ミカ、メイとおでかけする【一日目】
ミカの自称は『わたくし』ですが、マリカお嬢様とかぶってややこしいのでここでは「私」としています。
「じゃ! 出かけよ! そうしよう!」
私、どうにもこの子に弱いのですよね。
ご機嫌よう。やまとびとのことばで『村上美香』ことミカ・ムラカミと申します。
急に降って湧いた有給を持て余したのは何故かと申しますと、物心ついた時にはすでに悪戯や他の臣下に酷いことを行うお嬢様をぶっ叩いて親父にめちゃくちゃ叱られて以来お嬢様と常に共にいたからで……今の話は無しです。聞かなかったことにしてくださいませ。
ちなみにふたりきりになった後で父は『よくやった!』と申して飴をくれました。
本音と建前を嬰児にして学びました。
お嬢様が私に伏せていたこと、私が卑しい身ながら伺いたく思うこともう少しございましたが、物憂いのあまり目を合わすこともかなわず、互いに気もそぞろ、ありえない失敗を重ねている不甲斐ない私にお嬢様は有給休暇を与えてくださいました。
ショウさんの新作もろくに読めず物憂いながら気づけば夕刻。
ショウさんが『是非とも感想を』と押し付けてきた新作は学問の本でした。微妙に恋文ぽい文章ですけど。
今まで物憂いなどあり得なかったことですね。
フリントマッチに油を浸して燭台に火を灯します。
いい脂なのでよく火がつきます。
魔物油は匂いは良いもののあまり良くない気分を喚起する効果もございまして、今年の春は未曾有のベビーブームになるとお嬢様はおっしゃっておりました。
ちなみに旦那様やポールくらいの戦士になると効かない模様です。
え、何故ポールに効かないのかですか。
ライムが申しておりました。
私は詳しく存じません。
余談ながら私とお嬢様にもこのような姑息な代物は効きません。
最近のろうそくは煙たくないものが増えました。
お嬢様は使い古しのろうそくを惜しげなく私どもにくださいますので、夜の読書に困ったことなどございません。
これを市場に売りに出す愚か者はございませんが、そらとびまっくらくじらの一件が起きたときは侯爵家の家紋入りの謎の使い古しろうそくが多数、それも高さが完全に揃ったものが何処かの篤志家より人々に直接寄付されたそうです。
私が個人的な事情で気もそぞろだった様子を見たのでしょう。
メイが私の部屋に訪ねて来ました。
部屋と申しましても私には書籍を除き私物はほとんどなく、読み終わった本は処分せねばならない程度の部屋です。
加えてお嬢様とあの寝室で眠ること少なからずのため気付けば埃が文机についていることに気づきました。
明日は掃除をしましょう。
「今日はどうでしたか」
「頑張ったよ」
私の代わりにメイを使うとは旦那様の提案ですがその仕事には不安があります。
私、お嬢様に有給を申しつけられた時は世界の終わりのように感じました。『職務に集中しますのでお側に』と訴えましたが旦那様の指示でもあるとことであり、お二人に休めと言われれば逆らえる道理などなく。
「頑張ったよ。ほめてほめて」
「よくやりました」
お部屋の様子は見ないことにしましょう。
多分フェイロンがなんとかしてくれます。
普段は大いに散らかす方ですけど。
私の部屋の寝台はお側付きにしてはやや贅沢な作りですが、こちらで眠ったことはほとんどございません。そもそも魔導帝国時代の遺物であり、いかなる魔導が備わっているかわからず不気味です。
お嬢様曰く、『良い夢を見る効果』があるそうですが悪夢というものは自らの現し身であり仲良くやるものと愚考している私としては不要な機能です。
そのような怪しげな寝台に横たわり勝手に眠ろうとしているむすめに呆れつつ(※そういえばこの子ももうすぐ15歳になります)、自室か鶏小屋でコカトリスのシロたちと眠りなさいと促していると話の流れで私が当面休みであると漏らしてしまいました。
「ミカちゃん。なら明日休んで街に行こう!」
「あなた、職務はどうしましたか」
私の返事を待たずしてすかさず駆け出していくメイ。
「魔導帝国の遺跡で走るのはやめなさい! まだ罠が残っていたらどうするのですか!」
幼少期に掏摸で鍛えただけありなかなかのすばしっこさ。普段の職務でも……いえ、物憂いに取り憑かれた私はおそらくメイにも劣るでしょう。
「休み取れた! サフランに頼んだ!」
「あの方は傅かれることはあったとしても貴人のお世話などしたことは……」
そもそもお嬢様の方が恐縮しそうです。
少なくともメイよりは安心できるとは唐突に自室をガンガン叩かれて『明日ミカちゃんと街で遊びたいから有給にして』と言い出したメイに対しての愚痴とも小言とも愛情ともつかない話をする執事頭のジャンさんの言です。
