悪役令嬢、その生涯の研究とは
「ミリオンのばかー! わたしの『つのばくそうおおとかげ』かえせー!」
「ミリオン。メイ相手におとなげない。ぼくはそんな子に育てたおぼえありません」
「フェイロンもくやしかったらかってみたらいいじゃん」
「てぇい」「とぉ」「やっ」「はっ」「えっとこれを動かすといいんだよねお兄ちゃん」
「ちょっ、ちょっ。7人がかりでひっくり返そうとしないで赤ちゃんと油断してたら持ってこうとしないで。メイも笑ってないでとめて。はなしてこらフェイロン」
遊戯風景を見守っていた『保護者』がきました。
正しく子供の喧嘩に親が出る。ですね。
「みーりーおーん?!」
「ごめんクムやりすぎた」
「ちょっとおとなげないわねぇ! 誰が大怪我している時ひろってあげたっけ」
「『いととおときはよすえまで』のきみさまです。サフランごめんなさい」
あら。そのようなことが過去に。
「あっ。ミリオンこれ『はちゅうるい』じゃないしきらきらのカードでもないしやまでもない。ドロー。ドロー! わたしのカード返して!」
「ちょ。場に出してないよ」
いとあさましき。ふみにしるさず。
カードは近くを通ったショウの足元に飛んでいきます。
「ふむふむ。このような生物が当地に。これは存じませんでした。早速資料に」
「あっ。ショウのどろぼー!」
賢者のショウをメイが追いかけるのは珍しい風景ですね。そして年頃のむすめが腰に抱きついて歩みを止めようとしているのに彼は全く気づいていないまま歩き続けています。
賢者にしては剛力ですね。
伊達に冒険者の真似事をしたり紋章官バーナードと共に戦場を駆けたわけではない模様。
これらあさましき遊戯風景は後のことになりわたくしどもはこの時点では計り知れぬことでございます。
ゲーム自体は地面に叩きつけてひっくり返すと勝ちになる単純なものですが、生息区域や個体数など一定条件が揃っていないと勝負前にドローでカード交換となる仕組みです。
おそらくドローなしなどのローカルルールや子供が頑張って白いカードに模写した絵を描き、それを個体数希少の、メイいうところ『きらきら』と交換しろなる争いも起きうることもあるでしょうが。
「ドロー、ドロー! わたしのカード返して!」
「家内では今後『勝負が続く間は一枚くらいは指定して返していい』とかにした方がいいのかねジャン」
「クム。爺もそうじゃが坊はそこまで采配振るいませんぞ」
わたくしどもまつりごとにわずらわしき身の上にて、遊戯の取り決めまでは采配ふるえません。
場を前のふみのころに戻します。
後に起きる家内のあさましき諍いよりもこの時のわたくしどもは印刷の美しさとカードの耐久性、そして軽さの課題を『彼』がいかに解決したのか興味があります。
まだ塗料の匂いがする扉を開けると印刷所の入り口です。足元の塊や謎の金属リボンに転ばないようヒールを進めて。
「『ベンジャミン』。前もって連絡はしましたが……入りますよ」
「ベン、私だ。入るぞ」
相変わらずのインクの匂いですが、ここでの三部族の技術は有害な成分、例えば鉛や緑青の使用を廃してより安全で良好な職場環境を維持することに貢献しています。
加えてこの印刷屋は商売より己や他人の芸術を振興することを好むのも良いですね。
ほら、彼がきますよミカ。
「ああ。お嬢様! 領主様まで! おひさしゅうございます!」
「えっ?!」
戸惑いを隠せないミカにさもありなん。
これでも変装はしているのですが。
「ああお久しぶり。変わらず『その美貌を語れば月影の如く淡く儚い睦言。闇夜の銀狼でも捕えられない』ですね。ミカ殿」
「あっはい……えっ。えっ。
あなた流刑になっていませんでしたっけ」
この印刷屋はもともとわたくしどもの知人です。
「ここは流刑地です。名前を変えて私がここにいておかしくはないでしょう。今は『ベンジャミン』と名乗っております。ベンとでも呼んでどうぞご贔屓に」
「えっ。だって流刑民は財産を持ったり、ましてここにいる主婦のみなさんを雇用も……」
「過去を隠せ。全く。また流刑になりたいのか」
過去を隠す気配を見せない彼に『護衛騎士』様はたまりかねたご様子。
「ミーシャを呼びます! 領主様の指名なさった裁判官殿の御采配に彼女はとても感謝しておりますし、友達が来たときっと喜びますよ!」
い、いえ、その、結構です。
「えっ。前にカレンダーの原画描いた方ですよね。モデルは快諾したけどいつのまにか原画ができていてびっくりしました。わたしドレスは着ませんがあのイラストでわたしが着ている薄いふんわりとしたロングスカートとセンスのいい装飾は好きです。ひょっとしてわたくしの知り合いでしょうか。こんなところで再会できるならば会ってみた……」
名を変えたひとが過去の人と話していてはよくありません。
「え、ええっ! 用事が済んだらすぐに帰ります!
