ミカの休日【リュゼはのちにかたる】
これは今回の事件を受けて妻とミカたちから聞いた話だ。
妻。とりあえずマリカのことはそのように記す。
これは私の覚書だからな。
妻に見られると謎のポエムを放った挙句に気絶しそうだから机の隠しに入れ鍵をかけておく。
いくら彼女が博学でも魔導帝国の机様式に対する知識や、まして王妃教育を受けた貴婦人に錠前破りの才能はあるまいゆえ。
……これより先はのちに記したことだ。
私は柄にもなく居眠りをしていたようなのだから。
「はぁ。久しぶりに見るとミカ殿はやはり美人ですが、おしゃれをすると尚更ですね。確かにカズヤさんやクウヤさんが『薄化粧で顔を隠せ』というわけです」
「っ?!」
比喩もなく正面から褒められて彼女は狼狽したという。
ミカも年頃の娘。歳下の端正な顔立ちの少年に褒められて悪い気にはならないだろう。
まして小さくか弱く珍しくそして美しい羽虫を見るかのように近づかれては。
「えっ。えっえっと……あなたいつからそのように軽薄なことを言えるように」
「正直な感想にすぎませんよ。ところでお嬢様はご無事ですか。私は王都では領主様の悪口とお嬢様の悪評ばかり耳にしてずいぶん不快な思いをしたのです。資料だけではわからないこともありますゆえ街中で伺って見ましたが、彼はずいぶんできた方のようですね。三権分立論を実践しようとしているとか、コンテナ規格はおそらくお嬢様の仕事ではないでしょう」
「……あなたどなた? カラシくん」
「侯爵領のいち農夫にして地主マウント・F・ニコンの息子ですが。
あなたとは幼い頃遊びましたね。思えばあなたにはいつもよくして頂きながら僕は他のものばかり見ていたものです。あっお尻の青痣は無くなりましたか。あなたたちやまとびとの特徴と伺っており是非とも論文に」
「うん。色々自覚ないところは間違いなくカラシくんだね。今後私以外には言わないでくださいませ。死ぬことになるから。姉さんたちや叔母上たちに言ったら簀巻きにされるわよ」
「ミカ殿の末の叔母マツリちゃんにはありました。すごく可愛いですよ」
「えっ。マツリ……会ってみたいな」
「マツリちゃんが生まれるのをすごく楽しみにしていましたからね。ミカ殿は」
このやりとりはニコン氏の証言から推測するものでミカからは裏付けを取れていない。
余談だが何事か彼の頬には手形があったが、私の知るミカは気安く他人を打擲しない。
(※やまとびとのモウコハンか。噂には聞くが少なくとも妻にはないな。いつぞや尻を強打していたが)
私は妻と違う。
長々とふみを重ねるのは好まない。
公文書のやりとりだけで充分だ。
それすら面倒だからフォーマットを作りあらかじめ印刷させて書類様式を統一したほどだ。
しかしカリナの話と言い、伯爵令嬢とはあえて言わずロゼという奇怪な物語と言い、家中の者たちの話といい、今回の一件は聞けば聞くほどややこしい。
子供の頃の約束だからと辺境までわざわざ命懸けで押しかけ履行を迫る主従だけで私は持て余しているのだ。
もっともそれを快く思っているのは否定はしない。
「ごめんなさいミカ殿」
「ミカでいいわよ。さっきカリナに会って、メイを連れていかれちゃって手持ち無沙汰なとこ」
「カリナさんですか。ロザリア様のおつきでしたね。メイですか。そのメイはどなたで」
「さっきあったでしょ」
「はあ」
ミカは軽く事情を説明したらしい。
「少しメイを待つ間にあなたの買い物をしましょう。その格好はひどいわよ。あなたいつも寝転がって『殺せ』とか騒ぐじゃない」
「あはは。申し訳ない。いつぞやは洗濯までしていただき」
「またここで脱いだら……寒ざらしにする」
「しませんよそんなこと。私だって反省するのです。私は親友と呼んでくださったお嬢様をお守りできませんでした。本当に学ぶべきは興味がないことであり故に見えないものですね。見えない故に見逃してしまいます」
彼女らの心情に私は詳しくない。
わかったつもりにもなりたくない。
求められれば寄り添う覚悟だが。
私は所詮父にはなれない男だ。
「……私も。何度くやしゅうて夢見に魘されたか」
「私は年齢と身分であの席にたつことかないませんでしたし、あなたは学生ではありませんでしたから……そんなことより『王国の二柱の女神』のお誘い、受けましょう」
少年はすぐに青年となる。
かつての友にひざまづき手の甲にくちづけの真似ができる程度には。