その夜。
珍しく友人であるカリナの夢を見ました。
彼女曰く『私の愛しいお嬢様に会えない。マリカ様になんとかお伝えできないか』とのこと。
まさかカリナまで生きていてくれるとはこの時はまだ存じず、『彼女は臣下を傷つけるから地獄に落ちたとか』と揶揄うとめちゃくちゃ叱られました。
自分の顔を傷つけたことのある主人に対し、夢の中でもその忠誠は揺るがないようです。
私たちならクソ親父が暴れ出す前に暇を出して逃げますが、主従の形はさまざまです。
夢の中であるならお側付き同士の連帯でマリア様……今はミーシャらしいのですがその彼女についていたカナエがとりなしてくれそうなのですが今回は登場せず。
せめて夢の中でも会いたかったのに。
それにカリナが激すると小声でゆっくり諭すように延々と迫ってきますのでめちゃくちゃ怖いのです。
目覚めは意外と良かったです。
お嬢様の鑑定に疑いなどございませんが、『いい夢を見るベッド』という話には疑いを持たざるを得ません。
端的に言えば悪夢に魘されることがないのは良かったです。
おそらく儚くなっているであろう友人の顔を見れたのは嬉しいとはいえ物憂いが増すばかりでございます。
ある意味カリナのお説教は悪夢かもしれませんが昨日のありえない失態の数々を思えばカリナが出てくるのは致し方ないかもしれません。
あの子は『完璧主義は良くない』と私に教えてくれた反面教師ですし。
そう思えばこの寝台は寝心地も良いですし何より不思議なことに手足の末端から暖かいのがよいです。
もぞもぞ。私の側で蠢くものあり。
「メイ。もう。自分の部屋があるでしょう」
「もうしばらく鳴かないでパイ……」
鶏に鳴くなとは酷な。
手早く薄化粧をして彼女を起こしましょう。
この薄化粧は他の方が私を直視すると心臓麻痺を起こすために幼少期に父より命じられたものです。
手早く顔を洗い着替えを済ませ、私が化粧箱を開けていると、いつのまにかメイが起きていました。
「きれい……めがみさまだ」
寝起き姿が美しいなどあり得ませんが、それを口に出すほどでもありません。
お嬢様以外に素顔を見られたのは久しぶりですね。
「おはようございます。と言っても私共にとってはずいぶん寝坊でしたねメイ。私も久しぶりにパイよりゆっくり寝ました」
頭はボサボサですしよだれの痕に目やにまでついており、なんとか制服はとかせましたが、私の貸した夜着は乱れ皺が寄りあちこち人前に出せない部分が見えてしまっております。
よろよろ蠢き、使い古しの洗面器の水を使おうとするので止めますが、彼女は意に介さないようです。
「なんかきらきらしてるこの水」
そういうこともございましょう。
さっぱりした姿になった彼女をめかし込みます。
割と楽しい作業ですね。
物憂いは仕事で散らせとはよく言ったものです。
ぼさぼさ頭を温めた湯気櫛にてときほぐし、元結とともに宥めつけ、肌に化粧水と乳液を与えていると『つめたい』と愚図るので扱いに苦労し、お気に入りの私服を……一瞬この服のデザインに関わったであろうマリア様のお顔が脳裏に。
別の服にします。
侯爵家の内向けの制服はやまとびとのものなので私が普段着ているワンピースタイプの外向けの制服と違うものです。
もっとも本来のやまとびとの服は立体縫製など行いませんが、当地で雇ったものどもの意見を反映して改良され動きやすくなっています。
具体的には袴とフリルがついていて、作業時は襷掛けを行って袖の汚れを防ぐデザインです。
少し直せば小柄な彼女にも着ることができるでしょう。
それに会った時の貧相な姿と違いずいぶん背が伸びていますからね。
そうそう。先に女の子の日を迎えたようですから彼女も要り用でしょう。
ほとんど全く膨らんでいなかったのに下着も一式選んでやらねばなりません。
さすがに私のお古は差し上げるわけには。
本人はすごく欲しがっておりますが。
とのがたばかりの職場というのはずいぶん無骨なもので心労甚だしきものですね。
いえ、女ばかりの職場もずいぶんギスギスしておりますが。
そのような余計なことを考えている間に。
「はい。できました」
「うわー!」
会心の出来です。
本来一部の堅気ならざるものを除き大人の女性は足を出さないものですが膝丈にしました。
愛らしくてかわいいですからね。
そのかわり膝丈のタイツをガーターベルトで吊るさせます。これは下着のさらに下に着用せねばならないため彼女には解説だけにとどめます。
タイツには急拵えですがフリルをつけました。
靴にもこだわり足首にフリルをつけます。
袴の代わりにドレープが多いふんわりとしたスカートにしています。袖にもフリルです。
「かわいいかわいい! わーいありがとう!