ミーシャたちにはよろしくと!」
「お嬢様、大声を出してはしたないです。何かございましたか」
とはいえ、今ミーシャと名乗っている方は類い稀なる画才の持ち主です。
学生時代はぼかしや他面遠近法、他面表現などさまざまな技法について薫陶を受けました。
「健勝のようで何よりです。あなたの印刷の出来、ますます冴え渡っていますね」
ガクガ企画のポージングブック第二弾はあわや暴動になるほど売れましたし、個人出版ブームに対応する確かな腕と仕事の早さは目を見張るものを彼は持ちます。
「ええ、次の『混む家』は旧領主館開催と決まりましたから、妻……と言っていいのでしょうかね。彼女とそのご友人とそしてわたくし含む従業員共々気合い入ってますよ!」
「妻? あなたと結婚したがる物好きがいたのですか」
ミカは辛辣ですね。少々彼は見た目に気を配りませんが概ね美男子で善良ではあります。その行動には首を傾げること多々ですが。
「ミカ殿、容赦ないですね」
「わたし、あなたのセンスのないラブレターのせいでクソ親父……父から散々揶揄われましたから。なんですか作家のくせにあの比喩。親父のやつ家中で朗読してみんなが覚えちゃったのですよ」
ミカは平民ながら将来の妃殿下おつき確定ということで下々の中では人気者でしたからね。
二人が旧交を確かめている間に『護衛騎士』様が『混む家』について苦言を放ちます。
「勝手に決めないで欲しかったな」
彼は肩を落としていますが、わたくしすらも知らないうちに決まっていたことですから。
そしてこのカードならきっとメイは喜ぶでしょう。
クムの子供たちと取り合わないよう余分に買っておきましょうか。
ええ、もちろんフェイロンやコック長のミリオンたちにも。
「フェイロンは昆虫がよいのでは」
「いえ。彼の好きなものは伝説の魔物です」
「いえ、多分お菓子のカードとかも欲しがります。ほらほらこの印刷すごいですよ」
わたくしの把握しているよりも種類が多いのは従業員提案を受けて『混む家』限定カードを無料で大盤振る舞いする予定だからだそうで。
「もちろん、お嬢様がたにお見せすべく、本業たる最新の戯曲を寝る間を削り鋭意制作中ですとも! 領主様! ゆくゆくは劇場建設の出資を是非とも!」
正直、変に出世して本人希望通りに劇場脚本家になどならなければ彼は偉大な印刷屋なのです。
「それはやめたほうが」
ミカは小声でつぶやいたので幸いなことに彼の耳には入りません。
「領主様、今度の脚本は一味違います!
以前のわたくし、機械仕掛けの神ばかりのへぼ脚本と揶揄され不当にも流刑となりました」
異常な早口に彼は戸惑い気味ですね。
「で、あるか」
「しかし! 今回この子供たちが描き込みやすいよう改良を重ねた素晴らしき白カードに!