「やっぱり私の知ってるニコンさんちの息子じゃない!?」
「そうですね。背も伸びました。もうミカ殿と頭一つ以上違います。ほら」
引き寄せた手をそのままさらに引き、彼はよろけたミカを支えてそのまま掌で背比べの姿勢を見せる。
薄汚くしても隠せない端正な顔にぶつかりそうになりミカは大きく離れる。
(……状況や町の人々の証言から再構成しているがショウには見せられないな。これは。
あれは色恋に疎い私でもわかるぞ。
やまとびとのカモンとかいう独自の紋章学を幾何学的に紹介する記事は秀逸だが読んでいて気恥ずかしい思いを隣にいた妻に対してしたものだ。
部下のプライベートに関わる話だ。これ以上は辞めておこう。
ミカは彼の物語には興味があるが本来書籍を毀損したり手沢する者は好まないのだ。今のところ私の見立てではまだセルクの方が目がある)
「えっと……離れてください。あなたはそろそろ女性に対する距離感を身につけましょう。あとヒゲ、濃くなってますね。もう産毛じゃないわ。ちゃんとそりなさい。そういえばあなたと同い年のシナナイ叔父はもうヒゲ生えたのかしら。ちょっと興味あるわ」
「シナナイくんは相変わらず生えませんねぇ。……やっぱり剃りましょうか。安全なカミソリを作ってみたので領主様に売ろうかと考えていたのですが、先程街中で黒曜石の替刃メスを見て改良の余地を見出し……あ。これはひょっとして女の方にはあまりいい話題ではないですね。我らが一の姫様は気になさいませんし『天才よカラシくん』と喜んでくださるでしょうが……どうかな」
このやりとりも以下のやりとりも必要とは思わない。後で廃棄しよう。
「意味わかんないけど何か。お嬢様も私も女の子ですし髭剃りなんて使わないわよ」
「ああ。すみませんあなたの叔母上たち姉上たちからは絶賛されたのですけどわからないならいいです。できたらおふたりのその辺は知りたくなかったですけど。替刃の『特許』制度でしたっけ。専売はガゾクとかいう人たちのものですよね。後で紹介してください」
なお、試作品を使ってみたがなかなか良い。特に肌を傷つけないゆえ御婦人方に飛ぶように売れた。
少なくともライセンス販売だけでニコン氏の渡航費以上にはなったからな。替刃はガクガの特許だから彼女ほどではないが。
ちなみに彼女は相変わらず現金を受け取らず、私に金銭を利息付きで預ける形で処理して街中で無銭飲食の領収証を送りつけてくる。
「髪の手入れなら確かに私は得意ですが、殿方の髪ゆえ。ほら、そこの路上の散髪屋は腕がいいですよ」「あっこのコートかっこいいと思います」「靴はハーフブーツがいいですね。これは内部にファー入っていますからおすすめですが、必ず靴下を履いてください。靴下はこの羊毛のものと木綿のものを別々に」
「ミカ殿こんなに着れません」
「サイズだって実際に着てみないと。こんなに背が伸びるなんて思ってなかったし……あれ」
「ちょっと。カラシ。
ちょっときて」
「ミカ殿の方が近いです」
「あれ? あなたこんなに大きかったっけ」
ミカがニコンのネクタイを引いていたのはわずかで、彼女は別の興味深いものを見つけた。
当地は六花に困る事はない。
「”あてなもの”ですね」
「雪にシロップですか。服の御礼には安いですがせめて奢らせてください美しい方」
「”薄色に白襲の汗杉”と言います。その服は上品で綺麗に見えるようにしました」
「”かりのこ”のように優美になればいいのですが、服に着られている気がします」
彼は苦笑し、ミカも微笑んだらしい。
「”削り氷にあまづら入れて、あたらしき金鋺に入れたる”ですね。美味しい上に綺麗」
「ミカ殿これキーンときます。”かかる好き事をし給ふこと”でしたっけ」
「あら、私カラシに竜の玉を持ってこいなんて言ってないわよ。そういうロマンチックな話はお嬢様の方が詳しいです。それにやまとの月にはお姫様も住んでいるかもしれませんが」
水晶の数珠。
藤の花。
やまとびとの好むもの。
梅の花に雪のふりかかるように。
いみじううつくしき女性の苺などくひたるさま。
「何。私の顔に食べかすでもついていますか」
「ミカ殿。少し残念ですが違いますよ」
鮮やかな少女の紅に雪の白。
「花の色をつけているだけなのになんか別の味に感じますね」
「聞きたいですか。想像力の成すものと言いますが興味深い研究になっています」