……でも、ちょっと子供っぽい」
む。言うようになりましたね。
「では、大人の服を買いに行きましょうか。ユマキのエナカおばあちゃんのところで」
そういえば私もこの地で18歳になりました。
そろそろ当地でお嬢様に無理矢理着せようとしていたかわいい服たちも処分せねばいけません。
どなたよりも背が高くまた胸周りが他に類を見ないほど豊かなお嬢様にはこう言った服は一般論で言えば似合わないでしょう。脚を出すのも下品でしょう。
本人と私の密かな趣味でございます。
「えっ。わたしおばあちゃんとこでまえになんどか……なんでもありません」
「今日はお客として行きます。何があったかは伺いませんが、一緒に謝ってあげますよ」
あの絵を描きしミーシャがマリア様で彼女のデザインと思えば物憂いが増しますがこの街でしっかりしたものを手に入れたいならアクセサリーのエマキ露店しかございません。
密輸品としか思えぬ怪しげなものもございますが、女の子が必要なものを一通り揃えており、しかも鉛やヒ素を含むような有害なものは悉くございません。
「ね、ね、ミカちゃん」
「なんでしょう。出かけるならば早くしましょう」
「紅だけでもつけて」
「周りに迷惑ですので私はお化粧は最低限しか」
普通のむすめは光曜日にはめかし込みますからね。
あまり気はすすみませんが今日はメイと一緒です。
ちゃんと化粧をすることにしました。
控えめに紅をさし、目の端に朱を乗せ、髪を結いあげます。服も良いものを選び、久しぶりにヒールを履きました。
耳に少し朱をいれるのは最近の流行りだそうです。
普段は詰襟姿ですが鎖骨が透ける服をまとい鎖骨にも朱色をさします。ナプキンはもう少しおしゃれな自作のものがありますがメイがあちこち指を怪我しつつはじめて作ったものを腰に巻きました。
アクセサリーはエナカおばあちゃんが選んだ貝殻のアクセサリーをつけます。
お嬢様おすすめの帝国のアクセサリーは……首飾りと指輪とアンクレットだけでもつけましょうか。
髪飾りもかんざし以外にビーズを少々。
「ミカちゃんかわいい」
「ありがとうございます」
メイにグイグイ引かれて部屋を出ますと派手な音。
賢者のショウ様が資料を落としたようで、拾うのを手伝おうとしますが。
「……美の女神だ」
だから言ったのに。メイったら。
手渡しても三度取り落としましたので踏まないところに寄せておきます。
「えっミカなのか?!」
訓練を終えたらしい兵士長のセルクが驚いています。
あなた普段から私の顔をしっかり見ていないでしょうに。いつも目を逸らしていますよ。
「ミカちゃんです」
「どうしてあなたが自慢するのです」
ふふんと胸を張るメイに呆れるやら戸惑うやら。
「いだだっ! 何故つねるんだよライム!?」
「あら、ちょっとここにつねりやすいほっぺがあったからね。仕方ないよねポール」
ライムが私たちに手を振ってくれました。
クムの子供たちもすでに起き出していて、『わーい』『ミカちゃんきれい』『メイちゃんかわいい』と大騒ぎです。だから早くに発とうとしたのです。
私も寝坊してしまいましたが。
先ほど階段から転げ落ちてポヨンポヨンと跳ねて助かった医者のピグリム様といい、吟遊詩人のアランといい、どうして私がこの顔をしていると不幸な事故が起きるのでしょう。
アランは何故かスライムに呑まれてました。
新たなプレイかもしれません。
メイは以前私が手ずから縫ってあげた小さな背負い袋に真ん丸になったスライムの分体を入れて私を促します。
前に懐に入れた『呪いのモケケピロピロ人形』までアクセサリーがわりにぶら下がっているのはどうかと思いますが。
「みてみてクム! 長靴下のモッピちゃんとお揃い!」
「おお。かわいいぞメイ」
ザンバラ頭な紐の髪、ボタンを目玉にバッテンつけして口を縦に縫い付けてある上『もけけ』と叫べは『ぴろぴろ』と叫び返し時々噛みつきさらに捨てても戻ってくるような不気味な呪いの人形と私のセンスが同じように言われるのはいささか心外です。
そして前は懐にサッと隠せるサイズだったのに三の腕ほどに大きくなっていませんかソレ。