賭け事を司る『機械神ギーガ・ギス二號』の御姿をすかし見たのです!」
「お嬢様。お嬢様。旦那様もとめてくださいませ。今なら間に合います」
いわゆる機械教徒と言っても個人差があり、彼はまだ無害な方です。
せいぜい機械じかけの大道具が出てきて予算を圧迫し脚本が単調になること。
そして子供のごっこ遊びにまで口を出す悪癖。
さらに。
わたくしは上記をミカに伝えた上で話します。
もう手遅れですからね。
「できれば、わたくしが頑として購入しなかったときに察して欲しかったのですが」
もぐもぐしながら聞かないでくださいまし。
それが美味しいのは存じています。
「ミカ。君が今くちにしている、蕎麦の環境適応能力を持つ餅を作れる粘性もつ蕎麦粉のガレットの原料は……教会いうところの『機械教の技術で作られた怪しげな魔生物』を流刑に乗じてベンが『完全に善意にて』当地に持ち込んだものらしい」
「網にかかるだけ、彼は善良なほうかと」
「お嬢様、旦那様。
ベンとか今名乗っているこの方、三部族に攫われて明日首だけになっていてもわたくし驚きませんよ」
ええ。ミカ。
わたくしどもも彼は充分有害な気がしてきました。
そしてあなた今捨てずに完食しましたね。
「かの魔生物は『とある商人』の手により領主の目の届かない太陽王国移民地跡にて試験栽培され、彼ら太陽王国移民の全滅を食い止める救世主となったようだ」
「へぇ。どうりで。やっと少しわかりました。てかデンベエじいちゃん、ほんとロクでもないっすね。まあいくらアレな連中でも、開拓村でよくある凍死と餓死とそのうち起こる共食いの、冬の欲張りセットで全滅するのは可哀想ですが」
つまり今年大流行中の絶品なガレットは、餅になる粘度を持つようそして鉄麦なみの生命力と生産効率を持つようにする機械教徒の邪悪な『生命の樹』書き換えにより生み出された魔生物であったということです。
わたくし、先に町に来た時はお土産に包んでしまいました。
おそらくこの魔生物、ここでは『餅蕎麦』としましょう。
かの花粉は収穫を終え大量に、それこそミカが喜んで食べるガレットになる程度の勢いを持って飛び去った後でありもはやどうすることもできませんね。
これより始まる環境保護や破壊の緒影響についてはどなたか有能な農学者にお願いすべきでしょう。
またまたわたくし、カラシくんにお手紙を書くことになりそうです。
ああ、また当地では読めない貴重な書籍についての補講が大量に届くのでしょうね。
「はぁ、あの情熱あふれたらぶれ……イミフを読める気力があるのはお嬢様くらいですし。
……そう言えば、お嬢様って結局なんの学者なのですか」
わたくしが愚痴るとミカが意外なことを。
「あなた、主人の生涯の研究も存じなかったのですか」
「ええ。お嬢様はなんでもご興味が赴くままに研究なさいますが、ご専門などありましたか。わたくし存じません。旦那様はご存知ですかね」
もちろん、リュゼ様はご存知ですとも。
そうですよね。まさかわたくしの専門を存じないはずがありませんもの。
しかし彼は何を照れたのか無言を貫いて興味深そうにしており。
そこにミカが嫌なことを思い出させてきます。
「さすがに『凧を飛ばして雷の電気を集め、ぐるぐる魔銅線を巻き付けたマニ車?だかモウタァだかを回して異世界の力を抽出する』とか、極低温内で無限に軽量な物質によって作成された無限に小さな原動機内で起きると仮説される浮遊現象を、常温かつ重量物質かつ実現可能な機械で実現させる研究の御一環として『ポーズ状態とフェルミ状態の魔素による無燃料原動機を実現する』など訳のわからない研究をはじめた時はドワーフたち以前に異端審問を受けそうなので生命かけてお止め致しましたが、お嬢様は大抵の研究は行っておいでですから何が専門かと」
