらの殿方は。
ミカ。悪いけど最近物騒なのよ。
久しぶりにあなたに会えたのはとてもとても嬉しいけど女は自分の身を守らなければいけないわ。『野鴨を誘き寄せるには鴨』くらい存知てますよね。もちろん私機会があればあなたを助けてあげたいけど」
なにを勘違いしているのやら。
カラシくらい知っているでしょ。
とはいえ、治安維持にお嬢様達が奔走するのは実感を伴ってきます。
「寒いから入れてあげたいけど、というかミカとはいくらでもお話したいけどあなたみたいな平民で男はいらない」
カリナは騎士出身ですからね。確かウルド『薬師寺』でしたっけ。親友や恋人にしか明かさないと告げた上で教えてくれました。
カラシは軽く肩をすくめて『とりあえずお茶くらいは淹れてください。軒下で待ちますから』と言います。
この風ですよ。ちょっと待ちなさいよ。
「で、そっちの平民はついに流刑になったとして……ミカは侯爵のところの小娘、もとい奥様の使いかしら。仕官なら断るわよ」
世迷言にしてはおかしな雲行きです。
しかしカリナはサッと周りを見渡し誰も出入りを見ていないと確かめてから私達を入れてくれました。
「靴の泥はそこでとって。暖炉はつけないわよ。
板張りで粗末だから漆喰を早く塗りたいのだけどなかなかそっちには」
粗末ながら頑丈そうな寝台。
料理をする上で最低限の燃料。
典型的な流刑民宿舎の暮らしです。
本が数冊。あちこちに彼女の好きな羊毛で作った動物達。刺繍道具に関しては彼女らしいですけど。
カーテンや窓の小物には彼女の趣味の良さが伺えます。
「結構な暮らしですね」
「嫌味かしら平民」
カラシは農夫の息子ですから基準が少々。
それでも地主の子ですからそれほど貧しくはありません。
「お土産です。お魚と肉です。干してあります。木賃も持ってきています」
「残念ね。私は『無許可の木賃宿』はやらないの」
それでも彼女は松葉茶を淹れてくれます。
薬湯ととろみになる葛粉もついていて快いです。
「もし困ることがあったら昔のよしみですので遠慮なく申し付けてください騎士様」
「……ありがとう。あとお湯にはここでは困ることはないから、そこの床を開けば温泉で足を温めることができてよ。部屋が湿気て夜のうちに窓が凍るからあまり長く開けておかないで」
思ったよりこの部屋が暖かいのは最初に密閉性能をちゃんと規格つけただけでなくこの地ながらの工夫があったようです。
「料理も温泉の熱でだいたい用立てることができてよ」
簡単な卵料理と麦のお粥が出てきます。
やっぱりカリナは手際がいいです。
けれども。
「メイ? ……ああ。領主の城にいるメイドのことなら聞いたけど。正規の教育受けた者がほしいと」
「いえ、あなたメイと出かけたでしょう。なに言っているのよ」
「家にでも帰ったのではないかしら。もう夕方よ。女の子が出歩くには危険だわ」
カリナは集中するとぞんざいな態度をとることがあります。ロザリア様と一緒の時は別ですが。
にしてもうちのかわいいメイを連れ歩いておいてその態度はなんでしょうか。
カリナは私達に料理を出すが早いか針で羊毛をつつき出します。
これは見た目よりはるかに集中するものらしく、彼女は夜の寒さをこうやって凌ぐのでしょう。
でも、動物の目を詰めている彼女の表情は相変わらずやさしいものです。
「食べ終わったら気をつけて帰って。食器は雪に入れておくから放っておいて」
こんなにそっけない子だったかしら。
それに……銃。
さっきから肌身離していません。
「カリナ、何があったの」
「……聞いてほしくない」
そうですね。
私も色々ありました。
生きているのが不思議なほどです。
「こうしていると忘れられる」
私達は早めにお暇しなくばならないようです。
メイを迎えに行かないと。
そういえばロザリア様と一緒じゃないのあなた。
「お嬢様は、印刷所にいるでしょう」