「ぷるるん」
「あなた、本当についてくるのですか」
スライムの分体を鞠遊びに使うのがクムの子供たちやフェイロンやミリオンたちの間で流行っていますが、このくらいのサイズでも暴漢一人くらいなら護衛及び警報として機能します。
本体が来ると思うと私は未だあの恐怖が。
あの時はお嬢様が儚くなってしまうとの一心でした。
クムの子供たちと遊んでいた握り拳くらいの大きさの球の如き分体が、ぷるんと跳ねてわたくしのこうべに乗ります。
ひっ。思わずよろける私に。
「”ぼくいいスライム。こわくないよミカちゃん”」
「変な腹話術はやめなさいメイ」
ずいぶん人形を使いこなしていますね。
冒険者の真似事に勝手に参加して心配していたのに怪我一つなくかえってきただけのことはあります。
もっともその後『血が出た』『きもちわるい』と訴えてきたので赤飯を炊き色々教えましたけど。
栄養が足りず発育が遅く、まともな教育も受けて来なかった彼女は急激に背丈も体格もそして情緒や知識技能ともに成長しているようです。
前の方が憎たらしくも愛らしかったですけど。
メイに腕を引かれて行く先は鶏小屋。
シロとコマとパイが待っていました。
「ヒサリバー」「セリフー」「ヤッター」
まさか、ええ。馬に乗るのが苦手な私は彼らに乗って買い物に行くことは幾たびかございますが。
まさかまさか滑空して街に向かうとか言い出しませんよねメイ。かようなお転婆は許しません。何より。
「あの、私猫ちゃんアレルギーだけではなく、高いところも少し」
最近のメイはシロたちに抱きついて滑空して街に向かうようなのですが、私としましては『うたうしま』が接岸するまで待ちたく。
「大丈夫大丈夫。しっかりコマに抱きついておいて」
メイが申すより早く、私は脇からやったきたコマにひょいと放り上げられ、恐怖でコマの首筋に抱きつくが早いか、コマはひょいひょいと『うたうしま』の外壁に飛び乗りだし。
むりです。儚くなってしまいます。
必死でコマに抱きついていますと、気づけば海面がはるか遠くに。目眩がしてきました。
「クヨー!」「カヨー!」「タブー!」
ちなみに対岸はかなり遠くです。
メイのはしゃぐ声がしますが、やっぱり無理です私にはこんなのは……。
「いっきまっーす!」
メイを乗せたパイは急斜面を高速でかけ、そのまま翼を広げて滑空を始めました。
「危なっ……」
思わず彼女に手を伸ばしてバランスを崩し、朝日の一部に儚く。
みるみる近づく海面と岸壁がきらきらしています。お嬢様申し訳ございません。
ぶわわという羽ばたきと私の視界いっぱいに広がる白。
私は空からまっすぐ急降下してきたコマの背で跳ねてコマとシロの間で行き来し意識が遠くなってきました。なんかクソ親父がまだ首が繋がらない私をブンブン高い高いして若い母にマジギレされている姿が見えました。
私が赤子のころの幻に囚われているなか、胸が柔らかな羽毛で跳ねて次はお尻が跳ねて最後にすとんとシロの背中にいました。
「あーっ。ミカちゃんずるい。私もやる!」
コカトリスはこんなに飛べましたっけ。
滑空を楽しんでいたメイはこともあろうに自ら飛び降り、コマとパイの間で飛び跳ねて遊んでいます。
私はシロの背中にぺたんと座り込み、その様子を見上げていました。
シロはおひさまの香りがします。
軽く彼に頬を当てて眼下を見下ろすときらきらひかる冬の海と波。
頭上には白い鳥が列を作り潮風が耳を通り過ぎていきます。
海鳥たちときゃっきゃっと楽しそうにはしゃぐメイですが後でお説教を……やめましょう。
3羽のコカトリスが三度『うたうしま』を周回する狭間、ひとたびだけお嬢様が窓から眺めてくださっていたように感じました。私たちは城の人々に手を振ると街へと滑空していきます。
ポールの祖母のロベルタが大戦の英雄でありながらその話題を忌み嫌いこのような辺境で余生を過ごすことについて「空は地上でみるよりもっと大きくて、飛行機というものはどきどきわくわくするものですよ」とおっしゃっる理由が少し理解できたかもしれません。
空もいいですね。
少なくとも物憂いどころではございませんから。