「……君も大概だな」
「失礼な。ニコウラデスラーという機械教徒の書いた書物に少し触れた15の若気の至りですわ」
わたくしどもがはしゃぐ中、ベンは口を挟んできました。
「えっ。お嬢様の生涯の研究は有名ですよミカどの。私でも存じているのに」
「そ、そ、そうなんですか!?」
まぁ良いでしょう。しかと心得なさいなミカ。
「わたくしの生涯の研究は、栗や海栗のトゲがいかに分裂するかを主題とした、まさに栗や海栗のトゲやイガの如く多岐にわたる壮大なものです」
「はい?」
「そうですそうです。特に海栗イガの歩行に関する詳細な観察論文や、それに伴い発表された海の生物が示す水質浄化に関する研究は侯爵家のマンパワーを感じる素晴らしい作品ですよ。最近では『ひざのくに』における外来生物としての栗の論考や土着の栗とその自然交配に関するレポートも小品ながらなかなかの力作で……お嬢様のおそばにいながら、本当に知らなかったのですかミカ殿」
彼の凄まじい早口にミカは聞き取れなかった模様です。
「えっ。はっ。うん……。ちょっとよくわかんないのですけどちょっと待ってくださいそれがなんの役に立つのですか理解できなくてつい」
しっかりしてくださいな。
「わたしは一向に構わん」
ありがとうございます。
「左右に別々のペン持って簿記と子供向けの絵を一度に描く妙な特技があったり、いつもニヤニヤしつつ変な覚え書きを記しているのはわたくしでも目に入れています」
あなたは主人を変人のように見ているのですか。
「お嬢様は確かに栗や海栗を描くのは好きですよ。
お嬢様の好物というほどではありませんが季節のマロンケーキや廃棄した野菜くずで育てた海栗くらいなら御相伴預かります」
それならば充分理解できるでしょう。
「でも、はい、生涯の研究と仰られてもそのあの。そう言えば何度か美しいお瞳を傷つけかけては実家でも旦那様にもお叱りを受けていますね」
それは覚えておらずとも結構です。
そこの『護衛騎士』様も声を顰めて笑わないでくださいませ。
「で、なんで生涯の研究がうにと栗のイガだのトゲなんですかお嬢様。それがどうにもわかりません」
「かわいいじゃないですか。ねえ。『護衛騎士』様もそう思いますよね」
何故黙っていらっしゃるのでしょう。
「お嬢様って、めちゃくちゃ不細工な犬や猫を可愛がったり、やたら魔物に好かれたり、不細工なのを『可愛い』と言い出す独特のセンスがありますからね。
御学友が『対象の全ての魅力を伝えるには足りない』とおっしゃって、五枚の角度を変えた肖像画をバラバラに切り裂いてモデルが書いた手紙や関連する新聞記事を貼り付けて再構成する凶行を行ったときは『多面表現』とか命名してリンさまと一緒に庇ったり」
「あっ。わたしのデザインした舞台装置を評価してくれたのはお嬢様ですが、そう言われると……お嬢様の詩作のセンスといい不安になってきましたね。新作のプロットを見直しましょう」
ベン。流刑になっていなかったら援助打ち切りを検討するようなことをくちにしないでください。
「一向に構わない。人は中身だというが、中身が見えないからこそ人々は寄り添って生きる」
あら。ありがとうございます。
「わたしはお嬢様と嗜好が違い、綺麗なものや容姿整ったものが好きですからいまいちわかりかねますが、子供や犬猫に始まり、スライムさんはまだしもコカトリスやらなんやら当地の魔物に悉く懐かれ、しまいにはおばけやお城まで拾ってきたじゃないですか旦那様。次は何を拾ってくるかわかりませんよ」
ミカ、あなたはわたくしをどこからでも犬猫を拾ってくる子供のようにみていませんか。
あなたもベンも笑わないでくださいまし。もう。