「そうなの? あなた探してとかいうから」
やれやれと彼女は首を振りました。
「ミカ、最近疲れているのね。久しぶりに会ったからよくわからないけど。
それに、私が男性嫌いなのを忘れているでしょう。いくら護衛が欲しくてももう少しなんとかならないかしら。私結構評判を気にするのよ。あなた達みたいな平民は知らないけど。私はお嬢様と接触禁止されているの。よくわからない薬をお嬢様に盛ったと思われているようね」
まさか。そんな事実はないでしょうに。
少なくともカリナの忠実さは知っています。
「のぼせました。外にいます」
カラシはサッと外に出ます。
私の存じている彼と比べ妙に気が利くようになりました。
「ミカ。私、お嬢様を打擲したわ。……私達教会の通行証を持っていなかったの。それを誤魔化すための機転だったけど」
あなたがそのようなことをするなんて信じられないわ。
「いいえ。すごく、心良くなってた。とても……よかった。いつも私がぶたれていたのに、私しか頼れないお嬢様が情けなくて愛おしくて最高だった。何度も死にそうになったし、何度も引き金を引いたわ。でも幸せだった。やっと私だけの方になってくれた」
「そう」
理解しがたい狂気に犯されたものは否定してはいけないとお嬢様がおっしゃっていました。
私は彼女の親友である以上、引き込まれない程度には話を聞いて可能なら戻って来れるようにしたいですし。
「どうして私のものになってくれないのかしらロザリア様。私のロザリア様。ある日子供のようになってしまわれて……今は私を諭し出すのです。『もうだめだよ今ここに私はいるよ安心してロザリアおばさんは無事だからカリナ姉ちゃん』と導こうとするのです」
そして『恥ずかしい恥ずかしい私は私は』と呻く友人に私はなにをしてあげられるでしょう。
カナエなら抱きしめてあげたでしょうね。
でも、養子のカナエと違い生粋のムラカミの女は少々乱暴なのです。
「しっかりして。そんなに大事なら会いに行けばいいでしょう」
「接触禁止と言われ、マリア様にも嫌われてしまいました」
でしょうね。あの方は独善的ですがその分面倒見は良いのです。
曲がりなりにも友人とした人のためです。あの方はそのような事情があれば全力で引き離します。
たまにロザリア様は元に戻るそうですがあの性格のままなら子供に退行している方が無害です。本人にもお嬢様にも言えませんが。
私は時々お嬢様に。
いえまああれは私的には子供の頃からの延長です。
いえ本来許されることではないですが姉妹喧嘩のようなものです。
彼女たちのように追い詰められた末の共依存のような状態には陥っていません。
でも私達もひょっとしてと思うと友人には言えることなく。
ロザリア様だけでなくマリア様もそうです。
私、けして彼女の無神経を忘れることできませんが、マリア様にはマリア様にしかわからぬ傷もあり触れてほしくないこともあります。
そういえば、カリナ、たしかカナエは生きているから会わせてくれるって言ってましたよね。彼女はどこに。
流刑民としていないのなら冒険者として渡ってきたのかしら……ねえ泣いていてはわからないでしょう。
メイを迎えに行ったら帰るから最後に教えて……。
扉が開きました。
カラシならば不躾ですね。
しかし私の目に飛び込んできたのは。
愛らしい顔立ち。
青みを帯びた豊かな、すこしくせのある黒髪。
小柄ですが愛くるしく、決して貧相でもない姿。
かつてみにつけていたムラカミ陪臣家内での制服。
「カナエ?!」
「……カリナ。ミカ。久しぶり。寒いの。入れてくれない」
私は思わず駆け出します。
再開の喜びを身体で表して彼女を抱きしめようと。
なにか乾いた音が鳴りました。
それが銃声と知ったのはひとみに映る硝煙の臭いから。
くずおれる友人に抱き着こうとする私を誰かが止めて。
私はカナエの名を叫んだはずですが、耳には入ってきませんでした。