ミカやマリカの知るニコン氏は今までは興味のままあらゆる知識をただ披露して反証を待つ男だったらしいが、この時はミカに聞かれたことのみ答え快く話を繋いだ。
うつくしきものとマリカたちやまとびとがいうとき愛らしいという意味もあるようだ。
例えば瓜に子供が顔を描いて遊び。
「なんですか下手すぎ」
「もう一回描いてみます」
雀の子供たちが声を上げ早くも飛ぶ練習を始める中、子供たちが小石などを拾って宝物のように見せてくる時。
「だんごむし!」
「あら、かわいい。もう這い出ずるときなのね」
「だんごむしといえばミカ。『一の姫様宝箱事件』を覚えてますか」
「あったあった。私たちまで叱られて無実だったからクソ親父たちをやりこめて」
彼女は年下の叔父たちの話を黙して語らないが、クムの子供たちなどにはしているようだ。
「結局私が髪を切るのですね。懐かしいですけど。
……頭を傾けなきゃ前が見えないほど髪を伸ばさないでよ。そういえばお嬢様のための練習台にしていいって母さんが言うから男衆みんなになってもらったわね。シナナイ叔父なんてリボン結んだら大泣きして」
「どうしてもやってしまいます。近眼は治ったのですけどね」
「すごい。かっこいいですね。見違えます」
「そ、そうですか」
「乗合馬車が走っているけど、老人と子供と光曜日闇曜日は無料なのよニコン」
「おミカさん。領主様は徳を積んでいますね。こうして無料乗合馬車を走らせるために雇用し、冬でも人々の消費を拡大するのですか」
「乗ってみる? メイが泣くからすぐ降りるけど」
「お手を拝借しますお姫様」
旧交を温めるのは男達だけではない。
「おっ。美男美女だねお似合いだ」
乗り込んできた二人を御者がからかいミカは少し拗ねる。
やがてスプリングシャフトの揺れと小春日和に誘われて。
「まいったな。
もう子供の頃じゃないのに。
……すみませんね私のために色々してくれて」
彼は彼女を起こさないように少し距離を取り町の様子を見る。馬車の上にいる彼に愛嬌を振り撒く住民を彼はこのように評してくれた。
『人形遊びの道具を買う子供たち。
池に浮き出した小さな水草のきらめき。
古本屋台で本を読む子供たちの幼い声。
コカトリスの雛を追う親鳥とそれを追ってかける子供たち。
雑貨屋には卵の飾りに瑠璃の壺。
……いい町ですね。これは帰りたくないとかいうわけだ。情け無い話です』
ところで今晩の宿をどうしましょう。
彼は虚空に問いかける。
答えを返す娘はやさしい子どもの頃の記憶と共に揺蕩うと知るが故に。
「流刑民宿舎ならタダで使えるのでしょうか。聞いてくればよかったですね。おミカさんがこんな状態ならメイって子を呼ぶためにカリナさんのところにも挨拶に行くべきでしょうし……宿舎番号を聞いておけば良かったですね」
昔馴染のよしみと戯れで買いあった貝の指輪を彼女の手に押し込むと彼は御者に頼む。
「この方を領主様のところに。ところで最近きたと言う若い奥様はどうでしょうか」
「おや。美しい方たちだと思っていたらおふたがたは領主様の縁者ですか。恥ずかしいことに私最近渡ってきまして。……ええもちろんです。奥方はとても我々のようなものにもよくしてくれます。この間も……」
「そうでしょう。そうでしょう」
「あのおふたりは我らの誇りですわ」
「完全に同意します」
「あとはお世継ぎさまですね」
「……」
……で。マリカ。
説明をしてもらおうかな。
そうかそうか。
ムラカミでは今なお落人となって逃げることを考え男も女も徹底的に走り込むと。
確かにそうだ。
王妃は護身用具や自殺用の薬を隠し持つ術や隠し通路に精通していてもおかしくない。言われて見れば理解できる。なるほど私が愚かだったよ。君が鍵の機械構造や複雑なパズル箱を解く方法に詳しいのも納得だ。
もはや現存しない魔導帝国期の家具を模倣したミミックが破格の値で取引されることも以前語り合ったな。
ミミックによる考古学民俗学の再現実験の考察、失われた寄木細工の秘密箱を暴く方法に対する手際も見事だ。参考になる。
……念の為に隠しには髪の毛を挟んでおいたのだが。ね。
「大人しくしていろと言った。
やまとでいう『”正座して反省”』していただこうかな」
「むごいですリュゼ様」
彼女は案の定、私が居眠りをしている間に見事鍵を開け、幸せそうに気絶していた。




